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窓恋  作者: 宇奈月 香
本編
38/46

37) 対決


☆★☆



 尚紀が呼びに来たのは、午後8時を少し回った頃だった。

 とにかく急かされて、理子は財布と携帯だけを手に尚紀が運転する車に乗り込んだ。


「なんなの、急に」


 おかげで着替える暇すらなかった。部屋着に毛糸のカーディガンを羽織っただけという、なんとも緩い格好につい愚痴が零れる。

 ファミリーカーの後部座席には、チャイルドシートがちょこんと収まっている。

 助手席から問いかけると、尚紀が「修司が呼んでる」と言った。

 なら、直接携帯に電話をすればいいのに。

 言われた意味が分からなくて怪訝な顔をしたのは一瞬。すぐに「それって…」と言葉を失くす。

 それは取りも直さず、修司が清水を追いつめたということだ。

 携帯を渡した時、この後の計画についての説明は受けていたが、やはり現実となると衝撃が大きかった。

 状況もその都度尋ねてはいたけれど、まさか本当に公衆電話の場所を割り出してしまうなんて。


「修司が現行犯で捕まえたんだ。で、どうするかは理子に任せるって言うから、こうして俺が足代わりになったわけ」


 車はまだ修理中だもんな、と尚紀が横目で見る。

 

「あ、うん。そうだけど…。でも、どうやって」

「まぁ、それはいろいろとしたわけよ。って言っても、俺の活躍があってこその現行犯逮捕だぞ。アイツは本当に容赦がないもんな。ここぞとばかりに散々こき使いやがって。おい、理子。本当にあんな奴が彼氏でいいのか?アイツは理子が思ってるような優男なんかじゃないんだぞ?そろそろ目を」

「尚ちゃん。その話はまた後で、ね」

「あ…、そうか。そうだよな」


 理子が窘めると、珍しく尚紀が口ごもった。

 可哀そうに。こんな状況下でもつい不満が口につくほど、こき使われたのだろう。

 家庭がありながら、こう夜な夜な家を空ける夫を美咲はどう思っているのか。子供達とのスキンシップはちゃんと取れているのだろうか。


「ごめんね、迷惑かけて」

「こら。それは言わないはずだろ。あ―…でもさ、これが解決したら、今度は俺を助けてくれよな。美咲の視線が日に日に痛いんだ…」

「わ、わかった。あたしがちゃんとフォローする」

「頼むぞ!チビ達に俺がパパだってしっかり言い含めてくれっ!」


 なんてこと、相当重症だ。

 理子は申し訳ない気持ちで、何度も頷いた。

 本来なら理子が解決すべきこと。だが蓋をあけて見れば、清水に王手をかけたのは修司であり尚紀で、自分はその後ろで怯えていただけ。

 当り前だ。傷つくのが怖くて、立ち向かうことができなかったのだから。時には相手に傷を負わすことも覚悟しなければならないのに、理子はそれすら怖がっていた。

 意気地のない自分。

 そんな理子を叱咤したのは、修司達だ。

 耐える事が自分にできる戦い方だと思っていたけれど、それだけでは何の解決にもならなかった。

 自分には頼れる人がいる。力になってくれる人達がいる。

 手を伸ばして助けを乞うたって、いいんだ。

 それを忘れてはいけない。

 自分に出来ること、出来ない事。

 その見極めは難しくても、今の自分に出来ることだけは、はっきりと見えている。

 

(これで、最後にするんだ)


 きゅっと唇を引き締めて、決戦の地へと向かった。



☆★☆


 着いた先は、ファミレスだった。

 窓際の席に向かいあって座る修司と俯いた清水が見える。

 理子は駐車場に車が止まるや否や、助手席を飛び出して店内へと向かった。ドアに手をかけたところで、一度大きく息を吸って、ぐっと腹の底に力を込める。


(よし!)


