堕落への道
十二月十二日。月曜日。
僕が得た情報を整理すると、ボランティアの人たちは、曜日で来る日が決まっているらしい。
とするならば、由紀ちゃんが来てくれた次の日、月曜日は洋介が来るのだろう。
僕は目を覚まして直ぐに、リビングに向かった。
昨日までの深夜の儀式をするためだ。以前は、出かける時にしていた儀式をするため。
シャワー、洗顔、歯磨き、着替えだ。元深夜の儀式は少しパワーアップし、髭も剃った。
ついでに、伸びきっていた髪もバルカンで剃った。
更についでに、久しぶりにリビングでご飯も食べた。
そう言えば、最後にトイレ以外で、両親が起きている時間に部屋を出たのは、一年以上前だったと思う。
それは、母親の前でご飯を食べるのも、一年以上のブランクがあると言う事でもある。
僕は母親。
いや、母ちゃんと呼ぶべきだ。久しぶりにちゃんと見る母ちゃんは、依然として丸い体系なのだけど、僕の知っている姿よりずっと痩せていた。
母ちゃんに、オハヨウと言った。泣きだした母ちゃんを見て、胸が痛くなった。
元深夜の儀式を終え、僕は部屋に戻った。
洋介が来るまでに掃除をしなくちゃいけない。
掃除をしていると、見逃せない部屋の欠点を見つけた。
僕の部屋には、ベッドと机とタンスしかない。後は、時計やカレンダーなど、母ちゃんが少しでも人らしくなって欲しい、と勝手に置いていった小物ぐらいだ。
そう。僕の部屋の椅子は、机とセットの物が一つあるだけなのだ。
客人を迎えるために、リビングから一つ借りてきた。
そして、僕は部屋に戻り、椅子に座って、時が来るのを待っていた。
ベッドの外で客人を待つのは、何年ぶりだろう。
緊張する。
しばらくすると、呼び鈴が鳴った。多分、洋介だ。
時計は九時少し前だった。
心臓が破裂しそうだ。
僕は、呼び鈴に答えようとしていた母親を静止しながら、玄関へと向かう。
ドアを開けると、やっぱり洋介が現れた。
ヤンキーファションじゃない。
スーツだ。
でも、彼が着ると不良少年が、ついにヤクザになってしまったみたいだった。きっと、スーツに茶色のロンゲという組み合わせのせいだろう。
とかぼんやりしてる場合じゃない。
僕は、由紀ちゃんからの宿題を実行した。
おはようも言うんだ!
「おひゃよう……、えっと、ございます」
声が裏返った。
しかも、洋介は年上だからと、敬語を使うことを思いついたのは、喋ってる途中だったため、妙な間も出来てしまった。
対して洋介は、玄関から出てきたのが、母ちゃんではなくて僕だった事に、目を大きく開いて驚いていたが、すぐに西洋人の様なオーバーリアクションで喜んでいる。日常生活でガッツポーズをする人っているんだな。
「おはよう!」
カラカラと笑いながら、嬉しそうに抱きついて来た。弥生さんか由紀ちゃんだったら、良かったのに。なんて何とも許しがたい事を思ってしまった自分が、実に情けなかった。
僕の中に、エロ魔人が居座ろうとしている事にショックを受けながらも、彼を部屋まで案内し、迎え入れた。
そして、言葉は出せずに、無言で用意した椅子を指差した。
「おぉ。サンキュ~な」
そして、彼が座ったのを確認して、僕も向かい合うように椅子に座った。
何故だろう。
「髪切ったんだな。似合ってるぞ!」
と感想を述べたっきり、洋介は喋ろうとしない。
僕が喋るのを待っているのか?
どうしよう。
そこまで考えてなかったぞ。
挨拶を言う偉業を成し遂げることだけで精一杯だったんだ。
だけど、洋介も僕がベッドの外にいるのが想定外だっただけかもしれない。
などと、頭の中では一人で会議してみるも、結局、僕は何も話すことは出来なかった。
そして、洋介は表情は笑っていたけれど、先週得た軽口なイメージとは全然違う、とても真面目な口調で話し始めた。
「さてと、いっつも何してるんだ?」
「え? えっと、寝てる」
「ん? ずっとか? ずっと寝て過ごすの?」
「そうだよ。です」
「そうか……。じゃあ、早速、宿題だな」
ボランティアと名乗る彼ら三人が、どのような情報を共有しているのかは知らないが、宿題は確かなブームになっている。
「寝る時以外はベッド禁止!」
「でも、することが……」
「そうなんだよな~。テレビとか無いのか?」
「片付けた。……僕は楽しむ資格ないから」
この前は、壁を見つめていたので見れなかったけど、洋介はカラカラと笑い続けているようで、時折悲しい顔になっていた。
きっと、表情を隠せない人なんだろう。笑顔で隠しているつもりでも、つい僕への悲しみの表情がこぼれ落ちしまっているんだろうな。そう感じた。
「じゃあ。家には余ってるテレビがあるんだな」
「多分」
「ジョイステとUIIとYボックス。この中だとどれが好きだ?」
「ジョイステはやったことある。でも、他のはない。です」
僕は気のきかない、面白くない事しか言えてないのに、洋介は「そっかそっか」と嬉しそうに頷いている。
そう言えば、昨日の由紀ちゃんの宿題でも好きなゲームとかテレビとかの質問があったな。答えは無いと書いた。
「ところで、外に出なくなったのは、いつからなんだ?」
「中学二年生? 多分。でも、時々は学校に行ってたです。ずっと行かなくなったのは、三年生の夏休みから。です」
「へ~。卒業は出来たのかな?」
「多分……。郵便が来てたみたい。です。卒業アルバム」
「そうかそうか。じゃあ、大検とかいいかもよ? 今の時代だからこそ、学歴は大事だったり? 俺は高校中退だけどな!」
独り言から会話に進化したせいなのか、耳をふさぎたくなるほどの大きな笑い声だ。
それよりも、心配から来ているとわかっていても、逃げてちゃいけないとわかっていても、現実の話は嫌だな。
月曜日の朝からボランティア活動に勤しんでいるチンピラに、ささやかな復讐をする事にした。
「洋介さんは?」
「高校中退だって」
直人の攻撃!
