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窓恋  作者: 宇奈月 香
本編
13/46

12) 生まれた命


☆★☆



 ショーウィンドウに映る姿を見たのは、これで何度目だろう。 

 頭ひとつ分違う背丈。並んで歩く二人の姿。前を向く横顔を見る度に、胸がときめく。

 修司はいるだけで目を惹く。行き交う人がその姿を目で追うほど素敵だ。

 そんな彼の隣に居る自分は、どう見えているのだろう。

 

 恋人―――?

 

 本当にそうなら良いのに。

 贅沢な願望は、少しだけ自分を優越感に酔わせる。でもそれは偽物の優越感。

 

 私服姿の修司は、会社で見るより近づきやすい雰囲気を漂わせていた。

 スーツを脱ぐだけで、これほど人の印象が変わるものなのか。それともかけているメガネもいつもと違うからか。

 どちらにしろ、ときめきが止まらない。

 気合いが入りすぎないよう厳選を重ねた今日の服装は、隣に並んでもおかしくないか。そればかりが気になる。

 せめてヒールはもう少し色を抑えた物にすれば良かった。

 理子はジーンズよりも、スカート派。特に夏場はショートパンツか、膝上スカートが定番化している。ただでさえ暑いのに、肌を通気性の悪い分厚い生地で覆うことへの抵抗感と、汗で肌に生地がひっつく気持ち悪さが嫌だった。

 だけど、今日はジーンズ。

 昨日、素足だったせいで修司に入らぬ気を遣わせてしまったことを反省して選んだ。なにより沙絵がスカートばかり穿いていたのを見ていたからだ。

 比べてほしくない。前の彼女と同じと思われたくなかった。

 残念なのは、修司はさほど理子の格好に興味はなさそうということだ。

 彼女でもないくせに、元カノと張り合うなんてどうかしている。嫉妬じみた意地は、修司への想いを知らしめるだけなのに。

 

(結局、スーツもそのままになっちゃった…)


 気にするなと言われれば、余計気にする。

 優しい修司のことだ。クリーニング代は受け取ってもらえないだろう。ならばせめてものお詫びに、今日のお昼を奢ろうと決めていた。

 だが、


「なんで?」


 レジで真顔で聞き返された。

 修司は顔が整っている分、ふとした表情が怖い。今もそうだ。

 びくついている間に、さっさと二人分出してしまう。


(しまった…。奢るつもりが奢られてどうするの)


「……ごちそうさまでした」


 借りを返すはずだったのに。肩を落とす理子を見て、修司が忍び笑いを堪えている。


「そんなに出したかった?」

「うん」


 そのつもりで財布を膨らませてきたのだ。

 どんな店に入っても平気なように、万札を4枚も入れてきた。今なら焼肉だって行ける。

 が、食べたのは、ラーメン。

 しかも、その理由が『理子ちゃんが食べたそうにしてた』からだ。


(そりゃ、おいしそうだなって思ったけどさ。初めてのデートでいきなりラーメン食べる女ってどうなのよ?可愛くないでしょ?)


 少しでも修司には可愛く見せたいのに。

 と言っても、何が可愛いのかもわからない。

 久しぶりのショッピングモールは楽しかった。目移りばかりしてあの店この店とふらふらしては、修司を振り回していた。

 修司は全く気にしていないようだったが、内心面倒くさいと思っていたんじゃないだろうか。

 『王子スマイル』は、なかなか本音を見せてくれない。

 本当は隣で笑いながら、一歩後ろをついてくるような大和撫子が好きだったらどうしよう。

 

「だったら、帰りにコーヒー奢ってよ。駐車場にスタバあっただろ」

「コーヒーでいいの?」

「いいよ。好きだし。理子ちゃんは?」

「あたしも好き。でもきっと頼むのはホイップクリームがいっぱい入ったヤツ」


 それとドーナツ。

 この後お見舞いに行かなければ、陳列してある分全部買い占めるくらいの大好物だ。

 

「じゃあ、そろそろ行こうか。戻った頃にはいい時間になってるよ」


 買ったお祝いを持って、修司が言った。

 当然のように、理子が買った分も持ってくれる。


(なんて良い人)


