39) 何気ない幸せ
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この年の仕事納めを持って、清水は会社を去る。
「いろいろとご迷惑をおかけしました」
修司の前で頭を下げる清水に、「今日までだったな」と声をかける。
あの後、清水は自主退社を決めた。
清水には不正アクセスに対する処罰が下るはずだったが、そこは理子が上手くとりなして事無きを終えた。
お決まりの「お兄ちゃん、お願い」攻撃に、尚紀が全てを帳消しにしてしまったからだ。
ただ、何の罰がなかったわけではない。
理子は清水に忘年会の出しものに強制参加することを義務付けた。
(あれは、何ていうか……)
いったい誰に対する罰なんだと、今思い出しても腹が立つ。
理子からも会社からもお咎め無しにも関わらず、退職願を提出した清水に修司は理由を尋ねた。
すると、
「あの人を追いかけたいんです」
と清々しい顔で言った。
おそらく、隆文が見ていたのはこの彼女なんだろう。憑き物が落ちたように、清水からは禍々しさが消えていた。
特攻をかけるというのが、いかにも清水らしい。
隆文への恋心を自覚した清水は、きつく感じさせていた目元がチャームポイントに映るのだから、恋というのは恐ろしいものだ。
「理子にも声をかけてやって。君のことを随分気にしていたから」
「はい。……理子さんには本当に申し訳ないことをしてしまったのに、良くして下さって」
「それはもう水に流すんじゃなかったのか」
正気を取り戻せば、自分がどれだけ悪質だったのかが見えたのだろう。
後悔に顔を歪める清水を、修司が窘める。
「ですが…」
「君の悪い癖だな。いつまでもこだわりすぎると、また大事なことが見えなくなるぞ」
これが上司としての最後の苦言になるだろう。
清水もそれが分かっているから、「はい。そうですね」と頷いた。
「今なら課長補佐が理子さんを選んだ理由がわかります。でも、ひとつ言わせていただいてもいいですか?」
「どうぞ」
清水は一旦言葉を切って、それからにこりと笑って言った。
「理子さん、甘すぎます」
自分を落とし入れた相手に、これほど寛大な処遇を下した理子は、誰の目から見ても「甘い」としか言いようがないだろう。
その恩恵を受けた清水ですら、そう思うのだ。
そんな恋人を持った修司は、もう苦笑いを浮かべることしかできなかった。
だが、実に清水らしい感想だと言える。
清水はクスクス笑いながら、「苦労されますよ?」とこれからの心配までする始末。
「肝に銘じておくよ」
目を伏せて、口端に笑みを浮かべて答える。
清水は居住まいを正すと、改めて頭を下げた。
「浅野課長補佐。今日までありがとうございました」
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「しかし、お前の考えてることは分からないな」
非常階段で密談するが、いつのまにか当り前になってきたこの頃。
真冬にこんな吹きっ晒しの場所で一服をする馬鹿は、この男くらいだ。
山下は寒さに震えながら、煙草を美味そうにふかしている。
「昨日の敵は、明日の友って言うだろ?」
なんと清水がハッキングを依頼した男を、山下は会社に引き入れていた。
いまや情報管理部の社員として堂々と出勤している。
「俺が構築したセキュリティをかいくぐってきた男だぞ。巷に埋もれさせとくにはもったいなさすぎるって」
「言ってろ。……ところでお前、本当のところどうなんだ。佐々木と清水の関係、知ってたんじゃないのか」
『情報管理部』に席を置いているものの、事実上の経営者。
現在の社長は、祖父の側近に当たる人物で、いわば山下が社長職に就くまでのつなぎだ。
山下の正体を知っているのは、ほんの一握りの人間だけ。
その中に自分が入っていることについては、さほど気にした事は無い。
仮に自分が権力にへりくだるような人間なら、山下は端から修司を相手にしていないだろう。
この男がなんであろうと、修司にとっては友人で大切な恋人の兄。それが「山下 尚紀」だ。
「バカ言うなよ。俺はそこまで暇じゃないよ。それに、余計な詮索はしないってのも条件に入ってたしさ。俺としては理子と別れてくれさえすれば、あの男の動悸なんてどうでも良かったんだし」
「寒っ…」と肩を竦めながら、山下が渇いた声で笑う。
同じように手すりに背中をもたれさせた修司が白い息を吐く。
「理子のヤツ、結局許しちゃうだもんな…」
