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窓恋  作者: 宇奈月 香
本編
32/46

31) 兄と妹


☆★☆



 いつもより少し遅めに帰宅した修司が、理子を訪ねたのは夜8時頃だった。

 その日一日の理子を様子をざっと母から聞いて、着替えてから家を出る。帰りに寄った携帯ショップの袋も忘れずに持った。


「今夜も泊まるの?」

「どうかな、まだ決めてない」


 昨日は母の思惑通り理子の家に泊まった修司に、母は軽く頷いた。


「好きにしたらいいけど、順番だけは間違えないでね。ちゃんと避妊はしなさい」


 なんだろう。もうすぐ30になる息子に堂々と避妊の義務を説く母は何者だ。

 一瞬固まると、にっこり笑った母が「あなたはお父さん似だから」と呑気な声で含みのある言い方をする。

 父親似だと何があるというのか。

 言葉の意図を量りかねていると、母が珠のように笑って言った。


「私達の頃って、今ほどデキちゃった婚が容認されてなかったでしょう?お祖父ちゃんなんて、そりゃあ怒っちゃって。そのままぽっくり逝くんじゃないかって、こっちがハラハラしたぐらいなのよ。お父さんもしらっとした顔で"うっかり忘れました"なんて言うものだから」


 昔の思い出話を楽しそうに話す母だが、その内容はかなりディープだ。


 うっかり何を忘れたって?


 恵比寿様のように人畜無害な笑顔を称えている父と、ピヨピヨ鳴いて歩く黄色いヒヨコの列が頭の中を行進する。

 とんでもない暴露話に言葉を失っていると、「あ、そうそう。これを持って行ってちょうだい」と母が冷蔵庫から何か取り出した。


 あの父に限って、よもや『うっかり』なんて事態があるわけない。

 

 人は父を恵比寿様のようだと言うが、あのパンパンに張った腹の中はどす黒く淀んでいる。

 嫌いな相手とでも飄々と酒を飲むし、何をいわれても大抵にこやかだ。

 お人好しで心が広いと言えば聞こえはいいが、その裏に鬼畜が潜んでいることを何人が知っているだろう。

 母の家系の血を濃く受け継いだ修司と父はまるきり似ていない。でも、母は昔から修司は父とそっくりだと言う。

 なんとなく、父の考えた事が分かってしまうこの寂しさ。

 もしかしてと浮かんだそれを母にぶつけてみる。


「もしかしてさ、父さんとじいちゃんが仲悪かったのって、そのせい?」

「違うわ。お祖父ちゃんは最初っから嫌いだったみたいよ。お父さんの事」


 台所でごそごそと作業をしている母の間延びした声を聞いて、やっぱりなと納得する。

 修司が幼い頃に死んだ祖父と父は、何かにつけて折り合いが悪かった。それもあけっぴろげに険悪なのではなく、ひっそりと悪かったのだ。

 好き嫌いがはっきりしてた祖父は、誰にでも同じ顔で接する父が鼻についたのだろう。

 祖父の怒りをのらりくらりと交わしていた父を思い出して、細く息をついた。


(父さん、はかったな…)


 つまり、父は『うっかり』忘れる事にしたんだ。

 このままでは母との結婚を認めてもらえないだろうと踏んだ父が、無理やり祖父に認めさす為にとった強硬策。それでもまだ反対されるようなら、いっそ駆け落ちでもしてやろうと思っていたに違いない。

 なんとも、あの父がやりそうなことだ。

 そんな父とそっくりだと言われた自分。何がなど今さら聞かなくても知っている。

 この性格だ。


「ね?だからあなたもうっかり順番を間違えちゃダメよ。はい、これ明日の朝、食べなさい。どうせ泊まるんでしょ」


 そして、父の企みは母にはだだ漏れだったと言うわけか。

 知っていながら、父の画策に乗った母も母だ。

 言って持ってきたのは、大皿に山盛り積まれたいなり寿司。明日の朝とは言わず、夜まで残りそうな量に母の大雑把な性格を垣間見る。

 どうやら母の中で、修司が向こうへ泊まる事はすでに決定事項になっているらしい。

 いったい母の思考回路はどうなっているのだろう。

 未婚の女性の元へ連泊する息子を容認する親は、きっとそういないはずだ。

 

「そこは親として止めるべきとこじゃない」


 つい修司がそう進言してしまうほどに。

 母はコロコロと笑いながら「あら、やだ。もう大人なんですもの。自己責任よ」と言って修司の腕を叩いた。

 父が母にだけは頭が上がらないように、きっとこの先修司も母にだけは敵わないのだ、と痛烈に確信させられた瞬間だった。



☆★☆



 玄関の引き戸を開けると、途端にピリピリとした雰囲気が肌を刺した。

 修司は中の様子を窺いながら、廊下から台所へ入る。持たされた大皿を置いて、一緒に携帯の袋も乗せた。

 背後には剣呑さの元凶が居る。振り返るとソファの上で二卵性の双子が膝を突き合わせて正座していた。

 

