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さびてつなおんど  作者: ぽっぽ
6/11

5.できそこない

 白い、四角い天井が見える。

 ここは、そうだ、エミリオの家のベッドの上だ。

 のろのろとした動作で身を起こし、もうすっかり見慣れてしまった間借りしている部屋の中をぐるりと見回した。

 窓辺から、潮の入り混じった心地よい夜風が吹いてくる。

 俺の横で寝息をたてて眠っているミユキは起きる気配がない。色々あって、疲れたのだろう。

 色々、か。

 ふと、自分の額を手で触れた。

 錯乱した俺は、あのまま気を失ったのだと理解する。

 突然のことに、ミユキとエミリオはさぞ驚いただろう。

 意識を失っている間、何故だか水底に居る夢を見たような気がする。

 誰かが、夢の中でさよならと囁いたような………………

 先程から、どうにも不安な気持ちを拭い去ることができなかった。

 イアンは確か「今夜中」にトスカを連れて逃げろ、と言ったのだ。

「ミユキ、起きろ」

 もう少し寝かせてやりたいが、時は一刻を争うかもしれない。

 申し訳なく思いながらもミユキを揺さぶると、躊躇せず飛び起きる様は流石である。

「すみません、どれくらい寝ていましたか」

「いや、俺にもわからねェ。それより世話かけて悪かったな」

 俺が先刻のことについて謝ると、ミユキはいいえと首を振った。

「お加減はいかがですか」

「上々だ。お陰様でな。」

 意味深な笑いを浮かべる俺に、ミユキは不思議そうに目を瞬かせた。

「それは何よりですが…しかし。」

「なァ、どうやら俺の中に居るもう一人はユリアナっつーらしい。協力しろとさ。」

「………協力?」

 何を言ってるんです、とミユキは尋ねつつも、はたと動作を止めた。

「ええ、そうです。ユリアナ…テオドールが手術をすると聞かされ日、教えられた名前は確かにそのような名前でした。女性だったと、記憶しています。

 しかし、何故ご存知なのですか?」

「やっぱ、やっぱりそうなのか。これで信じられるぜ。」

 夢が、ただの夢でなかったということを信じられる。

 相変わらず事態の読み込めていない様子のミユキに、俺は先程の夢の内容を手短に説明した。

 もしかしたら一笑されるかもしれないと思ったが、話すにつれてミユキの顔はだんだん険しいものに変わっていった。

「樹と繋がれた、トスカ様ですか。」

「繋がれたっつーより、一部なんだと。」

 そう言ってたのは夢の中のトスカ自身か、自分の憶測かは忘れてしまっていたが何故だか確固たる自信があった。

「トスカ様は、切花の妖精…なんでしょうか。「ツアー」にあった夢物語のような話ではなく、例えばそのような被検体であったと。」

「人を樹に変えるイシュタムの研究機関か?まあ、ありそうっちゃありそうだな…」

 樹に変えることによるメリットは何だかよくわからないが、今やカタコンベは何でもありの世界だ。

 樹に変えようとする者も居れば、石ころに変えようとする者だっているだろう。

「ンで、「ツアー」で見たようなこの島の遊園地の内容がもし機関の研究内容に準えているものだとしたら…」

「この島、まるごと機関だということも在り得ますね。これは、とんでもない処に来てしまったのかもしれません。」

 それも、かなりの悪趣味ですよとミユキは付け加える。

 俺は昼間見た「アラーニャの館」での光景がフラッシュバックし、思わず眉を顰める。

 蜘蛛の糸に吊るされていた、痩せこけ、うつろな目をした人間たち。

 もはやあれが「立体刺繍」だったのか、本当にあったことなのかさえわからない。

「まあ、あくまで俺の見た夢の内容であることは確かなんだが。」

 僅かな希望を口にするが、ミユキがあっさりとそれを否定した。

「人には特異的抗体、というものがあります。現在の研究では脳にあるそれに対して意図的に働きかけることが可能です。

 要は、アレルギーみたいなもので。」

