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大きくなった噂

 その時、連中の後ろから細長い人影が見えた。

「おいおい。清い男女交際を邪魔するなんて、野暮な奴らだな」

僕は、その人影を知っている。なんでこいつがいるんだ? などという疑問ばかりが頭の中を駆け巡り、気がつけば恐怖も怒りも興奮も消えてしまって、それらと入れ違うように、心地の良い安心感が僕の心を支配した。

「お兄ちゃん!」

「洋介!」

 何故か洋介がいた。こいつの喧嘩自慢は嫌というほど聞かされたが、実際にそれなりに有名なようだ。

 金髪の男は、僕の胸倉から手を離し、自分の相棒に話しかけていた。その様子は、さっきまでの僕を写したかのように、容易に動揺していると想像出来る程うろたえていた。

「さ、斉藤か?」

「斉藤って『黒雪』の? ヤバイよ」

 洋介は連中の話を満足そうに、腕を組み、うなずきながら聞いている。そして、表情を真剣な物に変えて、僕には決して聞かせたことの無い、低くドスの効いた声で警告を促した。

「悪いことは言わない。大人しく帰れよ」

 だけど洋介の年齢を考えるとその噂は古いものだろうし、女たちには噂が届いてないようで、状況を理解していないみたいだ。

「何なの? こいつ」

 何が起こったのか理解できてないと言うのは僕も同じか。

 なんで、洋介がいる?

「馬鹿! このお方はな、喧嘩無敗を誇る人で……」

「おぉ。生ける伝説だよな。病院送りは数知れず、墓場まで連れて行かれた奴らが二人もいる」

「それでも、警察もビビッて手を出せね~し」

 洋介って凶悪な奴なんだな、命の恩人のに失礼だけど見損なった。なんて、噂が嘘だとわかっているけど、心の中でコッソリからかった。それほどまでに僕の心は安心しきっていた。

「いやいや、お前らな。大怪我なんてさせたことないって。なぁ、由紀?」

「知らな~い」

 さっきの威勢はどこへやら、洋介は情けない口調で由紀ちゃんに助けを求めていた。

 由紀ちゃんは由紀ちゃんで、表情は柔らかくなったけど、まだ怒っている様子だ。きっと、洋介がいるなんて思いもしなかったんだろう。

 金髪の男たちは、帰るどころか『生ける伝説』らしい人物を生で見てしまった興奮で、怯えながらも噂話に夢中だ。

「それに、二十六歳にもなって働かずに、フラフラとカラーギャングなんてやってるのは、奴隷が百人もいて貢がせてるみたいだぜ」

「おぉ。そのうちの半分は薬漬けの女でよ。俺らも引くぐらいの事させて稼いでるって」

「残り半分は男で、一日に三十四時間も、一年に三百九十八日間も、容赦なく働かせてるってよ。『寝る暇があるなら俺に貢げ』って言った時の斉藤さんの顔は正に男だった、と先輩が言ってたぜ」

