7.夕日色の慟哭
一面のオレンジ、だった。
まるで、オレンジ色の絨毯を敷き詰めたかのような光景。
むせかえるような香りを放っているタイガーリリィの群生が、ガラスでできた球体の建物の周りを囲っていた。
銀幕『タングステン』。
長い長い時間をかけて俺はようやく「ツアー」の終着点に辿り着いたのだ。
「この島は本当に汚染区域なのでしょうか………」
タイガーリリィの群生を目の前に、信じられないと言わんばかりの口調でミユキが呟く。
「汚染なんてモンはあくまで人間にとってなんだ………今まで気付かなかったがこの島の花や、植物はお前さん方と同じ原理の元に成り立っているんじゃねェのか」
俺の視線にイアンは明察だ、と肩を竦めてみせた。
「言ってみればこの島の植物の全てが『さびてつなおんど』だ。俺たちは同胞の「種」を想いで人にすることはできないが、植物にすることはできる。『さびてつなおんど』が育てた種は植物にしかならない………その結果がこのザマだ」
「………ユリアナが生前作った種をエミリオが全て持ち出していたとしても、あと幾つ残ってるンだ?」
さびてつなおんどは途方もない時の中を生きるが、繁殖能力はない。
何故なら、そのように作ったからだ。
理由は極めて単純、人間という生態系の頂点に居る生き物を植物が越えることがあってはならないのだ。
彼らはあらゆる面で優れている、繁殖能力さえあればおそらくは人間に代わりにこの世を支配することも容易いだろう。
それを避ける為に繁殖能力をなくした、つまり「種」を自ら造りだすことはできない。
これらの植物や島の住人の元となる種はユリアナが作ったもので全てのはずだ。
「もう底は尽きていると随分前に聞かされているが………エミリオが幾つかは隠し持っているだろうな。その辺はヴァージニアの管轄だったのでよくはわからない」
すまない、とイアンは謝るがこれでひとつ前から気になっていたことに確信が持てた。
渇を入れるように強く、己の手を握ると二人を促し、タイガーリリィの群生をかき分けてドームを目指す。
「………ユリアナは一緒に来ませんでしたね」
「ん?」
俺が振り向くと、花の中に埋もれるようにして歩いていたミユキがふいに立ち止まった。
「いえ、エミリオ様のことが大切ならばお会いしたいのではないかと」
ミユキが言っているのは俺のことではない、『生と死の天井』で待っているさびてつなおんどのユリアナのことだ。
「ミユキ、貴様はテオドールと戦えるか」
え、と驚いたようにイアンを見上げる。
「あいつは突き放すことが必要だと言っていたが、それはただの強がりだ。単にエミリオと真っ向から向き合うのが怖いのだ」
「愛し、愛されたい『花』か………」
俺の言葉にイアンはそうだ、と頷く。
「我々の愛情は深い。おそらく、人間たちが言う見返りを求めてはいけない、というのは深すぎた故失った時のダメージが大きいからだと思うが」
深い愛情を持つ「誰か」の姿をした植物は人間を狂わせる。無自覚だが、着実に人の心に入ってくる。
そのように作ったからだ、人間に忠実な生き物であるように設計したのはこの私自身だ。
だから決して私からはさびてつなおんどは愛さないし、情けもかけないと決意したのだ。
「それに名前をつけてはならない。名前を与えることにより、情が移るからである」
そう、『招かれざる客』の地面に刻まれた五ヶ条は昔、私が自分への戒めの為に書いたものではないか。
その私が、今や二人のさびてつなおんどを従えて彼らの集落を取り纏めようとしている。
まったく、まったくもっておかしな話だ。
「何を笑っている?」
訝しげな視線を向けるイアンに「別に」と返し、俺は早足に『タングステン』の入り口へと進んだ。
幾重にも重なる泡のようなかたちをした、不思議な建物だった。
透明なガラス貼りの表面は、内側からぼんやりとした光を放っており外からでは中の様子が伺えない。
門とおぼしき場所に聳え立つ二本の支柱も、それぞれがまるでガラスでできた泡の塔だ。
奇妙なことに、この建物に門はあるが入り口がない。
その代わりといっては語弊があるが、本来ならば入り口があるであろう門と建物の間にガラスでできた脚の長いテーブルが置いてあった。
テーブルの上には六客のティーカップ。
丸いテーブルを囲むようにして、規則的に並べられている。
「見たところ入り口がねェが………「ツアー」のキーアイテムが必要だッつってたな」
ミユキから受け取った「アンプル」と「種」を手に取り、俺は検分するようにテーブルを覗き込んだ。
「これも必要だろう」
イアンがティーポットを俺に渡すが、ここで何をすればいいのか検討もつかない。
「どうすりゃイイんだ?」
「机の上に書かれている文字を読んでみろ」
文字………?そんなものあっただろうか。
刹那、ミユキが興味深そうに机に触れるとリン、という涼やかな音と共にテーブルの上が僅かに発光した。
驚いたミユキは慌てて手を引っ込めるも、何かに気付いたのかティーカップの並ぶテーブルの上を背伸びしてしきりに覗き込む。
「テオドール、文字が」
「おっ、でかしたぞ」
見れば、先程まで何もなかったテーブルの真ん中に詩の一節のようなものが刻まれていた。
『招かれざる客にもてなしのお茶を。』
「招かれざる客?またかよ」
そういえばここにあるティーカップもあの回転するティーカップと同じく六客だ。
何か意味でもあるのだろうか………。これもまた、回転させればいいのか?
