23) 反撃の狼煙
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「で、何か話があるんでしょ?」
焼き鳥の串を手に、沙絵がちらりと修司を見た。が、見られた修司は唖然とした面持ちで言葉を失っている。その隣に座る山下も然り。先程からビールのジョッキを掴もうとしているのだが、視線が沙絵の手元に釘付けになっているせいで何度も空を切っている。
テーブルに置かれた山盛りの串カツ。
ロビーで待ち合わせて、連れてこられたのは焼き鳥屋。付き合っていた時はお洒落なレストランや落ち着いた雰囲気の店ばかりだったが、今の沙絵は匂いが髪に移ろうと隣と肩がぶつかろうとお構いなしだ。
「とりあえず、串カツ100本。あと、ここからここまでを5本ずつと、玉ねぎフライ、トマトとキュウリを3人前ずつ、焼きおにぎりに生2つ、修司は車だからウーロン茶?」
注文を取りに来た店員が絶句するのも頷ける。3人で172本。初回の注文には多すぎる量だ。しかも沙絵は『とりあえず』とつけた。つまり、これだけで終わらないということだ。
焼き鳥屋というチョイスに「良いセンスだっ!」と絶賛していた山下も、今や完全に戦意を喪失している。
(どれだけ食べる気だよっ)
運ばれてきた量を目の当たりにして、軽く眩暈を覚えた。
「まずは乾杯!」
勝手にジョッキを合わして、一気に煽る。喉を鳴らしてビールを飲む姿は、効果音無しでCMに出れそうだ。テーブルに置く頃には、半分ほどが無くなっていた。
豪快すぎる。これがあの沙絵か?
「おい修司、沙絵ちゃんってこうだったのか?」
「……いや、初披露だ」
「……だろうな。変わったのは見た目だけなのかと思ってた」
おそらくこれが本来の沙絵なのだ。これまで修司が見てきたものが、虚像だった。その証拠に今の沙絵は生き生きとしている。
物言いたげな顔をして、修司の顔色を窺っていた頃の面影はもうない。
美味そうに串カツを頬張っている沙絵を見ていると、秋祭りを思い出す。そういえば、あの時も沙絵の目の前には大量の食べ物が置かれていた。まさかあれをここで披露するつもりなのか。
どうやら沙絵を甘く見ていたらしい。奢ると言ったのは早計だったのかも知れない。
テーブルに肘をついて、額を覆う。
だがこのタイミングで聞いておかなければいかないことがあるのだ。修司は気を取り直して沙絵を見た。
「沙絵。お前、俺と付き合ってる時、誰かに何かされなかったか?」
「はっ?何それ?あるわけないじゃん」
串を持つ手はそのままで、大きな目が驚いている。
「―――だよな」
いくら沙絵をちゃんと見ていなかったとはいえ、誰かに嫌がらせを受けている感じはなかった。痩せたと思ったのは、修司との関係に不安を感じていたから。
だとすれば、やはり山下の推測通りなのだろう。
「何よ、意味深ね。何かあったんでしょ?……もしかして、理子さん?何かされたの?」
「―――あぁ、されてる」
「されてるって、進行形?修司、こんなとこであたしとご飯食べてて良いの?」
「良くない」
こうしている間も理子へのいやがらせは継続している。
苛立ちを鎮めようとウーロン茶を飲むと、沙絵が目を剥いて怒鳴った。
「馬鹿ね!早く帰んなさいよっ」
「その前に確認しておきたかったんだ。本当に何もされていないんだな」
もう一度問い直すと、思いきり不服気な顔をしながらも頷いた。
「そうよ」
「なら、俺達が別れた後は?うちの課の清水に何か言われたか?」
『誰か』と言わず、あえて清水の名前を出したのは余計な手間を省くためだ。こんなところでもったいつけても時間の無駄だ。
「清水さん?ううん、何も…あっ、そういえば」
「何、言って」
思い当たる節があった様子に、修司の視線がきつくなる。
「うん、あれは秋祭りが終わった頃くらいかな。向こうから声かけてきて"課長補佐の事はもういいんですか?あんな人にとられて悔しくないんですか?"って言われた。その時はもうあたしも優治と付き合ってたし、修司の事も何とも思ってなかったから、別にって言ったんだけど。彼女間違いは正すべきだ、って」