「あァーと、つまりアレだな。俺が「列車」で樹に捕まった時…何らかの抗原を植えつけられたと。」

「恐らくは。それによって、アレルギー反応のように、何かをきっかけに幻のようなものが頻繁に見えるのでしょう。

 それはその人間の脳内にある記憶、もしくは同じ特異的抗体を持った人からの強い思念のかけら、トスカ様の夢の場合は後者ですね。」

 研究員としての地位を剥奪されたとはいえ、ミユキの知識はそれ以上に匹敵する。

 聞けば、記憶を取り戻すためにも死にもの狂いで勉強したらしいがその努力は並大抵のものではないだろう。

「テオドールの中の「もう一人」についても、特異的抗体を介してリンクした時に覗いたんでしょう。

 恐らく、そのようなことが安易に可能な被検体なのだと思います。「協力しろ」というのはいまいち意味がわかりませんが…」

 ミユキの話を纏めるとこうだ。

 トスカは恐らく、俺と同じように「人を樹に変える研究機関」の被検体であり、この島の住人だ。

 そこで、研究機関の施設はカタコンベではなくこの島にあるのではないかと俺達は考える。

 「列車」に生えてた木々も何らかの研究材料だとしたら、俺が捕らえられた時に、能に働きかけられるものと予想される抗原を奴らに植えつけられ、特異的抗体となってアレルギー反応のようなものを起こしはじめた。

 俺の中に居るもう一人分の遺伝子パターンが著しく表面に現れたのは、アレルギー反応により「抗原を植えつけられた時に起こった時に似た状態」になっているのだろう。

 また、この島の被検体はその特殊な抗体を介して人の脳とリンクすることができる。

 トスカが俺に見せた思念による夢は、そうして伝えられたものだろう。

「強い思念か。そういえば、トスカはどうしてる?」

 改めてミユキの話を聞き、焦りが生じる。

 トスカの言った「さよなら」とはどういう意味だったのか。

 ヴァージニアに「助けられた」のに「さよなら」とは一体…

「エミリオ様もお休みになられたようなので、あのまま食堂のソファに。」

「とにかくこッちの部屋に移動させようぜ。イアンは何かを知ってるはずだ、俺達の予想が確かなものならば、連れて逃げろッつったのがかなり大きな意味合いになってくる。」

「その通りですね、急ぎましょう。」

 俺達は頷き合い、なるべく音を立てないように部屋を出た。

 食堂の側まで行くと、僅かに灯が漏れているのが見えた。

 何だか、焦げ臭い匂いがする。

 嫌な予感がした。

 俺はなりふり構わず食堂へ飛び込み、ミユキも同じことを思ったのか後に続く。

「………………!!」

 食堂内は、部屋の半分以上が炎に包まれていた。

 小さな机と椅子、クリーム色に塗られた壁や、飾り付けられた花々………その全てがあかあかと燃えている。

 狭い食堂だ、トスカが横たわっているはずのソファは簡単に見つかった。

 幸い、そこにはまだ炎の手は回っていないようだ。

 もうもうと煙のたちこめる中、俺達は急いでソファへ駆け寄り、トスカの身の無事を確認した。

「大丈夫です、先程と何ら変わりがない」

 トスカの白い頬に手を当て、ミユキ。

 変わりがないのが良いことなのか悪いことなのか………今はそんなことを悠長に考えている暇もない。

 俺は未だぐったりとしたままのトスカを抱き抱えた。

 店の出入り口のドアは、すでに火の手が回っている。

 その付近にあるはずの窓も同じような状態だ。

「おれたちが居た部屋の窓から出ましょう」

 わかった、と頷くと急いで今来たルートを引き返した。

 先程居た部屋の前で止まり、ふと突き当たりにエミリオの部屋があることに気付く。

 炎が建物全体に回るまでにはまだ少し時間があるだろう。

「ミユキ、この部屋でトスカと待っててくれ」

「テオドール!?何を………」

 先程俺達が眠っていたベッドにトスカを横たえると、一目散にエミリオの部屋に転がり込んだ。

 予想通り、部屋の主は不在だ。その代わりに………これは、なんだ?

