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許しませんから

 十二月十八日。日曜日。

 初めて、直人君の家を訪れた時には、引きこもりの自立支援なんて、私には皆目見当もつかない事だったのだけれど……。

 先週、お兄ちゃんから聞いた『玄関まで迎えに来てくれた』と言うのは、飛躍的な進歩な気がする。

 でも、私は一週間前の自信は少し砕けていた。

 昨日の出来事のショックもそうだけど、私にだけ打ち解けていなくて、ベッドから出てくれないのかもしれない。

 会う瞬間になると悪い可能性が思い浮かんでくる。

 ううん。いざと言う時に弱気になるのは悪い癖よね。

 大丈夫。きっと大丈夫よ。

 初めて直人君の家へ訪問した時のような緊張で、呼び鈴を押してみる。

 ほら、大丈夫じゃない。

 玄関から出て来てくれたのは、直人君だった。

 そして、お猿さんはいなくなっていた。

 髭も剃ってあって、髪もかわいらしい坊主頭になっていた。

 それに、パジャマじゃなくて、Gパンとトレーナーの地味な格好だけど、私服だった。

 そして気がついてしまった。私も似たような格好をしている。単色のロングスカートに、単色のシャツとセーターだけの地味な格好だ。

 直人君は挨拶もしてくれたし、部屋の中では椅子も差し出してくれた。

 普通の人から見れば、進んでいるのかもわからない程の進歩かもしれない。

 だけれども、私には大きな進歩に思える。

 ちゃんとアンケートの宿題もやってくれてるみたい。

 だけど、好きな趣味は? 好きなゲームは? そんな、好きなものを尋ねる質問の答えは、『無いです』が多かった。

 お兄ちゃんは自慢げにゲームを持っていったけど、押し付けただけじゃないかしら?

「ゲーム楽しくなかった?」

「あ! 貰った当日にアンケートをやったから。今は、ゲームばかりの生活になっちゃった」

「それも困るかも」

 良かった。氷に閉ざされた直人君の心は、順調に溶けてきている。

 それだけじゃない。

 本当の勉強も始めたみたいで、なかなかに苦戦しているなんて事も話してくれた。

 今日あった事を両親に一生懸命に話す小学生みたいに、いろいろな事を話してくれた。

 私は、子供が出来たみたいな気分だった。

 なんだか、微笑ましいわ。

 あ、そうだ。お兄ちゃんを見習って、小説を持ってきたの。男の子が読めそうなのは持ってなかったけど大丈夫かな。これなら、映画化もしたし、楽しんでもらえるかもなんて思った。

 不安だったけど、直人君は渡された小説を嬉しそうに受け取ってくれる。

「絶対見るよ」

「うん」

 良かった。気に入ってくれたみたい。

 時間は、もうお昼を示している。

 今日は行かなくてはいけない場所があるから、そろそろ出ないといけない。

 直人君が余所見をした隙に、『アンケート私の答え編』を机の上に忍ばせておく。直接手渡すのは、なんだか恥ずかしかった。

 前回は、ベッドからの見送りだったけど、今日は玄関まで見送ってくれた。

「さようなら」

「さようなら」

 ちゃんと、私にも心を開いてくれてるんだ。

 そして、午後はやらなくちゃいけない事がある。

 直人君の前進が嬉しいからかな。

 思ったよりもスムーズに行動できた。

 私は携帯電話を取り出し、タケゾーさんが今日来ているかを確認するために、ディケア施設に電話をした。

 タケゾーさんが来るのは土日と木曜日の週三回らしい。そこまで詳しく教えてくれなくても良いのに。大人って意外と個人情報って概念に疎いのかしら。

 施設に着くと明子さんが出迎えてくれる。土曜日以外だと、なんか新鮮な気分だ。

「あの。忘れ物。してないけど、してるフリして。その……」

 言葉がうまく出てこない。だけど、言わなくちゃ!

「タケゾーさんに挨拶だけします」

 理由の説明はうまく出来なかった。だけれども、目的ははっきり伝えることが出来たみたいで、明子さんは嬉しそうに笑った。

「ごめんね。本当にありがとう!」

 早いほうが良い。タケゾーさんが元気になって欲しい。そう思って、今日来てしまった。

 でも、土曜日以外は部外者の受付はしてないって言ってた事を思い出す。

 とんでもない迷惑な事をしていると、今更になって気がついた。

 それなのに、明子さんは「本当にありがとう」と何度も言ってくれた。

 タケゾーさんは、いつもレクリエーションをしている食堂にいた。

 やっぱり、元気がないみたい。皆との輪から完全にはぐれて、一人だけ窓辺に座りながら外を眺めている。時々、自分の頭を小突いて、ため息をして、また外を眺める。

「あれから、ずっとあの調子なの」

 今日来たのは、迷惑行為かもしれない。でも、やっぱり早く来て良かった。

 私はタケゾーさんに近寄り、声をかけた。

「タケゾーさん。慌てて帰っちゃったから、忘れ物しちゃった」

「あ、由紀……。ごめんなさい。昨日はすまなかった。そんなつもりじゃなかったんじゃ」

 私は、どう反応していいのかわからず、必死に首を横に振り続ける。

 明子さんが助け舟を出してくれた。

「こら! 本当にあんな事は、もうしちゃ駄目ですからね。今度したら、由紀ちゃんだって、許しませんからね! もう来てくれなくなっちゃうんですから! ねえ?」

「はい。駄目ですよ」

「あぁ。本当に申し訳ない」

「いえ。あの、今週、楽しみです。『吾輩は猫である』」

「お。おぉ」

「実は、読んだけど。よくわからなかったんです。でも、タケゾーさんが聞かせてくれるとわかるの」

「そ、そうか。そうじゃろ。わしは学校でも生徒たちに評判じゃったんじゃよ」

 どうやら、タケゾーさんは先生だったらしい。

 少しずつ、強気なタケゾーさんが戻ってくる。

「お願いします」

「ほら、由紀ちゃんとも約束したしね。元気出さないとだめよ」

「おぉ。楽しみにして持っておれ!」

「はい」

 良かった。元気を取り戻してくれたみたい。

 施設を出ようとした時、明子さんが声をかけてくれる。

「今日はわざわざありがとうね」

「いえ、急に押しかけてゴメンなさい」

「ううん。私たちにはタケゾーさんの元気を取り戻せなかったわ。少なくともこんなに早くはね」

「いえ。そんな。ありがとうございます」

「いいえ! こちらこそ、ありがとうね」

「あ。セクハラを受けないコツはね、サッと避けるのよ。あるいは、怪しい動きが見えたら手首をつかむの。どうしても仕事柄ね、距離が近いからね。少しの予備動作を見逃さないように!」

 エア回避術を披露をする明子さんを見ていると、思わず噴出してしまう。

「そう! 由紀ちゃんは大人しいのだけど、その笑顔が凄いステキなの」

 そうなのかなぁ?

 自分の自覚の無い所を褒められと変な気分だ。 

 そして、最後に明子さんは言った。

「楽しい事ばかりじゃないけれども、悪い仕事じゃないわ。私が保証する」

 この時の私は、少しずつ歩を進めている。

 ちゃんと前に進んでいる。

 そう感じていた。

 それは事実だったと思う。

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