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 今宵、明るい星々は分厚い雲に隠れている。ガス灯がなければ外へ繰り出す事も叶わないだろう。

 そのガス灯の明かりは、道なりに沿ってぼんやりと浮かんでいる。そのうちのひとつが今、ほっそりした影をゆらめかせていた。


 ――いくらなんでもこんな夜更に、危ない事だ。


 今にも消えそうな、生と死の入り混じった瞬間こそ人が最も美しい瞬間であると彼は思う。

 その瞬間を切り取った絵画を見て、最初こそ自分の最期とするのも考えた。ただどう考えても役不足だ。それくらい彼女たちは美し過ぎた。

 だからこそ、彼は絵を描くようになった。何としても、己の手であの瞬間を残すために。

 だが、いくら理想の情景を思い描いたとて、それを紙上に写し出すことはできなかった。


 ――そう。想像では駄目なのだ。だから……。



 

「あっ!」


 その声に、ふらりと女が振り返る。

 そこには、長髪の男に腕を捻り上げられる一人の男の姿があった。それを見た女は口元に薄い笑みを浮かべ、地べたに押さえつけられた彼の前にしゃがむ。


「ゆ、百合さん……」

「こんばんは。記者さん」


 苦しそうな表情で体を捻り、若先生は必死に百合に言い募る。


「に、逃げるんだ! この男が、あなたを襲おうと……!」


 それを聞いた百合は、小さく笑い声を上げた。若先生は思わずぽかんと間抜け面を晒す。


「隠さなくても良いですよ。()()()


 百合は、若先生の顔を覗き込んだ。


「ゆ、ゆりさ……」

「そう。江藤()()

「え……」

「三枝カナエ。そして()……共通点は、いずれも線の細い、儚げな女だ、との前評判」


 若先生の言葉を遮り、彼女はこの場に合わぬにんまりとした笑みで話し続ける。その、いつもの彼女とは似ても似つかぬ様相に、若先生は混乱していた。


「一作目、オフィーリア。あなたはまるで何度も見たことがあるかのように語っておりました。

 その割には、描かれていた肝心のモデルのことはほとんど知らなかった。事件についても、あなたは犯人候補を上げるだけで二人の被害者の名前もろくに調べなかった……見て楽しむだけなら、そんな情報いらないですからね。

 ――初めから知っていたんでしょう。彼女たちが狙われた、この真の共通点(見た目)を」


 今度は、ガス灯を見上げた。


「二作目、Les anges de Sodome 〈ソドムの天使〉。欲に溺れた街に多くの死をもたらした天からの御使たち。光の中から現れ闇をもたらした冷徹な天使像――まるで、今この場所のような世界。

 あなたは、この二つの絵画を()()()にして自分の作品を描こうとした」


 若先生はなんとか動こうとするも、背後の長髪の男は微動だにしない。


「そ、そんな……ぼくがやったと?」

「一人目の江藤百合は、別の場所で殺してから運んだ。ばらばらにしたのは運ぶためか、はたまた芸術か、解剖しようとしたのか……ふふっそんなわけないですよね」


 百合……否、女は若先生の質問には答えず目を細める。まるで狐のように。


「初めは、彼女をただのモデルとして隠れ家に誘い込んだ。彼女は夜に出歩いていたわけではなかったのですね。ただ、婚姻の日取りも決まって幸せに浮かれていただけでした。

 でも、彼女はあなたの『素敵な絵画』を見て、自分がこれからどうなるか気付いてしまった。

 だから、逃げられないように拘束して手足を奪った……あなたはその死に様をただ観察し、命果てた彼女をこの舞台へと飾り立てた」


 女の唇がますます吊り上がる。もはや見たこともない嘲笑だった。


「二人目、三枝カナエ。家に居場所のない彼女は度々家を出ていました。彼女に目を付けていたあなたはそれを知っていた……現場まで連れて行って、殺しましたね。

 現場は血塗れで、あなたも返り血を浴びたことでしょう。その危険を犯してまで江藤百合と同じようにばらばらにしたのは、同一犯の犯行であると世間に知らせるため。それで、あなたの条件に合てはまる次の人物(わたし)を警察から解放した」


 笑みはどんどん深くなる。そのまま口が裂けてしまうかと錯覚するくらいに。


「でも……あなたの部屋の肖像画は、醜いでしょう?」


 若先生は、口をあぐあぐと金魚のように真っ赤な顔で動かしている。とても答えることはできなかった。

 彼女も、別に返事を期待してはいなかったようだ。


「確かに死とは一生に一度しか訪れない不可逆の神秘……そこにある物語も千差万別。だから惹かれる人も多く、そして画家はそれを描いたのでしょう。

 しかしながら、全ては画家の主観を観衆の主観で固めた幻想に過ぎません……実物は、美しかったですか?」


 若先生は思い違いをしているのだ。モデルを変えたところで、見えるものは変わらない。そう、たとえモデルがオフィーリアでも、オフィーリアと全く違う表情を見せたあのベアトリーチェでもそうだろう。

 

 ――現実は、美しくなかった。

 

