四話 ワニとの遭遇
奇怪な薬品を飲まされ、気絶したハルがベッドの上で目覚めて思ったことは。
(知らない天井だなぁ……)
というシンプルなものだった。他意は無い。
* * * * *
(どれ、二度寝でも……いや、わしは確か気絶して…!?)
暖かな布団の中、布団の優しい誘惑により二度寝しようと思い、思い出す。確か自分は妙な薬を飲んで気絶したはず。
ではここまで誰が運んだ? ここはどこだ? 一服盛ったようにしか思えないあの侍女服を着た人型狼は?
そう考え、気絶する前より変なだるさを感じる体を起こそうとして。
「んん…!?」
おかしい、薬を飲む前より視点が高い。服は着替えてこそいないようだが、不思議とだぼついた感じもキツイところもなく、ちょうど良いサイズだ。先ほど出した声も低くなっている。これはおかしい。
「まさか!?」
ベッドから跳ね起き、周囲を確認しようと少し周りを見渡すと。明らかに気絶前よりも視点が高くなっている。周囲に鏡が見当たらないため、どこにあるかわからないがとにかく姿見を見つけようと扉に近寄ると……。
「おっ、起きたのかあんちゃん。おはようさん、気分はどうだい?」
ピンク色のワニさんが、朗らかに喋った。
この「坩堝の世界」は神々が多く住んでいる。神と一口に言っても人前に姿を見せるものは少なく、全知全能であるわけでもなく、例えば歌声で山を動かせたり、片手間で砂漠をまるごと緑化したりといった尋常ではない何らかの力を持っているもの。
もしくは何かしらのカリスマ性を持ち宗教の信仰の対象として人々から持ち上げられたり、扱われているものが多い。
そんな世界の神の一柱、キルケリアと称される水神のお膝元である海に程近い神聖キルケス王国の城下町。閑古鳥が鳴き、流行っていないどころか「いつからこんな所に宿が?」といった知る人ぞ知る、街の外れにある冒険者用の宿「クロコダINN」で。
「ワニが立って喋ったぁぁぁ!?」
とある、体は青年、頭の中は老人の、素っ頓狂な叫びが響いた。
* * * * *
「なんだ、鰐族は見たこと無かったのか? 悪いなハル、驚かしちまったか」
フレンドリーな口調で語る、桃色の不思議な体色をした男。
名前はサイノス・イヴァーノフ・クロコ・ダインというここの店主兼冒険者らしい。鎧を着ている、ながぐつをはいたワニ。笑顔(傍から見れば牙を剥いているようにしか見えない顔)が似合うナイスワニである。
「あぁいや、色々と種族がいるのは聞いておったんだが。見るのは初めてでのう、気分を悪くしたならすまん」
「ハハッ、気にしてねェよ! 曲がり角で会うやつに今でもたまにビビられるしな! 魔物とも勘違いされることもあるし、まぁ仕方ねェさ」
(二メートル程のワニが居たら誰でもそうなるだろうに…)
驚きの声を上げてから、とりあえず。と、部屋の中で自己紹介をしたところ、別に悪い人物……ワニでは無さそうだった、それどころかワニらしく人や動物を襲うなどもしない。菜食主義者の人当たりの良いワニだった。全部呼ぶと長ったらしい名前だから好きに呼んでくれ、とのことで。どう見てもワニなのでクロコと呼ぶことにした。もちろんクロコダイルからである。
「ところでクロコよ、わしをここに運んできた者は誰だ? そやつは今どこに?」
当然の疑問だが、気絶した自分を運んだ人は誰なのだろうか。
「おォ! そうだよハル、お前どこであんな別嬪さん見つけたんだよ! お前を担いでたフェンリルっつーメイドの小さいねーちゃんも可愛かったけどよ、背の高い方のねーちゃんはすげェなオイ、こう、ボンキュッボンってな! 挨拶した時なんて俺には目もくれねぇで気ィ失ってたお前の方を見てたけど、ひょっとしてお前のコレか!? もしそうだとしたらあのちょっと焦げてた服はお前の趣味か! どんなコトしたらあぁなるんだよ! 今はねーちゃん達一階に居るけどよ、今度居ない時にでも何したか教えてくれよな、ハハハハッ!」
(なんかこう……若いのう…)
ハルを運んだのはフェンリルのようだ。クロコの若さと口数の多さに『若さ、若さって何だ』と思い、圧倒されつつもフェンリル達に会って、あの気絶するほどの危険薬物やら、ここはどこなのか、自分はどうなっていたのかについての説明を受けに行こうとクロコを案内させる。
「とりあえず一階に案内してくれるかのう。あと、ヨルとは知り合ったばかりだ」
「おいおいマジかよォ! ヨルってあの色々でっけぇねーちゃんだよな!? っと、とりあえず一階に行くか!」
ハルを連れて一階に移動しようと、クロコが扉を開いた瞬間…!