「お茶ということは、つまり………」
「ティーカップに注げッつーコトだな」
間を入れず俺が言うと、ミユキは目を瞬かせてそうですねと頷いた。
「注ぐッつったらこのアンプルしかねえな、ティーポットに入れるぞ」
俺は『アラーニャの館』で手に入れたアンプルを、ティーポットに注ぎ込む。
あとは『種』………だが。
「ミユキ、招かれざる客を捜せ」
「この六客の中から、ですか」
「そうだ、ティーカップのどれかが『招かれざる客』のはずだ」
一見、何の変哲もない同じかたちをしたティーカップ。
だが、どれか違うはずだ。
『招かれざる客をもてなす』それの意味することは………
「………ありました、おそらくこれでしょう」
ミユキの示した一客のティーカップには、底がなかった。
底がないティーカップにお茶を注ぐなんて行為は、客に帰れと言っているようなものだ。
「よし………」
底なしのティーカップには、小石くらいの大きさの丸いくぼみがあった。
俺は『種』をそこへ押し込むと、ティーポットを傾けて中身をカップに注ぎ込む。
「落ちるぞ」
イアンがポツリと呟くと同時に、ガクンと地面が大きく揺れた。
「なッ………」
俺もミユキも流石にそこまでは予想していなかった。
抗議の言葉を吐く隙もあたえられず、俺たちはテーブルを乗せたごく狭い範囲の地面ごと地下へと落下した。
「………ふむ、誰か来たのか」
暗い。
自分の指先ですら見えない程の漆黒の闇だ。
「どなたです?」
少し遠くから、ミユキが答える声が聞こえる。
良かった、落下地点で全員離れ離れにはなっていないようだ。
「貴様………ーーーだな?貴様のような気配の持ち主は知らぬ、誰だ?」
「人に名を尋ねる前に、自分から名乗るのが礼儀では?」
声の主は虚をつかれたように黙り、これは失礼………と返した。
「私はヴァージニア・リィという者だ」
そうか、何処かで聞いたことのある女の声だと思ったが、声の主はヴァージニアだ。
しかも、俺のすぐ近くに居る。
「ミユキと申します………ミユキ・フィッツジェラルドです」
ほう、とヴァージニアは関心したように言った。
「フィッツジェラルド家の者の代用品か、これは面白い。私が存在を知らぬーーーが居るとはな、裏切り者の差し金か?なあ、イアン。そこに居るのだろう」
「ああ」
イアンが闇の中で搾り出すように呟く。
「トスカを助けたのは貴様ではなかったのか」
イアンの問いかけに、ヴァージニアは逡巡しているようだった。
「果たしてあれで助けたというのだろうか、私はあの子を抜け殻にしてしまったのだぞ」
「統率者にされるよりはいい、最善の選択をしてくれたと俺は思っている」
そうか………と少し安堵したようにヴァージニアは呟く。
「列車へトスカを連れて行ったのはお前さんか?」
「人間が一人居ると思ったが………やはり貴様か、テディ?」
からかうような口調のヴァージニアに思わず苦笑いを浮かべる。
テディと呼ぶなと言っているはずだが、この島の者はつくづく言うことを聞いてくれない。
「約束、なかなか守れなくてすまねェな、ヴァージニア」
「約束?ああ、私の家に来いというアレか?」
それならばもう果たした、と可笑しそうに言う。
「ここが私の家だよ。この島の「見せ掛けだけのの管理人」ヴァージニア・リィの自宅はここだ」
そうだったのか………つまり、ここには島の中枢。
土地の開発から発電まで、全てを担っている場所という訳だ。
「折角来てもらったところ、持て成せなくてすまないが。テディ………いや、ユリアナと呼んだほうがいいのか?」
「テオドールでいい」
ふむ、とヴァージニアは唸ってから、気を取り直したように先程の質問に答えよう、と続けた。
「いかにも、列車へトスカを連れていったのは私だ。彼女を「タングステンの檻」に閉じ込めるにはあまりにも酷というもの………イアンと同様、私もトスカのことを愛していたからな。だが、今にもエミリオは彼女を統率者に仕立て上げようとしていた。だから、私なりの最善の選択をとった。
トスカを列車に連れてゆき、樹に成り果てたさびてつなおんど達に引き込ませることで、生きているか死んでいるかわからない抜け殻………つまり彼女も樹に変えてしまうこと。こうなれば統率者の資格を失う」
「何故、おれが生まれた時のように………トスカ様を逃がさなかったのですか」
ミユキの問いかけに、ヴァージニアはいい質問だ、と答えた。
「だが、その理由は貴様が一番良く知っているだろう。『カルティキプロジェクト』のミユキよ」
「………………!」
唐突に、ミユキが押し黙る。
なんだ?ヴァージニアは何を言っている………?
