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さびてつなおんど  作者: ぽっぽ
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4.群青色の夢

 走るたびに、先導するエミリオの長いオレンジ色の髪が揺れる。

 俺はその目立つ色を頼りに後に続いて走った。

 そもそも生まれてこのかたあまり「全速力で走る」ということはしたことがないので、いまいち正しい走り方というのがよくわからない。

 だが、こうなったら見よう見まねだ。

 はやくも疲れてきた身体にむち打って、せめて遅れないようにと脚を動かす。


 エミリオはどうやら島の北側に向かっているようだった。

 紙束に載っていた地図を思い出し、頭の中に広げる。

 俺の記憶が正しければ、おそらくツアーの最後の地点に近い場所に向かっているのではないだろうか。


 ツアーといえば………と思考は別のところへ飛躍する。

 そういえば、三つ目の地点ではとうとうキーアイテムが見つかっていない。

 捜す以前にイアンの邪魔が入ったからだ。

 イアンは俺に対しても、ミユキに対しても不可思議なことばかりを言う。まるでな謎賭けをされている気分だ。

 奴はエミリオのフォローをした俺に「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」と返した。

 あれは一体どういう意味なのかは、わからない。

 俺達に「帰れ」と言ったことにも関係しているのだろうか。


 揺れる、オレンジ色の髪。


 その強烈な個性や外見から判断したら、エミリオはお世辞にも普通とは言えないがまあ俺やミユキに対してはよくしてくれている。

 昨晩不可解な様子はあったものの、普段のエミリオからはイアンがそれ程毛嫌いする理由というものが思いつかない。

 仲たがいした理由はトスカのことのほかには、島の開発における意見の食い違いもあると聞いたが、具体的にはどんなことなのだろう。

 そして、俺がそれを詳しく知った時どちらに非があると感じるのだろうか。


 気が付けば、前を走っているエミリオが心配そうにこちらをちらちらと見ている。

 俺の走る速度が遅いせいだろう。

 たんかを切って「行く」と言った以上、足手まといになる訳にはいかない。

 走るスピードを上げてエミリオの真横にやっとの思いで追いつくと、ふいに「止まって!」と片手で身体をぐいと後ろに押された。

 思わず反動でつんのめりそうになるが、かろうじてエミリオが支えてくれる。

「なンだよ急に………」

 息を切らせて顔を上げると、エミリオは真剣な面持で前方を見据えていた。

 その目線の先には何時の間にか、青白い林が一面に広がっていた。

 すぐ後ろを振り返れば、もはや見慣れてしまった極彩色の町並みの至る場所から陽気な音楽が聞こえてくる。

 前方と後方のまるで対照的な情景に、俺の感覚からますます現実味というものが薄れてゆく気がした。

「ここから先はあたしの後にぴったりくっついていて頂戴。それと………木々には絶対触れては駄目。取り返しのつかないことになるわ」

「………取り返しのつかないことっつーのは?」

 俺が尋ねるも、エミリオは答えず颯爽と林の中へ入って行ってしまう。

 その後ろ姿を慌てて追いかけ、とりあえず言われたとおりに触れるか触れないかの距離で彼の後に続いた。

 薄暗い林の中は木々のざわめく音で満たされ、先程まで居た陽気な音楽の流れる遊園地とはまるで隔絶された世界だ。

 俺は慎重に歩きながら、「触れてはいけない」と言われた周りの木々たちを観察する。

 細く、背の高い不思議な色合いの木だった。

 一見白樺のようにも見えるそれは、微かな光の下に晒された木肌の部分が銀色に輝いている。

 葉の色は白っぽい灰色で、森全体が青白く見えるのはおそらくこれのせいだろう。

 幹に写り込む葉陰と、銀色の木肌のコントラストがなんとも美しくその感触を触れて確かめたくなった。

 俺が吸い寄せられるように手を伸ばすと、木々のざわめきがぴたりと止み、代わりに微かな水音が頭の奥から響いてくる。

 心地良い水音は序々に大きくなり、まるで頭の中を大きな川が流れているような、そんな錯覚に陥った。