――――――ガッ!
何かがぶつかった音がした、その音がした方向。足元を見ると、クロコの靴の、おそらくは小指の部分が。部屋の扉と接触していた。
「ぐわあぁぁぁぁぁぁ!!!」
「クロコ・ダイーン!」
ついクロコの名前を繋げて呼ぶハル、他意は無い。
* * * * *
「おはようございます、ご加減はいかがでしょうか?」
ピンクのワニさんが「ん゛ん゛ん゛ー!」と痛みを押し殺した声を出しながらも案内してくれた宿屋の一階、おそらくは広間であろう場所で茶菓子らしきものと湯気の出ているカップを傾けた後、フェンリルはハルが目覚めたことを知っていたかのように。クロコの絶叫に驚いた様子も見せず体調を聞いてきた。ヨルも隣の席に居たが、何も言わずに視線だけハルに寄越し、カップを傾けていた。しかしこの二人、くつろぎ過ぎである。
「あぁ体は問題ないと思うが、それよりあの薬は……」
「それは何よりですね、ハル様もどうぞお掛けください。ここの紅茶も悪くないものですよ、うふふ」
「いや、あの薬……」
「うふふふふ」
「………」
無表情で笑い声だけ出すフェンリル、恐らく薬について答える気は無いのだろう。しぶしぶ円形のテーブルに腰を掛けるが、ヨルがちらちらとこちらを見てくるため非常に落ち着かない。蛇に睨まれた人間である。
「わしの顔に何かついとるか? あぁ、寝癖か?」
と、あまりにも凝視されたので質問するが。
ヨルは何故か顔を真っ赤にして。
「別に付いてないわ! 私が顔見てちゃ悪いっていうの!?」
喧嘩腰で返答が返ってくる始末であった。返事をした後も小声で「いや…顔も悪くないし…」とか「身長も大きくなってるし……ちょっと」などと頭の中がフットーしてそうな事ブツブツと言っている、俯きながら自分の世界に引きこもっているようだ。ところが彼女の独り言はハルの現在の肉体は諸々の性能が高くなっているため、大体聞こえていた。(元)じいちゃんイヤーは地獄耳。
(まぁ、寝てる間に人が大きくなっていたら神でも驚くのだろう)
しかしハル、これを華麗にスルー。ズレた考えをしつつも深く突っ込んだら厄介な事になりそうだとカンが告げていたのだ。
「どれだけ寝ていたかはわからんが、ともかく腹が減ったのう」
「丸一日程度です。本日のご予定の話と共に、朝食にいたしましょうか。クロコさん、食事の用意をお願いします。」
「おう! 任しといてくれ!」
「何でもよいが、大盛りでなー」
朝食をクロコに注文しつつ、今日の予定とやらについて尋ねる。
「それで、今日の予定とは何だ?」
「お薬については聞かないのですね、素敵なことです。うふふ」
「どうせ聞いても答えんのか、はぐらかすかするのだろう? で、あれば別によい、普通に宿に居るということは検問もどうにかしたのだろうし。宿の料金もどうにかしたのだろう?」
「はい、この世界の現金は持ち合わせがありませんが。貴金属というものはどこであろうと、例え世界が違おうとも価値は高いのですよ」
「賄賂か、賄賂なのか」
「うふふふふ。さて、今日のご予定ですが。朝食を食べましたら冒険者組合の方へ参りましょう。そこで身分証明書ともなる組合のカード、ギルドカードと呼ばれるものを発行してから、現金を工面しましょう。その後昼食を済ませ、自由行動というのはいかがでしょうか」
「わしの話を聞かんのはわかっておったよ、うん」
敬語を使い、自分の事を様付けで呼ぶ割には、敬意的なサムシングはほとんど感じないことや、疑問を挟むも流される状態に慣れつつあるハルだった。
「当面の現金については、最悪の場合ですが、ハル様の体を売るか。駄蛇の体を売れば何とかなるでしょう」
「えっ?」
「えっ?」
「うふふ」
自分の世界から戻ってきたヨルとハルが同時に声を上げるも、やはり誤魔化されていた。
(体を売るのだけは危険な気がする。ワニが二足歩行するような世界で体なぞ売ろうものなら、一切れ何グラム何円とか。食事的な方向で体を売る気がする…! というかなんでわしの体を!?)
(色々な意味で、売れないということはありません、ご安心ください)
(こやつ直接脳内に…!?)
性的にも物理的にも食べられてしまうのか、異世界でのハルの明日はどっちだ。
(無理無理無理無理! 体を売るってよくわからないけど、キ、キスしただけで赤ちゃんできるんでしょ!? もしキスとかされちゃったらどうするの!? とにかく何か怖いから無理!!)
一方、ヨルの頭の中はちょっと茹っていた。いくら何でも初心すぎる。