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ガイシュツ

 時間は十九時になろうとしている。電話は来ない。行かなくちゃ。

 怖くない! 

 そう、自分に言い聞かせる。

 冬のせいもあるだろう、十九時でも外は相当暗らかった。

 札幌公園は、僕の家から徒歩で十分ぐらいの所にある。

 道路も公園も大きい北海道でも、札幌公園は大きめの部類の公園だ。僕の家から見て、手前側には、公園らしい定番だったり、独特だったりする多数の玩具がならび、右奥には野球場、左奥には土の山がある。

 出かけの儀式は終了済みだ。

 タイムリミットまで五十分ある。

 そして……。

 僕は玄関で靴を履こうとすると、三度目の強烈な吐き気と共に、トイレに駆け込んだ。

 逃げ出したくなる度に、僕の脳裏に弥生さんの顔がちらつく。

 それと同時に、僕の耳に高校生や、おばさんや、幼稚園児、そして学校の連中があの言葉を言ってくる。

 ウルサイ!

 弥生さんから、事情を聞いているのだろう。母ちゃんは、リビングルームのドアを開けっ放しにして、黙って見守ってくれている。

 今日の晩御飯は、父ちゃんも含めて、久しぶりに三人揃って食事をした。

 誰一人として口を開かなかった時間なのだけど、これからは三食きちんと食べよう。そう誓ってしまうほど、暖かい時間だった。

 僕は見守る両親に話しかけた。

「せっかくのご飯を、トイレに捨ててゴメンよ」

「何言ってるんだ。食べないよりマシじゃないか」

 初めてのように懐かしい、父ちゃんとの会話をした。

「そうだね。今まで、ごめんよ」

「えっとだな。そうじゃなくてだ。お前はそんな事もわからないのか!」

 父ちゃんは、言いたい事がうまく言えないみたいだ。この辺は血筋なのかもしれない。

「お父さんは、気にするなって言いたいのよ」

 笑いながら、母ちゃんがフォローする。そう言えば、二人とも嬉しそうだ。

 こんな事で喜ぶなんて、やっぱりゴメンだよ……。 

 靴を履く、トイレに駆け込む。これを何度繰り返しただろうか。

 家を出られたのは、約束の時間の二十時を、十分ほど過ぎていた。

 久しぶりに外に出た僕の鼻には、独特の匂いが伝わってきた。初めての経験に思えるのに、その原因には心当たりがあった。

 知らなかった。雪にも匂いがあるんだ……。

 冬の香りが広がっている。

 黒い闇は、僕の思惑通り、僕の不安も打ち消してくれている気がした。

 そして、地面は白くコーティングされていた。

 僕は雪道に足を滑らないようにしているんだ、と自分に言い訳して、地面を見つめながら公園を目指した。

 本当は前を向いて歩けなかった。

 公園に着くまでに、一人のおじさんとだけすれ違った。そのおじさんは、すれ違いざま小さく、共感する相手もいないのに独り言で、「キモイ」と呟いていた……。

 だけど、僕はそれも想定済みで外に出ていて、夜の闇のおかげもあり、何より弥生さんが待っているんだと思うと、耐える事ができた。

 公園に着いた時には、二十時三十分のちょっと前だった。公園にある人影は、一つだけだった。

 弥生さんは、ブランコの柵に座っていた。

 三十分の遅刻は、それ以上の時間を待たせた証拠である。このやたらと寒い北海道の冬の夜にだ。

 僕は自分の頬を叩いて、気を落ち着かせて、弥生さんに話しかけた。

「遅刻しました。ゴメンなさい」

「全く。本来、待たせるのは美人のお姉さんの方なのよ。いいえ、これは日本の女性の特権なのさね」

 弥生さんはそう言って、僕の額を指で押しながら。

「でも、いいさね。今、幸せだから許してあげる」

 優しく笑いかけてくれた。

 僕の目頭に、水が溜まって来るのがわかる。

「よしよし。直人君は出来る子なのさね~」

 また、赤ちゃん扱いだ。でも、素直に嬉しい。

 あらためて、弥生さんの顔を覗き見ると、白い肌は寒さで真っ赤に染まっていた……。

 だけど弥生さんは、僕を責めることなく、スタンプカードの催促をする。

「スタンプカードのご確認さね」

 僕は、鞄からスタンプカードを差し出した。弥生さんは、直ぐにスタンプカード、つまりは大学ノートの、日記をチェックして何かを書き込んでいる。

「おまたせさね!」

 そう言って、僕にスタンプカードを手渡してくれた。

 返されたスタンプカードを見てみると、カードにはスタンプの変わりに、日記へのコメントが書かれていた。




 ----------


 十二月十七日。土曜日。

 弥生さんが来た。

 宿題が出た。

 今度は勉強の宿題だ。

 今日中に終わらせようとした。

 七十の暗記はきつかった。

 やっぱりコツコツしよう。

 別の宿題もある。外に出ることだ。

 不安だ。出来るかな。

 

 (ちゃんと公園に来れたね。初日から成功なんてビックリしちゃった。明日も会おうね)


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 僕が、日記のコメントを読んだのを確認して、弥生さんはこう言った。

「下の方は随分と余っているけど、明日は次のページに書くと良いさね。その方が日記帳っぽいさ」


 帰り道も、やっぱり地面しか見れななかった。

 帰り道は、四人とすれ違い、札幌市民の義務であるかのように、一人残らず「キモイ」と囁きかけてきた。

 だけど、僕は耐えられる事ができた。弥生さんに励ましてもらえたからなのかな?

 僕は、そっと自分の肩をなでて、あの温もりを思い出した。

 それにしても、若者がやっているメールってこんな感じかな。いや、僕も確かな若者だ。そして、これはメールなんて、近科学的な代物じゃない。昔ながらの交換日記だ。

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