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窓恋  作者: 宇奈月 香
本編
22/46

21) 不審の芽


☆★☆



 その日、理子が自宅に戻ってきたのは、夜8時。夜風が徐々に肌寒く感じ出した。

 

「すみません。ありがとうございました」


 送ってくれた相手に礼を述べて、助手席を降りた。

 無言電話はいまや『いやがらせ』というアビリティまで持っている。郵便受けに入っていた写真と同じものがメールで添付されてくる、とうとう今日は車のタイヤがパンクしていた。後輪右側のタイヤに釘が打ち込まれていたのだ。

 気がついたのは、定時で仕事を終えてスーパーに買い物に行った時だ。


「お嬢さん、車のタイヤ。パンクしてるよ」


 親切に教えてくれたのは、隣に停車した車の持ち主。たまたま駐車する時に気づいてくれた。

 それからいつも車検を受けている自動車販売会社に連絡し、レッカー車に乗せるまで約30分。一本だけかと思っていたが、左タイヤにも釘が刺さっていた。

 どこで落ちていたんだと目を疑うほど太い釘。しっかりと根元まで刺さっている様に、「これは自然に刺さったとは言えないですね…」と整備員も引き気味だった。

 形になって出てきた悪意に、ぞっとする。もしこれで事故に遭っていたらと思うと背筋が震えた。

 代車を用意してもらえることになったが、理子はそれを断った。また同じことをされかねないと思ったからだ。

 車は修理と点検を兼ねて、しばらく預かってもらうことにした。先ほど送ってくれたのは、販売会社の社員だ。

 明日からはバス通勤にしよう。

 家を出る時間が早まるが、事故に遭うよりはましだ。

 重いため息を吐き出しながら、玄関のカギを開けて中に入る。


「……ただいま」

 

 暗闇に声をかけると、帰りを待ちわびていたシュウがちぎれんばかりに尻尾を振って駆けてきた。


「良い子にしてた?」


 後ろ足で立って、前足でおいでおいでと手招きする。それは早く撫でろという催促だ。

 小さくて柔らかくて温かい、生きている温もり。

 無条件の愛情を表わすシュウに、ずっと張りつめていた緊張の糸が緩んだ。途端、涙がこみ上げてくる。

 どうして……。

 なんであたしばっかり。

 何をしたというんだ。ここまでされるほどあたしが何をした。

 理由も分からず、毎日淡々と繰り返されるいやがらせに精神は疲弊しきっている。

 負けないと啖呵を切ったものの、限界はすぐそこまで来ている。

 犯人も目的も分からないことが、さらに理子の不安を掻きたてていた。

 誰かに相談したい。

 修司に、尚紀達に話してしまいたい。助けてと叫びたい。

 だが、10年前の出来事が理子を思い留まらせている。

 相手は隆文かも知れない。もしそうならば、絶対に修司には言えない。彼に不倫をしていた過去を知られたくなかった。

 尚紀達もそうだ。また理子に手を伸ばしたと分かれば、今度こそ何をするか分からない。

 一人で戦うと決めたのに。

 もう誰にも迷惑をかけないと誓ったのに………自分は脆い。

 どれだけ嫌がらせを受けても平然とし続けることが、理子なりの戦い方だった。

 犯人は徐々に距離を縮めてきている。理子が動じないことに苛立ちを募らせているのだろう。

 もう少し、あと少し耐えていれば、きっと犯人は理子の前に現れる。

 だが出口はまだ見えない。

 暗闇から不意打ちで伸びてくる悪意に、心は傷ついていた。

 誰でも良い、何でも良いからここからの突破口を教えてほしい。

 あたしに何ができる―――?

 ギュッと小さな体を抱きしめる。すると玄関を向いていたシュウが鳴いた。


「…理子ちゃん?」


 肩が震えた。修司だ。


「どうした?電気もつけないで」

「ダメっ、つけないで!」


 部屋に上がってきた修司が蛍光灯のスイッチを押したが、理子がその上から消した。

 きっと今はひどい顔をしている。こんな情けない泣き顔を見られたくない。

 様子が違う理子に、修司が眉を寄せた。重なった手はかすかに濡れている。

 

「……何があった」


 静かに穏やかに問いかけられて、理子ははち切れるほどの悲しみを堪えて首を振る。


「……何にも、ない」

「ならどうして泣くの?」

「泣いて…ないっ」


 こんなのは泣くとは言わない。悔しくて情けなくて流す涙など見られたくなかった。


「……ごめん。今日は帰って」

 

 付き合って初めて修司を拒絶した。

 今側に居られたらきっと話してしまう。修司にすがりついて全部さらけ出してしまいたくなる。

 修司を巻き込むわけにはいかないのだ。

 理子は振り向きもせず、そのまま二階に続く階段を上り出した。

 どこでもいいから、とにかく今は一人になりたい。


「俺はそんなに頼りにならないのか?」


 背中にかかる問いかけに、足が止まった。驚いて後ろを振り返る。

 外灯だけ灯った玄関で見る修司の顔はひどく悲しげに見えた。


「何も言わないのは、信用できないから?俺は君の彼氏じゃないの?」

「彼氏だよ…?浅野君はあたしの彼氏だよっ!」

「でも悩みは言えない。理子の一番近くにいると思っていたのは俺だけ?」

「違う…っ」

「違わない。君は一度も俺を頼らないじゃないか」


 それは涙が出るほど悲しい響きだった。

 傷つけた…?