 理子は急いで後を追った。



☆★☆



「み~さき」

「理子っ!?わぁぁ、来てくれたんだっ」


 ベッドに腰かけていた美咲が、二人を見て目を輝かせた。


「え~、何なに?二人で来たの?」

「うん。だって今、お隣さんだもん」

「あ、そっかぁ。そうだったよね」


 理子よりも10センチは背の低い美咲は、二児の母には見えないくらい若い。

 伸ばしていた髪を「洗うのが面倒になった」と言って、出産前にばっさり切ったので、今はうなじが見えるほど短くなっている。

 おっとりた性格は、言いかえれば多少の事で動じない腰の据わった性格。

 菩薩様のような深い懐で、お調子者の尚紀なおきを上手に遊ばせている。

 きゃあきゃあと手を握り合ってひとしきり騒ぐと、頃会いを見て尚紀が止めに入った。


「はいはい。二人とも、その辺にしような。ほら、修司が遠くに行ってるぞ」


 慌てて振り向くと、完全に乗り遅れた顔をした修司が佇んでいる。


「いや、大丈夫…」

「ご、ごめんなさい。つい嬉しくって」


 駆け寄って謝ると、修司はあの優しい顔になった。

 そういえば修司にはまだ山下夫妻との関係を話していない事に気づいた。

 昨日、車の中で話を出した時は普通に返してくれたのを見ると、理子が知り合いだというのは知っているようだ。ただの友人で通しても構わないのだが、修司には本当の事を告げても良い気がした。


「あ…っと、美咲とは大学時代からの友人で、そして彼は…」


 ちらりと尚紀を見て確認をとる。頷くのを確認して、


「黙っててごめんなさい。あたしの兄です」


 と紹介した。

 予想通り「えっ?」と驚きを漏らして絶句する。整った顔を驚愕に染めながら、機械仕掛けのロボットみたいに、ゆっくりと理子を見下ろした。


「は……?兄って、何?」

「え~、つまり彼とは二卵性の双子で、親が離婚して別々に引き取られたんです。それから両方の親が再婚したので、苗字は違うんですけど、正真正銘血の繋がった兄…です」


 端的に事実だけを述べると、修司の顔から表情が消える。


「お前……、そんな話聞いてないぞ」


 凄みの効いた声に思わず体が強張った。


「ご、ごめんなさいっ」

「あ、違う違う。理子ちゃんじゃなくて、今のはあっちに言ったの」


 言って修司が指差した先は、にやにやと気色悪い顔になっている尚紀だ。

 ああいう顔をしている時は、ろくなことを考えていない。したり顔の兄を見るとため息が出る。

 お調子者で、お祭り好きで、おせっかいな兄。


「そんなの言うわけないじゃん。わざわざ家の事情なんて吹聴して回るとでも?」

「それはそうだが……」

「な?それに俺と理子が双子だからって、修司に何か関係でもあるのかな?ん?」

「―――覚えてろよ」


 よほど修司の反応が嬉しかったのか、尚紀はこの上なく上機嫌だ。

 反面、美形が凄むと恐ろしい。

 メガネの奥からは殺人的な視線が飛んでいる。


 美咲はそんな二人を見て、ケラケラと笑っていた。恐ろしくないのだろうか。

 結局ひとり気を揉んでいるのは、理子。なんとか場の雰囲気を和ませようと、修司が持ってくれていたお祝いを手に取り美咲に渡した。


「はい。これお祝い。おめでとうっ」

「わぁ、ありがとうっ!なんか大きいね。開けていい?」

「うん。もちろん」


 美咲は丁寧に袋から出すと、箱のテープを外した。

 中を覗いて上げた顔は、キラキラと輝いている。


「きゃあっ、めっちゃ可愛いんだけどっ」

「でしょ?美咲なら絶対喜んでくれると思ったんだ」

「え~、すごいっ!これおむつで出来てるの?あ、これはおもちゃだ。へ~、すごいすごい。ねぇ尚紀も見て」

「うん。見えてるよ。ありがとな、理子」

 

