2 召喚
翌朝。
俺は学校への道をひとりで歩いていた。良く晴れた空に浮かぶ太陽が眩しい。
……幼なじみと一緒に登校しないのは俺が嫌われてるからじゃないよ?
教師である楠葉ねえさんは学生とは時間帯が違うし、双子は部活が違う。
俺は声楽部の朝練に出るため早くに出てきたのだ。近々ある文化祭での発表のために練習漬けなのだ。
一年生だからそこまで出番があるわけじゃないが、どんな小さなパートでも全力でやって俺の美声を学校中に響かせてやるんだ!
『夜雲の歌は下手の横好きレベルだけどねー?』
あれ、なんだか辛辣なコメントが脳内に響く。蒼華の声で。
思わず後ろを思いっきり振り返ってしまうけど当然誰もいない。いつのまにか背後にいたとかではないようだ。……ならなんでだ。蒼華のやつ、読心能力だけでは飽きたらず念話能力まで身につけたというのか!?
いや違うか、違うよな? いくら蒼華でも……。うーん。
あ、蒼華といえば今朝はどこか様子がおかしかった。不機嫌そうに唸ってた。そう、まるで、聞こえない音が聞こえてうるさいと思ってる、みたいなどこか納得いかないような感じで。俺が家を出るときもなんか深刻そうな顔で挨拶してたし。具合悪いのかと聞いても「そういうわけじゃないんだけどー……」と煮え切らない答えだった。全体的に慣れない感覚に途惑っている、って雰囲気だ。
――まさか本当に新能力に目覚めた?
いや、まさかな。さっきのは幻聴だったに違いない。蒼華がそこまで突き抜けた存在になってしまったとは思いたくない。
こほん。
さて、俺の美声云々は冗談だし置いておくとしてだ。
実際音楽ってすばらしいと思うんだ。俺には楽器弾く才能はなかったらしく(だからといって歌に才能が有るかと言われたら……いやそんなことはないはずだ、うん)そういう部活には入ってないが、高校の部活という限りなく素人に近い集団の音楽でも心に響くものがある。プロの音楽は世界を救える位の力はあると俺は思うね。
実際戦争が終わるかと言われても困るけど。
少なくとも、聞いた人を幸せにしてくれるものだと俺は知ってる。
だから、まあ、聞いてくれる人を不快にさせないくらいの歌声は、是非欲しいと思ってる。
はー……。どこかに音楽の才能って落ちてないかな?
…………。あっ。今溜息しちゃった。
幸せが逃げた……。ちくせう。
● ● ●
ちょっと調子が悪かった気がする朝練を終えて、教室。
席に座った俺に声をかけてくる男がいた。
「おっはよ、夜雲。今日はひとりなんだな」
やや丸めの顔に人懐っこい笑顔を浮かべているこいつは藤崎 優生。同じ県外からの入学生だからということもあり、最近では双子も加えて普段昼食をともにするくらいの仲だ。
「俺は今日朝練だったから」
「大変だな。……ところで蒼華さん知らないか?」
「蒼華?」
言われて教室を見回してみれば、このくらいの時間にはいつもいるはずの双子の姿が見えない。
「蒼華に何か用事か?」
「ああ、部活のプリントを預かっててさ。後で渡しておいてくれ」
そういってプリントを渡してくる。優生は蒼華と同じテニス部だから、たまにこうして蒼華への用事を頼んでくる。ちなみに紅樹はサッカー部だ。
でも、プリントくらいなら俺に頼まなくてもいい気がする。
「渡すのはかまわないけど……直接渡しても良いんじゃ?」
同じクラスなんだし。
「まぁ、そうなんだけどさ……蒼華さん、少し苦手なんだ」
少しばつの悪そうな顔で零す優生。
苦手……。あの年中ゆるい雰囲気を放っている天然娘のどこに苦手になるとこがあるっていうんだろ? たまに発動する無意識の毒舌はなかなかに刺さるけど、あれは基本俺以外にしないし。……紅樹も楠葉ねえさんも上手い具合に回避するんだよなぁ。俺隙だらけなのかな。
……っと。これ以上は関係ないな。
それ以外になんかあったか……?