 床に、オレンジ色の毛束が散らばっていた。

 側へ寄って見て、俺は思わず喉の奥を鳴らす。

 無造作に床に散らばっているそれは、間違いなくエミリオの髪の毛だ。

「ここで、髪を切ったのか」


 だが、何のために?


 その他に特にめぼしいものといえば、本、本、本の山。

 床や、古びた机の上にところ狭しと本が積んである。

 俺はそのうちの一つから無造作に一冊を引っつかみ、他にも何かないかと視線を彷徨わせると机の上に小さな小ビンが数本並べてあるのを見つけたのでそれも何本か失敬した。

 ビンをポケットにねじ込み、本を小脇に抱えると急いでミユキとトスカの元へ戻る。

 既に炎は廊下の半分を覆い尽くしていた。

「テオドール、はやく!何をしてるんですか」

「すまねェ、何かわかるかもしれねェと思ってエミリオの部屋にな。よくわからなかったが、適当に持ってきた。これ、持っててくれ」

 俺は抱ていた本をミユキに渡す。

 ミユキはなるほど、と納得した様子で本を受け取ると羽織っているマントの下に仕舞った。

「………エミリオ様は、部屋にはいらっしゃらなかったんですよね」

 答えの代わりに俺が苦笑いを浮かべると、ミユキは少し悲しそうな顔をした。

「さて、話は後だ。とにかくここを出るぞ」

 俺はトスカを抱き上げようとして、ベッドの横のサイドテーブルに置いてある古びた果物ナイフが目に入った。

 昨晩、無機物化したミユキを俺の体内から取り出す時に使ったものだ。

 何か役にたつかもしれないと思い、ポケットへと忍ばせる。


(わすれないでください 窓辺の花を)


 その時、突然俺の頭の中に声が響いた。

 トスカ………?


