意味深な話
十二月二十二日。木曜日。
名前を呼ばれて、病院の診察室に入った。
だけど、今日は弥生先生の様子がおかしい。
「やぁ、おはよう」
「おはようございます」
いつもは、楽しそうに色々話してくれるのに、今日は言葉を探している様子だ。
「その様子じゃ、まだ聞いてないよね」
再び、言葉を探している。
「うん。実はね、明子さんから、この前の事は聞いてしまったのさ。本当は、別件での電話だったんだけどね」
なるほど。
又聞きした話を、本人に話すのは気が引ける。
事実、私には大事件だったのに、人に言うなんて酷いわ、と思った。
そして、やっぱり急に押しかけたことが問題になったのだと不安になった。
「でも、由紀ちゃんはおじいちゃんを許してあげたんだって」
「はい。でも、急に押しかけちゃった」
「いやいや。明子さんは凄く喜んでたよ。それに、ルールを無視しても許されるのは、若者の特権さね。悪用しちゃいけないけどね」
弥生先生は、優しい微笑みで言ってくれた。
「あ、今回は誰も叱ってないね。これはいけないさね。許されても、やっぱり罰はあるのさ。由紀ちゃん! めっ!」
そう言って、人差し指で私のオデコを突っついた。
叱られてしまった。
でも、弥生先生の目は笑っている。
「さて、今日はちょっと厳しい話さ。どんな仕事だってそう。遣り甲斐もあれば挫折もある。介護の挫折。思いつくかい?」
セクハラよね。この前、身をもって体験した。
あとちょっと、排泄介護とか自信ないかも。相手にショックを与えない仕草って出来るかな。と言うか、人のそういう場面に遭遇した事ないので想像できないよ。
しばらく考え込んでしまって、部屋は静寂のまま時が過ぎていく。
うまく言葉にまとめる事が出来なかった。
大人から見るとこんな事で悩むのなんて、『本気で目指しているのか!』と怒られそうだと思ったのかもしれない。
弥生先生は、私が答えに困っていることを察してくれたみたいで話を続ける。
「私の仕事もそうさね。自分が弱い人間だから、弱ってる人を元気付けたい。最初はそう思っていた。事実、そういう充実感の毎日を送れているよ。だけどね。私は待つことしか出来ない。相手から求められて初めて仕事が出来るのさね」
困っている人を見つけても、何も出来なかった経験があるのだろうか?
弥生先生は、どこか昔を思い出しているようだった。
「それに、相手が病院を選ぶわけさね。満足の良く治療結果が出る前に、来なくなってしまったり、別の病院に移ったり。……自ら命を落としてしまったりね」
優しく語り掛けていた弥生先生だけど、目頭には少し涙が見えた気がする。
「まとめると、自分の実力不足から来るふがいない結果さね」
初めての排泄介護の時、つい自分が吐いてしまう。
それに傷ついた利用者さんが心を閉ざしてしまう事を想像した。
「第二にね。お医者さんも相手を選べないのさ。これは、プロなんだから当たり前さね。弱ってしまった人を元気にしたかった。だけど、この仕事は逆に人を弱らせてしまう人と接する事もあるのさ。そういう人も弱っているから、そんな行為に及ぶのだけどね。やっぱり、人の闇は見れば見るほど深いもので、正直辛いと思う事もたくさんあるのさね」
弥生先生の言葉の真意より、この人も他人に悪意を持つこともあるのかと驚いた。
誰とでも柔らかい空間を生成できるのかと思っていた。
「それでも、やっぱり立ち直ってくれると嬉しいのさ。物事は常に表と裏さね。人を殴るのが快感だったような人が、優しくなる事を覚えてくれる。こう言うのもやっぱり非常に嬉しいのさ」
弥生先生は、曇らせていた顔をさらに暗く染め上げながらも、優しい微笑みは崩していない。
そして、こう付け足した。
「つまり、本当に辛いのは、自分の実力不足さね。いや、実力だけじゃどうしようもない不幸なんてのもあるね」
介護の夢は『学校に行かなくても良くて、人の役にたてる道』と言うどうしようもない理由からきたものだ。
だけど、最近はそうじゃないと思える。
ちょっと辛い事もあったけど、確かな充実感と楽しさを実感できていた。
そして、早く技術的な面でも利用者さんたちの役に立ちたいと思っていた。
「心配すること無いよ。由紀ちゃんは、遣り甲斐にはもう触れてきたよね? どうだい。あの幸せのために人は頑張るのさ。そして、夢を決めるのはポジティブな発想が大事さね。暗い理由じゃ本気になれないよ」
他意はないのだろう。
それでも、私は心の中を見透かされた気がした。
私の本当の気持ちは、今どうなっているのだろうか。
「今日はちょっと厳しい事を言ってしまったね。由紀ちゃんなら大丈夫さ。それに、人に感謝される事はやっぱり嬉しいよ。これは私が保証するさね!」
「はい」
それは、もう知ってしまった。
人が自分を必要としてくれるって凄く嬉しい。
前向きに、何でも考えないと。
今日の弥生先生は、少しおかしかったのが気になっていた。
この日の診察で、弥生先生は何度もこう言っていた。
「私はここにいるからね」と。