「いい加減にしろ。お前ら! 早く帰れよ。帰ってくれよ……」

 顔を真っ赤にして、洋介が怒鳴る。それは、さっきのドスの効いた声ではなく、いつもの明るい声だった。

「いくぞ!」

 不満げな女たちを引っ張るように、連中は店を出て行った。

 そして、店内にまたもや響き渡る迷惑な騒音。

 僕らの笑い声だ。

「とりあえず、逃げようか。お姉さん、警察呼んじゃったでしょ?」

 洋介がレジのお姉さんに聞くと、お姉さんは小さくうなずいた。

「皆さん、ご迷惑おかけしました。迷惑な奴らは退散するんで、どうぞ。お気になさらずに。あ、お姉さん本当ゴメンな。迷惑押し付けちゃうけど、俺ら帰りますわ」

 入り口で警察の人とすれ違った。

 外に出た後、恐る恐るレジのお姉さんを見ると、何を言ってるのかわからないけど、僕らのことは話してないみたいだ。

 でも、その様子に気がついた洋介は、焦った様子で僕らに提案した。

「ヤバイな。走るか」

「本当に。もう! 馬鹿兄貴」

「うん」

 笑いながら、走る奇妙な集団は、僕にとっては馴染みの札幌公園へと向かった。

 息を整えながら、最初に口を開いたのは由紀ちゃんだった。

「なんで、お兄ちゃんがいるのよ!」

「いや、妹の初デートの相手を一目見ようかなって。そしたら、直人だしさ。一目見るつもりだったんだけど、ついついな……。ほら。わかるだろう?」

「わかんないわよ。本当に馬鹿なんだから!」

「ゴメン。怒るなよ~」

「知らない! いっつもそうなんだから。大体お兄ちゃんはね……」

 怒りのお説教は、暫くは止まりそうもなかった。

 由紀ちゃんの口撃に小さくなる洋介を見るのも新鮮だ。

 なにより、僕の知らない由紀ちゃんが見れたことが嬉しかった。

 家ではこんな感じなのかな。

 洋介は逃げ道を探すように、僕に話しかけてくる。

「直人。お前男だな。見直したぞ!」

 誰がどう見ても、僕は情けなかったのに、何故かな。褒められてしまった。

 だけど、僕にとって褒められると言う事は、殆ど無い経験で、つい照れ隠しに、意地悪な事を聞いてしまった。

「僕は見損なったよ。『不良だけど正義』はどこに行ったのさ?」

 洋介は、大きく開いた両手を胸の辺りで、『ノー』と叫ぶようにバタバタと左右に振っていた。

「いや、だから。あれは全部嘘だって。『黒雪』だって踊りのチームだぜ。危ない連中じゃない。それに、天に誓って断言出来る。病院に行くような怪我は、まぁ何度かさせたかもしれないけれど、入院が必要な大怪我はさせた事は無いぞ」

 わかってるよ。『黒雪』については、あいつらの噂を信じたけど。

「それにだな。絶対に自分の信念に逆らった喧嘩はしてないって。これマジだぞ。なぁ由紀?」

「ふ~ん。そうだったかな~?」

「本当なんだって」

 公園には、僕らの笑い声が響く。

 大丈夫だよ。最初から、あんな噂信じてないさ。

「今度こそ、若い二人に任せて帰るから……。そうだ、直人。いくら、お前でも、あまりにハイペースな男女交際は許さないからな。今日は、手をつなぐ所までだ」

「そんなんじゃないの!」

 由紀ちゃんは、照れる様子もなく、きっぱりと否定していた。

 帰り際の洋介の一言で泣きそうになった。

 本気で危なかった。

 女の前で泣かすなよ。

 ありがとう。

「直人。お前は、一人じゃないからな」


 十八時三十八分。周りは闇に包まれていた。

 洋介が帰った後、僕らはいつものように、静かな時間を過ごした。そんなおり、由紀ちゃんは意外すぎる提案をしてくれた。

「あのね。お兄ちゃんと友達になったでしょ? 私もなれるかな」

 由紀ちゃんも、僕を友達と呼んでくれる、という事実が凄く嬉しかった。

 だけど、彼女を見ると自分の靴ばかり見ている。

 僕はこの仕草を知っている。

 今の彼女は何かに怯えている。

 この状況で考えられるのは、言い出しにくいことを話す決意を決めた、と僕は予想した。

 そうだ。

 それは、きっと愛の告白に違いない。

 僕は、自分に言い聞かせる。

 男の子から切り出せよ!

 だけど、口下手な僕らの秘密兵器は持ってきたのだけど、愛の告白なんて状況は、僕にとっては『洋介が後をつけていた』なんて事例よりもずっとずっと想定外の出来事で、全く心の準備が出来ていないのだ。

 僕は勇気を振り絞って、愛の告白をした。

 だけど、見事に伝わらなかったみたいだった。

 それでも、秘密兵器として準備していた『交換日記』の事は伝たえることが出来た。これなら、うまく話せない僕たちでも大丈夫だと思ったのだ。

 僕は交換日記を、明日から始めようと思てったいたのだけど、由紀ちゃんの強い要望で、今日から開始する事になった。

 何か伝えたそうだったもんな。

 そして、多分それは、愛の告白でない。

 

 家路に向かう僕は、ちゃんと前を向いて歩けた。

 帰宅すると、スタンプラリーの時間まであまり余裕はなかった。

 それにしても、何を書いたらいいのかな。

 今日は、弥生さんに秘密の告白をされ、そして由紀ちゃんとデートして、洋介に助けてもらった。

 一日にいろんな事が起きたけど、由紀ちゃんに報告する事はあまり無かった。

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