 俺はベッドで眠るトスカの顔を覗き込むも、その表情からは何の変化も伺えない。

「窓辺の花ですって?」

 ミユキの言葉に、俺は驚いた。

「ミユキにも聞こえたのか?」

「ええ、確かに誰かが窓辺の花………と」

 俺達は反射的に、今まさに出ていこうとしている部屋の出窓を見る。

 そこに置かれた、夜の自然の光に照らされている小さな鉢植え。

 昨日まで小さな芽だったはずのそれは、白くまっすぐとした茎が伸び、銀色の蕾をつけていた。

 人気のない砂浜を、とぼとぼと歩く。

 時刻はとうに宵の刻を過ぎ、暗い夜の海が空を呪う。

 幸いところどころに外灯が灯り、その僅かな光が足元を照らしてくれていたので歩くことに不自由はなかった。

 逃げる、といっても海へ飛び込む訳にはいかず、炎に包まれたエミリオのレストランを出て俺達はイアンの元へと向かっていた。

 俺の背中で眠るトスカは、あれからずっと目を覚まさない。

 考えたくはないが、まさかこのままーー

「テオドール」

 俺の前を歩いていたミユキが急に脚を止めた。

 何事かと顔を上げると、少し先へ行ったところにひっそりと佇む影があった。

「イアン………」

 車椅子に座り、遠くの方をぼんやりと見ている大柄な男。

 その視線の先にあるのは、恐らくエミリオのレストランだ。

 薄暗い遊園地の一角が遠くからでも不自然な程明るく見えるのは、炎が回りきっている証拠だろう。

 俺達が車椅子の側へと歩いてゆくと、イアンは視線を遠くへ向けたまま、誰に言うまでもなくぽつりと漏らした。

「随分、強行手段に出たな」

「詳しく話してくれねェか」

 背中で眠るトスカを両腕に抱えなおしイアンに差し出すと、車椅子に乗ったまま懸命に手を伸ばし、愛おしそうに腕の中へ抱いた。

「後悔するかもしれないぞ、ユリアナ」

 ミユキが大きく目を見開いた。

 俺がなにか言いかける前に、まくしたてるようにイアンにくってかかる。

「あなたは一体何をご存知なのですか」

 イアンはトスカを腕に抱いたまま、僅かに間を置いて俺達から視線を逸らした。

「話せば、長くなる。その前にやることをやらねばならない」

 そう言って懐から取り出した、丸くて平べったい何か。

 一瞬、暗くてよく見えなかったが、外灯に照らされるとそれが鍵だということがわかる。

 無言で手渡されたそれをまじまじと見た。実に不思議なデザインをした鍵だ。

 持ち手の部分は正円で、車輪のようなものが中心にはめ込んである。

 円は中心できっちり二分され、上部分が黄色、下部分を濃紺で塗られていた。

 黄色の部分には本のマーク、紺の部分には髑髏のマークがそれぞれ彫られている。

 そして、外側の正円に沿って彫られた、更に小さな丸の数々。

 どこかで見たことある、これは、まるで………

「生と、死の天井………」


(動かしたいのはやまやまなんだけれども、少し前から観覧車兼もろもろの管制室の鍵がひとつ、行方不明なの。)


 昼間のエミリオの言葉が過ぎる。

 行方不明になった鍵を持っていたのは、イアンだったのか。

 ならば、何故あんなに観覧車に乗ることを切望していたトスカの為に動かしてやらなかったのか。

「お前の言いたいことはわかる。トスカがそれに乗りたがっていたのも知っている」

「じゃあ何でなンだよ。もしかしたら、トスカは………もう………」


 俺の言葉を遮るように、イアンは淡々と続ける。

「それを再び使うには、この島が窮地に立たされた時と約束されていた。平和で、幸せだった昔とは違うのだユリアナ」

「ユリアナじゃねェ、テオドールだ」

「いい加減、意地を張るのはやめろ。知りたいと望んだのはお前のほうだ、譲歩しなければ事態は最悪なことになるぞ」

 協力しろだの、譲歩しろだの、俺は一体どうしたらいいんだ?

