2) 真相
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「それでは第○回、○○コーポレーションの後期組忘年会を開催します!」
司会進行役の沙絵の声で幕を開けた忘年会。
座敷に整然と並んだ膳の前に座り、専務の乾杯の音頭にビールが入ったグラスを掲げ、それは始まった。
入ってきた者順に席に適当に座っているが、役付きが上座というのは暗黙の了解。が、列の中盤にいる修司の隣に、この社の経営者が座っている。
「いいのか、お前がこんなところに座ってても」
美味そうに刺身を頬張る尚紀に、呆れた声で問いかける。
「ん~、いいの、いいの。誰も俺のことなんて知りやしないよ」
それはそうなのだが。
お猪口に注いだ熱燗をグビリと飲み干して、至福の顔をしている男は、純粋にこの会を楽しむつもりだ。だが、彼の素性を知っている者は、そういうわけにもいかないらしい。
始まって間もないのに、すでにビール瓶を片手にこちらの様子を窺っている存在が視界の端でちらつく。
「常務が見てるぞ」
視線を動かさないまま、ぼそりと修司が呟く。
「知ってる。だから、此処に居るの」
尖ったメガネをかけたキツネ顔が、目を皿のようにして尚紀に近づくタイミングを見計らっている。修司はちらりと横目で見遣って、呆れた。
あれでは出世へのパイプを繋げたい心情が見え見えだ。こんな序盤で、真っ先に常務がわざわざ酒を注ぎにくるなど不自然極まりないというのに。自分のことしか見えていない男に、場の雰囲気を読むという能力は備わっていないらしい。
「あれ、わざわざ俺の居る後期グループに変更してきたんだぜ。こんなところで何を売ろうってんだろうな」
「媚びだろ」
「んなもん、腐るほど貰ってるって。どうせくれるなら提案書にしろっつうの」
「お前、あの狐にそれを期待するのか」
それができれば今頃、専務職だ。
「わかってるって、だから常務止まりなんだろ。ま、それももうしばらくだけどな」
おちゃらけ顔で物騒な台詞を吐く尚紀に、修司が僅かに目を眇める。無言で徳利をかざすと、尚紀が持っていたお猪口を差し出した。
「上に行くのか」
「まぁね、じいさんも年だしさ。だいぶ人材も育ってきたし、幹部候補も目星はつけたし。いい加減、裏から口出すのも限界だしな。あ、お前も理子を嫁に欲しかったら、もっと出世しろよ」
「なんで、そこで俺の出世が絡んでくるんだよ」
「そりゃ、あれだよ。理子はじいさんの"お気に入り"だから。ちなみに親父からも溺愛されてる。それをただの課長補佐程度の男にかっ攫われたってんなら、まぁ血の雨が降るだろうな。本気で日本刀とか持ち出すんじゃないか」
血の気多いからな、うちのじいさん。と呑気な発言をする傍らで、冗談じゃないと頬を歪める。
「山下家の男は揃いもそろって馬鹿ばっかりだな。それに理子は俺の役職と結婚するわけじゃないぞ」
「んな常識が通用するかよ。とやかく言われたくないなら、それだけの装備をしろって言ってんの。実力ありきだけど、人脈作りも大事な仕事だぞ、修司君」
ぐいっと中身を飲み干したお猪口を「ん」とひと言唸って、尚紀が差し出す。受け取れと催促されて手に持つと、今度は尚紀が酌を返した。
「そうだな。じゃあ、どうにもならなくなったら、尚紀に泣きついてみようかな」
「何て言って泣きつくつもりだよ。"尚紀さん、俺を出世させて下さい"か?」
トクトク…と心地良い音と共に透明な水がお猪口を満たす。
「馬鹿か、"お願い、お兄ちゃん"に決まってんだろ」
にこりと王子スマイルで微笑んで、一気に酒を飲み干す。本気で引いた顔を見ながら飲む酒も、なかなかだ。
「………実力で上がって来い」
「そうさせてもらうよ」
端からそれしか考えていない。尚紀に心配されるまでもなく、必ず理子の隣に並んでも遜色のない肩書きを掴んでみせる。
修司とて野心がないわけはないのだ。
「それはそうと、理子○○女子学園出身なんだって?」
今思い出したような口ぶりを装って、修司は言った。
「あれ?なんだ、とうとうバレたんだ」
あっけらかんとした口調に、修司は嫌そうに眉を寄せる。たったそれだけで全てを察した勘の良さ、こいつの頭の中はどうなっているんだろう。
「さっき、深澤さんに聞いたんだよ。お前が言ってた良いもんってコスプレだろ。お前こそ、よく許可したよな」
「だって、見たいじゃん。理子のセーラー服姿」
「どうせ高校時代も散々見てたくせに、今更だろ」
「そりゃあ、見たさ。堪能した。でも絶対今の方が似合うと思うんだよね」
何を基準に似合うと言っているのか。訝しむと「楽しみだなぁ」と目を反らした。
「俺の耳に入らないようにしたのは、知ったら邪魔するから?」
「さぁてね、これは沙絵ちゃんに一任してるもん。でも、修司にはギリギリまで言うなって言ってたから、そういう事なんだろ」