「あぁ、そうだな」
あれだけの事をされても、最後は許してしまった。それも、清水と隆文のじれじれの愛情にほだされたというのが、いかにも彼女らしい話だ。
「あたしは、あたしの周りに居る人がみんな幸せであればいいと思ってるの」
偽善としか呼べない科白を堂々と言ってのけた理子には、頭が下がる。
お人好しもここまでくれば、あっぱれだ。
「それに、憎むのも体力がいるのよ?」
おどけた口調で笑った、修司の恋人。
「なぁ、……尚紀」
「おっ?」
初めて山下を名前で呼ぶと、驚きの声が返ってきた。修司は横目で山下を見遣ると、
「理子はもらうよ」
と宣言した。
一瞬、瞠目した山下だったが、「勝手にしろ」と破顔した。
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今日も理子の鼻歌が聞こえる。
愛と勇気を歌った、大人から子供まで愛されているあの名曲。
初めてこの声を耳にしたときは、こうなることなど想像もしなかった。
(そういえば、最初は理子のこと、変な女って思ってたんだよな)
ご機嫌で童謡やアニソンを歌う顔も知らない隣人。
今は何も植えていないが、また春になったら畑を始めると息巻いている。
「今年はもっとたくさん、いろんな種類を植えたいのよね」
あのトマトは、懐かしい味がした。
スイカを手に、初めて理子を訪ねた。
隣で寝ていたシュウが、包丁の刻む音に反応して台所へと駆けていく。
修司もその後を追う。
もうすぐやってくる山下ファミリーと沙絵達、深澤と志穂等ですき焼きをする為に、さっきから大量の野菜を切っている。
母から借りてきた桶の半分を占める白菜。冷蔵庫には3キロの牛肉、子供達へのお菓子、食後のデザートまで取りそろえて準備は万端だ。
飲み物は各々が持参するのは、理子のポリシーなんだろうか。
午前中から部屋の掃除を手伝わされ、買い出しに走らされ、庭の雪かきまでさせられた。
誰の行いの悪さが祟ったのか、今日は生憎の雪。しかも『大』がつく大雪だ。
やや諦めモードの修司に反して、理子は「絶対来るから、絶対する」と言い張って譲らなかった。
その宣言通り、さっき修司の携帯には三組から「もうすぐ行く」との連絡が入っていた。
まだ半年ほど前のことなのに、理子とはずっと前から繋がっていた気がする。
たくさんのフィギュアに囲まれて、古ぼけたキン消しも飾ってある。
(俺達が出会った時の、だよな)
不安げな理子をなんとかしてやりたくて、修司があげたキン○マン。本当にまだ持っているとは、思わなかった。
ずっと飾ってあったというのだが、他に物がありすぎて分からなかったのだ。
こっそりと増殖している食玩達。いつ作ったんだと思われる、赤いプラモデル。黄色い○号機。
何度聞いても「幸子さんのだ」と言い張るけれど、いい加減認めたらどうだ。
押し入れにひた隠しにしてある、作りかけの1/60スケールのプラモデルを知らないと思うな。
(ほんと、この子だけは理解不能だ…)
沙絵との別れ、シュウの病気、清水との確執、半年の間にいろんな事があった。
だが、それまでの付き合い方が根底から変わったのは、修司にとって大きな転機でもある。
ようやく『適当な恋愛』ではなくなったのだ。
今度こそ心から愛したい人に巡り合えた。
一生添い遂げたいと思える人は、意外にもこんなに近くにいたんだ。
キッチンの脇にある窓。
こんな場所で本気の恋愛が待っていたなんて、誰が想像できるだろう。
アニソンをご機嫌に歌う理子の傍らには、修司がいる。
少し鼻にかかったアルト、そのくせ音程は抜群で、何度でも延々リピートし続ける。
そんな理子が可愛いと思う。
愛しいと感じる。
何気ない時間が、幸せだと感じられる。
修司はそっと理子の腰を抱き寄せて、耳に唇を寄せた。
「わ…っ、修司くん?!」
名前で呼んでくれるようになった嬉しさを噛みしめながら、この気持ちを表せるとっておきの言葉を囁く。
「愛してるよ」
そして『王子』と謳われる最高の笑顔を理子に向けた。
~Fin~
本編、これにて完結です。
長い間、下げさせていただきました。ようやく再投稿することができます。
『窓恋』を待っていてくださって、ありがとうございました!
次回、4話完結の番外編となります。舞台は「忘年会」。
理子や沙絵達が、往年の名曲を歌いあげますので、そちらもよければご覧ください。
あ、でも対して内容はありませんので。私の趣味です…^^;
ではでは♪♪