1) 寛大な王子
これより番外編です。
時間軸としましては、38話~最終話の間の話です。
お祭り好き尚紀の発案で催される忘年会。
修司達は揃って同じ班に組み込まれたがいいが、そこにはなにやら不吉な影が潜んでいて……。
「理子さん!お願い、お願いします!!」
ここは、フジモリ・ケーキ。
奥の厨房で優治のケーキ作りを間近で見学させてもらって、居住スペースでもあるリビングのローテーブルで、出来たばかりのケーキを頬張っていた矢先のことだ。
現在進行形で、理子は沙絵に拝み倒されている。
「え…、ちょっと。沙絵ちゃん?」
「お願いします!あと二人、どーしても二人足りないんですっ!理子さん、一肌脱いで下さいっ!」
一肌脱いでくれと懇願されても。
理子は当惑顔で沙絵と、その隣でやはり呆れ顔になっている優治を見遣る。
「沙絵、いい加減にしろよ。理子さん、困ってるだろ」
「優治は黙ってて!ね、理子さん。いいでしょ?」
「いいも何も……」
思えば、それが悪夢の始まりだった。
☆★☆
12月の第3週の金曜日、系列グループの旅館を貸し切って行われる忘年会。前期と後期のふたグループに分けて行われるそれに、修司のいる企画開発部は後期組に割り振られていた。同じく総務も受け付けも、営業も後期。加えて、情報管理部までもが後期組だ。
偶然にしてはわざとらしい組み合わせに眉を寄せたのは修司だけで、沙絵は無邪気に喜んでいるし、堂々と権力の私的流用をした尚紀は、素知らぬ顔を決め込んでいる。
部署合同一泊二日の忘年会など、このお祭り好きな男がいかにもやりそうなことだ。
「なんだよ、修司。その物言いたげな顔は?文句あるのか?」
「無いよ」
ちらりと横目で見遣って、こっそり嘆息する。とりあえず、理子と同じ組であるのだから文句は言うまい。だが、その理子はというと、なぜか表情が堅い。旅館に近づくにつれて、徐々に笑顔が引きつりだしていた。
「どうかした?もしかして具合悪い?」
そうだとしたら、忘年会どころではない。それにどうせ旅館に一泊するなら、会社行事などではなく、理子と二人がいいに決まっている。修司は元々忘年会には興味がないし、理子が帰ると言えば、喜んで連れて帰る気でいた。
何が悲しくて会社から旅館まで直行しなければならないのか。この日だけは、半日で仕事を終え、各自旅館に向かう。送迎バスも来ていたが、修司は自家用車を選んだ。さほど遠くもないし、なにより足があった方が自由が効く。修司は理子と尚紀を乗せて、午後3時頃旅館に到着した。
「あ、ううん。そんなんじゃないの……。あ、あのね、浅野くん」
ツン…とスーツの袖を引っ張って、理子が呼び止める。修司が「なに?」と振り向くのと、
「りぃ――こさん!!」
一足先に到着していた沙絵が理子に突進してきたのが、同時だった。
「さ、沙絵ちゃんっ」
沙絵のタックルを真正面から食らって、理子が軽くよろめく。
「理子さん!理子さんはこっち!準備があるんですっ!」
「え…、あのっ。待って、やっぱり、せめて話だけでも…っ」
「そんな時間無いですって!早く、早く!」
言って、理子の手を取るや否や彼女を連れて旅館の中へ消えていく。あまりの騒々しさに半ば唖然とする隣で、尚紀がクツクツと笑った。
「沙絵ちゃん。気合い入ってるよなぁ」
「……おい、なんだよ。あれ」
二人が消えた方を視線で差すと、尚紀がひょいっと肩を竦める。
「沙絵ちゃん、今夜の宴会の運営係なんだぜ。いやぁ、出しもの担当は忙しいなぁ」
