六話 登録をしよう!
どんな世界にも「ゴロツキ」と称されるものはいる。
例えそれは、ハルが地球で目撃したものでも違いは無かった。
そう、坩堝の世界でも厄介者のそれは例に漏れることは無い。
(冒険者ギルド、組合だったか? いやしかしこれは…)
フェンリルに案内され、冒険者ギルドだという建物に入ったハルは、少々呆れていた。それも仕方の無いことであろう。
備え付けのテーブルには酒瓶、恐らくはトランプに近い何かしらの札。昼間だというのに酒の匂いも鼻につく。冒険者だと思しき人相の悪い男共が下品な笑いを唾と一緒に飛ばそうともカウンターには従業員らしき者の姿もあるが、注意を特にしない。ということは、恐らくはこれが平常なのだろうという考えと、呆れを溜息と同じくして浮かべるのも仕方がないことだ。
「ハル様、こちらです」
呆れているハルの様子を気にも留めず、慇懃無礼ともいえる態度でカウンターに彼を促すフェンリル。いつの間に移動していたのか、ヨルもフェンリルの隣に居る。フェンリルの表情は相変わらず無表情で、そこから何かが読み取れることは無いが。彼女が纏う雰囲気から、どことなく機嫌が悪いことは察することは出来た。
今行く、とフェンリルに返事をしようとした矢先。
「ヒュー! 見ろよ、どこぞのボンボンが冒険者になろうとしてるぜ!」
「む?」
挑発の類であろう、椅子に座っていた髭面の男がニタニタと意地の悪そうな顔でハルを見つめている。獲物を見つけたと言わんばかりの顔だ。
(酔っておるのか、面倒事にならなければ良いが……たぶん無理だの!)
酔って気が大きくなっている酔っ払いに絡まれたら面倒事になるのはどの世界でも一緒、世の常というものか。ともかく、髭面の男がハルに向かって覚束ない足取りで近寄ってくる。
「オイ坊ちゃん、来るところ間違えてねぇか?」
「そうか? ここが冒険者ギルドの建物ではないのか? 何にせよ、水くらいは飲んだ方が良いぞ、見知らぬ坊ちゃんに足元を掬われたくはないだろう?」
「おっ? ヤル気か糞ガキ、今日の俺は機嫌が良いんだ。だからお前は運が良い、そこのメイドか、背の高え女を一晩寄越せば特別に許してやってもい……」
髭面がわかりやすい強請の台詞を言い終わる前に。風切り音とほぼ同時に、髭面は地面に伏していた。
「おぉ、こんなところで寝てはいかんぞ? 風邪をひくからのう」
口だけは心配する素振りを見せ、わざとらしく既に寝ている男に声をかける。言わずもがな、ハルの攻撃が原因で髭面の男は寝ている。
身体能力がロキにより底上げされている彼の掌底が男の顎を打ち、誰の目にも映らず、当事者の男にも視認することすら許さずに速やかに昏倒させたのだ。
本来であれば、ハルは暴力で解決しないが。ひょっとすると坊ちゃん扱いされた事に腹を立てたのかもしれない、大人気なさ極まりないことだが。
「あのガキ何しやがった!?」
「どうしたイワン!オイ!」
唐突に仲間、もしくは友人が倒れたのだ。心配か、驚愕の言葉を口にしながら倒れた男、イワンと呼ばれた髭面とハルに近寄ってくる。
「てめぇこの…!」
何があったかはわからないが。とりあえずは目の前に青年に嘗められまい、と取り巻きの男共がハルに喧嘩を売っているのだろうが、その言葉も続かなかった。
「待てッ!」
乱入者の一声。ギルドの扉が開かれ、更なる面倒事へと発展する前に言葉を絶ったのは。柔らかな、優しい茶髪をした若者だった。
* * * * *
「いやすまんのう、助かった助かった」
「気にしないでくれ、これが仕事だからな!」
事態の収拾をつけ、爽やかな笑顔を見せつつ。仕事だから当然の事と言う若者。
ちなみにハルに絡んできたゴロツキ達は彼の手によりお縄になっていた。
「オレはクライブ、一応この国の騎士団の警備部署に勤めているんだ。君は? 見たところまだ若いし、冒険者登録は済んでいるのか?」
一般に、日本人というものは背が低く。顔立ちが幼く見られる。近年では二十歳・三十歳を過ぎようとも十代後半に見られる事もままあることだ。それ故にクライブがハルの事を幼く見ようとも、事情や中身を知らなければ当然である。まさか目の前の少年が実年齢七十どころではないとは思いもしないだろう。
「わしは弓削治臣、ハルと呼んどくれ。冒険者登録は今からするのだが、身分証を無くしてしまってな、発行しようと思った矢先に絡まれてのう」
(最初にギルドに来てから、チンピラに絡まれるのはテンプレですから。よくあることですよ、あと、魔力チェックで物を壊すとかもテンプレですよ)
(何故直接脳内に! あと『てんぷれ』ってなんぞ、揚げ物か?)
