三話 こんにちは異世界
日が傾き始め、昼を過ぎたあたりなのだろう。
転寝をすれば心地よいであろう春の陽気に中てられ、欠伸を一つ噛み殺しながら、二人の口喧嘩を眺めていたハルが口を開く。
「喧嘩も一段落か? さし当たって、色々と説明をだな…」
「失礼しました、それでは解説と参りましょう」
そう言うと未だに睨むヨルを放置してフェンリルはどこからともなく眼鏡と教鞭を取り出し、咳払いをした後解説を始めた。眼鏡と教鞭は様式美だそうだ。
この世界の名前は特には無く、あえて言うならば坩堝の世界。様々な人種・種族が日々を暮らし、時には国同士の戦争などもしつつ、それでも穏やかな暮らしを送っている。
しかし、見た目が違うものを色眼鏡で見るのは人の性か、人族は他の種族を軽んじている。どの種族も立場に優劣は無く、奴隷もいれば貴族もいる。国を統治する王もいるが、即位制なので傑物も愚物もいる。
剣と魔法、それと魔物と呼ばれる凶暴なものも存在し、治安を守るための自警団や騎士団、ギルドの組合もある。
「まぁ、剣と魔法の中世ファンタジーですね」
と世界についての解説を締める。
「平穏には暮らし辛そうだのう、こう植物みたいに静かに平穏な余生をだな…」
「無理でしょう、父と関わった方が平穏に暮らせる訳がありません」
フェンリルは「さて」と一呼吸を置いて眼鏡等を外してから。
「詳しい自己紹介と参りましょう、ハル様の身についても解説させていただきます」
フェンリルは、自身とヨルムンガンドのヨルがロキの子であること、自分が神を食い殺した存在であり、今は出番が終わって自由であることを話す。ヨルは世界蛇とも呼ばれる巨大な蛇で、フェンリル共々本来ならば殺されるはずだが、神はそう簡単には死なないため。死と言っても舞台での役が終わったようなものでしかない。本当はもう一人身内がいるが、仕事を任されっぱなしなので会う事は無い。
最初にハルを襲った理由は、幾ら父に言われたとしても変な輩に自身が仕えるのは嫌なので、殺意を込めて試したのだとか。
今の姿はちょっとした変身のようなものだから気にしない欲しい、とのこと。
「この体は機能的にもほぼ全て人間です」
「ほぉ、それでわしの体は? 色々と妙なのだが」
「それはですね…」
ハルの、弓削治臣の体はロキの悪戯心全開で造られたものだという。身体能力の類は一般人程度ならば比肩する者なしで、一般人ならフェンリルの突撃を目視することすら叶わず体当たりにより体が爆発四散しているので、お察しである。
様々な部位に細工があり、ロキ曰く「あとは自分の目で確かめてくれ! いや、確かみてみろ!」だそうで。詳細は知らないが、ろくなことにはなっていないと思われるので、気をつけてくださいとのこと。
(鼻を押されたら押した相手の見た目になったり、目から光線が出たりはしないであろうな…?)
愉快な不安を胸中に押し込め、疑問が口から突いて出た。
「あの凄い雷と見た目が少年なのもロキのせいか?」
「雷はトールの槌と雷公の権能が体に備え付けられているためだと推察します。人の身では自ら滅ぶ力ですが、無傷なのはその帯のおかげでしょう。お持ちの帯からトールの汗臭さが臭って来ますから間違いないかと。体の幼さについては…父の趣味ではないでしょうか?」
「あぁ『しょたこん』とかいう病気か…難儀なものだのう。ってこの帯何、臭いのか? えんがちょか?」
「ちなみに、御体の年齢を引き上げたいならばポケットの中の包みに錠剤が入っているので、それで五年分くらいは引き上げられるそうです。その体はほぼ不老だそうですので、飲んでみるのも一興かと」
「親子揃って人の話はあまり聞かんのだな」
「私からの説明は以上です、早速近くの都市に向かいましょう」
「わしの扱いがぞんざい過ぎんか?」
二人に遭遇する前に、ハルが歩いていた道はどうやら街へと続く道だったそうで、フェンリルが道案内を買って出たのであるが、しかし。
「ん? ヨルや、どうした」
先ほどから世界蛇ヨルムンガンドことヨルが喋りも動きもせず、固まっているのである。
「今になって無様にも体が痺れているのでしょう、神の雷は厄介ですからね」
「なるほどのう、仕方あるまい。わしがやったのだから自分で運ぶか…どっこいしょういち」
見た目は若くとも掛け声は年季を感じさせる。運び方は担ぐ、引き摺るなどではなく、いわゆるお姫様だっこであった。
「……!…!!…!」
年端もいかぬ少年が美女を抱えるという傍目から見れば奇妙な光景、抱えられているヨルも何か言おうとはしているが、痺れが声帯にも及んでいるのだろうか。結局は大人しく運ばれるだけであった。
* * * * *
街へと続く道を歩き始めてから、いつの間にか日が暮れ始めた。
鮮やかな夕焼けを背に、何らかの建造物が見えてくる。
ぐるりと人の背丈の何倍もある壁が囲っている、恐らくはこれがフェンリルの言っていた都市なのだろう。
「これがさっき言っておった都市なのだな、壁が大きいのう」
「魔物対策でしょうね、じきに関所ですのでここはお任せください。それと、蛇を放り投げるか、降ろすかをしてから加齢の錠剤をお飲みになってください」
「いや、普通に降ろすぞ。ヨル、歩けるか?」
夕焼けのせいか、はたまた何かか。ヨルは朱色に染まった顔をハルに背けつつ首肯する。
「麻痺も治ったようだな、しかし本当にお前さん達には悪いことをしたのう…ヨル? どうした、まだどこか具合が悪いのか?」
体調を危惧したハルの問いかけに返事もせず、ヨルは夢見るように明後日の方向を見つめるばかりであった。
「ハル様、無駄だらけボディの蛇なぞ後回しにしてお薬を」
「おぉすまんのう」
フェンリルはいつの間にかハルのポケットから取り出したのだろうか、包みに入った錠剤と。これまたどこから取り出したのかコップと水を取り出し、ハルに服用を勧める。
(副作用が怖いところだが…)
本来は出所不明の怪しい薬など警戒して副作用どころの話ではないが、何も言わずに勧められるがまま、『逆バーロー』と日本語で書いてある包みを開け謎の加齢薬を服用した。
―――直後。
ハルが声を上げる前に、木々がひしゃげた様な音と炭酸が弾ける音を混ぜたような音と鈍痛が体から響き。奇妙な現象に抵抗する間も無く彼は意識を手放した。
「おやすみなさいませ」
(謀った…な……!)
気絶をする前にハルが目にしたものは、始めて見るフェンリルの微笑みだった。
妙な薬を飲まされる前であれば、誰しも見惚れる程の微笑なのだが、ハルにとって今は「計画通り」といった不可思議な黒さを含んだ嘲笑に見えた。