「あぁ、そう言えばそんなこと言ってたかな。なんでも沙絵に無理矢理誘われたって」
沙絵と一緒に運営係をすることになったから、しばらく遅くなると言われたのは、先週のことだ。部内の忘年会ならいざ知らす、部合同ともなればそれなりに準備に追われるだろうと、修司は快く頷いた。
「そうみたい。しっかし、理子もあの年で……、なぁ?」
途端、意味深な台詞を口にする尚紀に、修司が眉を寄せた。
「なぁって、なんだよ」
「あれ?なに、その反応?修司にしてはえらく寛大じゃん」
「だから、何がだよ」
微妙に噛み合っていない会話に、声を尖らせる。尚紀は「へぇ~」と片眉を上げて、ぽんっと修司の肩を叩いた。
「ま、忘年会。楽しみにしてろ。良いもん、見れるからな!」
腹黒い満面の笑みにうろんの眼差しを向ける。この男のこの顔は、必ずろくでもないことを考えているに違いないからだ。
その後、部屋割りどおりの部屋に入り、適当に時間を潰した。本当なら理子と旅館の土産物店や中庭を散策しようと思っていたのに。当てが外れて時間を持て余している。
温泉は好きだが、何時間も浸かっていられるほどの風呂好きでもない。
もしこれが部屋付きの貸し切り風呂で理子と二人で入ったというのなら、余裕で1時間は浸っていられるのに。ただ大人しくできるかと言われば、100%そんな自信はないのだが。
(暇、だな……)
仕方がないから部屋に戻って仕事の続きでもやろうかと踵を返したところで、修司を呼び止める声がした。
「課長補佐、おひとりなんですか?」
振り向けば、清水が中身の詰まった紙袋を抱えて立っていた。
「すごい量だな。大丈夫、持とうか?」
「いえ。平気です」
沙絵とさほど変わらない背丈の清水。紙袋で顔の下半分が隠れてしまっている。思わず手を差し伸べると、あっさりと断られた。
「あ、そうか。理子さんも出しものに回ってるんですよね」
あの一件から清水の中で、修司と理子はワンセットとして認識されたのだろう。憑き物が落ちた彼女は、口のきつさは変わらなくても醸し出す雰囲気は随分と柔らかくなった。かしこまった表情ばかりだったのが、こんな風におどけた表情にもなる。
以前は『あの女』呼ばわりしていた理子を『さん』付けで呼ぶようになったという事は、彼女の中にあったわだかまりが完全に解けたのだろう。
「そういう君も、だろ。大変だね」
理子はくだんの件を水に流す条件として、忘年会の出しものに強制参加を義務付けた。何をするかは聞いていないが、おそらく手に持っている紙袋の中身は、出しものに使う小道具か何か。
「はい。……でも、意外です。課長補佐はもっと束縛的なのかと思ってました。寛大なんですね」
「何のこと?」
「今年の出しものの事です」
そういえば、行きしまに尚紀と交わした会話を思い出す。あれも同じような事を言っていた。だが、修司には今ひとつ的を得ていない会話に、首を捻るばかりだ。
口を揃えて『寛大』と称される理由とは、なに。
怪訝な顔で修司が問いかけた。
「あのさ、今年の出しものと俺とどんな関係があるんだ?」
清水が目を瞬かせて、首を傾げた。
「え……?理子さんから何も聞いてないんですか?」
「知ってたら聞いてない」
真面目な修司に、清水の表情が強張る。すぅ…と顔の色を引いて、浮かべた笑顔が固まった。これはいよいよ何かあるな、と確信した時だ。
「ご、ごめんなさい!急ぎますから!!」
問い詰める前に、清水が脱兎のごとく逃げ出した。
「あ、おい!」
小さくなった後ろ姿に唖然とする。
(いったい、何だっていうんだ……?)