 修司にはお調子者の尚紀も、美咲にだけは優しい。表情も口調も違う。


「これは俺から。美咲ちゃん、おめでとう」

「ありがとうっ。ふふっ、修司君からもいただけるんだ。嬉しいなぁ」

「ほ~んと、意外だよなぁ」


 やはり尚紀はにやにやしている。


「あ、これ一緒のお店の袋だ。二人で買いに行ってくれたの?」

「うん。浅野君が運転してくれて。出産祝いを買うのは初めてだから一緒にって…んぐっ」


 言いかけて途中で修司に止められた。

 大きな手が口をふさいでいる。直接唇に手のひらが触れて、心臓が飛びあがった。

 なにより後ろから伸びた手が引き寄せるように口をふさいだせいで、修司の体が背中に当たっている。


「―――ふ~ん。一緒に、ねぇ」


 真っ赤になった理子と、しらじらしいほど平然とする修司を見比べて、まだにやにやしている。

 そんな様子を美咲が微笑ましげに眺めていた。


「そうだ。せっかく来てくれたんだし、リナの顔見てって」

「え?もう名前決まったんだ。早いね」

「そうよ。『さと』に奈良の『』で里奈。ちょっと待っててね。あ、尚紀は二人にお茶出してね。さっきお義母さんが持ってきてくれたクッキー開けてよ」


 言い残して、美咲が部屋を出て行った。

 残ったのは不機嫌なオーラをまとった修司、ご機嫌な尚紀、居心地の悪さを感じている理子。

 修司は何を思っているのか、その無表情な顔からは何も見えてこない。ただ不機嫌なことだけは十分に伝わってくる。

 弱り顔でいると、尚紀が呼んだ。


「気づいたか?『里奈りな』は『理子りこ』から一字もらったんだ。ま、呼び方だけになっちゃったけどな」


 言った顔は兄の表情になっていた。


「二文字だしちょっと似てるなって思ったけど、そこまでは分からなかった。でも、なんで?」

「あいつが、美咲がどうしてもって言ってたんだよ。自分達に女の子が産まれたら、絶対理子から一字もらうって。理由聞いたらなんて言ったと思う?『あたしは理子が大好きだから』だぜ?普通、こういう時は俺の名前からとるもんだろ?あ、そうだ。お茶入れないと。二人ともその辺に座れよ。コーヒーで良いか?」


 矢継ぎ早に言って、尚紀が修司を見る。


「その前に、……おい修司。いい加減、俺の妹から手を離せ」


 しっかりと理子の肩を抱いている手を、見たこともないくらいおぞましい視線で射抜いた。

 飛び上がって離れる理子に、修司がかすかに舌打ちする。


「本当は上の子につけたがってたんだけど、男だったろ?あいつ、意地になってさ。産み分けをやるって言い出した時は、まぁ良いかくらいで付き合ってたんだけど。風水で南枕が良いって聞くと、夜でもベッド移動させるし、野菜中心の食生活が良いって聞くと、ずっと野菜野菜で……。俺、辛かった」


 言いながらインスタントコーヒーを淹れたカップを二つテーブルに乗せて、自分の分とクッキー缶を持ってベッドに腰掛けた。

 泣きごとを言いながらも、尚紀は嬉しそうだ。


「無事に女の子が生まれて良かったね」

「本当だよ。エコーで女の子だって分かったときは、"お帰り、お肉ちゃん!"て思ったね。でもありがとな。修司もわざわざ悪かったな」


 修司は尚紀を見ると鼻で笑った。でもその顔は少しも嫌そうには見えなかった。


「は~い、お待たせしましたぁ」


 その時、カートに透明なケースに入った里奈を乗せて美咲が戻ってきた。

 理子は立ちあがって駆け寄る。


「うわぁっ、かっわいい!」

「はい、どうぞ」


 美咲はひょいっと里奈を抱き上げると、あっという間に理子の腕に入れた。慌てて両腕で抱きとめる。


「えっ、ちょ…。ちょっと!美咲?」


 困惑する理子を見て、美咲は聖母様みたいに慈愛に満ちたほほ笑みを浮かべた。


「次は理子だよ。この重み、忘れないで」

「………美咲」


 ツンと鼻の奥が痛くなる。こみ上げる感情は一体何なのか。

 腕の中にある生まれたばかりの小さな命。これが命の重みなんだと知る。

 何の汚れもない、まっ白で純粋な命。

 『なぜ』も『どうして』もない。

 涙があふれてくるのは、里奈が愛おしいから。

 子を抱く喜びが、涙となる。

 いつの日か、自分もわが子を腕に抱く日が来るのだろうか。

 まだ3キロも満たない小さな命。

 あどけない寝顔に、心から笑みが浮かんだ。

 






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