 俺は俺でありそれ以外の何者でもあるはずはないのに、どうして人は俺以外の誰かを求めるのだろう。

「相変わらずおっしゃってる意味がよくわかりませんね、その鍵で何かをすれば事態が進展するならば今すぐにでもやりましょう。このままでは埒があかない」

「だからそうしろと言っている」

 俺はじろりとイアンを一瞥し、案内を、と短く言った。

 鏡張りの迷路の奥に、管制室はあった。

「ミラーメイズ」と称されたここは壁、床、天井の至るところの全てが鏡で作られた奇妙な建物だ。

 だが、不思議と『アラーニャの館』に居た時のような恐怖感はない。

 迷路の途中で現れては消える『立体刺繍』は、切花の妖精ではなく、身体が毛で覆われた獣のような生き物だった。

「へェ、ここには切花の妖精の物語は展開されてねェのな」

 俺がそう漏らすと、イアンから驚くべき答えが返ってきた。

「あれはエミリオが後から付け加えたものだ。この島の本来のコンセプトはその動物に基づいている」

「では、やはりここは何かの研究機関なのですか?例えば、あの切花の妖精のようなものを生み出す………」

 間を入れずミユキが質問すると、イアンは喉の奥で笑った。

「お前達が思っているほど、ここは大層な場所ではない」

 鏡張りの管制室の扉を鍵で開け、俺達は中へ入る。

 建物同様、そこも不思議な空間だった。

 大きめの鏡が部屋の真ん中にひとつ、その下に制御装置のようなこれまた鏡でできたパネルが並んでいる。

「俺も触るのは初めてだ。少し時間がかかる」

 イアンはトスカを俺に預け、中央の大きな鏡に近づき、パネルに触れた。

 見れば、パネルのひとつひとつを仔細に検証して操作方法を導きだしているようだった。

 実際イアンが何をしようとしているのかは解らないが、特に手伝えることもなさそうなので、俺はおもむろにポケットへ手を突っ込む。

 イアンから渡された管制室の鍵、エミリオの家から持ち出したナイフと、小瓶の数々がそれぞれ指先に触れた。

 とにかく今は、何かしていないと落ち着きそうにもない。

 トスカを抱えなおし、片手で小瓶を取り出すと床に座ってじっくりと眺めた。

 中身は透明な液体で満たされていて、一体何なのかはよくわからない。

「それは、エミリオ様の部屋にあったものですね」

 ミユキも俺の横に座り、持ち出した一冊の本をマントから取り出して広げて見せる。

 眺めてるだけでは正体の解らない小瓶よりも、本の方が何か得るものがありそうだ。

「何が書いてあるンだ?」

 小瓶はさて一旦置いておき、俺もミユキと共にページへ目を走らせる。

 あまり期待はしていなかったが、ざっと見たところ特に目ぼしいことは書いていない。

 ミユキもつまらなそうに斜め読みをしながら、ページをパラパラと捲っている。

「自家菜園についての本のようですが、おれたちの役にたつようなことは書いてありませんね」

 俺は肩を竦め、まァ、そんなもンだろうと苦笑した。

 思いつきでとっさに持ち出したものだ、仕方がない。

 それにそうだ、今、まさに俺達が知りたいその答えをイアンが導き出そうとしているのではないだろうか。

「収穫ナシ、か。これもなンだかわかんねーしよ」

 小瓶に一瞥くれてから、鏡のパネルに指を躍らせているイアンの方へと目を向けた。

 俺の視線に気付いたのか、イアンはちらりとこちらを見て口を開く。

「菜園の本か、そうだな………栽培の項目でも見てみたらどうだ」

「何なんです?」

 本を捲っている手を止め、ミユキ。

「面白いものが見られると思うが」

 胡散臭そうに片眉を上げ、ミユキは言われたとおりに項目を捜し始めた。

 イアンは何事もなかったかのように再びパネルの操作に戻っている。

「「栽培」………これですね」

 ミユキが広げたページを横から覗き込み、どれ見りゃいいんだ、とイアンに尋ねるも皮肉な笑みを返されただけだった。

 一体何なんだ?

 栽培の項目には、良い土の選び方や日当たりについてなど、ごく普通のことが書いてある。

 ミユキが無言でページを捲る。

 次は寒い日の対策についてのようだ。

 寒さにやられないよう、植物に覆いをかけること………これも普通だ。

 いや、待てよ、問題は次に書いてあることだ。

「肥料の作り方」と書かれたそこに、俺は気になる一説を見つけた。


『………こうして完成した植物の栄養剤は、消毒液のような刺激臭がするので外で保管するのが好ましい。』

「まさか………」

 俺は慌てて床に並べた小ビンを手に取り、蓋を開ける。

 開けた途端、あの鼻をつくような奇妙な香りが辺りに広がった。

 そう、あの「エミリオが作っているスープ」そのものの香りだ。

 俺はこの匂いが駄目で飲めないと断り、その後はティーポットに入れたそれを、「薬」としてイアンの家まで運んだ。

 医者が居ないこの島で、自分が栄養あるものを作って皆に食べさせることくらいが関の山だとエミリオは言った。

「栄養がある」スープ。

 だが、何故植物の栄養剤を人間に飲ませてるんだ………?

「人を、植物に変える機関………」

 本に視線を落としたまま、ミユキが震える声で呟いた。


 そうだ

 そうだった。


 あろうことに、ミユキはあのスープを美味しそうに飲んでいたではないか………!

 その時、ミユキは俺の手からひったくるようにして小ビンを奪いそのまま一気にあおった。

 止める隙もなく、呆然とその姿を見詰める。


 カシャン、と音をたててビンが床に転がり、ミユキは震える自分の手を交互に見詰めた。

「おれは………おれは………」


 『切花の妖精』というひとつの単語が俺の脳裏を過ぎる。

 腕に抱えているトスカとミユキを見比べ、俺は首を振った。


 何故 何故 ミユキまでもが、『そんな生き物』なんだ!