 震える心を奮い立たせて、二人のいるテーブルに近づいた。それに気付いたのは、入口が見える位置に座っていた修司だ。

 目が合うと、無言で頷く。理子も頷き返しながら、俯いたままの清水を見遣った。

 肩が微かに震えている。

 理子が修司の隣に腰を下ろす。少し遅れて入ってきた尚紀が、清水の隣に座る。窓際に追いやられた清水は、これで逃げる事もできなくなった。

 注文を取りに来たウエイターに尚紀が言葉少なく告げて遠ざける。

 修司達の前に置かれたグラスは、すっかり水滴も乾いていた。


「ごめんね、遅くなって」


 そう修司に囁くと、「そんなに待ってないから」と言われる。

 修司はいつだって理子に優しい。だが、彼女にはどうなんだろう。

 怯えて委縮する清水に、理子は改めて視線を向けた。

 こうして見ても、似ている部分はほとんどない。強いて言えば髪の長さくらいで、背丈も年も、今は見えないが顔立ちだってまるで違う。

 後は、名前のニュアンスだが。

 そんな些細な類似点にも縋ってしまった隆文に、今なら同情を感じることができる。

 

『……理子、か。久しぶりだな』


 約10年ぶりに聞いた声は、あの頃よりもずっと穏やかで優しかった。

 尚紀から事の顛末と、二人の間で交わされた密約を知り、その上で隆文に連絡を取ったのは、沙絵達とお昼を食べた翌日のことだ。

 隆文と話しをし、彼の本心を聞いたことで、ようやく理子の中でも過去が昇華された。

 なぜ、彼が理子にこだわったのか。

 どうして、ああもあっさり身を引いたのか。

 真実を知って、やはり自分は愛されていたわけではなかったのだと思い知らされたけれど、悲しいとは思わなかった。

 だって、自分には修司という大切な人が傍にいるのだから。


「卑怯者」


 沈黙を破り、口火を切ったのは、俯いていた清水だ。

 唐突に投げつけられた暴言は、他の誰でも無い。理子に向けられたもの。

 顔を上げた清水は、理子の予想に反して、くつくつと肩を揺らして笑っていた。


(もしかして、さっきも笑ってた……?)


 きつい双眸は赤く充血し、その中には理子に対する憎悪が揺らめいていた。


「さすが、姑息な女のやる事は違うわね。浅野課長補佐まで顎で使うなんて、私には到底真似できないわ。どう、今の気分は?なんて言っても、あなたが大将だもの。そこから見下ろす景色はさぞ良い眺めよね。男を手玉にとる事だけは、お上手なんだし。彼のように優しい人を騙すなんて、簡単だったのよね?何もできないって顔してれば、全部男がやってくれるって思ってるんでしょうけど、大間違いよ。たいした美人でもないくせに、図々しい。どうやって課長補佐に取り入ったかは知らないけれど、同じ手であの人もたぶらかしたんでしょう。そして、要らなくなったから捨てたのよね。……っ、あの人には家庭があったのに、将来だって約束されてたのにっ!全部、あんたが壊したんじゃないっ!!それを一人だけ幸せになろうなんて、大した女だわっ!あんたなんか居なくなればいいのよっ!さっさと消えてっ!!」

 

 真っ向から襲いかかる激昂に、理子はグッと奥歯を噛みしめて耐える。

 清水の怒りは、ほとんどが見当違いだが、まるきり嘘でもない。

 理子は自分が美人でないことは分かっているし、今回の件でも10年前も何もできなかった。修司をたぶらかしたつもりは毛頭無いけれど、理子に偏見を抱く清水からすればそう見えたのだろう。

