妄想が現実に?
「まず、三角関数というのは……」
黒板に向けた先生の声は、途中で断ち切られた。教室の扉が、叩き割られるように開いたのだ。
入ってきたのは、見知らぬ男。制服でも作業着でもない、異様な雰囲気をまとっている。
「……何ですか、あなたは」
先生の問いかけを聞かず、男は薄く笑い、呪文を唱える。
次の瞬間、先生の身体が後方へ弾き飛ばされた。
教室は一瞬で混乱に包まれたが、男は騒ぎを楽しむようにこちらを見ている。 「そこの赤いヘアピンの女、こっちへ来い」
不運にも指先が伸びた先にいるのは、俺の好きな子だった。彼女が一歩下がろうとした、その瞬間。
「逃げるなよ。ここでは、俺がルールだ」
男が再び呪文を唱えると、窓ガラスが音もなく砕け、机の一部が空中で霧散した。ただの脅しではないことが、はっきり分かる。
(早く! 早く魔力溜まってくれ!)
震えながら前に進む彼女の肩に、男の手が置かれた。
「これからゲームをしよう」
男の声は、妙に軽い。
「一人ずつ、俺と勝負する。俺に勝つことができたら、この女は見逃してやろう。ただし、負けたら……」
こんな奴に勝てるわけがない。誰もがそう思った、その時。
「ようやく溜まった...《神の時計》」
時間が止まる。音も、揺れも、空気の流れすら止まる無音の世界。
(のんびりしている暇はない。この魔法は15秒しかもたないんだ)
俺は男の手を払いのけ、彼女を抱え上げる。
(動いていない人間って、こんなに重いものなのか)
とりあえず、男から距離を取るため、教室の後ろへと連れていく。
――あと、3秒、2、1。
次の瞬間、時間が流れ始めた。
「……あ?」
男は、ゆっくりと視線を落とす。そこにあるはずの存在は、もうない。
「……どこにいった」
教室の空気が、ざわりと揺れた。俺は、ゆっくりと前に出る。
「……お前がやったのか」
男の問いかけには反応せず、視線を向ける。
(今度は、戦闘の時間だ)
「――《神の無力化》」
空気が歪み、男の周囲から魔力が剥ぎ取られていく。
「なにを……?」
「お前の魔法を無効化した。これでお前はもう魔法を使えない」
男の顔に、初めて焦りが浮かんだ。本当なら、このまま拘束して終わりでもよかった。けれど――。
「大切な人を、傷つけたからね」
「《神の衝撃波》」
見えない衝撃が男の身体を突き飛ばす。宙を舞い、そのまま黒板へ叩きつけられた。鈍い音が鳴り響き、男はそのまま動かなくなる。
数秒の沈黙のあと、教室は一気に歓声と安堵に包まれた。
俺はただ、静かに息をつき、彼女の方に歩み寄る。
(とりあえず、今日はこんなもんかな)
……もう、同じような妄想を何回繰り返したのだろう。
(もしこれがゲームなら、魔王とか余裕で倒せるだろなぁ)
時計を見るが、授業が終わるまでまだあと30分もある。
(……寝るか)
まぶたを閉じて眠りにつく。
――違和感。
(ここは……どこだ?)