 突然、キチキチキチという耳障りな音が近くでした。

 気付けば、俺のポケットの中で何かが震えている。

 慌ててその震えているものを取り出すと、管制室の鍵の丸いもち手の部分が震えるように回転していた。

 円の真ん中で区切られた本のマークと髑髏のマークが上下に入れ替わりを繰り返し、「観覧車」に似たモチーフがまるで本物のように回っている。


「動くぞ」

 イアンの言葉と同時に、部屋の中央にある大きな鏡が発光しはじめた。

 よく見ると、これは鏡が自ら光を放っているのではないことに気付く。

 イアンが先程操作していた沢山のパネルがいつの間にやら回転し、そのひとつひとつが小さな光を帯びている。

 はじめ小さな光だったそれは、反射を繰り返し、最終的に中央の大きな鏡へと注ぎ込んでいるのだ。

 そして、光を注ぎ込まれた鏡に映し出された大きな大きな「観覧車」。


 チキチキチキチキ………

 カシャン、という音がして鍵についている小さな観覧車は回転を止めた。

「本」は下へ、「髑髏」は上へ、黄と濃紺に塗り分けられたそれぞれのマークが先程とは逆に入れ替わっていた。

 これの意味することはただひとつ。

「カタコンベ………」

 知識を持つもの、生を現す「本」は下へ、汚染………すなわち死を現す「髑髏」は上へ。

 生の天井は死を意味する地上であり、死の天井は何もない 空。

 鏡の中ではそれぞれの天井を意味するものが、静かに回転をはじめていた。

 光 光 光の海。

 赤、青、緑、レインボー、様々な色の光が遊園地全体から放たれていた。

 調子はずれで、陽気な音楽は今や最高潮に賑やかで、そこかしこでがなりたてるように鳴っている。

 不気味なのは、これだけ賑やかだというのに人一人の姿も見えないということだ。

 ここに住む住人達は、一体何処へ行ってしまったのだろう。

 無人の乗り物の楽しげに動いている様子が、よりいっそう不気味さを駆り立てていた。

 俺達は押し黙ったまま、遊園地の中を進む。

 イアンはいつものことだが、ミユキは先程から一言も発しない。

 無理もない、俺の中でも気持ちを整理するのにまだ時間がかかりそうだ。

 それぞれの思いを抱えながら、曲がりくねった坂道を重い足取りで登った。

 目指すは山間にある『生と死の天井』だ。

「そろそろどういうことか教えてくれてもいいだろ」

 管制室の「鏡」に映し出された観覧車が回り始める様を見届けてから、俺は強い口調でイアンに言った。

 イアンはふむ、と唸り逡巡しているようだった。ここまできて、何を迷うことがあるのか俺にはわからない。

「これからとある人物に会う。彼女は思うところがあって数年前から姿をくらましている、その鍵を残してな」

 カタコンベを意味する、管制室の鍵をもう一度見る。

 となると、トスカが観覧車に乗ったというのはその「彼女」が居なくなる前ということになるが、トスカはその時一体幾つだったのだろう。

「そいつに会ってどうする?」

「話は最後まで聞け。『「想い」が歪み、島が崩壊を始めたら「鍵」を腐らせ、天井を定めるな。』その時こそ再生の時、彼女が再び力を奮う。彼女は、この島の真の統率者だ」

 相変わらず言っている意味の三割も理解できなかったが、とにかくその行方知らずの「彼女」とやらが偉い人物だということはわかった。

 島が崩壊するとは汚染のことだろうか………それとも………

「崩壊へ導いているのは紛れもなくエミリオだ、わかるな」

「わからねェこともないが、レストランを放火したことと、島の人間に植物の栄養剤を飲ませたこと以外エミリオに何の罪が?」

 それ以外にも何かあるのはわかっている。

 だが、なかなか真実を語ろうとしない相手に皮肉を込めて言ってやった。