ギルドのカウンター前にて事態を静観していたフェンリルからテレパシー的なモノが響く。一方、フェンリルの近くに居たヨルは、事態に混乱し、終始わたわたとしていた。
「仕方ないこと、なのかもしれないな。この国は今、以前よりも治安が悪いんだ。だからハル、困ったことがあったらオレに相談してくれ」
ハルの肩を叩きつつ見せる、嫌味の無い柔らかな笑顔。白い歯を見せつつ浮かべられるそれは、彼のイケてるフェイスを際立たせていた。しかし………。
「あぁ、縁があれば相談でもしに行くよ。ところでお前さん、この手は何だ?」
ハルの肩を叩いていた手をそのまま下げるかと思いきや、クライブの手は徐々に下ろされていた、が、その手の目指す場所は。
「いや、ほら、これはね? コミュニケーションの一環っていうか。スキンシップっていうかね? いや、違う、違うんだよハル。この手が勝手に動いたんだよ、オレは悪くないんだ。そもそも騎士団で警備部の人間がそんな痴漢みたいなことする訳ないだろ? そう、誤解! 誤解だ! ところで、スキンシップのシップと尻のヒップって語感が似てるだろ。オレはこれが伝えたかっただけなんだ、決してハルの尻を触ろうと…、いやヒップを触ってスキン・ヒップを堪能しようとしたわけじゃないんだ。これはハルが今後相談しやすいように考慮した結果、フレンドリィに行こうと思った結果なんだ。ほら、男同士って下ネタを話した方が仲良くなりやすいだろ? だからこれはその掴みとして尻を掴もうとしたんだ」
「男色家か、そういった趣味にとやかく言わぬが。矛先がこちらに向かったならば話は変わるな」
「男色じゃない違うんだよ、たまたまそこに尻があったからで、ほら言うだろ? そこに山があるから登るんだよ。オレはそこに尻があったから…。あぁいやいや、特に男が好きなわけじゃないんだ。実はオレ、妻もいるんだ、つまり両刀だ」
「よし、警備の者に突き出すか。どうせ妻も弱みを握られて脅された末に結婚したのだろう。かわいそうに……」
「妻とは普通に結婚したんだよ! 昔から面倒見ていた娘みたいな子が恋人になりたいなんて言い出したら、男としては据え膳食わぬはなんとやらだろ!? 東の国でもそういうんだそうだ。万葉集にも書いてある。間違いないッ!! ところでハル、オレが警備の者なんだけど、どうした? まだ何か変な奴でも見つけたのか? さっきみたいに適当に縄でもかけておこうか?」
(この世界、万葉集あるのか? しかしこの変態騎士が警備とは)
尻を撫でようとする騎士の居る世界、坩堝の世界は大体世も末である。
* * * * *
クライブの捲くし立てる様な謎の話は、その後およそ十分程続いた。
「つまり、オレは両刀だけど悪い両刀じゃない。ここまではわかってくれたと思う。まず、騎士がそんな悪い事するわけないしな!」
実に清々しい、やり切った笑顔である。先ほどと同じく顔だけは良いので輝かんばかりの笑顔だ。
「あぁ、わかった。くたばれショタホモ野郎」
「おいおい、わかってないじゃないか。オレは両刀なんだってば、仕方ないからもう一回説明す……」
クライブが尚も言葉を重ねようとした、しかし。
「シッ!!」
一息に呼吸と共に繰り出されたハルの蹴りが、手加減無しの状態でクライブに炸裂した。
クライブは金属製の鎧を着用していたが、金属のひしゃげる音とほぼ同時にギルドの扉から、そのまま外へ吹き飛んでいった。いくら鎧が重いからとて、巨大な狼すら蹴り飛ばせる人間を辞めた脚力の前には紙と変わらない。
「さて、手続きをするんだったかのう?」
何事も無かったかのように待っていたフェンリル達の前に近寄るハル、その顔に表情は無く。何も無かったということを殊更強調していた。
「お疲れ様です、ハル様。それでは手続きを行いましょう」
「なんか、その……大変ね?」