 水音はやがて囁くような声となって、不思議なことに俺に懸命に語りかけていた。

 そのひたむきな様子に必死に耳を傾けると、誰かの名前を呼んでいるようだったが、うまく聞き取れない。

 木に触れれば、触れることさえできれば………

 ヒュッ

 伸ばしかけた俺の腕を払いのけるように、何かが空を切った。

 これは………………エミリオの脚だ。

 そう思った瞬間、我に返った。

 木々のざわめく音がどっと耳の中へ戻ってくる。

 顔を上げ首を巡らせると、エミリオは片足を高々と上げたままの体制で俺を睨んでいた。

「………………エミリオ」

 酷く声が枯れていた。

 全身から汗が噴出し、心臓は早鐘のように鳴っている。

 俺の声を聞き、エミリオは安堵したようにゆっくりと脚を下ろした。

 普段足元を覆う服を着ているのでわからなかったが、彼は鉄製のブーツを履いていた。

 農作業をする人間は土を慣らす為に硬い靴を履く、という話をどこかで聞いたことがある。

 ヴァージニアの話によれば、エミリオは畑を持っているとのことなのですぐに合点がいったが、これでまともに蹴られたらひとたまりもないだろう。

「大丈夫?」

 まだ焦点の定まらない俺の顔を覗き込むようにしてエミリオが尋ねた。

「あぁ………すまねェ。俺は………」

 何度かかむりを振り、先ほどの奇妙な体験を説明しようとした矢先

「水音を聞いたのね」

 神妙そうな顔つきで言い、エミリオは目を伏せた。

「そうだ、水音っつーより、それ事態が話し声のような………あれが何だか知っているのか?」

「ええ………あれは木々の話し声。ここの木はね、呪われているの、ああやって話し掛けて、人を死に至らしめるのよ」

「何だって?」

 死に至らしめる?樹木がどうやって………?

「詳しく説明している暇はないの、ここに入っていったトスカが一刻も争う状態だってことはわかったでしょう。とにかく進みましょう」

 エミリオは有無を言わさず俺の腕を掴んだ。

 俺がうかつに木々に近づかない為の、強行手段だろう。

 先刻の罪悪感もあり、俺は大人しくエミリオに手を引かれたまま林の奥へと進んだ。


 しかし、何だってこんな危険な場所へトスカは来ようとしたんだ?

 呪われている、とエミリオは言ったが実際に「呪い」なんてものがこの世にあるのだろうか。

 カタコンベから来た俺には到底理解できない感覚だが、実際その呪いを体験してしまったのだからぞっとしない。

 遊園地にある施設の数々を未だ体験しているような、夢と現実の区別がつかないあやふやな気持ちが俺を支配していた。


 暫くして足元が急に砂利道になっていることに気付き、俺はぼんやりと顔を上げた。

 砂利の上には途切れ途切れの、赤茶色に錆びついたレールが転々と敷いてあり、途切れた部分を想像で補い、繋げると、更に林の奥へ続いているようだった。

 エミリオは俺の腕を掴む手にぐっと力を込め、レールを辿るように歩いてゆく。

 その時、またあの水音が微かに俺の頭の中に響いてきた。

 再び何かを囁いているようだが、それに耳を貸さないよう、俺は懸命に意識を閉ざす。

 だが、そんな努力も空しく水音はだんだんと大きくなり、途切れたレールの終着点にある錆付いた列車が目の前に姿を現した時には、頭が割れるくらいに音が押し寄せてきていた。

「トスカ………!」

 エミリオは悲鳴に近い叫びを上げると、俺の腕を離し列車の方へ一目散に駆け出した。

 俺は痛む頭を押さえつつ、おぼつかない足取りでエミリオの後を追い、列車へ乗り込む。

 そこにはーー

 信じられない光景が広がっていた。

 銀色に発光する木の枝が列車の床を突き破って生え、内部全体をびっしりと覆っている。

 いや、内部というよりはそこにある「何か」を包むように伸びているようだった。

 その何かというのは紛れもなく………

「トスカなのか?」

 包まれている、というよりは幹の下敷きになっていると表現したほうがはやいかもしれない。

 幾重にも重なる銀の幹の下から、細い腕だけがちらりと見えていた。

 俺の脳裏にふと「枯れ木の亡者」という言葉が過ぎる。


 ーーいます、この島にーー


 昨日、トスカから聞いた時は子供を怖がらせるためのつくり話かと思っていた。

 だが、もしトスカが見たという枯れ木の亡者がこれらの木々だとしたら?