 隆文の将来を壊したことだって、無関係とは言えない。

 知らなかったとはいえ、妻帯者と付き合っていたのは事実だ。

 彼の人生を狂わせる一端を担ったのは、間違いない。

 でも、だからと言って、彼女がした事が全て許されるとは思わない。この件に関しては、彼女は立派に加害者だ。


「―――だから?だから、あんな事したの」


 理子は震える声で問いかける。清水ははんっと鼻先で笑った。


「そうよ。当然の報いじゃない。あんたなんかに浅野課長補佐は似合わないわ。それくらい自分でも分かってるんでしょ。なのに、いつまでたってもしつこく彼につきまとって……。本当、見苦しいったら。さっさと別れなさいよっ」


 怨恨が刻まれたつり上がった口元、爛々と光る血走った双眸、髪を振り乱して叫ぶ姿は、般若のようだ。

 どうしてここまできてしまったのか。

 どこで間違えてしまったの。

 清水の境遇に同情はするけれど―――っ。


 その瞬間、乾いた音が店内に響いた。

 

 顔を右に向ける清水、身を乗り出して手を振りおろしている理子、それに瞠目する男二人。

 清水は叩かれた頬を手で押さえながら、顔にかかった髪の間から理子を睨みあげた。


「最低!何するのよ!」

「最低はどっちよ!その言葉、あなたにだけは言われたくないわ!自分が何をしたのか、分かって無いの?!殴られて当然の事をしたのよっ。人の過去をほじくり返して、貶めて、他人の不幸を笑ってるあなたこそ最低じゃない!」


 理子は振りおろした手で、ぎゅっと握りこぶしを作った。


「まるで世界の中心に居るような口ぶりね。いつから彼が付き合う相手をあなたが選別するようになったの。一体、何の権利があってあたし達に口出ししたりするのっ。あ、あたしが可愛くないことくらい、分かってるわ!それでも、彼はあたしを選んでくれた。それの何がいけないのっ。あたしにだって幸せになる権利はあるのっ」

「タカ兄の人生めちゃめちゃにしておいて、何が幸せになる権利よっ!それが図々しいって言うのよ!」

「違うっ、あれはあたしだけが悪いんじゃない!」

「この期に及んで、しゃあしゃあと……っ。よくそんな事が言えたものねっ!この……恥知らずっ!」


 今度は清水が手を振り上げる。理子が思わず目をつぶるのと、修司が理子を庇うのと、尚紀が振り上げた手を押さえるが、ほぼ同時だった。


「放しなさいよっ!」


 腕を掴んだ尚紀に、目を剥いて清水が噛みつく。


「あんたは、何も知らないんだよ」

「どういう意味よっ。あなたの妹がタカ兄をたぶらかしたんじゃない!」

「そうじゃないのっ!隆文さんは、」

「理子、俺が話す。―――あんたはさ、勝手な勘違いと思い込みでひとり空回りしてんの。俺がこれからヒールに成り損なった男の話をしてやる。座れよ」


 言って、尚紀が力ずくで清水を座席に戻した。


「そもそも佐々木がなぜあの会社に入社したのか、そして常務の娘と結婚したのか、あんた知ってるか?あの男はある計画が持ち上がってから、ずっと一つの目的の為だけに行動していたんだ」

「目的って、そんなの出世の為じゃ」

「違うんだな、これが。当時、あんた等の住んでいた区域一帯に土地開発事業の話があがってただろ。佐々木の目的はそれを白紙に戻すこと。その為に、あえて事業の親会社に入社し、常務の娘と結婚した」

「何を根拠にそんな嘘をっ、デタラメ言わないでっ!」

「なんであんた相手に、この俺が嘘を言うの。そんなことに何の得があるんだよ。これは本人から聞いたことなんだぜ?それにな、あんたがこんな事さえしなければ、一生聞かなくて良い話だったんだよ。いいか、よく聞けよ。佐々木達は仮面夫婦だったのさ。双方の利益が一致した上での政略結婚だ。妻には結婚前から付き合っている男がいたし、あの男も不倫を繰り返した。それも、決まって若い女ばかり選んでな。その中の一人が理子だ」


 言って、尚紀が理子に視線を向けた。







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