「失言したな」
クク、とヴァージニアが笑った刹那、急に周りが明るくなった。
あまりの眩しさに、俺は思わず目を細める。
やがてぼんやりとした視界がだんだん光に慣れゆき、俺は思わずあっと叫び声をあげた。
ただっ広い空間の端から端まで所狭しと並ぶ銀色の椅子。
それらは共通してある一点、いやでも目につく前方の広い舞台の方を向いている。
空間に「縫った」立体刺繍を見えやすくするためだろう、舞台一面を真っ白なスクリーンが覆っている。
『銀幕タングステン』、そう呼ぶに相応しいまさにここは「映画館」だった。
そして、その映画館の客席部分の中心だけ不自然に空間が開いており、入り口のない円柱のガラスケースのようなものが高々と聳え立つ。
そのガラスケースの中に………俺は居た。
「テオドール!」
ガラスケースの外に居るミユキが叫ぶ。隣でイアンが驚いたような表情でこちらを見ていた。
「タングステンの檻………まさか………」
イアンの言葉に、俺ははっとする。
ここが、このガラスケースの中が「檻」なのだ。
なんてこった、俺は知らないうちに檻の中へ放り込まれていた………!
ドン、とガラスケースを両の拳で叩く。
何とか抜け出せないものか………なんとか。
「無駄だぞ、ここを管理している管制装置は舞台の裏だ」
すぐ側で、ヴァージニアの声がした。
振り向くと、そこには変わり果てたヴァージニアの姿があった。
「お前さん………」
「驚いたか?トスカを助けるということは、つまりエミリオを裏切らなくてはならない。こうするしかなかったのだ」
悲しげに微笑むヴァージニアの、長いドレスの下から白銀の根が床に伸びていた。
下半身が完全に樹木と化したヴァージニアは、もはや歩くことも叶わないだろう。
「貴様、テオドールを「育て親」と認めたんじゃなかったのか………?」
驚いたようなイアンの言葉に、ヴァージニアはかむりを振る。
「テディの存在がエミリオを見限るきっかけとなったのは確かだ。だが、そうそうすぐに乗り換えることもできない。トスカ、そしてイアン………貴様もテオドールが現れた途端「育て親」と認め、随分元気になったようだがこんな姿になっても尚、私はまだエミリオを信じておる」
島の管理方法を把握しているヴァージニアはエミリオにとって脅威に値する。
俺だけではなくヴァージニアまで檻に閉じ込めたのは、次の裏切りを危惧してのことだろう。
つまりヴァージニアはエミリオを信じているが、エミリオはヴァージニアを信じていないということだ。
俺は下唇を噛み、目の前の大きな舞台を睨んだ。
何処だ、エミリオは何処に居る、はやく姿を見せろ。
「おかしいわねえ」
俺の心の中の呼びかけにこたえるように、舞台の後方から声が聞こえた。
「信じる?あたしを?なぜかしら」
カツ、カツ、と規則正しい足音が序々にこちらへ近づいてくるのがわかる。
ばり、と舞台を覆っていた白いスクリーンを破って手が飛び出し、そのままゆっくりと縦に引き裂いてゆく。
「ねえ、入り口のタイガーリリィを見た?綺麗だったでしょう」
ビッ、と音を立ててスクリーンを勢いよく横に引き裂くと優雅な仕草で客席の方へ脚を踏み入れた。
「あれはね、全部あたしが育てたのよ」
肩口まで短く切り落とされたオレンジ色の髪を揺らし、夕日色の瞳を細めて何時もと同じ、あのうっとりとした笑顔で微笑む。
「あたしは『さびてつなおんど』なの、だから「種」は花にしかならないのよ。なのに………」
どうして?とエミリオは不思議そうに俺たちに尋ねた。
ざ………ざざざざ
建物全体が奮い立つように振動し、聞き慣れた羽音がどこからともなく聞こえてくる。
次に起こりうる出来事を想像して思わず喉を鳴らした途端、スクリーンから溢れんばかりの切花の妖精が飛び出し、不気味な笑みを浮かべながら周り一面をうるさく飛び回った。