 枯れ木というには程遠い程瑞々しい枝ではあるが、不気味な様子は亡者と呼ぶにはふさわしかった。

 だとしたら、洒落になっていない。

 エミリオが、必死に連なる幹を外からこじ開けようとしているが、それらはたわむ気配すら見せない。


 トスカを助けなくてはーー


 俺はふらつきながらも、エミリオを手伝おうと幹に手を伸ばした。


 ざ ざん


 頭の中に洪水が押し寄せる。

 その途端、列車内を覆っていた枝々が震えるように発光した。

 枝が、幹が、シュルシュルと音をたてて穴だらけの床を這い回り、やがて俺を見つけると腕や、身体に巻きついてゆく。

「テディ!」

「トスカを………」

 視線の先には、幹が移動したことでできた隙間からトスカの姿が見え隠れしていた。

 ぐったりと横たわり、その元もとの青白い顔からは生死すらも不明だったが、救出するようにとエミリオを促す。

 エミリオが幹の間からトスカの小さな身体を引っ張り、必死に呼びかけているのを見て、俺はふっと目を閉じた。


 ざ ざん ざ ざん


 津波のように、大量の水が何度も頭の中に押し寄せてきていた。

 幾重にも流れる支流が、やがて本流と合致する。

 本流は海に注ぎこまれ、大きな波となり、俺の頭の中にあるものを次々と探るようにさらっていった。

 そうだ、こいつらは俺の脳内を水の手で撫で、探っている 探りつくしている。


 ざん ざざん


 俺は水面にたゆたうように、全てをさらけ出した。

 ああ、そのなんと気分の良いことか。


 落ちてゆく 


 落ちてゆく 


 水底に 記憶の水底へと落ちてゆく

「まあ、こんな所で何をやっているの!」

 驚いたように声を上げたのは、俺だ。

 ぼんやりとした、記憶の水底。

 水の中で揺れるように、いつか見た光景が映し出される。

 沢山の種類の植物で覆われた温室のようなホール。

 中央に据えてある、植物の世話を自動的に行うメインコンピュータが微かな唸りをあげていた。

 その下に蹲る、蜜色の髪の、小さな子供。

 慌てたような表情でこちらを見ていた。

「ここへは入らないようにと言ったでしょう?」

 優しげな声色で言ったが、内心では息子のことが心配でしょうがなかった。


 息子。


 そうだ。この子供は俺の息子だ。

「ごめん、ママ。でも聞こえたんだ、俺のこと呼んでるんだよ」

「呼んでる?」

 はやくここから息子を連れ出さなくては。

 身体に有害なものも幾つか置いてあったはず。

「うん、ほら、ママにも聞こえねェ?きっとこいつだよ」

 息子が背後に隠していた小さな鉢植え………それはーー

「あなた、これを一体どうしたの?」

「そこにあった。枯れかけてたから水をあげたんだ、すぐに元気になったよ」

「これが、あなたを呼んでいるというの?」

「もう少しで会話もできそうなんだ、なあ、ママは何て言っていると思う?」


 水面が揺れ、期待で満ちた目でこちらを見つめる息子の顔が掻き消える。

 再び、水の中から浮き上がってきたのは別の光景だ。

 カラフルな子供部屋にある睡眠用の寝台で息子が横たわっている。

 時折辛そうに咳をして、顔も赤い。どうやら風邪をひいているようだ。

 息子にはありとあらゆる最新型の延命装置が埋め込んであるはずなのだが、この様子だと現在の延命学はいま一歩といったところだろうか。

 ただの風邪とはいえ、カタコンベでは命を左右しかねない。じゅうぶんに気をつけなくては。

 俺はだるそうにしている息子を起こし、少し何か食べたほうが、と声をかけながら運んできたポリッジを冷ましつつ、口元へ運ぶ。

 息子は最初はいやいやながら食べていたが、二口、三口と口にいれるうちに、美味しい、と呟いた。

「蜂蜜が入ってて、すごくおいしいよ、ママ」

 水面が揺れ、また別の場所が映し出される。

