さよなら、おばあちゃん
ツイッターにつぶやいたことでアドバイスをいただいたことから、生まれた作品です。
ヒヨリはなんとなく予想はしていた。父と母の間に冷たい空気がながれていることに。そしてそれがやがて現実になることも……。それでも、その身勝手さに腹が立ち、自分の置かれた立場や寂しさが複雑にからみあって気が付いたら、祖母の家に来ていた。
祖母は何も言わず、ヒヨリを迎え入れて、暖かいお茶をだした。
「それで?ヒヨリはどうしたいの?」
「そんなの……わかんない!。別れるなら、結婚なんかしなきゃいいのよ。あたしなんか産まなきゃよかったんだ」
ヒヨリは泣いた。そして喚く。本当にその言葉をぶつけたいのは、祖母にではない。父と母だ。けれど、それができないのは、二人が自分で決めていいと言った。これほど、無責任な言葉はない。
『お父さんもお母さんもヒヨリが好きよ。だから、ヒヨリが好きな方を選んで』
「そんなの勝手じゃない!!あたしが選べるわけない!!」
どっちも好きで、バラバラなんていやなのに、それを言わせないために自分で選べと親は言う。
「無責任なぁ……。人間にとれる責任なんてちっちゃいもんだけどね。それ言われたら、ばあちゃんも反省しなきゃいけないねぇ。依子の母親だから。ヒヨリを困らせるような親にしちゃったもんねぇ」
祖母はのんびりとお茶を啜る。
「おばあちゃんのせいじゃないよ……悪いのはお母さんたちだもん。それに」
自分が子どもだからいけないんだとヒヨリはつぶやいた。
「子どもが子どもなのは、当たり前のことさ。そんなこともわからないで、ヒヨリに選べっていうんだから、依子たちも、まだまだ子供だねぇ」
「おばあちゃんなら、どうするの?親が離婚するからどっちか選べっていわれたら……」
ヒヨリは鼻を啜りながらぬるくなったお茶を飲む。ペットボトルのお茶と違う祖母の入れたお茶はいつ飲んでもやわらかいさっぱりとした味がした。
「そうだね。参考になるかどうかわからないけど……ばあちゃんがヒヨリなら、ばあちゃんを選ぶだろうねぇ」
「え?」
「どうしたって、お父さんもお母さんも選べないんだったら、ばあちゃんちに住んで二人からたんまりお金をもらって、したいことをしてみるよ。その方が、楽しそうだ。まあ、ヒヨリにはヒヨリの気持ちがあるだろうから、こんばんは泊まっていきなさい。晩御飯はたべた?」
ヒヨリはうんと頼りなくうなずいた。
「そうかい。じゃあお風呂いれてくるから。好きなテレビでもみておいで」
祖母はよっこらしょっといって立ち上がり風呂場へ消えた。静かな古い家。母の育った家。小さいころから祖母にあずけられることの多かったヒヨリにとっては、もう一つの家だ。夜中に家がギシギシいうからお化けだっていったら、祖母はそりゃご先祖さまだねと笑って、のちにそれは木が湿度で膨らんだり、縮んだりして出す【家鳴り】という現象だと教わった。
ヒヨリは風呂に入ってすぐに床についた。やっぱり、ギシギシいう古い家。天井を見ながら、ヒヨリは考えた。来年は高校受験。行きたい高校は決まっている。でも、その先は何もわからない。考えれば、考えるほど、自分の非力さが身に染みて涙が出た。親がいないと何一つ自分で決められない、選べないのが、ひどくみじめで情けなかった。
(泣くしかできないなんて、バカみたいだ)
ヒヨリの心はだんだんと親の勝手さを責める自分の気持ちが、ひどく情けないもののような気がしてきた。ヒヨリはごそりと寝返りを打つ。それから、しばらくして起き上がり祖母の部屋へ行った。襖の間から光がもれているから、まだ、起きているのだろう。
おばあちゃんと声をかけるとはあいとやわらかな返事が返ってきた。
「なにしてるの……」
ヒヨリはパソコンに食い入るようにみいっているまるまった背中の祖母に驚いた。
「うん?ああ、ちょっと調べものをね。眠れない?」
ヒヨリはうんとうなずいて、祖母の側に座る。それから、思っていることを一気に話してみた。
「あのね。おばあちゃんは、あたしがいっしょに住んでもいいと思う?」
「いいよぉ」
「ごはんとか、いろいろ迷惑かけると思うよ」
「ごはんは、誰かと食べる方がおいしいから心配はいらないねぇ」
「あたし、お金ないよ。おばあちゃんだって年金少ないんでしょ。お母さんが言ってた」
「そりゃ、少ないけどね。少ないは少ないでやり方があるよ。幸い家はあるからねぇ」
「じゃあ、あたし、おばあちゃんちに住みたい。お父さんもお母さんも選べないから……」
「そうかい。それじゃあ、いろいろ作戦会議だねぇ」
「作戦会議?」
ヒヨリはぽかんとする。何の作戦?今更、離婚するななんてことじゃないことはわかっているけれど。
