8.六人目と銀色
夕暮れ
石畳、建物、観覧車、そして、海岸に佇む全てのさびてつなおんどたちの顔をオレンジ色の夕日が照らす。
空と海の境界に沈む夕日と同じ目の色をした男は、かつて怪物と呼ばれた人間の亡骸を海に沈めた。
日が落ちてしまえば、いずれ海は空を呪うかのように波の牙を剥く。
そうなる前に。
まだ、海の色が彼の瞳と同じ色をしている時間に、怪物を、自分の母親を弔わなければならない。
ざぶん
海に落ちた怪物は、穏やかな水の流れに身を任せ、さざ波の音を聞きながらとても懐かしい気持ちになっていた。
波の音は、母親の胎内に居た時の音に似ているという。
もしかしたら、彼女の遠い昔の記憶を呼び起こしてくれているのかもしれない。
これで、ユリアナ・メーステルはやっと死ぬことができるのだ。
「あたしはね」
波に攫われてゆく母親の亡骸を目で追いながら、エミリオは誰に言う訳でもなく呟いた。
「夕日のようになりたかったの。
一日を終えて家路に着く頃に、優しく世界を包む。
そんな、皆の夕日になりたかったのよ」
肩まで短く切りそろえられたオレンジ色の髪を風が揺らす。
「それなのに、いつから間違えてしまったんでしょうね」
ユリアナ・メーステルの亡骸はもうとっくに見えなくなってしまっていた。
エミリオは目を伏せ、取り戻せない時間を悔やんでそっと涙を零す。
「後ろを向いて、エミリオ」
ユリアナ・メーステルの代わりに造られた花が、まるで本当の母親のように優しく語りかけた。
エミリオが首を巡らせると、海岸には島中のさびてつなおんど達が集まっていた。
かつてまだ種が豊富にあった頃、その「育て親」となるべく人間が海岸に流れ着くのを待つ時のように、島中の植物が一堂に会していた。
「見ろ。皆五体満足だぞ」
ヴァージニアがドレスの裾を摘み、代表するように前へ進み出る。
ぎんいろのユリアナ、イアン、ミユキ、島の住人達………そして、幼い姿のエミリオ。
誰もが、人間となにひとつ変わらない姿でそこに居た。
「テオドールに免じて、今一度貴様を信じよう」
イアンが肩を竦め、車椅子は必要ないと言わんばかりに己の脚を示した。
「おれは………」
視線を彷徨わせ、エミリオと目を合わせようとしないミユキ。
「テオドールの、最後の望みですから」
俺も、と幼い姿のエミリオがポツリと呟く。
「まーあの人が言うからよォ、しょうがねェもん。お前が俺の育て親だぜ」
全員の顔を眺め、目をひとつ瞬かせるとエミリオはふふ、と声にだして笑った。
「なによ、結局皆テディなんじゃない。でも………」
でもと口篭り、泣きそうな笑顔でエミリオは言った。
「あたしを許してくれて………ありがとう」
ぎんいろのユリアナが、そっとエミリオの肩に手を乗せる。
「ユリアナ・メーステルでありながら、そうではない別の誰か………テオドール。
本当に不思議な子だったわ」
「おれの造った幻想にすぎなかったのではないかと、思うことがあります」
躊躇いがちにミユキが言う。
「ですが、ここに居る全員の中に確かにテオドールは存在していた。それはおれにとって、かけがえのない事実です」
「アナタは、さびてつなおんどらしくないわね」
エミリオが不思議そうに言い、勿論いい意味でよ、と付け加えた。
「前の育て親をも想う気持ち………大抵のさびてつなおんどは忘れてしまうけれど。統率者の資格があるってこういうことを言うのね。『ユリアナ・メーステル』と「統率者」の二人組………思えばこれに勝てる訳がないんだわ」
せめて、と口篭るように呟く。
「『この島の住人』としてテオドールを迎えることができたら。ユリアナ・メーステルではなく、テオドール個人として。今のあたしなら………………………もしかしたら………」
もしかしたら種を、と呟くエミリオの意図を察したぎんいろのユリアナは、眉根を寄せた。
その表情を見たか否か、ゆっくり首を振る。
「さびてつなおんど達の気持ちはよくわかってるわ、自分がそうであると………いえ、そうなりたいと思っていたから。なりたいと思う反面、自分が真に望まれた存在でないことに苦しむの」
そうだ、とイアン相槌を打つ。
幼いエミリオの姿をした産まれたばかりの花は、話をよく理解していない様子で、退屈そうに欠伸をしていた。
「あたしは皆が大事よ、でも………花は生まれた以上己の存在に疑問を持ちながら生きなければならない。喜びは分かち合うけれど、あなたたちが苦しみを分かち合っても意味がない。これ以上、『列車』を待ち続ける花を増やしたくはないのよ」
ミユキくん、と夕日色の海を背にしてエミリオが振り向いた。
空と同じ色をした瞳がふたつ、ミユキの姿を写して揺らめく。
「やっぱり、これ返すわ」
エミリオが取り出したガラス製のティーカップから、カランという金属がぶつかるような音がした。
刹那、今まで静かだった海岸が風にざわめく木々のごとく騒がしくなった。
ティーカップを傾けると、穴の空いた底から小石程の大きさの銀色の「種」が滑り落ちる。
「それは………!」
驚愕の表情で叫ぶヴァージニアを宥めるように、エミリオは微笑む。
「招かれざる客に選ばれた者には慰めを。三つの鍵を手に入れ、タングステンで自らが銀幕の主役となった時、慰めの種は花開く。それが元来ツアーの趣旨」
この島に辿り着いた者は、「切花の妖精の物語」が描かれたツアーを経て、最後に辿り着いたタングステンへの鍵となる種を必ず育てなければならない。
いままで、エミリオはそうやって島の人口を増やしていった。
「『テオドール』の『さびてつなおんど』を咲かせてほしいのね?」
「………………………………」
ミユキは無言だった。
ヴァージニアが何か言おうとしたが、エミリオが制する。
「種はこれで本当に最後なの。だからミユキくん、あなたが大切に持っていて」
「おれには必要ありません。だいいち、さびてつなおんどのおれには、育てられませんから」
タングステンの門から、ミユキがわざわざ種を持ってきたその意味をこの場に居る誰もが理解し、心で嘆いていた。
しかし、エミリオの決心は揺らぐことはない。
「ええ、だから本当に………本当に、必要になったらあたしに渡してくれればいいわ」
つまり、今は必要がないということだ。
ミユキは目を伏せ、エミリオから種を受け取った。
元あった場所に返そうと思い、ふとした疑問が脳裏を過ぎる。
その場所とは、どこだろう。
ツアーの出発点、「王様の夜話」はこれが「置かれていた」場所だ。
「元」とは一体………「種」は何処から来て、何処へ行けばいいのだろう。
夕日の空の下で、花たちのわらいごえが響く
種は人になりたかった
人は種になりたかった
親は子供になりたくて
子供は親になろうとした
そして子供はーー
何よりも夕日になりたかった
生と死の天井を彷徨いながら、夕日色の観覧車は廻る
今は優しく眠い、黄蘗の朱の中
銀色に輝け
さびてつなおんど