 熱いーー


 ごうごうと音をたてて、炎が辺りを嘗め尽くしていた。

 逃げようにも、身体の数箇所をナイフで刺され、もはや身動きすらできない。


 このまま死ぬのだ、と思った。


 一体私の何がいけなかったのだろう。


 何に対しても最善の結果になるようにやってきたつもりだ。


 どこで、何を間違えたのだろう。


 私はあれじゃない


 本物の私はここ


 私を見て


 あなたの側にいるでしょう


 ゆらめく炎の向こうで、息子が振り向く


 こちらを見て


 もう一度 もう一度だけ


 だが、ああ、忌々しいあのできそこないが、最後までそれを許さない

 できそこないの癖に、この私にたてをつくのだ

 許せない 許せない 何よりも、自分自身が許せない


 ざ ざん


 熱く、赤い、死の記憶は消え、再び大きな波が押し寄せた。

 囁くような声で、木々たちが名前を呼んでいる。


 ………リ………ア………


 ユ………………………


 バキッ


 叩き割るような音と共に、薄く目を開ける。

 ぐったりとしているトスカを両腕に抱え、エミリオが手当たり次第に辺りの木の幹を蹴り上げていた。

 俺はーー死に至らずに済んだのだろうか。

 意識がだんだんはっきりしてくると、胴や、腕を拘束していた木々たちが、序々に後退してゆき、戒めを解かれた俺はその場に膝をついた。

 エミリオが何事かと叫び、こちらへ駆け寄ってくる。

 耳の奥では、未だあの水音が絶え間なく鳴り響いていた。


 ねこあしのバスタブに湯をはり、トスカの半身を沈めた。

 体重が半分以下に減量している為、すぐに浮いてきてしまう。

 俺が必死にトスカの身体を抑えていると、ミユキがあとは任せて、と申し出てくれた。

 ありがたく俺はミユキと場所を交換する。こういうことはやはりやり慣れているミユキが適任だろう。

 エミリオが大きな鍋を持って厨房からやってきた。

 その匂いから察するに、例の”スープ”であることは明白だ。

「それ、入れるのか?」

 俺が尋ねるとエミリオは気休めにね、と苦笑した。

「栄養が含まれているから、湯船に入れても多少は効果があるはずよ」

 バスタブの淵から鍋の中身を注ぐと、例の消毒液のような香りが風呂場全体に広がる。

「良い香りですね、何が入っているのですか?」

 トスカの身体を丁寧に洗いながらミユキが尋ねる。

 良い香り、なのだろうか。俺にはさっぱり理解できないのだが………

 ミユキの発言にエミリオは驚いたようだった。

「ミユキくんはこの香り、平気なの?」

「平気、とは………?」

「テディが妙に嫌がるものだからてっきり………そうね、きっとテディがヘンなんだわ」

「ああ?」

 俺がエミリオを睨むと、鍋を持ったままそそくさと風呂場を退出してしまった。

「テオドールもそろそろ行かれては?レディに失礼ですよ」

「あー………そうだな」

 レディっつーか、まあトスカは子供なのだが、それでも身体がドロドロに汚れた彼女を誰が洗うかで、ついさっき話し合いになった。

 立つことが不可能なイアンは別として、他の動ける三人の中には生憎ながら女性が居ない。

 ヴァージニアに、という話も出たがわざわざ呼びたてることもない、というエミリオの配慮だ。

 恐らく事を大きくはしたくないのだろう。

 そこで考えあぐねたところ、ミユキなら職業柄子供の世話に長けているだろうし、まあ、見た目は子供だから、というアバウトな理由でミユキに任せることになった。

 俺達は小柄なミユキにできないことを補う為に途中まで手伝いをしてたっつー訳だ。

「ンじゃ、よろしくな」

 小さく頷いたミユキを背に、俺も風呂場から退出してレストランの厨房の一角にある食堂へと向かった。

 予想通り、食堂は気まずい雰囲気に包まれていた。