いくら『立体刺繍』とはいえ相変わらずの不快な光景に俺は思わず眉を顰めるが、さびてつなおんどたちは意に介せず冷ややかな表情で周りを一瞥していた。
「『さびてつなおんどに相手の姿を投影し、終いには自分が成り代わる………』」
この時初めて、ぎんいろのユリアナが言っていた言葉の深い意味を知る。
「まさか………エミリオのヤツ」
「その、まさかだ。
エミリオはユリアナが姿を消してから、完璧に彼女に成りすます為に自分をさびてつなおんどだと思い込んだ。一種の、自己暗示だな」
纏わりつく『立体刺繍』の妖精たちを嘲笑うような様子で、檻の外に居るイアンが答えた。
「それ故、エミリオは種から人型のさびてつなおんどを育てることができなくなったのだ。何せ、我々は人間の「想い」でできているからな、自らを人間と思わずに種を育てたとて………」
「花しか生まれないッてか」
ヴァージニアは頷くが、「生まれた花にもまた意味があるんだろうがな」と最後に付け加えた。
タイガーリリィか………花弁に無数の斑点を持つそれは、美しいというよりかはどこか毒々しいものさえ感じた。
エミリオの感情を紐解かなくてはさびてつなおんど達に平穏はない、全ては俺………”ユリアナ”が招いた悲劇なのだ。
生前に失敗した全てのことに、ここでカタをつけなければもう後はない。
これは、自分に対するけじめだ。
エミリオは無表情でスクリーンの前に立ち、ためすがめすしつつ俺たちを見詰めていた。
やがて、視線をミユキで止めると困ったように眉根を寄せる。
「トスカはリィが余計なことしてくれたせいで………まあ結果オーライだったけれど、アナタは生きてたのね。
この島に統率者はもう要らないのよ、ミユキくん。
だって本物のママが生き返ってあたしに会いにきてくれたっていうんですもの」
ねぇ、と今度は大袈裟な仕草で俺の方を振り向いた。
「『列車』の木々たちが教えてくれたわ、テディが本物のママだって。ママはさびてつなおんどを作った張本人ですもの、生きている時は一人で全ての花を支配していたのよ。
現にほら、トスカだって、イアンだって………リィも、ママを『育て親』にしたいんでしょう?」
そうでしょ、と俺の背後に向かって喋りかけるもヴァージニアは無言だった。
「俺が必要か、エミリオ」
エミリオは俺の言葉に微笑み、頷いた。
「ええ、とても。お帰りなさい、ママ………やっと逢えたわね。あたしたち親子なんですもの、きっと二人でこの島を良い未来へ導くことができるわ」
「『さびてつなおんど』のあなたと?」
”私”の言葉にエミリオは目を瞬かせる。
「本物のエミリオは何処?あたしはね、植物じゃなくて人間相手に話がしたいのよ。あたしが生前にさびてつなおんどに対してどんな扱いをしていたか知っているでしょう、あなたじゃ話し合いの余地もないわ」
エミリオの顔が歪む。
生前のユリアナに対する数々のトラウマが彼を苦しめているのだろう。
苦悶の表情で言葉を搾り出した。
「オリジナルは………死んでしまったわ。嘘をついて悪かったけれど、ここは汚染区………」
「馬鹿言わないで、エミリオの延命手術をしたのはこのあたしよ。地上の最後の『花』をまるまる使い、最新鋭の延命装置を組み込んで造り上げた肉体にはまさに不死身の怪物。
あたしの、『切花』の研究員としての遺作は『さびてつなおんど』じゃない、エミリオ………あなた自身よ」
言葉を詰まらせ、エミリオが息を飲む。
そう、私は生前、とっくに何にも劣らない不死の怪物を産み出していたのだ。
他の研究員にも『らせん図書館』のスハヤにも、誰にも知られることなく、ひっそりと。
今の『カルティキプロジェクト』の研究など私が完成させた「エミリオ」という怪物の足元にも及ばない、頭の悪い連中が無駄な検体を使って効率の悪い作業を繰り返しているだけだ。
「エミリオ………あなたはあたしを殺して『切花』の研究所から一体何を持ち出したの?
