40 朝風呂
第四章一話目! ……のはずなんですが、諸事情によりヤクモちゃん視点ではありません。微妙に閑話っぽいですが、ヤクモちゃんは出てるので本編で。
ヤクモちゃんのお姉ちゃん、アーシュ視点です。
「あっ、ちょっとリンドウ! 動いちゃだめだって!」
湯気の浮かぶ空間にヤクモちゃんの声が反響します。
暴れる龍を抑えようとするせいか若干水が撥ねますが止めないでおきましょう。お風呂場のマナーとしては良くないかもしれませんが、なんとなく微笑ましいので。
カポーンと、小気味いいししおどしの音が鳴りました。
ここはお風呂場。
可愛い妹をたんのう……もとい、仲良くするため、毎朝の特訓で汗を掻くヤクモちゃんを癒すために【倉庫】に新しく作った施設です。
神界に元からあるお風呂のほうが湯質も設備も上ですが、そちらだと他の神々も入ってきて邪魔……いえ、ゆっくりできませんからね。
お姉ちゃんですし、仕事ちゃんとしてますし、これくらいは許してもらいましょう。
ちなみに内装は主に黒い石材を使ったものになっています。
初めは白くしようと思っていたのですが、例の連続転移の影響でヤクモちゃんは白い空間が少しトラウマになっているようでしたので変更しました。
お湯は透明感があり、入っているだけで魔力量が上がるものです。微々たる量ですがヤクモちゃんの助けにはなってくれるでしょう。
ぱしゃぱしゃと水が弾けます。
ヤクモちゃんは龍を洗おうとしているみたいですが、龍本人は必死で抵抗しています。
生後間もないですし、お風呂なんて初めて見るのですからしかたないかもしれませんが……。
ビシッ。
「あうっ」
暴れる龍の尾がヤクモちゃんの顔に当たりました。
反射的に睨みつけます。
ビクッ。
当てられた顔を擦りながら、不自然に動きの止まった龍を不思議そうに眺めるヤクモちゃんでしたが、動かないのをいいことに龍を回収し、桶にお湯を入れて洗い出しました。
龍の緑色の体が白い泡に埋もれていきます。
「ヤクモちゃんも洗ってあげますよ?」
「……う、えと、遠慮しとく……」
ヤクモちゃんはそう言って顔を背けます。
その頬は若干朱いようです。
……うーん。
いろいろ教えたつもりでしたが、まだヤクモちゃんは「裸の付き合い」というものにいくらか抵抗があるようです。姉妹なのですから一緒に洗いっこくらいは普通だと思いますが……まだ難しいですかね。
ここに来るときも結構抵抗して、結局幼くして抱え込んだうえで半強制的に実行しましたし。
理想としては普段のヤクモちゃんと仲良く、だったのですが、幼女状態のヤクモちゃんを連れ込むのも、お風呂嫌いの妹を世話する姉、みたいで少し楽しかったです。
ヤクモちゃんにもお風呂は気に入ってもらえたみたいですし。
一緒に洗いっこはさせてくれませんでしたが。
お湯の流れる音がします。
泡だらけの龍を洗い流しているようですが、その刺激で私に睨まれ固まっていた龍が現状に気づいたようです。泡だらけの体を振り回し暴れ出しました。
「わわぁっ!?」
ヤクモちゃんは取り押さえようとしたみたいですが、相手は泡だらけで滑る龍。
ぬるっと手をすり抜けバランスを崩したヤクモちゃんと龍が絡まります。
泡でぬめる細長いのに絡み付かれた裸の幼女………………はっ。
……いえ、私は何も、いかがわしいことなんて何も考えていません。
お姉ちゃんですから、妹を心配して見ていただけです。
だから、じっとというかじっとりとヤクモちゃんを見つめている馬鹿天使の頭をひっ叩きます。
バチン!
ヤクモちゃんたちの騒ぎの中でも不思議なくらい音が響きました。見事に全員の動きが固まります。
お湯に沈んでいくカグヤはかなり危ない状態な気もしますね……全力で振りかぶりすぎたでしょうか?
とりあえず目を丸くするヤクモちゃんは笑って誤魔化しておいて、お湯からカグヤを引き抜き浴槽の端に移動します。浴槽はかなり広めに作ったので、ここなら小声で話せばヤクモちゃんには届かないでしょう。
ひとまずカグヤを回復させます。
はっと目を覚ましたカグヤが私を睨んできますが、悪いのはあなたです、睨み返しました。
「いきなり何をする」
「ヤクモちゃんのこといやらしい目で見ていたでしょう」
「……見てない」
目をそらすカグヤの顔を掴んで正面を向かせます。
「目を見て言ってください」
「…………」
沈黙が流れます。
龍を洗い終わったのかヤクモちゃんが浴槽に入ってきた気配がしますが、私たちを遠目に見るばかりで近寄ってこようとしません。
傍目から見たらさぞかし異様な雰囲気に見えるでしょう。
だからといってここで引くわけにはいきませんが。
沈黙が続きます。
埒が明かないので独断と偏見により有罪とみなしましょう。
無言のまま、ゆっくり頬を引っ張りました。
「…………いふぁい」
「はぁ……。あなたをヤクモちゃんの側に置いておいてもいいものか、真剣に悩むときがありますよ」
手を離し溜息を吐きます。
現状私たちが出せる中で最強の人物ではありますが、別の意味でヤクモちゃんを危険に晒しているんじゃないかという疑念を拭いきれません。
私がついていければこんなふうに思うこともなくなるのでしょうが、仕事や責務があるせいで……ままならないものです。
諦めたわけではありませんよ?