 部屋の片隅で、無言のまま車椅子に座っているイアン。

 エミリオは流し台で先ほどの鍋を黙々と洗っているようだった。

 食堂に入ってきた俺に気付いたのか、イアンは何か訴えかけるような視線をこちらに向けた。

「安心していいぜ。あれは、非常自己防衛機能が働いているだけだ」

 咄嗟にトスカの状態を報告すると、イアンは怪訝そうに片眉を吊り上げた。

「何を言っている?」

 そうか、恐らくイアンはソムニウムの状態について知らないのだろう。

 何から説明していいか暫く思案していると、洗い物をしながらエミリオが大声を張り上げた。

「そういえばテディ、身体の方は何ともないの?」

「ああ、お陰様でな………」


 あの後ーー

 あれだけ列車内を覆っていた木の枝々は後退するように蠢き俺を解放すると、それきりまったく動くことはなかった。

 俺の身体の方は、暫く耳鳴りのようなものはしていたがそれ以外は何ら支障がない。

 不思議なことに、トスカは非常自己防衛機能が働いてあの通りだが、俺の場合はそれすら作動しなかった。

 非常自己防衛機能『ソムニウム』は、脳で危険と判断した信号をキャッチして作動すると一般的には言われている。

 どの程度を「危険」と判断するかは個人ごとに設定されているようだが、流石にあの木の姿をした未知の生物を危険と判断しないのは少しおかしい。

 俺は、枝々に囚われている間のことをもう一度思い出す。

 なにか長い夢のようなものを延々と見ていた気がするが、それが何だったのかは覚えてない。

 思い出そうとすると、喜びと共に、いつかそれが終わってしまうという絶望的な悲しみが心を満たすのだった。


 その感情が、誰のものだかはわからないが………


 俺は、自分の中に潜んで居る見知らぬ人物の存在を打ち消すように、かむりを振った。


「あたし、テディに嘘をついたわ」

 帰り道、エミリオがぽつりとそう漏らした。

 俺はトスカを背負ったまま、彼の方は振り向かずにそうだろうな、と返した。

「この島の人間の死因についてだろ?おめェさんは確か、全員同じ死に方………壊死だっつたな」

「ええ………でも………」

 暫く、二人の間を沈黙が流れる。

 先に口を開いたのは、俺だった。

「なァ、あの木の化け物に捕らえられた人間は必ず死ぬのか?」

 エミリオは問いかけに答えず、悲しげに目を伏せた。

 沈黙が示す答えはただひとつ、か………

 だが、幸いなことにトスカはカタコンベの人間………『イシュタム』だ。

 俺の背にぐったりともたれ掛っている少女は、力のない俺が背負えるくらいだ………標準の子供より遥かに軽い。

 例え相手が未知の生物だとしても、『ソムニウム』が作動しているならば、とりあえず命に別状はないはずだ。

 ふと、無意識に『イシュタム』の技術に頼ろうとしている自分に思わず自虐的な笑みがこぼれる。

 逃げ出したとはいえ、所詮は俺もカタコンベの人間なのだ。

 話を戻そう。

 エミリオが話し掛けてきたお陰で、イアンとの会話が断ち切れになってしまった。

「そうそう、トスカのことな」

 俺が場を仕切りなおそうとすると、イアンはふいと視線を逸らした。

「ああ、トスカのことは宜しく頼む」

「へ?ああ、そうじゃねェ………いや、宜しく頼まれはするけどよ。なんつーか」

『ソムニウム』の説明をしたかったんだが………

 そう言う間もなく、イアンは視線を逸らしたままレストランから立ち去ろうと車椅子の車輪を回した。

「おいおい、帰るのかよ」

 俺の問いには答えずに扉の方へ向かうイアンを横目で追いつつ、ため息を吐く。

 まったく、相変わらずつかみどころのないヤツだ。

 第一、あんなにエミリオを毛嫌いしていたはずなのにトスカを預けても何とも思わないのか。

 それとも俺が居るから………?