「ヒヨリが大人になるまでに必要なお金をおとうさんとおかあさんに払ってもらうための作戦だよ。たのしいねぇ。ばあちゃんはこういうのはわくわくするよぉ」
ヒヨリはなんだかよくわからないままに、祖母の提案をいろいろと聞かせてもらった。
「おばあちゃん、すごい。それ、本当にできるかな?」
「さあ、まあ、やってみるのが一番だよ。できなかったら、また、二人で作戦会議しようかね。さあ、もう寝な。だいぶん、おそくなっちゃったからね」
ヒヨリはうんとうなずいて、部屋に戻った。
(おばあちゃんってすごいなぁ……あたしもいつかあんな風になれるかなぁ……)
ヒヨリはふっとそんなことを思いながら、すぐに眠りに落ちていった。
ヒヨリはあの晩のことを思いながら、煙になって空にすいこまれていく祖母を思った。あのとき、祖母がいなかったら、今の自分は親に翻弄されるだけのみじめな子どものままだったろう。あの晩、祖母がさずけてくれた知恵のおかげで、何の不自由もまく大学にも進学が決まった。荷造りをした翌朝、祖母が起きてこないので部屋を見にいったら、もう冷たくなっていた。何度かゆすって声をかけたけれど、祖母は目をあけなかった。青白い顔にかすかな微笑みを讃えて満足そうに眠っているようにしか見えなかったが、頬はとても冷たかった。
ヒヨリはしばらく動けないまま、涙が勝手にあふれた。それがおさまった後、父と母に連絡をいれた。それから、警察にも。あれこれと手続きをして、お葬式の準備も祖母との交換日記に書いてあったようにした。ヒヨリは祖母と暮らすことになったとき、【困ったときノート】というのを受け取った。お互い生活で言いにくいことは、そのノートにまずかきこんで、それから話し合うというルールをつくった。
相談事はヒヨリの方が多かったけれど、ここ数年は祖母が膝をいためて病院に通うようになったので、その診察記録や出費について書かれていることが多かった。お葬式のことも冗談めかして書いてあった。
(おばあちゃん……)
後に母から聞いたのは、祖母には両親がおらず施設で育ったのだという。祖母の持ち物が少ない中、一冊のアルバムがあって、祖母の結婚式の写真からはじまり、母の成人式までを記録するようなものだった。
「お爺ちゃんとすごく仲がよかったの。あたしもあんな夫婦になりたかった」
それは、離婚を決意した母のあのときの苦しみや悩みをヒヨリに想像させる言葉だった。
「そんなに仲良しだったの?」
「そうよ。あたしが焼き餅やくくらいね。お爺ちゃんが亡くなってしばらく、おばあちゃんは何もする気力がなくなって病院にもいったけど、あんたが生まれてあたしを助けてくれてるうちに元気になったわ。パソコンもいつ覚えたのか、あんたが熱を出したときもあわてず騒がず、近所の内科につれていってメールなんかくれたから、びっくりよ。本当にかなわないわ。母さんには……」
母は寂しそうに笑った。
ヒヨリはあたしもそう思うとうなずく。
「お父さんとお母さんが離婚を決めたとき、おばあちゃんがいてくれてすごく助かった。あたし、あのときいろんなことを学んだわ。中学生じゃ公証役場なんてもの存在しているなんてわからないものね」
「そうね、あれには驚かされたわ。あんたは毅然としてあたしたちに養育費を請求したんだものね」
「うん、全部おばあちゃんに助けてもらった。ただ、いつも最後はいってたよ。人生は自分で選ばなきゃならないけど、そのためにいろんな人に相談するんだよって」
「ああ、だからあなた福祉の大学えらんだの?」
「そう、臨床心理士の資格と保育士の資格、がんばれば両方とれるから、あの大学にしたの」
「そう……なんだか、すっかり大人になったわね」
「まだまだよ。おばあちゃんみたいな人になるの。あたし。そのために頑張りたいわ。それよりそっちはちゃんと幸せになれたの」
「ええ、お爺ちゃんとおばあちゃんほどじゃないけど……あたしなりの幸せはみつかったわ」
「そう、お父さんはどうなんだろうね」
「それなりに幸せにはなってるんじゃない?じゃなきゃ困るでしょ、ヒヨリ」
「そうね、なにせ大学の授業料しっかりいただかないといけないから」
ヒヨリと母は苦笑して、建物の中に戻った。お葬式は祖母の書き遺した通り、一番安いプランで行った。連絡も近所の人と昔のお友達ふたりだけに知らせた。
けれど、会場に入りきれないほどの人たちが来た。祖母の同級生や昔の仕事仲間、たくさんの人が祖母を見送った。祖母の人生がどんなものだったかヒヨリにはわからないけれど、たくさんの人に慕われる人だったことはヒヨリ自身が実感していたことだ。
(さよなら、おばあちゃん。ありがとう)
ヒヨリは骨上げの最中にそう心でなんどもつぶやいた。
公証人の仕事の中に「公正証書で離婚契約書を作って子供の将来を守ります」を参照しました。