種や、錆鉄御納戸の資料だけじゃないでしょう」
「何を言っているかわからないわ」
あくまでしらを切るエミリオを牽制するようにガラスケースを拳で叩いた。
「あなたは知ってるはずよ、自分自身が………」
カタン
ふっ、と部屋全体が暗くなった。
ここへ落とされた時のような、完全な闇ではない。かろうじて人の顔が判別できるような、薄暗さだ。
あれだけ周りをうるさく飛び回っていた切花の妖精達が、一瞬にしてかき消える。
それと同時に、エミリオの背後の舞台に、立体刺繍の糸が舞う。
初めは幕前のカウントダウン。
三
二
一
『クリプト五三三、二十三月と三日、午前二時四十五分………』
淡々とした、女性の声。
これと同じ声を私は数時間前に聞いている。
さびてつなおんどのユリアナの声、つまり………生前の私の声だ。
『これより、エミリオ・メーステルの延命手術を開始する。』
スクリーン全体に「縫われ」た、白い寝台に寝かされた幼いエミリオ。
薬を打たれてぴくりとも動かずに眠っている。
「ああ………あああああ」
頭を抱え、意味不明の言葉を呟きながらスクリーンの前のエミリオがその場にへたり込む。
これだ、まさにこれだ。
エミリオの延命手術は全て私の手で秘密裏に行ったものの、その様子の一部始終は『コンブリオミシン』の糸巻きに納めて小型シェルターに仕舞っておいたはずだ。
研究所が火災で燃えたとしても、シェルターの中にあるものは無事なはず。
だが、いくら『花』がないとはいえ現在のカルティキプロジェクトの技術を見ればそれが発見され、活かされていないのは周知の事実だ。
糸巻きがヤツらの手に渡っていないとしたら、考えられることはひとつしかない。
幼いエミリオが、種と一緒に持ち出したのだ。
「クリプト五三三………今から約八十年前ですか」
気付けば、ガラスケースの檻の後ろに居たはずのミユキとイアンが忽然と姿を消している。
突如目の前のスクリーンの裏側から聞こえたミユキの声に、私ははっとした。
「エミリオ・メーステル………八十年前、天才ユリアナ・メーステルの手で、永遠を約束された唯一の人間。その身柄、貴重なサンプルとしてカルティキプロジェクトが貰い受ける」
地に這うような格好で耳を塞いでいるエミリオの首の裏に、ミユキの小さな手に握られたナイフが当てられた。
あれは、私のポケットに入れておいた果物ナイフ………いつの間に。
「ミユキ………一体何を………」
「テオドール、おれは、今までこの為に奴らに生かされていたんです」
「うそだ………うそだよな。ならば、この島へ来たのは………」
ミユキは目を閉じ、ゆっくりと首を振った。
「あの施設から、逃げる手立ては存在しません」
「そ………んな」
あまりの衝撃に上体がよろめき、私はガラスの檻にもたれ掛かる。
これだ、さびてつなおんどを愛し、信じた結果がこれだ。
なんという酷い仕打ち、なんという屈辱………!
「エミリオ・メーステルという、究極の生物の存在が居るという話はごく一部でとても有名です。
カルティキプロジェクトは自研究所の研究もそこそこに、その、「幻の怪物」の捜索に時間を費やしてきました。
そこに現れた「おれ」というさびてつなおんどの存在………最も、連中はおれの正体を教えてはくれませんでしたが、テオドール………検体ナンバーUltiMate二二四、
ユリアナ・メーステル復活計画の検体、二百二十四人目にして初めて成功を遂げたと、そして、それがおれのお陰であると聞かされた時から、自分の存在にますます疑問を持つようになりました」
ナイフを持つ、ミユキの手に力が入る。
あんなものでは、エミリオに傷ひとつつけることもできないが、ミユキはピンポイントでエミリオの延命装置を停止させることを狙っている。
何処を的確に狙えば停止させられるかは、カルティキプロジェクトの連中に教わったのだろう。
ミスは許されない、だがミユキに限ってミスは絶対にしない。
「やめろ………ミユキ………」
怒りのあまり、頭に血が上っていたはずだ。
なのに、何故こんなに胸が痛むのだろう。
何故、まるで懇願するよう膝をついて、泣いているのだろう。
「テオドール
貴方は死にます」
ナイフを持つミユキの手が、微かに震えていた。
私は思わず身を強張らせる。
スクリーンには幼いエミリオの体内に、延命装置を組み込んでゆく様子が淡々と流れていた。
いつから、知っていたのだろうか。
「今現在のカルティキプロジェクトの技術では、この島の汚染に耐えられる肉体が作れるはずがない。ましてや、ユリアナ・メーステル復活計画の為に作られた検体は、エミリオ・メーステルを説得し、捕獲するための道具でしかないようなもの」
