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AIは作者を消すのか?

作者: 五平
掲載日:2026/06/29

ここ、なろうでもAI利用状況の設定が求められるようになった。


AI不使用。

補助的利用。

間接利用。

直接使用。


こういう区分が作られたこと自体は、理解できる。


AIで大量に文章を生成して、そのまま投稿する人が出てくる可能性はある。

コンテストや商業化のときに、AI利用の有無が問題になることもあるだろう。

読者や出版社、関係者に対して、作品がどのように作られたのかをある程度示す意味もある。


だから、AI利用の申告そのものを否定したいわけではない。


ただ、ひとつ大きな違和感がある。


それは、AI利用区分がどうしても「本文を誰が生成したか」に寄りすぎているように見えることだ。


作品というものは、本文を誰が打ったかだけで決まるのだろうか。


世界観を考えたのは誰か。

キャラクターを作ったのは誰か。

物語の方向性を決めたのは誰か。

どの出力を採用するかを決めたのは誰か。

最後に公開責任を負うのは誰か。


このあたりを見ないまま、本文にAI生成テキストが含まれているかどうかだけで判断すると、かなり雑な分類になってしまうのではないかと思う。


たとえば、ウェブ小説がコミカライズされる場合を考えてみる。


原作者は漫画の全ページを描かない。

コマ割りもしない。

絵も描かない。

表情やアクションの演出も、漫画家や編集部が作る。


場合によっては、原作にないオリジナル展開が入ることもある。


それでも、その漫画は普通、原作と無関係な別作品とは扱われない。


なぜなら、原作者が世界観、キャラクター、関係性、物語の土台を作っているからだ。


漫画家には漫画家の創作がある。

けれど、原作への依拠も残る。


つまり、コミカライズでは「最終的な表現を誰が作ったか」だけでは見ていない。


誰が原案を持っているのか。

誰が物語の手綱を握っているのか。

そこも見ている。


ところが、AI利用になると話が急に単純になる。


作者が世界観を作った。

キャラクターを決めた。

話の方向性を指定した。

AI出力を選んだ。

内容を確認した。

公開責任も作者が負う。


それでも、本文にAI生成テキストを使っていれば「AI直接使用」となる。


もちろん、本文にAI生成テキストを使っていることを示す意味はある。


しかし、それだけでは、作者がどこまで創作工程を管理していたのかが見えにくい。


ここにミスマッチがあると思う。


本来は、「原案」と「出力」は分けて考えるべきではないだろうか。


原案とは、作品の方向性、世界観、キャラクター、展開、主題を決める部分である。


出力とは、それを文章、絵、音声、映像などの形にする部分である。


コミカライズでは、原案を原作者が持ち、漫画としての出力を漫画家が担う。


それなら、AIを使った創作でも、原案を作者が持ち、文章出力の一部をAIが担うという構造はあり得る。


その場合、それは「AIが勝手に作った作品」なのだろうか。


私は違うと思う。


それは、作者がAIという表現手法を使って制作した作品である。


もちろん、AIにはAI特有の注意点がある。


生成された文章の権利関係。

品質管理。

既存作品との類似。

無確認の大量投稿。

商業化時の説明責任。


こうした問題は確かにある。


けれど、それは「AIを使ったから悪い」という話ではない。


問題なのは、AI出力を確認せず、管理せず、大量に流し込む行為である。


内容を確認していない。

品質を見ていない。

権利関係を考えていない。

公開責任を負う意識がない。


これは創作というより、出力の横流しである。


そこは制限されても仕方がない。


しかし、作者が原案を持ち、方向性を決め、AI出力を確認し、採用し、公開責任を負っている場合まで、単純に「AIが書いた作品」と見るのは粗すぎる。


ここで、もうひとつ考えたいことがある。


AIは作者を消す存在なのか。

それとも、表現手法のひとつなのか。


私は、AIは表現手法のひとつだと思う。


手書きで書く。

キーボードで打つ。

音声入力を使う。

編集者と相談する。

漫画家が原作を絵にする。

AIに文章候補を出させる。


これらは、創作工程における手段の違いである。


もちろん、それぞれの手段には違いがある。


漫画家が描けば、漫画家自身の創作性が生じる。

編集者と作れば、構成や企画に他者の判断が入る。

AIを使えば、出力の確認や管理が必要になる。


けれど、手段が変わったからといって、作者の構想や責任が消えるわけではない。


作者が構想し、方向性を決め、出力を選び、必要に応じて修正し、公開責任を負うなら、それは作者がAIを使って作った作品である。


ここでさらにややこしいのが、Adobe製品などに入っているAI機能である。


たとえば、画像編集ソフトにはすでに多くのAI機能が入っている。


背景削除。

被写体選択。

生成塗りつぶし。

ノイズ除去。

自動補正。

音声補正。

自動文字起こし。


こうした機能を使ったら、その作品はすべて「AI作品」になるのだろうか。


もしそうなら、現代の制作物のかなり多くがAI作品になってしまう。


文章でも同じである。


予測変換。

誤字脱字チェック。

文法チェック。

表記ゆれチェック。

音声入力。

翻訳支援。


これらにも、広い意味ではAI技術が含まれることがある。


では、それを使った作品はすべてAI使用作品なのか。


そう考えると、かなり無理がある。


つまり、本当に見るべきなのは「AI機能を使ったかどうか」だけではない。


作品の創作的中核を誰が決めたのか。

出力を誰が採用したのか。

内容を誰が確認したのか。

公開責任を誰が負うのか。


そこを見るべきではないかと思う。


AI利用申告は必要だと思う。


ただし、それは「AIを使ったから悪い」と示すためのラベルではなく、創作工程と責任分界を示すためのラベルであってほしい。


AIを使ったかどうかだけではなく、原案、出力、採用判断、公開責任を分けて考える。


その方が、これからの創作環境には合っていると思う。


たとえば、AI利用区分を考えるなら、次のような視点があってもよいのではないか。


AIを使わず作者が書いた作品。

資料調査や誤字修正にAIを使った作品。

AI出力を素材として使い、作者が改稿した作品。

AI生成テキストを本文に使うが、作者が方向性と公開責任を持つ作品。

AI出力を確認せず大量に投稿した作品。


この中で、本当に問題にすべきなのは最後のものだ。


AIを使ったことではなく、出力を管理していないことが問題なのである。


今は、AIが創作環境に急速に入り込んでいる過渡期である。


だから混乱が起きるのはわかる。


しかし、過渡期だからこそ、ルールは慎重に作ってほしい。


AIを使ったかどうかだけで線を引くと、Adobe製品のAI機能も、予測変換も、文法チェックも、音声入力も、すべてAI利用として巻き込まれてしまう。


それでは、現代の制作環境そのものが成立しなくなる。


AIは作者を消すものではない。


AIは、作者の創作主導権の内側に組み込まれうる表現手法である。


だから問うべきなのは、「AIを使ったか」だけではない。


誰が創作の中核を握っているのか。

誰が出力を採用したのか。

誰が責任を持って公開しているのか。


本当に見るべきなのは、そこだと思う。


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