「どうしたヨル、何も無かったではないか」
「あ、うん、そうね」
冒険者崩れに絡まれたことはあった。だが、精神衛生上、騎士を名乗る変質者など知らないということで話を進めるつもりのハル。
変質者に絡まれたことは怖くなかった、ただ周りの優しさが怖かった。
「気を取り直して、登録手続きをしようかのう!」
心機一転、トラブルなど何も無かったことにしてギルドのカウンターへと歩を進める。
冒険者組合神聖キルケス王国支部、その業務は多岐にわたっている。
まず一つ目に、冒険者への仕事・依頼の斡旋を一手に引き受けている、その仲介料をギルドの収入としており今日の冒険者組合は成り立っていることから、冒険者組合のどこの支部であろうと一日の仕事量は残業なども含めて激務とされるのは推して知るべしだろう。ペットの面倒を見てほしいといった便利屋扱いの依頼や、特定の魔物から得られる素材を求める依頼。それらが無くとも魔物の素材の買い取りを引き受けているため、ギルドの職員は激務ではあるが安定した高給取りなのだ。
人材によっては週休二日も無く働かされるのでブラック企業とも言えるが…。
二つ目は住居の登録や個人の証明書等の発行、もちろん冒険者組合に加盟する場合も組合によって行われる手続きが必要である。これらが成されていない人間は、国に存在を認知されていない者、つまりは存在していない人間として扱われる。その場に居ない者を奴隷として扱おうと、その者が冒険者のような事をして装備を盗まれたりしようとも、居ない者とされればどうしようもないのである。
三つ目は冒険者の遺品の処理、葬儀の事も業務の内だということだ。坩堝の世界では神々が多く、信仰の形態も様々である。そのため、冠婚葬祭の類は一個にまとめる、ということが出来ないため、冒険者の地元までわざわざ遺体を保存し、運ぶのである。この業務には専門の人員(神官・死霊術師など)を雇い満足のいくサービス『暖かい死体を貴方に』をモットーとしているそうで、高めの料金を取られるものの、冒険者というものは死と隣り合わせなので非常にウケが良い。親族などへのアフターサービスもバッチリ!とはスタッフの一言である。
基本的には市役所・役場のようなものである、という認識をハルはしていたが。
それで大体合っている。ただ少し、厄介事が多いようだが………。
「個人登録と、冒険者登録をしたいのですが、よろしいですか?」
「こんにちは! 冒険者組合神聖キルケス王国支部へようこそ! 本日の窓口は私ケニス・コールズが担当させていただきます! 個人登録は、登録証の再発行ですか? それとも新規発行でしょうか?」
窓口に座っていたのは男性であった、ハキハキとした喋り方で身奇麗な好青年である。どうも初心なのかフェンリルを見て少々顔を赤くしている、そのせいでズレたメガネを掛けなおして、強張った顔面を解き業務に専念するようだ。
フェンリルもヨルも、見た目だけは良い。一目惚れされても不思議ではない。
「三人とも新規発行ですね、ハル様、事務手続きは私が終わらせておきますので冒険者登録の方へお進みください」
「それでしたら先に皆様の血液を一滴程いただいてもよろしいでしょうか? 個人登録証に使用する以外の意図はございませんのでご安心を」
「ほぉ、登録に血が必要だというのも面白いのう」
地球人のハルには馴染み無い事だが、冒険者組合では血判のようなもので登録を行う。
「でしたらこちらを……」
そう言いつつ、フェンリルがどこからともなく小瓶を三つ取り出す。
「三人分の血入りの瓶です、それではハル様、行ってらっしゃいませ」
「待てぃお前さん、それいつの間に採った!?」
「寝てる間に少し…、あぁ一滴たりとも無駄にはしておりません。それに、素晴らしく濃厚で、大変美味でしたよ?」
(飲んどるんか!? 怖っ!)