あ、ひとつあったか。
「蒼華可愛いからな」
「は?」
「俺らみたいなフツメンが話しかけるのはちょっと厳しいものがあるんだろ」
幼なじみの双子は揃って美形だ。道行く人が思わず振り返るくらいには。男子高校生としては、そんなレベルの美少女相手に話しかけるのに勇気が必要なのは分かる。
まあ俺にとってはよく見知った幼なじみだし、遠慮無く話しかけるけど。
「あ、ああ……。そうだな」
なんか微妙な反応だな。
「どうし……」
「……はぁっ。間に合った……!」
様子がおかしい優生に話しかけようとしたが、勢いよく開けられた扉の音に掻き消された。思わずそちらを見ればちょうど話題に出ていた幼なじみの双子の姿。
時計を見れば本当に遅刻寸前の時間だった。
ちょうどよく用事もあることだし、事情を聞きに行きますか。
「遅かったね。……何か問題でもあった?」
「あったと言えばあったんだが」
紅樹はちらりと傍らで息を整えている蒼華を見た。見られていることに気づいたのかゆるゆると顔を上げる蒼華。
「……夜雲」
「ん、どうした?」
蒼華は言葉にならないものを話そうとしているみたいに口をぱくぱくさせている。いつも感覚的に喋っている蒼華としては珍しい会話の間。
「……今日は、なんだか、ふわふわする」
結局出てきたのは、それこそふわふわした、意味合いのとりにくい言葉だった。
「夜雲が家出てからもずっとこんな調子でな。こんな蒼華なんて初めて見たから俺もなんとかしようと思ったんだがこいつが何を言いたいのかも結局分からずじまい」
似たような問答を続けるうちにこんな時間さ。疲れたようにぼやく紅樹は後は任せたとばかりに自分の席に行ってしまった。
蒼華はその間もあーうー唸ってどう伝えればいいのか迷っている。
確かにこんな蒼華は初めて見る。
「蒼華、嫌な予感でもするのか?」
「そういうわけじゃない、けどー……」
その答えにひとまず落ち着く。他のやつなら知らないけど、勘の良い蒼華の「嫌な予感」はしゃれにならないから。俺も紅樹も、それは身をもって知ってる。だからこそ意思疎通は正確にしようとしているのだ。
「嫌な予感がしないなら、大丈夫だろ」
「でも、夜雲。きっと何か起こるよー?」
「蒼華が感じ取れない程度のことなら問題ない。何とかなる」
根拠が他人の勘だけ、というのも微妙だけど……俺にとっては十二分に信用に足る情報源だ。
困ったように眉根を寄せる、しわの寄った眉間を指でつつく。
「いつまでもそんな顔してるな。……これ部活のプリントだ。ちゃんと目を通しておいてよ」
何か言いたげだった蒼華にプリントを突きつける。慌てて受け取る蒼華に向けて、意識していつも通りの笑顔を浮かべた。
冗談っぽく一言。
「早く座らないと怒られるよ?」
タイミング良く鳴ったチャイムの音を聞きながら席に戻る。蒼華もひとまずは考えるのを止めて座ることにしたようだ。少しだけどゆるい雰囲気が戻っているような気がした。
この時俺は蒼華の困惑を解消してやったわけではなく、先送りにして気晴らしをさせただけだ。そもそも兄の紅樹が結構な時間をかけて宥めようとしたものを俺が少し話しただけで解決できるわけがない。
だけどこのときの判断は間違っていなかった。
蒼華が感じ取った「これから起こる何か」。それに対して俺達ができることは何もなかったから。
それに対して不安に思うことに意味はなく、出来るとしたら受け入れる覚悟をすることだけだ。
扉が開く。
静まりかえる教室に、複雑な魔法陣が浮かび教室中を白い閃光が襲う。
悲鳴をあげる暇すらなく、俺達はそれに飲み込まれ――。
教室内には誰も残らなかった。
何かが起こると知っていただけ、俺はまだ幸運だっただろう。
TS書きたくて始めたというのにそのシーンまでが遠いという事実……。
温かい目でもう少しおつきあいを。