確かに、連中にとってユリアナを復活させることによるメリットより、デメリットの方が大きい。
ましてや、遺伝子が完璧に残っていない半端ものだ。
いいように利用して、功績だけを手に入れることを第一に考えるだろう。
その「功績」こそ、エミリオの肉体だったという訳か………。
「エミリオ・メーステルの捕獲と、延命手術の一部始終が納められた記憶回路の入手………これに成功したらおれは研究員としての地位を取り戻せる。そうしたらテオドール、おれがエミリオに施された延命技術を使ってあなたを究極の生物にして差し上げます。
さびてつなおんどのように、汚染を気にせず長い時を生きる………そうやって、はじめておれたちの居場所を捜すことができるッ!!!」
ミユキがナイフを振り下ろす………
その瞬間、私は背後から羽交い絞めにされた。
いきなりのことに驚いて首を巡らせると、ヴァージニアの細い腕が俺の首に回されていた。
「やれやれ、好き勝手やってくれるな」
呆れたような、ヴァージニアの声。
確か、先程までその身体の半分が樹木と化していたはずだが、何時の間にか最初に出会った時のような完璧な人間の姿をしていた。
「カタコンベのある大陸からこの島へ海を渡って来るにはな、定められた日と時間が重なった時に発生する特別な潮の流れに乗らないとならんのだ。
それ故、トスカもすぐにはこの島から逃がすことはできなかった。
全てを把握しているイアンがイシュタムを攫う仕事を放棄した今、人間がここへ辿りつくのはおかしいと思ったのだが………やはりこういうことか」
「はな………せ………」
ヴァージニアの腕から逃れようと身じろぎすると、ますます強く首を絞められた。
「ミユキ・フィッツジェラルド。エミリオを傷つけることは許さんぞ、今すぐナイフを置け。
そしてイアン、舞台裏に居るのだろう。
檻を開けて、この『立体刺繍』の糸巻きをこちらによこせ」
さもなくばこのままいくぞ、と俺の延命装置が埋め込んである首の付け根に、長い銀色の爪の先を当てた。
カラン、という音を立ててミユキの手からナイフが滑り落ちる。
ほどなくして薄暗い部屋が一瞬にして明るくなった。
目の前のガラスの壁が序々に銀色に変化し、液状に溶けてゆく。
どうやらガラスからタングステンへ物質を逆変換させることで、檻が開く仕組みらしい。
イアンが糸巻きを手にスクリーンの裏から姿を現すと、こちらへ投げてよこした。
「『育て親』をエミリオに戻したのか?気の多いことだな、ヴァージニア」
吐き捨てるようになイアンの物言いに、ヴァージニアはふん、と鼻で笑った。
羽交い絞めにしていた俺を開放し、イアンが投げた糸巻きを拾い上げる。
「貴様こそ、本来の我々の役目を忘れているのではないか?本来守るべきエミリオに手をかけてどうする。この、ミユキのような、カルティキプロジェクトおよびカタコンベからの刺客からエミリオを守る為にこの島があるのだろうが。育て親をテオドールにしたことで腑抜けたかイアン、この愚か者が!」
そうだったのか。
この島は、エミリオによって支配されていたのではない。
大勢のさびてつなおんどにより、エミリオという一人の人間が守られていたのだ。
私は激しく咳き込み、その場に膝を突く。
なんだ、エミリオは、私の息子は、充分幸せじゃないか。
なのに………
「これ以上のことの何を望むの、エミリオ?」
床にへたりこみ、俯いたままのエミリオ。
その横にはミユキが呆然と立っていた。
私がもう一度咳き込むと、ミユキははっと顔を上げ、一目散にこちらへ駆け寄ってきた。
「テオドール、申し訳ありません………おれは………」
「いいんだ………ありがとう、ミユキ。
俺はお前さんを信じて良かったよ」
側に寄るミユキの手を借りて、ふらつきながら立ち上がる。
「だからエミリオ、あなたもさびてつなおんどを信じなさい。
あたしは昔それが出来なかったけれど、あなたはできていたじゃない。
あなたを守るさびてつなおんど達を、唯一人間であるあなたが信じなくてどうするの」
「あた………お、俺は人間じゃねえよ。だからママが居なくなった途端、誰も俺の言うことを聞かなくなったんだ。人間じゃねェし、ましてや統率者でもねえ俺が、この島を統括する為にどうしたらよかったんだ?」
顔を上げて、エミリオが叫ぶ。
「どうして、どうしてママは居なくなったんだ?お前が本物のユリアナならわかるだろう、何故ママは俺の前から姿を消した?」
