17) 伝わった想い
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想いはちゃんと届いただろうか。
小さな目にさまざまな感情が映る。
驚き、当惑、疑心、そして……。
歩みが遅くなった理子を連れて、人波から外れる。喧騒を避けるように歩けば、辺りはすぐに静寂に包まれた。
祭りの灯りが少し遠くなる。理子は終止無言だった。
(早まったか…)
沈黙が重い。
感じたサインは、独りよがりな思い込みだったのか。
彼女の気持ちが知りたいと思った。
あふれる気持ちを抑えることが出来なくて、告げた。ありったけの想いが詰まった一言。
それを口にするのに必要なのは、伝えたいという強い気持ち。
どうか自分と同じ気持ちでいてほしい。あの瞬間、彼女の気持ちを感じられたから「好きだ」と告げた。
この先へ続く道を理子と共に歩み出したかった。その為の大事な言葉。
あれきり口を噤んでしまった理子が、今どんな表情をしているのか、修司からは見えない。
何か言ってほしいと思う反面、答えを聞くのが怖い。
彼女から聞きたいのは「好き」の言葉だけ。「でも」や「ごめん」は要らない。
まして「ずっとお友達で」なんて教科書通りの断り方なら、いっそ「嫌い」と言われたい。
いままで適当な恋愛をしてきた立場で、言えた義理ではないのも知っている。
それでも理子にだけは「好き」と言われたい。
結局、理子が口を開くのを待つしかなかった。
ただ繋いだ手を握り締めることで、理子と繋がれるような気がした。
「あた…し」
立ち止まった理子の声に、心臓が高鳴る。
(頼む……っ)
無意識に握る手に力が籠った。理子は一度瞼を伏せて、まっすぐ修司を見た。
宿るひとつの決意を、修司は食い入るように見つめた。
「あたしは、…ずっと。ずっと前から好き」
花開くように笑うさまを茫然と見つめる。
こんなにも胸を温める笑顔は見たことが無い。伝えて良かった。言えて良かった。
間違ってなかったんだとこみあげる喜びに、目の奥が熱くなった。
心が通じ合うことが、こんなにも心を揺さぶるものだと初めて知った。
幸せ過ぎて泣きそうだ。
不安が現実にならなくてよかった。
解放されると、溜息が出た。
「良かった」
そんな修司を見て、理子が微笑んだ。
「もしかして緊張してた?」
「当り前だろ、告白したのは初めてです」
ほっと肩の緊張を解いて、くすりと笑う理子を見る。
想いが繋がって良かった。
答えが分かれば"どうしてたった一言が"と思えるが、それは今だから思えること。
あの緊張と不安は過去最高だ。
「浅野君。ありが…とっ」
理子が声を詰まらせる。俯いた小さな頭に空いている手を乗せた。
「泣くなよ」
「泣きま…せんっ」
ムキになっているが、声はしっかり涙声だ。意地っ張りな姿が愛おしくて、笑顔が零れる。
「化粧、とれるよ?」
「だっ…から、泣いてないってば!」
言って顔を上げた理子は、確かに泣いていない。が、祭りの灯りが目尻に溜まった涙に反射して宝石みたいだ。
前に理子の涙を見たのは里奈を抱いた時だ。あの時も綺麗だった。
手の甲で鼻を押さえながらすすって、恥ずかしそうにはにかむ。
「なんか、本当にお腹空いてきたね」
不思議だ。理子との距離が急に縮まったように感じる。
繋ぐ手の長さも二人の立ち位置も変わらないのに、すぐ近くに理子を感じる。
修司は嬉しくなって理子の頭を撫でた。
触れたいと思う人に、いつでも触れられるこの距離感が修司を幸福にさせる。
「じゃあ、今度こそ本当に広島焼き買いに行くか」
歩き出すと理子が隣に並んだ。もう遠慮がちに半歩後ろを歩いたりはしない。
修司を見上げる笑顔が可愛い。
また人波に戻ると、相変わらずの賑わいが二人を迎える。
アーケードに入ると、ぐっと人口密度が上がった。
誰かとぶつからないよう理子に左側を歩かせた。屋台の様子は見えにくくなるが、本人もさほど気にしていない様子だ。
それよりも、さっきから修司にもの言いた気な視線を送ることで頭がいっぱいになっている。
口を開きかけては止めるという仕草を何度も繰り返して、チラチラと横目で見る。
どうせ、また微笑ましい何かを考えているに違いない。
「あのさ、もし友達とかに会ったら、浅野君のこと、…その、か、"彼氏"だって言ってもいい?」
(ほら、やっぱり)
改めて確認する必要などないのに、理子はそうやって実感を得たいのだろう。
かくゆう修司も、まだ実感がないのだ。友人から恋人になって、まだたった10分程度。
何度でも言ってくれればいい。
理子が修司を『彼氏』と呼ぶ回数が、恋人になった実感をくれる。
伺いを立てる顔が少し左に傾くと、簪から涼やかな音色が鳴った。
「いいよ。俺も理子ちゃんのこと『恋人』だって言うから」
「こ、こ、恋人って…!」
せっかくの白い肌が朱色に染まる。理子の中では彼女より恋人はランクが上だったようだ。
「違うの?」
こうやって目を覗きこめば、必ず彼女が固まるのを知っている。それを承知でやるのだから、いい性格だ。
理子の困る顔が見たくてたまらない。
そうさせているのが自分だと思えば、尚更S心に火が灯る。
「ち…がわない」
視線をせわしなく動かす姿は、立派に小動物。
今や修司が愛してやまない存在になっている。
「これからは誰に聞かれても、ちゃんと付き合ってるって言えよ」
