二回目の日曜日
十二月十一日。日曜日。
朝早く、家の呼び鈴がなった。時計を見ると九時少し前だった。
僕はベッドの上で、掛け布団にもぐりながら、恐らくこの部屋に来るだろう客人を待っていた。
掛け布団の中に逃げ込むのは、この部屋に人が来るのが怖くて嫌だからのはずなのに、嬉しい自分がいた。
弥生さんの予告通りならば、由紀ちゃんが来るはずなんだ。
緊張する……。
ノックとともに部屋に入ってくる、一つの気配を感じた。
彼女は優しく、静かに挨拶してくれた。
「おはよう」
その声は、やっぱり由紀ちゃんの物だった。
そして、僕は挨拶を返さなくちゃと思った。
思うが、思うだけで言葉は出てこなかった。
変な汗だけが大量に出ていた。
それから、先日と同じく、また無音の世界。
だけど、この前のような重苦しさは感じなかった。
なんだか、一人より心地が良かった。
嬉しい時間ほど、早く過ぎ去り、あっけなく終わってしまう。
お昼頃に、幸せな時間は終わった。
「今日はそろそろ帰るね」
そう言って、由紀ちゃんは何かガサガサと動き始めた。帰り支度をしているのだろう。
この時になって、僕はやっと気がついた。
せっかく来てくれたのにずっと掛け布団の中に隠れているなんて、僕がとても失礼な事をしていると、今更に気が付いた。
得意の言い訳をするならば、僕が気付けない程に、由紀ちゃんは優しくて静かな空間を作り出してくれる人だった。
とか、自己弁護の言い訳を考えてる場合じゃなくて、どうしよう。
何か言わなくちゃ。
ありがとう?
さようなら?
ごめんなさい?
わからない。
でも、何か言わなくちゃ。
僕は焦った。
焦るだけで、何も行動できないでいた。
やがて、ガサガサ音は止まった。
僕は諦めのため息。
それと同時に聞こえてくる由紀ちゃんの声。
「あ、そうだ。私も宿題を出しちゃうね」
由紀ちゃんも宿題を出すの?
挨拶ブームの後は、宿題ブームが来るのかもしれない。
脈絡のないブームの到来と消失。なんだか、日本人っぽいな~。
なんて何を他人事みたいに考えてんだ。
最低だ。僕。
他人事じゃないじゃないか。僕のために、由紀ちゃんたちが作り出してくれたブームなんだ。
だから、僕も何か言わないと。
何か応えないと。
でも、何を?
僕の自問自答は、僕の心の中だけの出来事で、それはとても静かだった。
でも由紀ちゃんの作り出す、静かで優しい時間とは全然違っていた。
由紀ちゃんが何枚かの紙を机に置いている気配を感じた。
早く何かしなくちゃと焦る気持ちばかり大きくなるけれど、振り返り確かめる勇気はなかった。
「さようならは聞かせて。ね」
挨拶ブームは終わってなかったらしく、由紀ちゃんの方から、僕が何かするキッカケを作ってくれた。それだけじゃなく、何をするべきか分からなかった『何か』の答えも提示してくれた。
しかも由紀ちゃんの声はとても優しくて、少しだけ、僕の中から焦りが出ていった。
「さようなら」
さっきまでのパニックはなかったかのように、僕は起き上がり挨拶できた。
由紀ちゃんは前回は制服で来ていたけど、今日は私服だった。ジーンズにロングシャツという、地味な服装だった。
可愛い娘の私服を見れる特権と言うのは、特別階級のように感じる。
そして、地味な服が彼女らしくて良かった。
何より、由紀ちゃんの笑顔を見られただけで、全てを失っても良いと思えてしまうような、罪悪感と焦りで潰されそうだった僕を一瞬で救ってくる、この世に存在してはいけないような、優しすぎる笑顔だった。
その後、僕は何をするでもなく、ただただ、ベッドの上から部屋を出る彼女を見つめていた。
やっぱり由紀ちゃんは、中学生時代のクラスメイトたちと比較しても、一、二を争うほど小さかった。
僕は幸せな余韻に浸りつつ、彼女の宿題に目を通した。
左に問題があり、右に答えを書き込むであろう四角い枠があった。一枚に十の問題があり、三枚で二十七問ある。
問題はどれも簡単だ。
小学生みたいだな、と心の中でツッコミを入れながらも、楽しく宿題をする事が出来た。
彼女の出した問題だと思うと嬉しかった。
問一 あなたの好きな食べ物は何ですか?
僕はじっくりと時間かけて丁寧に考え、答えの欄に『ハンバーグ』と書いた。
問二 あなたの好きな色は何ですか?
僕はじっくりと時間かけて丁寧に考え、答えの欄に『黒』と書いた。
問三 あなたの好きな動物は何ですか?
僕はじっくりと時間かけて丁寧に考え、答えの欄に『ネコ』と書いた。
……。
気づけば、夜になっていた。二十七問目は問題ではなかった。
問二十七 おはようの挨拶もくれたら、嬉しいな
僕は時間をかけずに、力強く答えを書き込んだ。
『YES!』、と。
そして、僕は気がついた。
『変わっていく僕』だけじゃなく、『変わりたいと思う僕』の存在に気がついた。
由紀ちゃんに、恋をしたのだと気がついた。