「『自分を信じられない者に、人を信じることはできないからよ』」
私と、もう一人の声が見事にハモる。
天井から回転して降りてくる、銀色の影。
さびてつなおんどのユリアナは綺麗に床に着地すると、ごきげんよう、と耳元まで裂けた口元を歪めて微笑んだ。
「………………ママ!!」
「久しぶりね、エミリオ。
ヴァージニアも、よく最後まであの子を信じてくれたわ」
ヴァージニアは腕を組み、皮肉な笑みを浮かべながら当然だ、と答えた。
「ユリアナ、貴様………大丈夫なのか」
イアンが尋ねると、ええ、とぎんいろのユリアナは頷いた。
「色々考えたけれどね、あたしもそろそろエミリオと向き合うべきじゃないかって」
「そうやってまたあたしの役目をあなたは奪ってゆくのね………」
私が嫌味っぽく言うとふいにぎんいろのユリアナは真顔になり、ミユキが支えていないほうの私の肩を、その枯れ枝のような腕で持ち上げた。
「あたしがあの子を甘やし、逃げ出した挙句がこの結果よ………最終的にあの子を変えることができるのは、あなたしか居ないと思ってる。
見せて頂戴、あなたにしか造れない、この島の導き手を」
なんだ、知っていたのか。
流石私の分身、何もかもがお見通しだ。
「産まれてきなさい、エミリオ」
私の言葉に、ポケットの中に忍ばせていた小さな蕾が震える。
『わすれないでください 窓辺の花を』
炎に包まれたレストランから脱出する際、トスカの忠告により持ち出した窓辺の鉢植え。
それは、私がこの島に辿り着いた直後に窓辺に置かれていた。
おそらくはエミリオが隠し持っていたさびてつなおんどの種のひとつなのだろう。
知らずに目覚めていた私の想いは、それをゆっくりと、確実に一番大切な人の姿に成長させていった。
私の一番大切な息子、エミリオの姿に。
ポケットから蔓が延び、蕾が一枚、一枚花開く。
花びらの中心が大きく膨らんで、序々に人のかたちを成してゆく。
それはあっという間に子供くらいの大きさになり、指のひとつひとつ、髪の毛の一本一本を人の動体視力では追えない速さで形成した。
ひとつ瞬きをした後にはもう、目の前に少年が佇み、不思議そうにこちらを見詰めていた。
薄い金の髪に夕日色の瞳………紛れもなく、幼い頃のエミリオの姿そのものだ。
私はミユキとユリアナが支えてくれるままにふらつきながら少年に近づき、自分の上着を脱いで着せ掛ける。
名前を尋ねると、少年は夕日色の瞳を瞬いた。
「………エミリオ。そう言うお前は俺の育て親?」
私は頷くと、少年に言い聞かせるように言った。
「不思議なことにね、あの人もエミリオなの」
へたりこんで、事の顛末に絶句しているオレンジ色の髪のエミリオを指差す。
「同じ人物は二人も要らないわ、エミリオ………あっちを殺しなさい」
「なんだと?」
驚いたヴァージニアが声を上げるのを、ぎんいろのユリアナが制す。
「いいの、これでいいのよ」
ヴァージニアはしぶしぶ身を引くも、気が気ではない様子だ。
無理もない、実際のところ、私自身も気が気ではない。
果たしてこれがうまくいくのかどうかは誰にもわからないのだ。
「お前がそう言うなら、そうする」
産まれたばかりのさびてつなおんどは非常に素直だ。
少年は頷くと、ミユキが床に落とした果物ナイフを目ざとく見つけて引っつかんだ。
「と、いう訳で悪ィけどよ………死んでもらうぜ」
へたりこんだまま、身動きひとつしないエミリオに少年がナイフを持ったまま振りかぶる。
ナイフの刃先はそのままエミリオの首筋にめり込み、辺り一面に赤い血の飛沫が飛び散った。
「………………」
エミリオは自分の身に起こったことを理解できずに唖然としていたが、傷がみるみる塞がってゆくのを感じたのか、己の首筋にそっと手を当てた。
次の瞬間、何が起こったかわからなかった。
少年の身体が宙に舞い、その小さな身体が衝撃を受けたように何度も何度もひしゃげる。
蹴られている。
銀色の、鉄でできたブーツで何度も蹴り上げられている。
エミリオだ。
エミリオが立ち上がり、少年に攻撃を加えている。
がしゃん、という派手な音と共に客席が粉々になり、なすがままの少年の身体は部屋の端まで吹っ飛んだ。
ひとつ、大きく息を吸うと、呻きながら床に蹲る少年の身体を乱暴に掴んだ。
「あた………俺は………」
おれは、と言葉を詰まらせ少年の身体から手を離すと、再び床に投げ捨てた。
その途端、少年は弾かれたように立ち上がり、手にしたナイフで背後からエミリオに切りかかった。