いかにも清水らしい言い回しだと思う。
何を根拠に間違いだと言っているのか。自分の物差しでしか測れないようじゃ話にならない。
「でも、それだけかな。後は別に何も言われてないよ?……もしかして、あの人が理子さんに何かしてるの?」
食べる手を止めて沙絵が尋ねる。
「無言電話、理子の車への細工と、データバンクへの不正アクセス。でもそれは俺が知る限りだから、きっと他にしていると思う」
過去の不倫を言わなかったのは、必要無いと判断したから。ちらりと山下の視線を感じたが無視した。
「―――何よ、それ。もう犯罪じゃん」
「そうだ。完全に度を越している」
沙絵は信じられないと首を振って顔をしかめた。
「それで、理子さんは?何て言ってるの?大丈夫なの?」
一番に理子の安否を心配する沙絵に少しだけ心が救われる。目の前の彼女は清水のような陰湿さは微塵も感じられない、太陽みたいだ。
それに引き換え昨日の自分は何だ。思い出してまた気持ちが翳る。
返事にもたつくと、沙絵が怪訝な顔をした。
「もしかして何も聞いてないの?付き合ってるんでしょ?」
「付き合ってるよ。でも、何も言わないんだ」
「何でよ。様子がおかしいの気づいてなかったの?何で無理やりにでも聞かないのよ?」
その通りだ。だが修司は理子に嫌われたくなくて、嫌がることは何一つしてこなかった。
心をそむけられるのが怖かったのだ。
そんな修司の顔を窺っていた沙絵が、呆れた顔をしてせせら笑った。
「聞かなかったんじゃなくて、聞けなかったんだ。突っ込んではじかれるのが怖かったんでしょう?」
図星を指されたら閉口するしかない。修司はテーブルに置いてあった山下のタバコから一本取り出して火をつけた。
「都合が悪くなったら黙秘なんてちょっと卑怯じゃない?白状しなさいよ、嫌われるのが怖くて何も聞けなかったんでしょ?」
「―――そうだよ」
舌打ちしながら吐き捨てる。
沙絵は乾いた笑いを零した。
「修司ってさ、カッコいいし優しいけど、胸の中は絶対に見せてくれないよね。居心地は良いけれど、いつも寂しかった。だって受け入れてくれてると感じていたのは錯覚で、本当はその心の中にあたしはいなかったんだもの。違う?理子さんとの関係がどうなのかは知らないけれど、胸の内を明かさない恋人に悩みを相談する人なんているのかな。信用できないじゃん」
喋り終えて、ビールで喉を潤す。
修司は黙ってそれを聞いていた。
ただ可愛いだけの女だと思っていたが、修司の予想を超えて沙絵はいろんな事を見ていた。修司が一度も何かを要求したことが無いことも、どんな我が儘も受け止めていたのも、沙絵に興味が無いことを知っていたのだ。
体に入れたニコチンがやたらときつい。自分の気持ちを誤魔化すように煙を吐き出した。
「理子さんがどういうつもりで何も言わなかったのは分かんないけど、彼女だけが悪いとは思わないな。喧嘩して本音晒して近づいていくんじゃないの?大事な事ほど言葉にしないと伝わんないよ?ってこれは受け売りだけど」
ぺろりと赤い舌を出してちゃめっけを出した沙絵がはにかんだ。
「修司もさ、思ってる事とか不満に思ってる事とかちゃんと言ってみなよ。理子さんならきっと受け止めてくれると思うんだ。だって見てて思うもん。理子さん、修司の事大好きだよね。気持ち口にするのは怖いけどさ、言っちゃうとこんなものかって吹っ切れるとこもあるよ。理子さんが言えないなら、修司から言えば良いんだよ」
まさか5歳年下の女の子から説教されるとは思わなかった。
だが、沙絵は修司よりもずっと大人だ。心をぶつけ合う事を怖いと言いながらも、きっとそうして来たのだろう。
「カッコいい修司も良いけど、カッコ悪い修司があっても良いんじゃない?それを見れるのが恋人の特権ってもんでしょうよ」
しかもなんて決め台詞まで持っているのか。
カッコ悪い修司。
確かに、付き合っていた彼女達には一度だって見せたことが無い。いつも受け止める側で、誰かに向けて気持ちを発信することなどなかった。初めてそうしたいと思ったのが、理子だった。
沙絵の言うとおり。大事な事ほど言葉にしないと駄目だ。