 迷惑をかけたくなくてしたことが、修司を傷つけたのか。

 理子が悩みを打ち明けないのは、優治だからではない。誰にも言わないだけだ。

 自分の事は自分でするしかないと思ってきたから。誰かに相談する時は、もう自分の中では決まっている事。背中を押してほしくて話すことはあるけれど、悩みの最中に誰かに話すことはしない。

 だがそれは理子の意見で考え方だ。

 修司は違うのかも知れない。小さな事でも話してもらいたかったのではないか。

 それに気づいたからと言って、抱えたこの悩みだけは知られるわけにはいかない。

 言えば過去の事まで知られてしまう。

 修司に背を向けられるのだけは耐えられなかった。

 言って楽にないたいという衝動と、それを抑え込む理性がせめぎ合う。息苦しくてうまく声が出ない。


「……ご、めん」


 今はそれしか言えなかった。


「自分が今どんな顔をしているか分かってる?そんな顔して泣いているのに、何もないわけがないだろう。ここ最近、ずっと何かに脅えていたね。それは何?どうして今日は自分の車じゃないの?」


 矢継ぎ早の質問。

 ありのまま伝えればいいのだろうか。

 押し黙ると、修司がため息を吐く。


「今日、理子が不倫してるって言われた。相手は大学時代の不倫相手で今も続いている、そう言われたよ。昼間に電話をかけている相手とさっき送ってきた人は、同じ"タカフミさん"?」


 修司の告白は理子を愕然とさせた。膝の力が抜けそうになる。

 

「ど…して」


 なぜ知られてしまったのだろう。

 確かに理子は昼間何度か電話をしていた。

 写真を見て無言電話の相手が隆文ではないかと疑っていたからだ。今まで無視していた無言電話に出たのは確証が欲しかったから。

 一言でもいい。声を聞けば相手が隆文であるかないかは分かる。

 だから理子は何度も呼びかけていた。

『隆文さんなの?どうしてこんなことをするのっ?』

 向こうが会いたいと言うのなら、会ってもいい。

 ―――隆文とは二度と会わない―――。

 そう尚紀とした約束を破ってでも、理子は真相を確かめたかった。

 

「答えろ。あれが不倫相手なのか」

「ち、違うっ。あの人はただの車屋さんでっ」

「車は?」

「……修理に出したの」

「なら代車があるだろ。言えば迎えに行ったのに、俺に電話しようとは思わなかった?」

「今日…は、いろいろあって…」

「いろいろね」


 修司の言い分はもっともだ。理子だってできるならとっくにしている。

 だが迎えに来れば、パンクが故意だと分かってしまう。うまくごまかしきれる自信がなかった。

 

「理子」

 

 聞いたことのない冷たい声音に何も言えなくなる。

 誤解だ。そう言いたいのに言葉が途切れ途切れになってうまく伝わらない。

 必死で隠してきた過去は、とっくに修司にばれていた。そのせいで修司への気持ちすら疑われている。 もういっそ全部話してしまおうか。

 無言電話や嫌がらせの事を全部話したら、誤解は解けるのだろうか。


「俺は理子の何を信じればいい?違うというなら信じられるものをくれ。何も話さないのは卑怯だ」

 

 ざっくりと心が切れた。

 卑怯と言われ、言葉を無くした。

 何か言わなければと思うけれど、何も浮かんでこない。

 縋る思いで修司を見つめる。

 それでも、これだけは今言わなくてはいけない。


「あたしは……浅野君が好きなの」


 疑われても信じられなくても、この気持ちだけは本当。

 

「は…っ、意味がわからないよ。それが質問の答え?」


 修司が初めて理子をバカにしたように笑った。

 伝わらない想いに唇を噛みしめる。このままでは修司が離れて行ってしまう。

 でも、どうすればいいか何も考えられない。

 考えることが多すぎて、気持ちもいっぱいいっぱいで、何日もうまく眠れなくて、まともに考えることなんてできない。

 項垂れると、


「……理子は"信じてほしい"と言わないんだな」


 聞いている理子の胸がつぶれるほど、悲痛な呟き。そのまま修司は出て行った。

 力が抜けて、ずるずるとその場にしゃがみこむ。

 最後に言われた言葉が今までで一番深い傷をつけた。

 言えるわけがない。隆文が口癖のように言っていた言葉を理子が言えるはずがなかった。

 何度も裏切り続けられた言葉にどれだけの信憑性しんぴょうせいがあるのか。

 信じてほしい。そう言えば修司は信じたのか?

 修司は信じられるものをくれと言った。今の理子に見せられるのは修司を思う気持ちだけ。形にはできないから言葉にした。


「……疑ってるくせに」


 折角伸ばしてくれた蜘蛛の糸を、理子は自らの手で引きちぎってしまったのだ。



☆★☆



 同じ頃、情報管理部所属の山下がとあるデータを見つけていた。

 それは課長職以上のパスワードが無ければ、アクセス不可能である『個人情報』データ。

 この1か月で、2度不正アクセスされた形跡がある。

 痕跡を辿るが、海外のサーバーを経由しているため、発信元の特定は難しい。だが、追跡者は山下だ。

 大して手を煩わせることなく、徐々に獲物を追い詰めていく。

 趣味が高じ過ぎたパソコンオタクの山下。この程度の目くらましが通用するわけがなかった。

 10分後、現れた獲物に照準を合わせた。

 なんと発信元は社内。

 防犯カメラの映像とアクセス時刻を照会して、映像を映し出す。

 

「へぇ、やってくれるね」


 冷酷な顔にうっすら笑みすら浮かべて、画面に出された映像を眺める。

 キーボードを操作して、犯人が見ていたデータを出した。


 そこには、理子に関する個人情報が映し出されていた。






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