犯人探し
「さて……どうしようか」
勢い余って情報提供することになったとはいえ、彼は記者などではない。ただ自分のために事件を追う物好きである。
しかし「何もわからない」なんて格好の付かないことはとてもとてもできない。そんなことをしたら幻滅されてしまう。
若先生は頭を巡らせた。
「警察なら何か情報が……いや、下手に首を突っ込めばこっちがまずいことになる」
せめて、と得た情報を思い返す。
今のところ公表されている被害者の特徴は、どちらも夜に出歩く遊び女ということだけだ。聞いたところによれば最初の一人は結婚を控えていたそうだったが……細かなことは何も言うまい。
しかし夜というのも範囲が広い。明け方に出歩く百合も十分危ないし、彼女の安心には繋がらない。やはり犯人を挙げるべきか。犯行現場は――。
そこまで考えて若先生は閃いた。
――手足……そう手足だ。
手足を切り落とすのは至難の業だ。相当な出血も伴うから、場所にも気を使う。しかし犯人は一件目の現場には血痕を残していない。
つまり、犯行は別の場所で行われたということだ。血痕に気付かれる恐れのない無人の屋敷や森、それか血痕があっても不思議ではない場所――例えばそう、病院だ。
若先生は本棚に向かい、地図を引っ張り出した。
「谷中先生がいつからいるか?」
志乃は大きな目をますます大きく丸くした。
「そうそう。若い優秀な先生なんだろ? 大病院ならともかく、あんな小さな診療所に入るなんてと思って」
自分の好きな人を褒められたおかげか、志乃は上機嫌になった。
「ええっとね。去年からいるわ。そもそも谷中診療所は、彼のお爺さんがやっていたんだよ。若先生は知らないだろうけど、評判も良くて結構有名でね。でも一昨年体を壊しちまったのさ」
それで孫が戻ってきた、と。
「それでねぇ。若いけどすごい先生なんだよ?
元々、横浜のおっきな病院で将来を期待されてたんだけどね。あの診療所を潰させるわけにはいかないって方々に掛け合って、継がせて貰ったんだって」
それから、志乃は「すごい」「かっこいい」としか言わなくなってしまった。
確かに、その行動は賞賛に値する。しかし若先生はそこまで他人の善性を信じられない。自己顕示欲、あるいは金目当てのやぶではないかと内心思っていた。
そしてふと気になったことが口をついて出る。
「診療所は傾いていたんだろう? 立て直すにしても資金は必要なはずじゃあないのか」
「一番彼が駆けずり回ったのがそこさね」
何故か志乃が得意気な顔をしていた。
「援助嘆願をあちこちにしたんだよぅ。『このままでは救える命が救えなくなる!』てね。
そしたらあの異人館の……確かあだむ、とかいうお人が出資してくれるってことになってねぇ。ほっとしたもんだ」
「なるほどねぇ。ありがとね、志乃さん」
――これで犯人候補が二人になった。
まず若先生が疑ったのが谷中だ。
一件目の死体が見つかったのが多聞橋、そして二件目が商工通りの留まり橋――これら二箇所と近い病院が、谷中診療所だ。病院というにはいささか小さすぎるが、それでも犯行現場としては十分だろう。
そして今、もう一人の犯人候補がアダムになった。理由は単純明快、彼が金持ちの外国人だからだ。
――これは金持ちの道楽ではないのか。
巷ではそんな噂が飛び交っているのだ。
このような悪い噂が囁かれるのは大抵外国人であった。あの黒船がやってきてから、この島国には多くの金持ちの外人が入り込み、異人館と呼ばれる西洋建築の建物が増えていた。この島国にやってきた明らかな異物を、皆遠巻きにしているのだ。
その中の一つに居を構えているのが、イギリスから来たというアダム・コートニーだ。
彼は自国からいくつかの絵画や美術品を持ち込んでおり、時折展覧会をやっていた。まさしく道楽に興じる自由人なのだ。
加えて、現場に近い谷中診療所が彼の行動圏内だというなら、十分疑わしいといえる。
――さて、どうするか……。
「今日はどうされました?」
谷中は確かに、切長の目の二枚目だった。顔色を伺うように覗き込むその仕草は、女子が誤解しても仕方がないものだ。実際、待合室にいた過半数が女性だった。しかも志乃と同じようないわゆる「まだむ」と呼ばれる年代の人が多い気がする。
しかし、そんな魅力も男には効くまい。
「朝起きたら、こんな感じで……怪我した覚えもないし、こりゃどうしたものかと思いまして」
心底気分が悪い、とばかりに眉根を寄せながら、若先生は着物の袂を開いてみせた。そこにはどっぺりと、赤黒い液体が染み込んでしまっている。
谷中は「失礼」と一言断ると、上から覗き込むようにそれを見聞した。次いで顔を上げると、「口開けてー」と顎を掴んでくる。
何故か背中を薄寒いものが駆け巡ったような気がして、若先生は本気で身震いして嫌々口を開けた。
「んー……朝起きた時、血の味はしましたか?」