見慣れた教室ではなく、足元には淡く光る床。空間そのものが、現実から切り離されたようだった。
「私は転移を司る神です。あなたは魔王を倒す者として選ばれました」
静かで綺麗な女性の声が、頭の中に直接響く。
「……え? いや、なんで俺が?」
戸惑う俺に、声は淡々と続ける。
「ここ数か月、あなたの頭の中を覗かせてもらいました」
映像が流れ込んでくる。教室、不審者、時を止める魔法。助けた女の子とムフフな関係になり、そのまま……。
「ちょっとまったぁぁ!!」
俺の叫びなど意に介さず、神の声は淡々と続く。
「あなたは日々、強力な魔法を操る想像を繰り返していました。その完成度は……」
「いや、その前に! あんたはどこまで俺の頭の中を覗いていた!?」
「どこまで、と言われましても……」
「……おい。匂いでシャンプーの銘柄を当てる妄想は?」
「覗いておりました」
「上昇気流でスカートをめくるのは!?」
「覗いておりました」
「服を透かすのは!?」
「覗いておりました」
「……」
「なんだ……?」
「透けた下着の色でオセロをしていたのも見ております」
声がわずかに弾んでいる。姿は見えずとも、ニヤニヤと笑っているのが手に取るように分かった
「うおおぉぉぉぉ!! なんてことをしてくれたんだ! 俺の聖域に勝手に入ってくるなんて!!」
「あなたの妄想、あまりに独創的すぎて、神界ではちょっとした有名人なんですよ」
「は? なんで他の奴らも俺の頭の中を知ってるんだよ!」
「それは……私が神界の動画配信サイトに『切り抜きまとめ』を定期的に投稿しているからですよ。ちなみに『【神回】クラスメイトの〇〇でオセロをする男』の回は、再生回数100万回超えで収益もがっぽがっぽです」
(……言葉が出ない。これ、何らかの罪で訴えられるんじゃないか……)
「こほん。それはそれとして、あなたの魔法への想像力は確かなものです。そのため、魔王を倒すのはあなたしかいないと判断しました」
「その前に、勝手に人の頭の中を覗いたことを謝れ!!!!」
「スミマセンデシタ。では、あなたを――」
「待て待て! とりあえず謝罪の言葉を口にしたからって、全て丸く収まるわけじゃないぞ! そもそも、なんで俺が魔王を倒せるんだよ」
「魔法は、はっきりとしたイメージを持てる人だけが使えます。たとえば『時を止める魔法』。多くの人は心のどこかで“そんなことはできるはずがない”と思ってしまう。その瞬間、魔法は成立しません」
映像の中で、魔法が霧散していく。
「ですが、あなたは違いました」
声に力強さが増す。
「あなたは時を止めるだけでなく、相手の魔法を無効化する魔法、ましてや、お風呂が覗ける魔法まで……ぷっ、失礼 。明確な信念をもって、はっきりとイメージしておりました」
「おい! 家にいるときも覗かれていたのかよ!」
「はい。『愛してるよ。また何度でも助けてやるからな』と呟きながら、布団を抱きしめ……」
「あぁ! もういい! わかった!! 話を続けてくれ!」
「魔法を明確にイメージするのは、並大抵のことではありません。想像するだけでも困難で、心の奥に強い意志と集中を要するものなのです」
そこまで言われると、悪い気はしない。
「でも、本当に魔法なんて使えるのか? 実際に使ったことなんてないぞ。いざ転移されて『何も魔法が使えませんでした』なんて、いい笑いものだろ」
「たぶん使用できると思いますが……。それは転移してからのお楽しみってことで」
どれだけ適当なんだ。魔王を倒してほしいと頼んでいるようには、到底思えない態度だ。
「なんせ……転移1人目なもので」
「まぁ、いいよ。どうせ拒否権なんてないんだし……」
ただ、やられっぱなしでは面白くない。
「どうかしましたか?」
その時、ある考えが頭に浮かぶ。
「お、俺が本当に魔法を使えるなら……あんたを絶対探し出して、服を透かして、風呂も覗いて、とにかく……とんでもない目に合わせてやるからな!」
なにも返事がない。さすがに怒らせたか。
「……あら。たとえ私が実体を持って隣に立ったとしても、女の子と話すだけで真っ赤になるあなたに、そんな度胸があるのでしょうか?……ふふっ、想像しただけで愉快です」
なんとも腹が立つ。とても神とは思えない言動だ。
「長話はこれくらいにして、とにかくあなたにはこちらの世界を救ってもらいます」
身体がまばゆい光に包まれる。
「おい! ちょっと待てよ! 他にも色々聞きたいことが……!!」
視界が白に染まり、足元の感覚が消えていく。