「―――なんでもっと早く兄ちゃんに言わなかったんだ」

「ご…、めんなさい」

「ごめんですんだら、警察はいりません。なんだ、この携帯の履歴は?メールの山は?兄ちゃん、とっても悲しいぞっ」

「すみません、…でした」

「しかも、そんなにガリガリになって!一体、お前は何になるつもりだったんだ?」

「あの……」

「口ごたえするんじゃない。兄ちゃんは怒ってるんだ」

「………」

「理子、何か言いなさい!」

「もうその辺にしといてやれよ」


 見かねて修司が止めに入る。

 修司の声に向き合っている兄妹が、同時に顔を上げた。

 息がぴったりあった動作に息をつくと、山下の肩に手を置いてもう止めろと無言で諌めた。

 漂う雰囲気と話の内容からこれが説教なのだと分かるが、どうにも修司の目には山下の遊びのように見えてならない。

 だいたい、この男の本気がこんなに生易しいわけがない。


「お前、言ってることが矛盾してるぞ。口ごたえするなと言いながら、何か言えはないだろう」

「だってだな」

「もう十分反省してる。そうだよね」


 振り返ると、理子は膝にぎゅっと握りしめた拳を乗せたまま俯いた。


「おい、修司。甘やかすなよ。今日という今日は、ちゃんと言い聞かせないと」

「さんざん甘やかしてきたのはお前もだろ」


 修司がじろりと睨めつける。山下はムッとしたものの、思い当たる節がある以上返す言葉がなかった。

 感情のまま髪をかきむしって「…分かったよ」とふてくされた。


「ほら、理子も顔を上げて」


 促して顔を上げさせば、案の定、涙が目にいっぱい溜まっている。だが昨日より肌の血色がよく見える。少しは眠れたということだろう。


「お兄ちゃん…」


 理子は恐々と涙目で山下を見た。

 普段は「尚ちゃん」と呼んでいる理子が、「お兄ちゃん」と呼ぶのを初めて聞いた。

 修司には今ひとつ迫力に欠ける説教でも、理子にしてみれば笑い事じゃないだろう。

 しっかりと怒りが浮かぶ兄の顔に小さな目が揺らぐ。

 黙って見守っていると、理子が小さな声で言った。


「…ごめんなさい。また、迷惑かけた…」


 握りしめた手の甲にぽたりと涙が落ちた。

 絞り出した涙声が訴える。無言で見据えていた山下が、一拍置いて呆れたように溜息を吐いた。


「ったく、本当にお前はっ」


 言って、項垂れている理子の髪を両手でぐちゃぐちゃにかき混ぜる。


「何回でも助けてやるに決まってるだろっ!兄ちゃん相手に遠慮なんかしやがって!このバカ理子がっ」


 わかったか!と頭を掴んで顔を上げさすと、泣き顔のまま理子が「…うん」と頷いた。

 漂っていた剣呑な雰囲気が、一瞬で霧散する。


(結局、コイツは何がしたかったんだ?)


 頼られない事が、嫌だっただけじゃないのか。

 本気の男は自分を「兄ちゃん」などとは呼ばないし、これほど簡単に相手を許したりしない。

 大方、これは理子に自分の存在を思い出させる為の、一種のパフォーマンス。

 彼女の周りには彼女を思う人間がちゃんといるのだと、再認識させるためにわざとやったことだろう。

 山下がすぐに理子の謝罪を受け入れたのが、なによりの証拠じゃないか。

 根っからのシスコンはどこまでも妹には甘い。

 かくゆう修司も理子に関してだけは、あの兄と似たり寄ったりなので、強気な発言は言えないのだが。

 それでも、自分もこんな風に見えているのかと思うと、少しだけこれからの態度を改めようかと思ってしまう。

 拭っては溢れる涙をまた拭っている山下は、これ以上に無く満足気。

 見ていて、ムカつく。

 しかも、合間に「バカ」とか「これだから理子は…」とか愚痴っているが、顔はしっかりとにや下がっている。

 冗談じゃない。俺はこんなんじゃないぞ。

 甘すぎる慣れ合いに眉を潜めてしまうが、山下にしてみればこの10年間、ずっとこの時を待っていたはずだ。理子がもう一度、自分を頼ってくれるのを。

 

(ほんと、面倒くさい兄妹だな…)


 一人っ子の修司には分からない感覚だ。

 呆れながらも、理子の穏やかな笑顔を見るとこれで良かったんだと思えてくる。

 微笑ましい光景。だが…、


「もうその辺にしておけよ?」


 いい加減、恋人にべたべた触るのは止めてもらう。

 いくら兄妹だからとはいえ、シスコンの触り方はどこかよこしまに見えるから始末が悪い。

 ぐいっと手で山下の顔を引っぺがして、その隙に理子を腕の中に囲う。

 二人の間に体を割り込ませて腰を下ろすと、途端に山下からブーイングが上がった。


「おまっ…、兄妹愛を確かめ合ってる最中に割り込むなんて、めちゃくちゃカッコ悪いぞっ!」

「カッコ悪くて結構だ。俺の理子にべたべた触るな」


 理子が誰のものか、見せつけるようにしっかりと腕に囲う。

 隣ではきゃんきゃんと山下が吠えているが、そんなことは修司の知ったことではなかった。






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