「いや実は口の中にできものがありまして、そっちかなって思ってたんです。でも視線を下げるとこれでしょう? 顔にもべったりついてたし、もうびびってしまいまして……」
「なるほど」
呼気が掛かるほどの距離がそこでやっと開き、若先生はほっとした。
そして、谷中はあっさりと言ってのけた。
「絵の具ですね」
「え……絵の具?」
「はい。一見すると血に見えますが、匂いが違いますし、口内にも血はありませんでした」
「も、もしかして光太郎かな? ああいや、知人の子供が、最近絵に凝ってて……」
あたふたと弁明する若先生は、谷中を藪医だと舐めていたのだ。もらった薬に難癖つけて騒動を起こし、それをネタに脅そうとしたのだが、これが意外にもちゃんとした医者なのだから大したものだ。
これでは逆に、若先生の方が弱みを握られてしまったようなものだ。
「あなたもしや、あの事件のことを」
しかしこの予想外の返しに、逃げようとしていた若先生は思い切り身を乗り出した。その勢いに谷中が身をひく。
「じ、事件とは! まさか……」
「あなたのような手合いは何人も来ましたよ」
谷中は警戒するどころか呆れたようにじろじろと若先生を見ていた。
若先生は少しあたふたして、自分が記者であること、本当に事件と谷中の関わりを知らずに来たことを話した。
頭の良さ故か、谷中は信じていなさそうだ。うんざり、とその顔に書いてある。
「……まあ、そのうち公式に発表されることですし、何よりとっととどこかが記事にしてくれればもう誰も来ないでしょうし」
「えっじゃあ」
話を聞かせてもらえるのか、と言おうとした若先生を遮って、谷中は口を開いた。
「言っておきますが、僕は事件そのものとは無関係ですから」
「は、はい。もちろん……」
内心冷や汗をかきながら、若先生は記帳を手に取った。
「解剖……ですか?」
「はい。死因を調べるため、遺体を、その……調べたんだそうです」
カフェでそのような話をおおっぴらにするわけにもいかず、若先生は声をひそめていた。
顔を顰めたくなるような話だが、百合は特に気にした様子はない。
「それで、死因は?」
「ええっと、二人とも失血死……血が足りなくなったせいだそうです」
しかし手足をもがれていた以外の外傷はない。そのため、二人は生きたまま達磨にされ、そのせいで死んだことになる。
そこまで知らないだろう百合は、少し考えて言った。
「凶器は?」
「その、おそらく鋸だろうと」
骨に何度も削った痕があったそうだ。
「犯行場所、とかはわかりませんか?」
「一件目はわからないそうで……二件目はその場で行われたと」
おかげでひどい血溜まりのできた橋には、未だに黒いしみが取れないという話だ。今も粗末な布で覆われていて見ることはできなくなっている。
「でも他に目撃者もないため、現状の捜査は暗礁に乗りかけている、とも言ってました」
「そうですか……」
しばし目を伏せた百合は、切り替えたように話を変える。
「では、アダム様の方は?」
「ああ……そちらは五分五分です」
ぱらりと記帳をめくる。
流石に、異人館を不躾に尋ねることはできない。だから、彼は他の場所から証拠を掴もうとした。
まず訪ねたのは警察だ。巷の噂をちらつかせれば、疑われることはないし、他にも記者が何人かいた。しかし、ここではまったく収穫はなかった。
「あだむ様は滅法目立つってことで馬車移動が主だそうですが、そういう音を聞いた人はいませんでした。さらに二件目の時は結構その、馬車が避けられないほど血が広がってたそうですが、そんな跡もなかったと」
曰く、たとえ暗がりでもガス灯のような少しの灯りさえあれば彼の金色の髪は薄く光るのだそうで、馬車以外だと逆に目立ってしまうとか。
そんなことを聞いた若先生は警察に馬鹿にしたように笑われ、本当に怪しいところはないのかと食い下がってみたらそれは失笑に変わったのだ。あれは屈辱だった。
「で、第一発見者にも聞いてみたんです。点消方の」
一件目の発見者である五兵衛と吾郎も、二件目の平作と弥七も、馬車を見てもないし、車輪の音すら聞いていないと言ったのだ。
「なんでまあ……本人に確認は取れてないですが、犯人とは断定できませんでした」
恐る恐る帳面から顔を上げると、百合は予想外に優し気な笑顔だった。
「凄いです。あれからそんなに経ってないのに、ここまで調べられるとは……流石、敏腕記者ですね」
「い、いや……全然……結局わかってませんし」
「いいえ、着実に進んでいます。あなたは凄いです。尊敬します」
嗚呼、眩しい。
嬉しさと後ろめたさがないまぜになり、あまりに落ち着かず、若先生は何度も顔を撫でていた。
「また、何かありましたら、ここにいらしてください。私はしばらく暇をいただいたので、最近はここで過ごしているんです。……またあなたとお話しできるのを楽しみにしてますから」
「は、はい……」
天にも昇る心地、とはまさにこのことだというのを、彼は生まれて初めて体験した。
また聞こえる忍び笑いですら、今や祝いの声にしか聞こえなかった。