私が地上に行くための計画は水面下で進行中です。他の神族に気づかれなければそう遠くないうちに行けるはずです。
情報隠蔽は完璧ですからばれる心配もほとんどありません。
いえ、私のことはともかく、今はもっと大事なことがあります。
ちらと見れば、ヤクモちゃんは尻尾をオール代わりに浴槽を泳いでいる様子。こちらを気にしてはいません。
……ずっと見ていたい誘惑に駆られましたが鋼の意思で振り切って、カグヤに向き直ります。
「ちゃんと守ってくださいよ? ヤクモちゃんの不安定さは理解しているでしょう?」
不覚ながら、誰にも気づかれないまま進行していたヤクモちゃんの魂の崩壊具合は、すでに私の力を持ってしても完全に修復できないレベルでした。そこで私は、魂を完全に固定することでこれ以上の崩壊を阻止しようとしました。
それは同時に、ヤクモちゃんの魂がそれ以上の変化に不寛容になった瞬間でもありました。
体が変わったことによる精神の変容も、突然与えられた大きすぎる力も、故郷とはかけ離れた異世界の環境も、ヤクモちゃんの在り様を変えるのに十分すぎる影響があります。
その変化が、魂にまで影響を与えるかどうかは分かりません。
ですが、今のヤクモちゃんの魂なら、些細なことが致命傷になりかねません。
今までの触れ合いの中で、どこまでなら問題ないのか、というのも分かってはきましたが……。
「ヤクモちゃんを消滅させたくないのなら、今は自分の役割だけに集中してください」
「……分かってる」
深刻な顔で呟いたカグヤがそのまま俯きます。
いつも泰然としている彼女にしては珍しいほど深刻にとらえて思い詰めているようです。
……少し脅かしすぎたでしょうか。
ヤクモちゃんの現状はたしかに懸念事項ではありますが、もし起こってしまった時の被害が大きいというだけで、そこまで緊急性はありません。
魂に影響を与えるほどの変化など、先の考えとは矛盾するようですがそうそう起こり得ないのです。
一番可能性が高いのは『器』の暴走でしょうが、それも生命の危機くらいでないと怒らないでしょう。
病気や毒の類は私の力で無効化してますし、カグヤがついていて単独でも龍を倒せるほどのヤクモちゃんを傷つけられる存在などあの街の周囲にはいません。
忘れるわけにはいきませんが、慌てず慎重に進めるべき事柄でしょう。
「……さて、いつまでもこんな隅にいてもヤクモちゃんに不審に思われます。悩むのもいいですが、そればかりだと足元をすくわれますよ?」
私の言葉に反応してカグヤが顔を上げる前に転移を実行します。
位置は当然――ヤクモちゃんの真後ろ、です。
「――捕まえました!」
「ひゃうわぁっ!? お姉ちゃ、っ油断した!」
のんびり浮かんでいたヤクモちゃんを掬い上げるように抱きしめます。
なにやら抵抗を感じますが気にしません。
こうしてヤクモちゃんと触れ合える時間が、私の幸せです。
「はぁ、こうして抱きしめるのも久しぶりです」
作った代用品はついこの前三桁を超えましたが、やはり本物には叶いませんね。
そもそも本物そっくりに作ろうとしてませんから当然ではありますが。
デフォルメしてあります、本物そっくりのぬいぐるみとか、少し怖かったので。
ヤクモちゃんに助けを求められた龍が他人のふりをしているのを横目で見ながら、背後の殺気を躱すように転移します。
直後、衝撃波が浴槽に溜まったお湯を割っていきました。
目を丸くするヤクモちゃんを下ろし、派手なことをしてのけた犯人に意識して不敵な笑みを浮かべます。
ちなみに浴槽や浴場の設備は無傷です。ここが戦闘の舞台になることは確定的だったので丈夫にしてあります。
飛び散る水飛沫が落ち着いて、姿を見せた犯人はもちろんカグヤ。
目を吊り上げて、かなりお怒りのご様子。
「真面目な話。してたんじゃなかったの」
「違いますよ? 大事な話ではありましたが」
そもそもカグヤの不埒な行為を問いただすために隅に移動したんです。
深刻な話をするつもりならカグヤだけ呼び出すなりなんなり、もっと真面目なシチュエーションを選びます。
ヤクモちゃん関連の深刻な話を片手間に済ませるようなことはしません。
「…………」
「…………」
叫びたいけど叫ぶ言葉が見つからない。そんな様子のカグヤ。
ただお互い、見つめあうだけの時間が続きます。
「え、えっと……喧嘩はよくない……よ?」
不穏な空気を感じたのかヤクモちゃんがなだめるような声をかけてきます。
まあ、心配しなくても大丈夫ですよ。
少しばかり空気が震えていますが、この程度じゃれあいの範疇なので。
「……とりあえず。ヤクモは返してもらう」
「ふふ。やれるものなら」
水が、空気が、弾けました。
戦闘の結果は省いておくことにしましょう。
最終的に、ヤクモちゃんは存分にふたりに可愛がられた、とだけ。
ああ、ヤクモちゃんは意外と最後まで抵抗していたことも追加しておきましょうか。
え? 結局諸事情って何かって?
……いや、単純にヤクモちゃん視点でお風呂シーン書けなかったんです。
もう少し恥ずかしがるヤクモちゃんとか書きたかったんですけどね、無理でした。