理子は沙絵に付き合わされて運営係をやっているだけじゃないのか。
何がどうなっているのか、全くもって意味がわからない。まるで自分だけが蚊帳の外にいる気分だ。それが理子関係だというのだから尚更気分が悪い。
当然、知っていたら首を縦に振らないようなことなのだろう。
ただ知らないだけなのだが、周りは自分がそれを許したと解釈している。だからこその『寛大』なのだ。という事は、よほど言い出しにくい事柄だったに違いない。
(言ってくれれば、もしかして頷いたかもしれないのに)
そんな気はさらさらないくせに、こういう時だけ妙に大人の余裕を演じて見たくなる。
携帯を開いて時間を見る。
宴会まであと1時間。
どうしてやろうか、と思案していると、清水が逃げた方向から見知った男がやってきた。
「なんだ、浅野もあぶれ組か」
鷹揚な雰囲気の深澤も温泉上がりらしく、ジーンズに軽くシャツを羽織った程度の軽装だ。洗いざらしの下ろした髪のせいで、会社で見るより幾分若い。
「なんですか。その"あぶれ組"って……」
「理子ちゃん、いないんだろ。なら、俺と一緒じゃないか」
言って、深澤が視線を近くのソファまで促した。どうせすることもない修司は、大人しくそれに従う。
「水嶋も、いないんですか?」
彼の恋人、水嶋 志穂は修司と同期。理子を親しげ呼び名で呼ぶのは、水嶋が理子の親友でもあるから。彼女のたおやかで包容力のある雰囲気は、理子には無いものだ。
「あぁ、例の出しものに駆り出された。しかし、お前よく許したな」
「その台詞、今日で三回目です。一体、今年の出しものって何なんですか?」
いい加減似たような会話にうんざりしてきた修司が問いかける。
深澤は珍しく、深い眦を見開いた。仕事が絡まなければ、深澤が見せる表情は多い。
「お前……、まさか知らないのか」
「あいにくと」
その台詞は二回目だ、とこっそりとひとり愚痴る。
ソファに持たれて頷くと、「そうか、まぁ言いにくいかもな」と苦笑した深澤が種明かしをした。
「今年はな、高木が扇動して女子社員がコスプレで歌うらしいぞ。それも全員が大人バージョンに改造したセーラー服でだ。そのセンターを張るのが、お前の理子ちゃんだ」
さらりと爆弾を投下されて、修司はぎょっと目を見開く。
セーラー服?コスプレ?
「なんですか、それ?!」
「だろ?俺も高木が志穂に話を持ってきた時は断固反対したんだがな……」
遠くを見遣る深澤は、ふぅっと達観の溜息を吐いた。
「可愛い顔して、高木は悪魔だな。さっさと志穂を味方につけやがった」
つまり、水嶋は沙絵の呼びかけに賛同したということだ。
「深澤さん、水嶋には弱いんですね」
同情を送ると、「お前もだろ」と逆に返された。
「まぁ、俺は一応黙認だが、お前はどうなんだ?言っとくが、あのセーラー服姿の理子ちゃんは、やばいぞ。彼女、高校は○○女子学園だったんだろ。あれの改造版は反則だ」
「……なにが、どうやばいんですか」
「相当エロい。見たら分かるさ」
それをなぜ深澤が知ってるんだ、という疑念を投げつける前に、「お疲れ」と肩を叩かれた。立ち上がって去っていく後ろ姿を見送りながらも、修司は徐々に自分の目が据わっていくのを押さえられなかった。
大人バージョンに改造したセーラー服って、なんだ。
○○女子学園と言えば、とにかく制服が可愛いという学校だ。ディテールはセーラー服なのに、そのシルエットやプリーツのバランスが絶妙で、しかもそこそこ偏差値がないと入れない学校であることから、あの制服を着れることがステータスになっていた時期もあったほどだ。
知らなかった、理子が○○女子学園出身だったなんて。
修司も高校時代はあの制服をきた子と付き合っていた時がある。もう名前も思い出せなくなっているけれど、同じ年だったことだけは覚えている。もしかして、名前を出せば理子が知っている子かも知れない。
(いや、そうじゃなくて……)
問題は、あれを今の理子が着るということだ。
良い感じに熟れたあの脚線美を大衆の面前に晒すというのか。当時とは体つきも醸し出す色気も違うというのに、大人バージョンのセーラー服って何だ。
第一、言わなければバレないという問題ではない。出しものに参加する以上、必ずバレる。当り前だ。
(……あぁ、そうか。そういうことね)
つまり、今日まで修司の耳にその話が入って来なかったのは、誰かが意図的にそうしていたから。事前にばれて理子が出られなくならない為に、あえて修司を蔑ろにした人物がいる。
心当たりは、約二名。
―――さて、どっちかな。
修司は密かに冷笑を浮かべた。