4) けじめ
☆★☆
理子が同じ会社にいるとわかると、次の日からはどうやって理子と接触しようか、修司はそればかり考えるようになった。
あいにく修司の企画開発部と総務部は接点があるようで、直接修司が関わることは少ない。雑務のほとんどは女子社員がしているため、修司が行けば逆にひとめについてしまいそうだ。
近づきたいわけじゃない。ただ見てみたいんだ。
ならウダウダ考えずに適当な理由をつけて総務部まで行けばいいのに、なぜか後ろめたい。
とりあえず、自分よりは総務に接点がありそうな山下に理子について聞いてみた。
が、返ってきた答えは意外なものだった。
「―――なに、お前。なんで急にそんなこと聞くわけ」
「なんでって、聞いちゃまずいか」
「まずいね。あいつには手を出すな」
いつになく真剣なまなざしで山下が釘をさした。いつものおちゃらけた雰囲気は微塵もないことに、山下の本気がうかがえる。
自販機で無糖コーヒーを買って手渡すと、山下は無言で受け取る。
「山下。白雪 理子となんかあるのか」
自分用のコーヒーを押しながら聞くと、
「あいつは美咲の親友だ。なら、俺にとっても大事な友達だ。お前の適当な恋愛に付き合えるような子じゃない。頼むから手を出すな」
と真正面から修司を牽制した。
これまでそれとなく修司の恋愛を非難したことがあるが、ここまではっきりと「適当な恋愛」と言われたのは初めてだった。
(こいつにはそんな風に見えてたんだな…)
決して適当に付き合ってきたわけじゃない。ただ自分のすべてを注ぎ込むような恋愛にならなかっただけだ。好きになろうとしたし、それなにり好きになっていた。
沙絵だって、可愛いと思っていた。
ガラン…とコーヒーの落ちる音が休憩所に響く。夕暮れの太陽が斜めに差し込んで、修司の顔に影を落とした。
「―――悪い、言いすぎた」
「いや、実際そうかもしれないし」
山下は苦虫をかみつぶしたみたいな顔ですぎた言葉を詫びた。だが、一度出た言葉は消せないことくらいお互い知っている。
「なんで理子のこと知ってるんだ。修司とは何の接点もなかっただろ」
躊躇いがちに尋ねた山下は、バツの悪い顔をしながらちらりと修司を見た。
「今、俺の隣に住んでるんだよ」
(憎めないヤツ)
口端に笑みを浮かべて答えると、あからさまにほっとした顔になる。修司はコーヒーを拾い上げて山下の隣に腰かけた。
「そういえば叔母さんの家を間借りしてるって美咲が言ってたな。じゃあ、それがお前の実家の横ってわけか」
「そう。で、毎日トマトを母親に持ってくる」
「おぉ、そうそう!今度うちにも持っていくから、て言ってたな」
「毎日アニソンを歌ってる」
「あいつは童謡も歌うぞ。それと卒業の歌もな」
「俺等と同期なんだろ……。29歳でそれはどうなんだ?」
「ちょっと変わってるけど、良い子なのは保証する。折り紙つきだ」
「なら、紹介しろよ」
「それは無理」
頑として首を振らない山下も、いい加減頑固オヤジだ。
それだけ大事な友人なんだろう。
「別に付き合いたいとは言ってない。どんな子か見てみたいだけだ」
「家が隣なんだから、窓からこそっとのぞけばいいだろ」
「それは俺に痴漢になれと言ってるのか?」
「隣同士なんだ。たまたま外見てたら目が合った、て言えば疑わないって」
「そんなバカな話があるか」
苦し紛れの言い訳にもほどがある。
「大丈夫。あいつは根っからのお人よしだから、真面目な顔して言えば「そうなんですか」って言うぞ」
山下は理子をかっているのか馬鹿にしているのかどちらなんだろう。
胡散臭いと睨む修司の肩をぽんと叩いて、「だから見るだけで勘弁してやってくれ」と再度念を押した。
「お前、そんな事より沙絵ちゃんとはどうなっているんだ。もうしばらく会ってないんじゃないか」
「……そうだった」
あれ以来、沙絵とは全く個人的な話はしていない。というより、顔を合わす程度で終わっている。
「終わり、だろうな」
向こうもうすうす修司の変化に気づいているはずだ。それでも別れを切り出さないのは、山下が言うとおり結婚に未練があるせいか。寂しげな顔で見られているのを知りながら、修司は仕事を理由に見て見ぬふりを続けている。
どちらにしろ、けじめをつけるべきだ。
「駄目ならちゃんとそう言ってやれ。向こうだっていつまでも同じ場所で立ち止まってたくはないだろうしな」
「そうだな」
「修司はなまじ見た目がいいからな。仕事も出来るし女が放っておかないのもわかるけど、もう少し自分の気持ちを大事にしろよ。溜まるってんなら、割り切れるドライな女を選ぶんだな。とにかく理子に会うにしても、まずはそっちを片づけてからにしろ。これは友人としての忠告だからな」
「ありがたく拝聴するよ」
山下の言い分はしごくまっとうで、修司はその通りだと思った。
理子に会ってみたいという興味の正体が何なのか、はっきりさせる前に自分にはやるべきことがある。
いい加減、ケリをつけよう。
終焉が見えているのに、いつまでもその扉を閉めれずにいるのはいつものこと。とっくに気持ちは離れているくせに、相手から離れていくのをじっと待っていた。
振るより振られた方が楽でいい。
後味の悪い別れ方より、自然消滅が面倒くさくなくていい。
それが女の自尊心を傷つけずにすむ別れ方だと思っていた。
だが、そんな修司を真正面から「適当」と非難されるとさすがに胸に刺さる。相手が友人ならなおさらだ。
気持ちがなくなったのだと。そう告げれば沙絵は泣くかもしれない。
大きな目が涙で濡れるのを想像しても、心が痛まない自分にはっきりと気持ちが離れたことを確信する。
だったら、早いうちが良い。
(平手打ちの2,3発くらい覚悟するさ)
ぐびっと缶コーヒーを一気に飲み干して立ちあがる。
「行くのか?」
別れに行くのか―――。短い問いかけに修司は頷いた。
この時間ならまだ沙絵は社内にいるはずだ。
山下に手を挙げて別れを告げると、ポケットから携帯を取り出して沙絵の番号を押した。
『もしもし?』
理子とは違うかわいらしい声に「俺」と短く告げる。
「これから時間ある?」
『え、これから?ちょっと待ってね。―――うん、大丈夫。何、どうしたの?』
久しぶりの恋人からの誘いに沙絵の声音が上がる。
だが、それは沙絵が思っているような甘い展開にはもうならない。
「話しがあるんだ。いつもの場所で待ってる」
『うん、わかった。あたしもすぐ行くね!』
嬉しそうな声に罪悪感が残る。修司は一度息を大きく吐いて、けじめをつけるために歩きだした。