自分達は圧倒的に言葉が足りなかった。
理子が大事だと思っていたくせに、良い面しか見せてこなかった自分はカッコつけていただけだ。
「沙絵は、凄いな」
もっとちゃんと向き合ってみれば良かった。適当な恋愛ではなく、相手の事をよく見ていれば違う面がたくさん見れたのだ。
少なくとも、沙絵のことを『可愛いだけの彼女』などとは思わなかった。
「でしょ?もっと褒めてよ」
自慢げに胸を張る姿に笑みがこぼれた。短くなったタバコを灰皿に擦りつける。
「それで、話は戻るけど。清水さんが犯人だって分かってるんでしょ?これからどうするの?」
注文したメニューの半分ほど食べ終えた沙絵が、空いた皿を脇に寄せて身を乗り出した。
「あたしに何かできることある?」
「あるわけないだろ」
相手は犯罪に手を染めている。無言電話から始まったいやがらせも徐々にエスカレートしている様に、清水の精神状態の危うさを感じる。
もう当初の目的が薄れて、ただその行為に快感を感じるようになっているのかも知れない。
だとしたらどこにそれが飛び火するか分からない。そんな状態の場所に沙絵を飛びこませるわけにはいかなかった。
「いいか。しばらくは一人になるなよ。自転車通勤もバスに戻せ。できないなら彼氏に送ってもらって。必ず傍に誰かいるようにしろ」
「えぇっ、大丈夫だよ」
大げさだと目を細めるが、沙絵は事態を軽く見ている傾向が窺える。これはゲームではない。
「絶対に駄目だ。沙絵が暴走するなら、お前の彼氏に止めてもらうことにするよ」
一度だけ見た野性的な男。
彼氏の話題を口にした途端、沙絵の様子が変わる。
「え……、優治に?いいよ、言わなくても」
「今日も迎えに来るんだろ。俺から言っておくから。いいか、何かあってからじゃ遅いんだ。俺は理子を守るだけで手いっぱいで、沙絵のことまで手が回らない」
「でも…。ここまで聞いてるのに、何もしないなんてできないよっ。あたしだって理子さん心配だもん!」
沙絵は理子の親友でもある水嶋 志穂を姉のように慕っている。そこから理子とも知り合い懐いていた。
大きな目が真っ直ぐ修司を見つめる。
本気で理子を心配している沙絵だからこそ、不安なのに。今、理子に関わるすべての人間が同じ危険に晒されている。
修司や山下は自分の身は守れる。だが、沙絵や美咲はそうじゃない。
清水がどこまで知っているのかは分からないが、大事なものを危険に晒したくないと思う気持ちは山下も同じのはずだ。山下は美咲に何も告げていない。
「修司、お願い!危ないことは絶対にしないからっ」
懇願されても、頷くわけにはいかなった。
「駄目だ。聞きわけろ」
「お願いっ!自転車もしばらく止める、絶対に一人にならないからっ。だって理子さん、今苦しんでるんでしょ?」
一点の曇りもない眼差しには、真摯な光が宿っている。しばらくそれを見つめ返していたが、吐きだした溜息と共についに修司が折れた。
「―――わかったよ。でも無茶は絶対にするな」
「やったね!」
パチンを指を鳴らして、その手で店員を呼んだ。
「すみませ~ん!生追加と、あと冷ややっこと、ご飯下さ~い!」
「おいっ、まだ食べる気か?」
半分は消化したとはいえ、まだテーブルの上には並々と串の山が盛り上がってる。ほとんど沙絵の胃の中に収まったのだからいい加減限界だろうと思っていた修司が甘かった。
「こんなの序の口だもんっ。言ったでしょ?修司の財布食いつぶしてやるって」
「もうとっくに食いつぶされてるし飲み干されるよ。…おい、どさくさにまぎれてお前も何注文してるんだっ」
山下も勝手に好きなものを注文し始めている。いったい今夜一晩でどれだけの金が飛んでいくことか。
やはり奢ると言ったのは、間違いだった。
「それで、どう反撃するつもりなんだ?あるんだろ、計画が」
新しく来たビールを一口飲んで、ようやく山下が核心に入ってきた。
半分やけくそ気味になった修司が、忌々しげに食べ終えた串を串入れに差し込む。
「あぁ。お前には十分に働いてもらうぞ」
言って、冷笑を浮かべる顔に『王子』の仮面はついていなかった。