寸手のところでエミリオが身体を傾けるが、避けきれずに肩口をナイフが掠る。
少年がにやりと微笑んだ、その背中に力強い背面蹴りをくらわせた。
再び少年の身体は宙を舞い、リバウンドを繰り返しながら床に落下した時にはもうぴくりとも動かなかった。
俺は、とまるで自分に言い聞かせるかのようにエミリオが繰り返す。
「………俺は、お前じゃない。
そう、そうだ、「お前」が………俺なんだ………」
だから、と呟き顔を上げる。
一連の動作を、私達は固唾を飲んで見守った。
「そうか………俺のほうが、人間だ」
張り詰めていた空気が、途端に穏やかなものに変わる。
一同、皆口元に笑みを浮かべていた。
ヴァージニア、イアン、そしてユリアナとミユキに支えられながらも、私も一緒にエミリオの周りを取り囲む。
少年が身じろぎじてゆっくりと起き上がり、事態が飲み込めていない表情でこちらにやってきた。
「なァ、俺この人に勝てる気しねェんだけど………」
困ったように眉根を寄せる少年の身体を抱き締め、ごめんね、と何度も謝った。
「いいの………もういいのよ………」
「そうか?」
少年の身体を抱き締めながら、私は目を閉じる。
そのまま、全身の力が抜けてゆっくりと崩れ落ちてゆく。
きっと、もう大丈夫。
エミリオは自らを人間と認め、ユリアナはエミリオと向き合い、自分の甘さに気付いた。
ヴァージニアは再びエミリオを守り抜き、イアンもそれに習うだろう。
ひとつ気がかりなのはミユキだが、彼もさびてつなおんどだ。
エミリオを新しい育て親として認めれば、それでいい。
「おいお前、しっかりしろよ」
少年が慌てたような声を出すと、それに気付いたミユキが何事かを叫んだ。
ユリアナ達も、ミユキの様子に顔を強張らせ、こちらに駆け寄ってくる。
「テオドール………そんな、いやです………あなたが逝ってしまったら、おれは………」
エミリオを、育て親にしてくれ。
私の弱々しい思考でも、さびてつなおんどのミユキには届いているのだろう。
涙を溜めながら、何度も首を振った。
「おれは、ずっと今まであなたを………」
わかっている、だがこれは私の最後の願いだ。
自分の、そしてあの子の為にも………そうしてほしい。
「ママ?そんな………なぜ………」
エミリオがふらつきながら私の側にしゃがみこんだ。
「ママ、覚えてるか?俺たち、あの日の夜、海岸で出会う以前に一度会ってるんだ」
「オレンジ色の花が一面に咲いている、地上の花畑の中でママは楽しそうに笑ってた。
そのうち花を摘みはじめたから、俺は出て行って怒ろうと思ったんだ。地上で花が咲いているのは………あの場所だけだったから」
エミリオの言葉に、記憶が走馬灯のように蘇る。
花。
汚染にまみれた地上に咲く、オレンジ色の花。
それは喇叭のような花弁の、例えるならばそう、百合のようなかたちをしていた。
「でもママは数本摘んでから、そのうちの半分を地面に埋めなおした。日が傾いて、海の向こうに沈むまで、丁寧に時間をかけて埋めなおしたんだ。オレンジ色の夕日に包まれた花畑に居るママを見て、俺は本当に、心からこの人の息子になりたいと思った。だから待ち続けたんだ………あの場所で、毎日、毎日。花が全て枯れてしまっても、そのうちのひとつを押し花にして何時か会えた時に渡そうと思ってた」
エミリオの目から涙が溢れる。
しゃくりあげるように、私の名前を何度も呼んだ。
そんなこと、全然知らなかった。
あの時、あのアフ・プチの子供は只々地下の生活に憧れて、私を利用したものばかりだと思っていた。
私はなんて馬鹿だったんだろう。
そんなことを話す機会でさえ、エミリオとの間にはなかったのだ。
「だからママがあの日、地上に再び現れた時本当に嬉しかったんだ。そして、あっという間に夢が叶ってママの息子になれた………なのに、俺は………」
死なないで、とエミリオが叫んだ。
「俺たちはきっと、これからやりなおせる。ごめん、今まで、ごめん、ママ………だから、死なないで。せめて、俺に罪滅ぼしををさせてくれ………」
いいの、と私は声にならない声で言った。
悪いのは、お互い様よ。
だからもう気にしないで。
あなたはあなたで、自分の信じるままに生きなさい。
ありがとうエミリオ。
そして
ごめんなさい
「あ………ああ………あ………」
「う………ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
ティーカップの数は全部で六客。
うち一つは穴あきの、招かれざる客。
六人目の、招かれざる客は
この、私。