 まさか

 今日昨日初対面の俺に気を許すような相手ではなことは重々承知している。

「テオドール」

 イアンとすれ違い様、突然耳元で囁くように呼びかけられた。


「今夜中にトスカを連れて逃げろ」


 は………?今何て………

 慌てて振り向くも、すでにイアンはレストランを後にしていた。

 リン、という鈴の音と共にゆっくり扉が閉まる。

 後に残されたのは途方に暮れて立ち尽くす俺と、呑気に鼻歌を歌いながら料理を作り始めたエミリオだけだ。

「あら、イアンは帰っちゃったのね?」

 今更気付いたのか、エミリオは用意しようとしていた料理を食べてくれる人数が減ったことに不服を述べる。

 俺はさっきのイアンの言葉が引っかかっていて、暫く何も言えずにいた。

「テオドール、ちょっと」

 その時、浴室の方からミユキの声がした。

「申し訳ないのですが、バスタブから彼女をあげるのを手伝って下さい」

「あ、ああ………わかった」

 そうだ、こんな時はミユキに相談するのが一番だろう。

 案の定、自分も手伝うとエミリオが申し出たが、今の話をエミリオには聞かせたくなかった。

 腹が減ったから早く飯を作ってくれ、と念を押して食堂を後にする。

 再び湯気の立ち上る浴室へ入ると、ミユキは何やら真剣な面持ちで、眠るトスカの身体を見ていた。

「あーー………と」

 この状況はなんだか気まずい。

「ああ、来ましたね」

 入って、と至って冷静に俺を促すミユキの声は緊張をはらんでいた。

 ん、何かあったのだろうか………

「どうした」

 俺が尋ねると、シッとミユキは唇に人差し指を当てた。

「これを見て下さい」

 ミユキは小声で言うと、馴れた手つきでトスカのふたつに結ったお下げをかき上げ、小さな背中を曝した。

 子供といえど、女の子の裸をまじまじと見るのは少し罪悪感があるが、言われたとおりに顔を近づける。

「あ………………」

 思わず叫びそうになるのを、ミユキの手が塞ぐ。

 俺はぐっと声を落として囁いた。

「「刻印」がねェな………」

 カタコンベに住む延命手術および非常自己防衛機能『ソムニウム』を施された者は、必ず手術をした研究機関の刻印が背に押されることになっている。

 この「刻印」があることによって体内で機器に不都合が起きたとしても、死ぬまでサポートが受けられる、いわゆる保障のようなものだ。

 それが、トスカの背にはない。

「他の場所も探しましたが、何処にも見当たりません」

 刻印は基本的に背に押すことが義務づけられているが、たまに本人の希望で他の場所に押す場合もある。

 だが、それすらないということは………

「ヤミ機関だったんじゃねェ?」

 貧しいアフ・プチ達が手術を行うような場所は、大抵「ヤミ機関」と呼ばれ専門にその道を学んだことのない人間が見よう見真似でやっていることが多い。

 医者や研究員の免許のない者が延命手術をするのは硬く禁じられているので、彼らは何より身バレするのを恐れている。

 ゆえに、刻印が押されることもないのでアフ・プチ………つまり地上に住む人間に刻印は殆ど存在しない。

「トスカはアフ・プチだったのか?」

「まさか、ヤミ機関にここまで完璧な手術はできませんよ」

「なら一体………」

 ミユキは暫く返答に困ったように視線を彷徨わせた。

「エミリオ様は、トスカ様が本当にカタコンベの人間だと、そうおっしゃったのですか?」

「言ってたぜ?」

 そうですか、と呟いたミユキは意を決したように小さく息を吸い込んだ。

「はっきり言いましょう、現在のトスカ様の状態は『ソムニウム』ではありません」

「は!?でも………」

 声が大きいです、とミユキ。

 とりあえずエミリオに怪しまれないようにトスカの身体を拭くようにと言われ、俺は慌てて小さなトスカの身体をバスタブの横に敷かれたタオルの上に横たえた。

「一見、状態は大変似ていますが………『ソムニウム』は言ってみるならば肉体の活動を一時的に凍結するようなものです。なので外部からの刺激に一切反応がない」

 しかし、とミユキは続ける。

「トスカ様の場合、微かに反応があるのです」

 ホラ、とミユキがトスカの目の前に手を翳してみせると、閉じていた瞼がほんの少しピクリと動いた。

「………………本当だ」

「我々の知らない技術で手術を施されたのか………あるいは」

 と、ここでミユキが言葉を切った。

 俺はトスカに服を着せつつ、次の言葉を待つ。

「イアン様が妙なことを言っていました………トスカ様を危険な目に遭わせたのは、エミリオ自身だと」

「まさか………エミリオはトスカのことを心配して………」

 と、ここで俺はミユキの言葉の真意に気付く。

「それも、自作自演だっつーのか?」

 ミユキは重々しく頷いた。


 ーーしかし、一体何を根拠にイアンはそんなことを?


