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初デート

 僕は弥生さんが帰った後、由紀ちゃんとの初デートの準備を、急ぎながらも丁寧に行った。

 幸運にも、この時の僕は閃いてしまって、秘密兵器を鞄に忍ばせた。

 僕の予想は良い意味で裏切られ、家を出るときには、一度もトイレに駆け込むことはなかった。

 弥生さんが、秘密を打ち明けてまで励ましてくれたからかもしれないし、僕に色んな事を教えてくれた効果なのかもしれない。

 それでも僕の身体は緊張していて、鉄のように硬く感じた。

 学生という身分ですらない僕の財布には、三千円が入っていた。

 急な用事が出来たのでお金を貸して欲しいと頼まれた母ちゃんは、凄い剣幕で怒鳴るだろうなんて僕の予想を覆して、涙ながらに「返さなくてもいいよ」とお金を渡してくれたのだ。

 最近の僕は泣いてばかりだけど、母ちゃんを泣かす回数も多くなっている……。

 僕は出来るだけ早く、お金を返そうと思った。

 スタンプラリーの時とは違って、昼の公園には元気に遊ぶ子供たちの姿が見えた。

 普通ならば微笑ましい光景のはずなのだけど、僕にとって子供は、正直で遠慮を知らない恐怖の対象だった。鉄のように感じていた僕の身体は、さらに錆びついてしまったように自由を奪われていく。

 なんとか、定位置のブランコの柵まで辿り着いたのだけど、僕は一秒一秒が長く感じて、この生き地獄が永遠に続いてしまうような恐怖すら覚えていた。

 そんな時。

「こんにちは」

 由紀ちゃんが話しかけてくれた。彼女の大胆で綺麗な笑顔が、僕にかかっていた鉄変化の呪いを、瞬時に解除してくれた。

 だけど、由紀ちゃんの大きな瞳には、初めて会った時の印象があった。あの何かに怯えているような印象を。

「こんにちは。です」

「外に出られたんだね」

 そう言った彼女の笑顔には、先ほどの『怯え』は瞳になかった。

 僕の気のせいだったのかもしれない、と僕は勘違いしてしまった。

 そして僕は、公園に辿り着き由紀ちゃんと会うということだけを考えていて、この後に起こすべき行動については何も考えていなかった。

 そもそも、由紀ちゃんはどのように言われて呼び出されたのか、という事すら知らなくて、そんな僕が出した答えは、実に情けなくて。

「えっと、どうしようか?」

 などと、『デートのリード』という男の役目を放棄する発言をしてしまったのだ。

 でも由紀ちゃんは、目的を持ってこの公園に来ているみたいだったので、それは偶然にも正解の発言だったのである。

「行きたい所があるの」

 僕の記念すべき、何十年経っても忘れないだろう初デートは、普遍的なデートとは言えないものだった。

 それは、除雪だった。

 三件ほどのお宅を訪問し、除雪作業をするのだ。

 その訪問した先の全てが、お年寄りの家で、みんな優しかった。

 お疲れ様と声をかけてくれて、中にはお茶なんかもだしてくれる人がいたり、何よりも僕たちが帰る時に、嬉しそうに何度も頭を下げてくれた。

 除雪デートは、とても楽しいものだった。

 ただ、残念な事に、誰がどう見たってそうなのだ。

 由紀ちゃんの方がパワフルに除雪していた。

 僕の長い引きこもり生活でなまりきった身体は、もはや完全に制御不能でフラついてしまう。

 水分の変わりに、七十パーセントが乳酸で出来ているんじゃないだろうか、と言うぐらいに自由に動けなかった。

 除雪が終わった時間は、十七時頃だった。

 まだ日は明るいのだけど、それもあと三十分ほどの事だろう。

 冬の札幌は、まるで夕日がオレンジに輝く事を忘れ去ってしまったかのような早さで、急速に闇を迎え入れるのだ。

 僕の好きなはずの暗闇の世界は、今日に限って言えば由紀ちゃんとの別れの時間を意味していて、切なく感じた。

 秘密兵器を渡さなくてはいけないし、まだ一緒にいたいという気持ちが強くて、僕は少しでも時間稼ぎをしようと悪あがきを試みた。

 由紀ちゃんからお別れの挨拶が出る前に、ファーストフード店に誘ったのだ。

 それぞれに、注文をして席に座ると。

「今日はお疲れ様」

 と言って、いつもの大きな笑顔でねぎらってくれた。

「斉藤さんもお疲れ様。と言うか、僕はあんまり頑張れなかったよ」

 僕は由紀ちゃんを、苗字でしか呼ぶ事が出来なかった。

「ううん。みんな喜んでたよ」

 幸せだ。この時間が、ずっとずっと続いて欲しい。

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