タスケテ
十二月二十三日。金曜日。
何もない日。
予定のない日。
いつもなら、意味もなく散歩したり、図書館に本を借りに行ったり、時々勉強してみたりする。
なにかしら、行動して学校へ行かない罪悪感を打ち消すのだけれども。
今日はどうしても何もする気が起きなかった。
憂鬱な気分から抜け出せない。
そして、私は、少し前に見た夢を思い出す。
『人類は世界に必要か』
わからない。
みんな頑張って生きている。
でも、タケゾーさんはもういない。
きっと、人類は世界に必要ない。
そうよ。だって、人なんてみんなキタナイのよ。
そして……。
私は人類にすら必要ない。
タケゾーさんに何も出来なかった。
私は、ただの弱虫な甘えん坊だ。
社会から逃げて、何の能力も身に着けないで時を過ごした。
結局、やっぱり何も出来なかった。
いいえ。
世界が私を拒絶したんだ。
だから、タケゾーさんを奪ったんだわ。
こんな世界は要らない。
もう、全部が嫌だ。
何もかも嫌だ!
自分の中で嫌な感情が大きくなっていく。
普段は見えないフリして、知らないフリしていた、汚らしい感情。
その自分の悪が、さらに罪悪感へとつながり、破滅願望へと導いていく。
負の連鎖は留まる事なく大きくなっていった。
誰か助けて。どうしたら良いの?
そんな時、ふと思い出したのは弥生先生の言葉だった。
「私はね、助けてと求められないと何も出来なのさ」
私はやっぱり、人に甘えてしまうのね。
でも、自分ではどうしたらいいのか、わからないの。
お願い助けて……。
私は、病院に電話をかけた。
いつもの受付の人は休みのようで、弥生先生が直接電話に出た。
「斉藤です」
「やぁ、由紀ちゃん。良かった。電話かけてくれたんだね」
突発的に電話をかけてしまったけれど、何て言えばいいのだろう。
私は言葉に出来なかった。
出てきたのは唯一言だけ。
「助けて。先生」
「うん。大丈夫だよ。病院まで来れるかい? そうだね。一時間後でいいかな?」
何故か、それだけで話は通じたみたい。
そう言えば、弥生先生は昨日の診察の時に、明子さんから電話が来たとも言っていた。
何か事情を知っているのかもしれない。
「はい。お願いします」
私は、外に出て気がついた。
若い人たちが昼間からフラフラ歩き回っている。
今日は祝日。天皇誕生日だ。
受付の人が出なかったのも、それが理由なのだろう。
そして、弥生先生は全部知っている。私が電話をすると信じて待ってくれていたんだ。
病院はいつもの賑やかさはない。
受付の待合室で弥生先生が座っていた。
私は弥生先生を見た瞬間、泣き崩れてしまった。
「いらっしゃい。辛かったね」
頭を撫でながら、私が落ち着くのを黙って待ってくれる。
私は、自分の中で嫌な気持ちが大きくなるのを抑えられない事を伝えた。
先生は何度もうなずきながら聞いてくれた。
「私の頭にいるのは、怯えたタケゾーさんだけなんです」
「よく思い出してごらんよ。私は最後にタケゾーさんを救ったのは他の誰でもない。由紀ちゃんだと思うよ」
「違うの! 私は……。私は何も出来なかった」
「そうだね。そうかもしれないね。でも、そうじゃないかもしれないよ? 事実なんてものは、あやふやなものさ。由紀ちゃんがそう思うなら、それもまた一つの事実なのかもしれない」
そうよ。私がタケゾーさんを殺したのかもしれない。
私が憎悪の気持ちを向けたから、そのショックで……。
弥生先生は、私の手を握り締めてくれた。
そして、話を続ける。
「だけどね。私もね。明子さんだってそう。由紀ちゃんのおかげで、タケゾーさんは幸せな気持ちで出発できたと思うよ。最後に許してあげた事だけじゃないよ。短い期間だけど、ちゃんと二人の間には絆が出来たんじゃないかい? それにね。タケゾーさんが傷ついてしまったのは、由紀ちゃんのせいかい? そこから違うのさ。タケゾーさんは自分の失敗を悔いた。それを許してあげた由紀ちゃんは、自分を責める必要なんてないよ。きっと、タケゾーさんは感謝しているはずさね」
ありがとう。弥生先生。
だけどね。
やっぱり、あの時、怒りとか憎しみの感情をタケゾーさんに向けてしまったのよ。
なにより、タケゾーさんを奪った世界が大嫌いになってしまったの。
その後は、弥生先生は何も言わなかった。
ただ、手を握ってくれている。
私は、先生の言葉に心を開けないくせに、手に伝わる温もりには依存していた。
本当に嫌な人間だ。
帰りの時間を決定付けたのは、私の携帯電話の着信音だった。
「出ていいよ」
先生の言葉に甘えて、電話に出た。明子さんからだった。
「クリスマス会なんだけどね。延期になると思うの」
昨日から休むことなく続く雪が、利用者さんの進行を妨げているらしい。天気予報では、土曜日の朝にはやむだろうとの事だけど、自分たちで除雪の出来ない利用者さんが家から出られないかもしれない。だから、一日ずらし二十五日の日曜日に変更した、と言う話だった。
弥生先生に報告すると、何か思いついたように電話をかけに行った。
そう言えば、初めて施設に行く時も電話をかけてくれたっけ……。
「今の話を聞いて、『札幌の輪』に電話で確認してみたのさね。予想通りさ。除雪ボランティアがあったよ。どうだい? 行ってみないかい? 身体を動かすと気が紛れるかもしれないよ」
確かに、何かに夢中になれば忘れられるかもしれない。
なんでもいい。
何かにすがりたい。
私はその思いで即答した。
「やります」
明日、午後から除雪作業が始まるので、近所の公園で待ち合わせの約束をした。
「私は行けないけどね。代わりに頼りになる、男手を用意するよ」
病院を出ると、雪はまだ降っていた。
男手。
お兄ちゃん以外にはいない。
明日は土曜日で、お兄ちゃんも休めそうだと言っていたので、なんとなくそんな気がした。
晩御飯の後、お兄ちゃんに探りを入れたけどあくまで白を切るみたいだった。
「本当に知らね~って」
だんだん、読めてきた。
サプライズで喜ばせようとしているのね。
確かに、こう言う時は笑うのもありなのかもしれない。
笑って身体を動かして……。
そして、闇をどこかへ置き去りにしてくる。
弥生先生が、閃いた作戦はこうだろうなと思った。