 俺の問いかけに、わかりません、とミユキは首を振る。

「イアンっつー男は俺も良くは知らないんだが、エミリオのことを妙に毛嫌いしてンだよ。単に被害妄想じゃねェの?」

「火のない処に煙は立たない、という言葉を知っていますか」

 俺は言葉に詰まる。

 どうしたというのだろう、このことに関してはミユキがやけに真剣だ。

 そういえば俺とエミリオがトスカを救出して帰ってきた時、『招かれざる客』で待っていたミユキとイアンの間に妙な空気が流れていた。

 あの時、きっとイアンに何か言われたに違いない。

 普段冷静なミユキを動揺させるくらいの、衝撃的なことを

 だが、もしそうだとしてもトスカを危険な目に遭わせることによってエミリオに何のメリットがあるのか皆目検討がつかない。

 そして、トスカが『ソムニウム』ではないとしたら今のこの、意識のない状態はなんなのだろうか。

 万が一、命に関わる危険な状態だとしたら………

 急に心配になった俺は、先程のイアンの言葉をもう一度思い出す。

「さっき、イアンは俺にトスカを連れて今夜中にここから出ろと言ったんだ」

「………そうですか。確かにあの様子だと、言いそうではありますね」

「なあ、ミユキ、俺は誰を信じたらいい?」

 ミユキは答えず、目をひとつ瞬かせた。

「自分の意思で決める、今朝そう決心したばかりでは?」


 ああ、そうだ、そうだった。


 俺は、他の誰でもなく俺自身の意見に従う。

 信じる信じないも、俺の自由だ。

 そうすることで、普通の人間のように自我を持つことができる。

 腕の中で未だ昏々と眠り続けるトスカを、強く胸元に引き寄せた。

 夕飯には、エミリオ特製のポリッジが振舞われた。

 入っているのは蜂蜜と、ごろっとしたくるみだ。これがなかなかいける。

 俺とミユキは先ほどの会話はまるでなかったように振る舞い、エミリオの料理をしきりに誉めていた。

 ミユキに至っては俺の苦手な香りのする、あのスープさえも美味そうに飲んでいる。

「今日は食材を取りに行けなかったから………店はお休みね。ありもので作ったのに、そんなに喜んでもらえて嬉しいわ」

 夕日色の瞳を細め、微笑むエミリオ。

 彼を信用することは容易い。

 容易いぶん、疑うことのなんと難しいことか。

 複雑な思いを抱えながら食堂のソファの上で眠るトスカを横目に、俺はスプーンを口に運んだ。

 ミユキはエミリオからトスカや、俺を襲った木々の化け物について聞き出そうとしていた。

「イアン様は、お二人がトスカ様を救出に向かった場所を「墓場」と言っていました。何故です?」

「それは………今まで、あの場所で犠牲者が沢山出たからだと思うわ。だから、今やあの辺りは立ち入り禁止区域になっているけれども」

 立ち入り禁止区域だって………?

 遊園地の中にひっそりと紛れ込んでいたあの林は、立ち入り禁止というよりも、一見何かのアトラクションの一環にすら見えたが。

「しかしなんだッて、トスカはそんな場所へ………?」

「それがわからないわ。ただ………」

「『ただ?』」

 俺とミユキの言葉がハモる。

「テディも経験したでしょう、あの木々は何故だか人を寄せ付ける力があるのよ。人を寄せ付け、幸福な夢や、時には悪夢も見せる。それに長く囚われすぎると永遠にそこから抜け出せなくなるの」

 出口のない迷路みたいに、とエミリオが呟く。

 その迷路から永遠に抜け出せず、終いには衰弱して死ぬのか………。

 トスカが側で眠る手前、それはあえて誰もが口にしなかった。

「そもそも、その化け物のような木とは何なのですか?」

「………ある日突然、あの列車の遊具がある場所に生えたのよ。初めは数本だったけれど、物凄いスピードで増え、あっという間にちょっとした林のようになった。まるで、列車を待つ人たちのように規則正しく並んで………」