「え……」
「会社で、聞かれたんだろ」
二人の関係を聞かれていたのは理子だけではない。修司も何人かに同じ質問をされた。
その時は適当にごまかしていたが、『白雪さんは付き合ってないって言ってましたよ』と親切にも教えてくれた女子社員がいたのだ。
真面目な理子が嘘でも『付き合っている』と言うわけがない。ただの友人と断言されるのはもっと嫌だが、分かっていてもおもしろくなかった。
「知ってたんだ」
「まあね」
「……ごめんなさい」
あの時はまだ付き合っていないのだから、理子が詫びる必要はない。修司は笑って許した。
「そういえば、理子ちゃん。さっき"あたしはずっと好きだった"って言っただろ?それっていつから?」
「ひっ、人の告白、繰り返さないでっ!」
修司の唐突な質問に、理子はそれこそ耳まで真っ赤にさせた。
手を振りほどかんとする勢いを、繋いだ手に唇と落とすことでなだめた。
池のコイさながら口をパクパクさせる理子に、もう一度「教えて」と問いかける。
一連の行動がどれだけ理子の心拍数を上げているかは、見ればわかる。だが、どうしても気になっているのだ。
あの時は嬉しさで有頂天になっていたあまり聞き流したが、忘れたわけではない。
理子の存在を知る前か、知り合ってからなのか。
想いの長さがどうというわけではないが、彼女がどれだけの時間をかけて自分を思っていてくれたのか聞いてみたい。
理子は一瞬修司の顔をさぐる目をして、それから「やっぱり覚えてないかぁ」と寂しい顔をした。
「覚えてないって、なにが?」
「あたし達、小学生の時一度だけ会ってるのよ。このお祭りで」
「えっ?どういう事」
「あたしね、ここで迷子になったことがあるの。昔はうずらのヒナとかヒヨコとか売ってたじゃない。それに夢中になっている間に家族と離れ離れになっちゃって。道脇で泣いてたあたしを交番までつれて行ってくれたのが、浅野君。忘れちゃった?」
☆★☆
『どうしたの?もしかして迷子?』
道脇で泣いていた小さな女の子。修司は父親と一緒に秋祭りに来ていた。
自動販売機の脇で桃色の浴衣を着た女の子がひとりで泣いている。声をかけたら小さな女の子が小さな二つの目で修司を見た。
目に涙をいっぱいためて、鼻を真っ赤にさせて涙まみれになった、少し太った女の子だった。
修司の問いかけに、女の子は無言で頷く。
『どこではぐれたの?』
尋ねると、少女は指ですぐ近くの人だかりを指した。
そこは大きなたらいいっぱいに生まれたてのヒヨコを売っている場所だ。可愛さにつられて買っていく人もいるが、やがてあれが鶏になると思うと、欲しいとは思わなかった。
起こされるのは、目ざまし時計と母だけで十分だ。
修司にはガチャガチャで手に入れた『キン○マン』のキン消しの方がよっぽど魅力的だった。
少女もヒヨコの可愛さにつられた一人なんだろう。
案の定、見ている間にはぐれた、と泣きながら言った。
途方に暮れて泣きじゃくる少女に「交番に行こう」と言ったのは、父だ。
『おいで。僕と一緒に交番に行こうよ』
父に言われた事を復唱しただけだが、差し出した手を小さな手が握った時は不思議な高揚感があった。
幼いながらに「守ってやらなくちゃ」と思った。
修司と手を繋いで、100mほど先にある交番に少女を預けた。少女は『ヤマシタ リコ』と名乗っていた。警官に修司達も名前を聞かれた。
『泣かずに待っててね』
不安そうに修司を見ている少女をなんとか励ましてやりたくて、修司は持っていたキン消しを渡した。
小さな手はとても柔らかくて、マショマロみたいだ。
その手にせっかく出た『キン○マン』を押しこんで、交番を後にしたのだ。
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ようやく思い出して、修司は茫然と理子を見下ろした。
(あの時の女の子か…?本当に?)
記憶の中の少女は本当にぽっちゃりとしていて、今の理子と結びつかない。だがこのつぶらな目は、言われてみればあの少女と同じものに見える。
思い出さなかったのは、見た目の変化と少女の名前が『ヤマシタ リコ』だったからだ。
(そうか、両親が離婚する前だったんだ…)
合点がいくと、「やっと思い出してくれた?」と悪戯っ子のように理子が顔を覗き込んだ。
「思い出した。っていうか、気づかなかった」
正直に言うと、理子は可笑しそうに笑う。
「あの時はだいぶ太ってたし、名前も違ったしね。会社に入って浅野君の名前を見つけたときは、びっくりしたよ。しかも幸子さん家のお隣さんだし」
その時の様子を思い出して、
「絶対、運命だって思った」
自信満々に告げる。
「その割には随分と長い間待ってたんだな」
修司がもし実家に帰らなかったらどうするつもりだったんだろう。きっと、今でも遠くから見ているだけだったのだろう。
それを思えば、アパートが水浸しになったのも、ふろ場でおかしな鼻歌を聞いたのも、偶然という名の運命だったように思える。
すべてが修司に理子の存在を教えるためだとしたら、確かにそれは運命なのだろう。
「本当ね」
あの鼻歌を聞いていなければ、きっと理子に興味を抱かなかった。
「でもそのおかげで、理子ちゃんに会えた。―――――これからよろしく」
「こちらこそ」
理子は極上の笑顔を見せた。