 イアンはそれに気付いてか否か、飽きれた笑みを浮かべると、彼女に直接会えばわかる、とそれ以上口を噤んでしまった。

 イアンは決して多くを語らない。

 これ以上詮索することを諦め、その人物に会えるならばと俺達はここまでやってきた。

 いい風に踊らされている気がしないでもないが、よくよく考えれば俺達にそれ以外に選択の余地がないのもまた事実だ。


 ざ………ん………


 ふいに、再びあの水音が俺の頭の中に響いた。

 俺の、俺ではない、誰かの想いと記憶が押し寄せてくる。

 イアンが腕に抱いている、眠ったままのトスカを見る。

 これは、彼女ではない。


(譲歩しなければ)


 イアン、そしてトスカに言われたとおりに俺は自ら抵抗するのをやめた。


 俺に何を伝えたい?

 何を見せたい?

 お前は一体どうしたい………?

 坂道の向こうに、誰かがいる。

 見えないが、何故かそう思った。

 そして、確実にそれはこちらへ近づいてくる。


 ざ………ん


 不思議なことに水音は、その近づいてくる誰かから発せられているものだということがわかった。

 俺の中の「誰か」かと思ったがそうでもないようだ。

「待て、誰か居る」

 俺の言葉に、イアンとミユキは進むのを止めた。

「来たか」

 イアンが顔を上げ、呟いた時、それは軽やかな足取りでこちらへ走ってきた。

 銀色の髪を靡かせ、颯爽と現れた女性の姿をした「何か」。

 細い手足にやせ細った身体。身に纏うものは一切なく、露出した肌も全身銀色だ。

 樹のうろのような空洞の瞳に、三日月形の口元が弧を描いて笑う。

 切花の妖精と違うのは背に羽根の類がついてないことと、大きさが人間サイズということだけだ。

「久しぶりねえ」

 うっとりとした口調で話すそれは、何故だかエミリオを連想させた。

「久しぶり、みんな久しぶりだわ。イアン、トスカ、ミユキ………そしてテオドール、全てはこうなる運命だったのね」

「お前さんは………」

 俺が口を開くと、それは楽しそうに笑った。

「テオドール、いいえ違う、違うわ」

 踊るような足取りで俺に近づき、節くれだった腕を上げて、両の手で頬に触れた。

 目を合わせると、うろのような瞳に吸い込まれる錯覚に陥るが、身体が動かない。

 大きな、大きな波が頭の中に押し寄せる。


 彼女の瞳の奥に魅せられる。


 ああ、そうか。

 そうだった。


「久しぶりねえ、このできそこない」



 俺は、先程の彼女とまったく同じ口調で言った。

 弾かれたようにそれは笑った。

「ええ久しぶり。ユリアナ=メーステル、よく戻ったわね」

 驚いたわ、と楽しげな様子で俺の周りを回る。

「楽しそうね、あたしを恨んでいたのではないのかしら」

 俺の言葉に、ぴたりと動きを止めた。

「違うわ」

 それは真っ直ぐに俺を見て、こう言った。

「あなたを殺したのは、あたしじゃない」

「まさか………」

「エミリオよ」

 やはり、そうなのか。

「ああ、でもエミリオを責めないでね。あの子が悪かったんじゃないのよ。悪いのは………」

「あたしね」

 そういうこと、とそれは可笑しそうに笑った。

 やはり、エミリオ共々あたしを恨んでいるのではないか。

「あなたは………誰です?」

 それは私に向けた言葉だろうか、それともこのできそこないのことだろうか。

 何か恐ろしげなものを見るような目つきで、ミユキがこちらを見ていた。

 できそこないのユリアナは、笑いながら言った。

「あたし?あたしはユリアナ。

 枯れ木の亡霊、できそこない、ユリアナ=メーステルよ」

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