 確かに、あの不思議な色をした木々たちは不気味な程に規則正しく並んでいた。

 苛立ちや、怒りもなく、ただ静かにじっと何かを待つ………そう、まるで人間のように。

「枯れ木の亡者、とか言ってたな」

 俺の言葉に、ぴくりとエミリオが反応した。

 顔を上げ、何時になく真剣な眼差しでこちらを見る。

「誰が言ってたのかしら?」

「ン?確かトスカが………この島に居るとかなんとかで」

 あれのことだろ?と俺が尋ねるも、エミリオは何も答えなかった。

 何か考え事をするように、食卓の上に視線を落としている。俺は、何かまずいことでも言ったのだろうか。

 場を取り繕うように、皿の底に残っている冷めたポリッジをスプーンで掬い、これは本当にうまいな、と褒めた。

「確か、俺も昔作ったよな。蜂蜜入りのヤツ」

 隣で怪訝そうにエミリオの様子を伺っているミユキへ話題を振る。

「何をですか?」

 ミユキはぱっと興味の対象を俺に向け、小首を傾げた。

「だからミユキに作っただろ?蜂蜜入りのポリッジ」

「何時の話です?」

「ミユキ、風邪ひいたじゃねェか。それで何も食べられないっつーから………」


 ん、ちょっと待てよ。

 そもそも、俺が料理なんてできるはずがない。

 ついでに言えば、ミユキが風邪などひく訳がないのだ。

「………それは、誰の記憶ですか」

「あ………」

 なんてこった………まったく、全然、気付かないうちに、少しづつ記憶がすりかえられている。

 俺ではない、誰かの記憶が、確実に、少しづつ………

「ああ、ああ、俺は………でも、それでも自我を持つために………」

「ええ、わかっています。わかってますよ」

 悲痛に満ちた表情で、ミユキが俺の肩を叩く。

 しっかりして下さい、と励ます声が今は心の奥に届かない。

「テディ、大丈夫?具合でも悪いのかしら………」

 エミリオが心配そうに俺の顔を覗きこんだ。



 ああ、その顔!そうやって何時もあたしのことを遠慮がちに見るのだ。

 本音を瞳の奥に隠し、言葉を飲み込んでしまう。


 飲み込み、あふれそうになった言葉を、涙と共に奴らに吐露すれば、それはそれは素晴らしい………


「やっぱり、テディも『列車』で何か………」

 遠慮がちに触れようとする、エミリオの手を乱暴に払い退ける。

 頭が割れるように痛い………。

 喚きながらおぼつかない足取りで立ち上がり、終いには胃の中のものを全て床にぶちまけた。

 エミリオが驚き、竦み、ミユキが駆け寄るのと同時に俺はゆっくりと床に崩れ落ちる。

 ああ

 このまま死ぬことができたら、どんなに幸せだろう………


気がつくと、眩しいくらいに明るく、きらきらと光る水の中を漂っていた。

 さっきまでの頭痛は嘘のように晴れ、とても気分がいい。

「テディ。」

 こんな場所で声をかけてきたのは…なんと、トスカだ。

 先ほどまでは死人のようにぐったりとしていたのに、驚いたことに目の前のトスカは俺と同じように水の中を漂っている。

 そして、今更ながら水中でも呼吸ができていることに気付く。

「そうか、これは夢なのか?」

「そう です たぶん」

 トスカはよくわからない、といった風に首を傾げた。

 俺自身がわからないのだから、当然の反応だろう。

 何せ、ここは俺の夢の中なのだから。

 だが、トスカは意外なことを言った。

「わかりません ゆめというものが だから ここがそうだとはいえませんが はっきりとは」

「夢を知らねェ?何故だ?」

「ゆめを見ません わたしたちは」

 私…達?

 トスカが、足元を見下ろした、その先には…。

「う…わ…」

 「列車」があった林によく似た、木の群生が水底一面に生えていた。

 よく見ると、そのうちの木の一本から不自然に長い長い枝が伸びている。

 それを目で辿ってゆき、俺は思わず叫び声を上げた。

「トスカ…その脚は!」

「はい。」

 長い枝は、トスカの脚と一体化…いや、トスカの脚そのものになっていた。

 枝は途中で二本に分かれ、トスカの着ている白いワンピースの中へ続いている。

 まるで、もち手を縛られた風船のように足元を戒められ、トスカは水の中を漂っている。

「わたし たちです おなじです わたしも、木々たちも」

「待て、一体どういうことだよ?」

「ツアーを やりましたね テディは」

 ああ、と俺は答える。

 最も、最後まではやりきっていないが…

「そういうことです つまり」

「わかるように説明してくれ…」

 子供相手にムキにはなりたくはないが、どうもこの島の住人は核心をぼかして話をする癖があるらしい。

 それはトスカも、イアンも、エミリオさえも同じだ。

「ないです じかんが あまり」

 トスカは困ったような顔をした。

 長い、二本のおさげ髪が水中に揺れる。

「俺の夢の中なのにか?」

 自分の夢さえも意のままにならないとは…俺は苛立ちを隠せなかった。

「めがさめるからです もうすぐ」

 ああ、そういうことなのか、と素直に納得してしまったが何かがおかしい。

「はなします てみじかに」

 ええと、とトスカは暫く黙り込み自分の中で言葉を纏めているようだった。

「まず へいきです わたしは たすけられました ヴァージニアに」

 ヴァージニア?何故ここでヴァージニアが出てくるのだろう、俺にはさっぱりだった。

「でも おこらないでください エミリオを かわいそうな ひとです…」

「何だッて?やっぱりエミリオがお前さんを…!」

 トスカは悲しそうな顔をしたまま、何も答えなかった。

「テディ 協力してください テディの中に居るもう一人の…ユリアナと」

「…ユリアナ?俺の中に居るヤツの名前はユリアナっつーのか?」

 こくりとトスカが頷く。

 だが、何故トスカがそんなことを知ってるんだ…?

 俺の出生については、この島ではミユキしか知らないはず。

「わすれないでください 窓辺の花を」

 ゆらり、とトスカの姿が揺らいだ。

 この光景は何処かで見たことがある。

 確か「列車」で木々に捕らえられたときに見た夢の中でだ。

「さよなら テディ 還ります わたしは」

「待て、トスカ…!」

 揺らぎ、水中に溶けてゆくトスカに向かって手を伸ばす。

 だが、掴めない。いくら望んでも、水を手の中に留めておくことはできないのだ。


「だいじょうぶ これで しあわせ でも…」


「でも?」

「のりたかった いっしょ に」


「トスカ!!」

その時、トスカの姿が大きく揺らぎ、水が霧散した。


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