洋介は無傷のようだ。
洋介は不思議そうに直人を見つめている。
直人は、何事も無かったように攻撃をやり直した!
「いえ、お仕事は?」
「そういうことね」
「何ですか?」
最後まで言い切れなかったが、今度は通じたようだ。
「営業だよ。これほど、結果が見える仕事って無いと思うぞ。短気な俺にぴったりだ。あ、製造業とかも結果が見れるかも。いや、あれはいくつもの工程に分かれるからな~。下手したら自分が何を作ってるかもわからないかもよ」
僕は勝手な先入観だが、きっと洋介は違法なものを売ってるに違いない。そう思った。
「趣味はなんですか?」
僕は危険な話にならないように、話題を変えてしまった。
「そうだな。最近は、仕事が楽しくなってきたかな。こう見えて、営業のエースなんだぞ」
「へ~」
「もっと最近の趣味は、直人と話す事だったりするかもよ」
軽口な彼は、嘘っぽい事を言った。
今日初めて喋ったのに、僕と話すのが趣味なのかよ。
それでも、僕は男に口説かれて顔が赤くなってしまった。
それからも、殆どは僕への質問たっだたのだが、それでも会話と呼べる時間を過ごした。
だらだらと、質疑応答みたいな会話していたけれど、時計が正午近くを指した時、お別れの時間はやってきた。
「でも、今日は本当に嬉しかったよ……。さてと、一度帰るわ」
「はい」
「宿題パート二!」
急に大声を出されて、ビクッと身体が反応した。
「俺と話す時は、敬語はなし!」
「はい」
彼は、口の前で指を振りながら、笑顔でこう言った。
「なしなし!」
しばらくの沈黙。だから、了解したよ?
僕が理解できてない事に気づいてくれたらしく、補足の説明をしてくれた。
「『はい』も敬語だって」
豪快な笑い声と共に背中を数回叩かれる。いや、手加減してくれよ。自分の怪力を自覚してよ。相当痛いぞ。
僕はちょっと膨れながらも、答えた。
「うん」
「よし! じゃあな」
「はい。じゃなくて、うん。さようなら」
僕は洋介の背中を見送った。
部屋から出て行った彼は、母ちゃんと何か話しているみたいだったけれど、きっと僕が聞くべき話じゃないのだろうと思い、気にしないことにした。
えっと、今度来てくれるのは弥生さんで、土曜日か。
……暇だな。
僕はベッドにもぐりこんだ。こんなに、寂しい気持ちは久しぶりだった。
一人になった僕は、いつものように壁を見続けながら時間を潰していた。
でも、いつものようでいて、全然違う。
最近の僕は、由紀ちゃんや洋介や弥生さんのことを考え、楽しく時間を潰していた。
洋介が帰ってから、一時間ぐらいの後。
平和が訪れたはずの僕の部屋に雷が落ちた。
「こら! 宿題パート一!」
洋介が来やがった。一日に二度も訪問するなんて……。
でも、嬉しかった。
と言うか、軽くパニックで何も理解できない。
洋介は僕が何かアクションを起こすのを待っていたみたいだけれど、直ぐに痺れを切らした。
「だから、ベッド禁止だろ」
そっか。そんな宿題が出ていた。
僕は慌ててベッドから飛び出す。
僕の居場所はベッドしかない。そんな生活が長かったから、無意識のうちに定位置に移動していた。
「まぁ、何も無いからな~。修行僧みたいに瞑想するしかないだろうし……。今回はおまけな」
そう言った洋介は、なにやら大きな紙袋を持っていた。
「じゃじゃん! ジョイステ3だ。テレビも、まだあるらしいぞ。お母様に聞いた」
何が起きているのかわからず、呆けている僕を無視して、洋介はテレビやゲームの接続をしている。
「ジョイステ3。凄いぞ。画面が超ヤベーんだって。見たことあるか?」
「ない。持ってたの昔のだった。ジョイステ2」
「そうかそうか」
洋介は、嬉しそうに頷いていた。
「じゃあ、後は若いもんに任せてっと。今度こそ、さらばじゃ!」
若いもんって、ジョイステ3って若いの?
と僕は悩んだ。
それより、洋介が部屋から出て行くのを見て、言わなくちゃと思った。
「あ、さようなら」
「おぉ! さようなら」
洋介は台風のように現れ部屋を改造して消えて行った。
本当はお礼を言いたかったけれど、言い慣れてない『ありがとう』は上手く僕から出てこなかった。
今度こそ静かになった部屋で、僕は恐る恐るゲームの電源を入れた。
最初は緊張したけれど、直ぐに夢中になった。
久しぶりのゲームは、刺激的で、僕の脳内麻薬を出し惜しみする事なく放出した。
僕が遊んでもいいのだろうか? そんな罪悪感すら消し去ってしまうほどに興奮させられた。