まさか寝てる間に干乾びてるなんて事は無いだろうか、とフェンリルへの警戒心を更に強くするハルであったが。心を読んだり、脳内に直接声を届けるような相手には徒労かもしれない。
「とりあえず冒険者登録とやらをしに行くかのう……」
「そうね」
ハル自身、フェンリル達の得体の知れなさは最初から受け入れていたが、彼女達が居なければ確実に迷子となっていただけに、強く出ることは出来ない。しかも眼とか蹴り潰しているのだ、罪悪感は半端なものではない。フェンリルはそこに付け入っているのがわかるが、ヨルは別段気にしてはいないようだ。ただし、血の話を聞いた途端に。
(ハルの血、ちょっと美味しそう……)
などと考えていたので、ハルの周りにはまともな存在が少ないのが窺い知れる。
一見無害でも油断はならない。
* * * * *
「いらっしゃーい! 見ない顔だけど新しく冒険者になるヒト? ひょっとして、ヒトじゃなかったりする? それとも訓練とか練習とかしに来ただけかな?」
「いや、わしはヒトだぞ。冒険者登録をしにきたのだよ」
「へぇー、そー…ところでキミ、私より年下っぽいのにおじいちゃんみたいな喋り方だね? もしかして童話の中の吸血鬼とか、本当はヒトじゃないとか、無いよね?」
「あぁー、うむ、これはクセだ。気にしないでおくれ」
開口一番に質問を連発した女性、名前を。
「ココノだよ! よろしくね!」
ハルもヨルも、ココノのあまりの快活さに舌を巻きつつ、とにかく用件を済ませようとする。
「あー…わしはハル、よろしくのうココノ、それで登録ってどうするのかの?」
「とりあえず、このペンで用紙に直筆でサインしてほしいな。名前が書ければそれで大丈夫! 二人ともかける? 書けたらチェックシートを埋めて行ってね。あっ、字…読める?」
「お、おう」
一言話せば二つ三つと返ってくる。心は老いているハルには。
(なんだか元気が吸い取られとるような…)
若さには勝てないのだろうか。そんなことを思いつつも、自分の名前を『漢字』で書き、チェックシートを埋めていく。ふと、大丈夫だろうとは思っていたが確認をすることを思い立った。
「ココノや、わしの字読めるか?」
「え? 綺麗な字だよ? あぁっ、恥ずかしがること無いって! 字が読めないヒトも書けないヒトも沢山いるからさ! 本当に綺麗な字だよ!」
ココノには読めないほど字が汚いかどうか不安に思っていると思われたのだろう。自分では認識出来ないが、おそらくこの国の言葉で自分の名前を書いたことになっているようだ。流石、チャラくても神、仕事はしっかりしてくれたようだ。隣で書いているヨルの用紙を見ると、ヨルも漢字で書いているわけでも、この世界の言葉で書いているわけでもなさそうだ。しかしココノが何も言わないところを見ると、これも問題ないのだろう。
チェックシートに目を向けると、チェック欄には
・ 固定の住居や連絡先はありますか?
・ 迷宮に探索したことはありますか?
などのちょっとした事を聞くだけの物、ということなのだろう。
(自己PR欄もあるのう、得意武器も聞かれるのか…。む、得意魔法?)
ここでハルに浮かんだ疑問がある。
(そういえば、ヨル相手に出した雷は結局なんだったのだろうか? あと魔法って言われても何がなんだかわからんのう)
その疑問を口に出そうとして、ココノへと視線を移すと。
「なぁココノや、この魔法って」
「何なに! どーしたの!? 魔法? ウチで検査していく!?」
退屈だったのだろう、食い気味で反応してくる。どうやら彼女は待つのが苦手なタイプなようだ、彼女は見た目こそ普通の人族だが、尻尾があれば今頃千切れんばかりに振っているのだろう。
「あぁ、うむ。無料で検査出来るならばしたい所だな。金が掛かるならば持ち合わせが無いので無理だのう。ヨルはどうする?」
「私はいいわ、フェンリルも普通に魔法を使えるから。他人よりも自分の事を気にしなさいよ」
「無料だよ! じゃあ、ハルだけちょっとこの水晶に手から血を垂らしてそのまま手を触れてね!」
「タダか、タダは良いのぅ、それより高いものは無く、安いものは無いからのう」
そう言いつつ親指を少し噛み、血を垂らすハル。ヨルは何だか自分の言い方がキツい気がしたので、その事を気にしていないかハルをしきりにチラチラと見ている。それだけでなく、ハルの血を見て生唾を飲んでもいるようだ。中々面倒な世界蛇であった。
「それでは触ってみるか、ところでコレ、爆発とかしないかのう。わしの知っている限りスイカとか椅子とかも爆発するような場所があるのだが」
「えっ、しないよ? まず椅子とかどうやって爆発するの…? 魔法でもかけたの?それとも呪いか何か?」
「産地の問題かのう…」
時間空間を飛び越えて放浪した経験者はちょっと昔の時事的な事も知っている。