飄々とした態度からそれが嘘かどうかの判別はしにくい。なにせ平気な顔でとんでもないハッタリや嘘をぶちかますような男だ。
「なんだ、それでずっと此処に座ってんの?もしかしてさ、拗ねた?」
意地の悪い顔が、にやりと口端を上げる。修司はそれを一笑に付した。
「まさか、そこまで小さくないさ。此処まで来て、出るなとも言えないだろ。それなら、俺も堪能しようと思って」
「おぉ、修司にしてはノリノリじゃん。やっぱ見たいだろ?」
「それは、―――見たいさ」
あの制服をどう改造したのか。ノーマルな制服姿も見てみたかったけれど、大人になった理子が着る制服姿はもっと見てみたい。
壇上では、手品や一発芸が披露されている。出しものと言っても、やっている内容は結婚式の余興と大差ないものばかり。ただ、組み体操は意表を突かれた。
「そろそろ、かな」
演目の全てを把握している尚紀が呟いて、背中に隠していたハンディタイプのビデオカメラを持ち出した。最近では当り前になった手に収まるほどの極小で、軽量タイプ。いそいそとビデオが動くのを確認している姿は、シスコン丸出しだ。
とは言うものの、この時だけは修司もあからさまな蔑みの視線を送れる立場ではない。
尚紀のようにビデオカメラを持参しているわけではないが、しっかり携帯のムービーでとってやろうと思っている。もちろん、後で観賞する為ではない。
(見てろよ、沙絵)
お前の仕置きは、あの野獣じみた彼氏に任せてある。
どうせ「優治は知ってるもん!」とか言うんだろうが、聞くのと見るのでは大違いだってことを、思い知らせてやる。理子だけが俺の怒りを受けるのは、あまりにも可哀そうだと思わないか?
修司の双眸に黒い光が宿るのを隠すかのように、ふっと壇上の明かりが消えた。
今までとは違う演出に、周りがざわめく。尚紀は「おっ、いよいよだな」と嬉々としてカメラを向けた。
「それでは、次の演目です!後期組女性社員によりますオンステージ!曲目は、往年のあの名曲を曲に合わせたセーラー服と共にお楽しみ下さい!」
沙絵の声が響いた途端、わっと歓声が上がる。いつの間にかステージ前にはずらりと携帯を構えた男達が群がっていた。その中心を陣取っているのが、つい数秒前まで隣にいた尚紀。
カラオケのイントロが流れ、一斉に照明が灯る。
総勢20人ほどの女性達が、ピラミット状に三列に並び、全員がセーラー服を着ている。
深澤の言う通り、確かにセンターを張っているのは、理子。
(………あれかっ!!)
太股の真ん中あたりまで切られたプリーツスカート。動く度にふわりふわりと裾が踊り、白いレースがのぞく。体のラインをさりげなく強調した造りに変えられたトップのラインが、妙に艶めかしい。いやらしさを前面に押し出していないが、その分、端端に手を加えた部分が男心をくすぐる。
白い靴下と、長い髪をポニーテールに結った、理子。
鼻歌でならした歌声は抜群で、制服と言う禁断の戦闘服が男の征服欲をかきたてる。
マイクスタンドの前で振りつきで歌う名曲は、かつて一世を風靡したあの曲。彼女達の全盛期はまだ子供だったが、会員番号を言えば誰のファンだったかが分かる、という辺りでいつの世代か分かってしまう。
唖然としていた修司は、はっと我に返って急いで携帯を壇上に向けた。
セーラー服とひとくくりにしても、それぞれが違う形のセーラー服を着ている。理子の右横で歌う水嶋は清楚さを前面に押し出し、それが逆に艶めかしさを突出している。二列目の端には、清水がいた。左横で歌う沙絵に至っては、そのまま敵を倒しに行きけそうだ。
『セーラー服で歌うってやつですよね。はい、知ってますよ』
電話口で、優治はしゃあしゃあと言った。優治曰く、理子を出しものに誘ったのは、フジモリ・ケーキに優治のケーキ作りを見学に行った日のことらしい。
(沙絵の奴、優治すらダシに使ったな)
「動画、送っとく。自分が正しかったかどうかは、それを見て判断しろ」
その為に、修司はムービーを撮影しているのだ。全体が映るよう引いてみたり、沙絵だけをフォーカスしてみたり。途中、誰かにおひねりを貰っている姿までばっちり撮影させてもらった。
壇上の恋人は、修司が携帯を向けている姿を見つけて、ぎょっとしていた。修司はそれににっこりと笑って答えた。尚紀はカメラ片手に、おひねりの大盤振る舞いをしている。
隣に人の気配がして振り向くと、やはり深澤が複雑な面持ちで壇上を撮影していた。
「深澤さんでも、そんなことするんですね」
「ば、ばかっ。俺じゃない!本人からの要望だっ!」
はなはだ心外だと不満を露わにしているが、口端がいつにもまして緩い。
「な?やばいだろ」
「……俺の前だけなら、ありです」
「―――同感、だな」
お互いに苦笑いを浮かべて、その後はビデオ撮影に専念した。