 そして、薄明かりの下に、もう一人の男が現れた。綺麗な顔立ちの、冷徹な視線が若先生を射抜く。

 彼は背負った何かをおろし、抱えるように支えた。


「――さて」


 女は少しだけ背後のその男に視線をやるも、再び若先生に向き直る。そして、未だ若先生を押さえつけている長髪の男に合図を出した。

 男から解放された若先生は、しかし縫い止められたように動けずに震えるばかりだった。彼が何を考えているか、はたまた何も考えられないのか、そんなこと、誰にもわかるはずはないのだ。

 女は静々と礼を取る。


「改めまして、私は縁屋。名などない、ただの縁屋でございます。今回は、あなたに面白いものをご用意致しました」


 悪魔のような女――縁屋は、若い男が支える長い何かを覆う風呂敷を払い除ける。


「……鏡?」

「そう、何を隠そう、これはあなたの大好きな死を写す鏡でございます。ささ、よぉく覗いてご覧なさい……」


 死を写す、と言われても、そこにあるのはただの鏡だ。若先生の姿しか写っていない。

 そこで、若先生ははっとして振り向く。

 そこには、彼を先ほどまで押さえつけていた長髪の男が確かに立っていたのだ。よく見ずとも中性的な美しい顔が、これまた冷たく若先生を見ている。

 ――なのに、その姿は鏡には写っていない。

 呆然と再度鏡を見た若先生は、今度こそ悲鳴を上げて逃げようと体をよじり、背後から羽交締めにされた。


「あ……あああ……」


 また無理矢理見させられた鏡には、見えない長髪の男の代わりに、ぶよぶよになった四肢を浮かせた女がいた。


「ご存知でしょうか、この国にも美しい女の死を描いた絵というのがあるんですよ」


 鏡の奥から、落ち着き払った縁屋の声が聞こえる。若先生は悲鳴を上げながら首を横に振り、必死に後ずさろうともがいていた。


「ではご紹介しましょう。死を描こうというのなら、まず死を知らなくてはなりません。ほぅら、ちょうど()()()()()()()()()()()()()いらっしゃいますし……」


 ――さあ、御照覧あれ!

 

一相目、脹相――肌の血の気が失せて黒ずみ、ぶくぶくと膨らみ始める様。


二相目、壊相――皮と剥き出しの肉が破れ、あちこちが引き裂かれていく様。


三相目、血塗相――血があちこちから滲み出、臭気が辺りに立ち込める様。


四相目、膿爛相――膿、爛れが液体のように溢れていく様。


五相目、青瘀相――青黒くなり、たるんでいく様。


六相目、たん相――浮いた手足に獣が飛びつき、引き裂いていく様。


七相目、散相――くっついていたはずの頭と胴も離れ、崩れてばらばらになる様。


八相目、骨相――肉がなくなり、骨が剥き出しになる様。


そして九相目、焼相――


「あづ、あっ……!」


 焼けるように、体が熱い。鏡の中の自分は、浮遊する骨だらけの身を捩り、熱から逃れようとするも敵わない。


「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ……!」


 鏡の中の女たちも骨だらけで、若先生を取り囲んで笑っていた。


「あっ………がああ!」


 ――焼ける! 熱い、熱い熱い熱い!


 ガス灯の微かな灯りなんて飲み込まれるほどに視界が真っ赤に染まったかと思えば、その体は本当に燃え始めていた。これには、長髪の男も流石に掴んでられなかった。

 自由になった体は本能の赴くまま、一直線に橋の欄干を飛び越え、水音と共に闇に飲み込まれて行った。


「……九相図、これにて完成」


 静寂の世界に、縁屋の声がぽつりと響く。

 立ち並ぶガス灯の微かな灯りは、この日勝手に消えていた。


 


 

『翌朝、新聞売りはあちらこちらで声を張り上げる。

 

 さあ号外、号外だよ。街道橋の袂にとんでもないものが出たぞ。さあさ、手に取っておくんなさいな――。


 それは美しく、からりと焼かれた白骨であったという。』



「あんた、そろそろお勤めの時間だろ。書き終わったんなら早うお行きな」

「……おーう。今行く」


 ひょこりと顔を覗かせた女房は、原稿用紙の束に僅かに目を輝かせる。しかし、それを悟らせまいとわざとらしいしかめ面で夫を見た。


「全く、こんなに手間暇かけるなら早いとこお金にしてくれな」

「そいつは編集と客次第だな」


 夫は少しばかり慌ただしく支度を整えた。早いとこ出なければ、こっそり原稿を読む楽しみがなくなるだろう。

 夫は、薄く霧のかかる外に出て、ふと自分の出会ったあの不思議な女を思い出す。

 結局、連続達磨怪死事件はあの白骨を最後にぴたりと止み、警察は犯人をまだ見つけられていない。


 ――めでたくなし、めでたくなし、と。


 次はもっと面白いもんを()()()にしたい、と五兵衛は橙の灯の下でごちた。

九相図といえば今は呪術ですが、自分の世代はぬ○孫でした。

懐かしいですが有名になっていいんだか悪いんだか複雑な絵です。

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