表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

初投稿です(大嘘)。随分前に書いたものを供養します

『着崩した小紋の着物に乱れ流るる艶やかな黒髪は実に気怠げで、真白の肌は匂ひ立つような美しさを醸し出す。かように艶やかなる女の前には――』



 朝日の到来を控えた薄暗い世界に、橙の灯りがひとつだけ揺れている。

 その下には幽鬼のような女が佇んでいた。俯きがちで影が差した横顔はどこか遠くを見ているようで、何故だかそのまま霧散しても不思議ではないほどに儚く消えてしまいそうだ。


「これは……?」


 その薄い唇から、落ち着いた声が溢れる。

 舞台のようなその世界はまるで幻のようで、今にも足元から崩れていきそうな不安を煽った。


「あ、あああんたは誰だ?」


 その悪夢のような光景を見て絞り出した声はひっくり返っていて、男――五兵衛はやっと自分がちゃんと現実にいる実感を取り戻した。

 とっくのとうにとんずらした相方を追おうとするも腰が抜けて力が入らない。


 ――なんだってこんな……。

 

 点消方――いわゆるガス灯の管理を生業としている五兵衛は、日が昇る前にガス灯を消して回っていた。いつも通り、特に面白味のない一日になるはずだった。

 しかしたとえ日常に飽いていたとしても、間違っても彼は()()()()()を見たかったわけではない。

 彼は必死に舌を回した。


「まさかあんたがやったのかい!?」


 ()()を目の前にしても全く動じない女に、五兵衛は再び甲高い声で聞く。

 女を見れば自然と()()が目に入り、彼は胃の底からこみ上げてくるものを手で必死に抑えた。


「……」


 当の女は五兵衛を一瞥もしない。

 あんなものを見て一体何を考えているのか、五兵衛には全くわからない。それが、何より恐ろしかった。


「う、うわあああ……」


 その時、さらに恐怖におののく声と何か倒れる音がする。

 やっと自分以外の()()が現れたかと安堵した五兵衛は振り向いた。

 そこでは、尻餅ついたままガタガタと後退りした少年が、必死に自転車に縋り付いていた。


「うぅっぷ……うぅ」


 可哀想な少年は、震えに震えてえずき始めながらも目線を上げ、女を指差して盛大に叫んだ。


「ひ、人殺し!」


『天女のやうなその柔和なる視線の先には、冷たき顔で世を睥睨(へいげい)せし骸あり』



 

「うーん……」


 数刻後――所変わって、机に向かって渋い顔をする青年がいた。

 しばしの間、睨めっこに興じていた彼はやがてそれを一息に破り、ぐちゃぐちゃにする。栗色の散切り頭もくしゃくしゃにかき混ぜると、そのまま文机に崩れ落ちるように突っ伏した。


「才能が、ない」


 声は机に跳ね返り、とどめを刺すように自分の耳に入ってくる。


「……紙も、ない」


 買いに行かなければならないが、しかし動く気も起きない彼は一向に立ち上がらない。


 ――嗚呼、今日も無為に時間だけが過ぎていく……。


 どこかに()()()になるようなものでも探しに行こうか、と考える。

 しかし結局そのまま不貞寝し始めた青年は、どすどすと荒く階段を駆け上がる足音に意識を浮上させた。


「もう若先生ったら! 寝坊ですよ!」


 寝たふりもできそうにない程のきんきん声が部屋に響き、彼は思わずといったように耳を抑える。


「起きてるじゃないか! 若先生、不気味な事件ばっかり追っかけて、いつも不摂生なんだから。朝日はちゃんと浴びなさいって谷中先生も言ってたよ!」


 あんまりな言い草に流石にむっとする。文句の一つでも言おうかと思ったがしかし、その後に出てきた聞き覚えのあるようなないような名前に気を取られて口が閉ざされる。

 

 ――はて。谷中とは……?


 そう言えば、新しく診療所に来た医者にそのような名前のものがいた。さらに記憶を深掘りしてみると、なかなかの二枚目だと、先程から騒いでいる大家の志乃が興奮していたという殊更どうでも良い情報を掘り出してしまう。


「ああそんなこと言ってる場合じゃないよもう! 聞いてくださいな若先生!」


 志乃はべしべしと遠慮なく彼を叩く。むくりと起き上がった彼はやや憮然とした顔をした。

 先程から喋っているのは志乃だけであり、彼は「ああ」とか「うん」しか話していないのだ。

 しかしそんな様子も、志乃は全く気にしない。彼女は喋りたいことだけ喋るのだ。聞き流すに限る。

 彼は頭を掻きあくび一つして、その意識を次の作品に向けようとした。


「事件だよ事件! 死体が出たんですって! しかも殺し! 下手人の女が十人もの巡査に囲まれてたってみんな大騒ぎよ!」

「……なんだって?」


 流石に聞き流せずに志乃のふくよかな顔を見ようとすると、無理に回った首がごきりと音を立てた。


「こんなこと滅多にないわ。こう言っちゃなんだけど、きっと何かの題材になるよ! まだ交番所のとこにいるはずだから行っといでな!」


 こうもあけすけなところは、人によっては不快に思うのだろうが、若先生にしてみれば彼女の美徳でもある。裏表なく純粋にそう思っているのだ。

 そう考えるとおべっかより余程思いやりを感じる一言である。


「ありがとう志乃さん。行ってみるよ」




 それからすぐに山高帽を被り家を出た若先生だが、既に日もだいぶ高くなっている。街へ出た彼の耳には、さっそく異様な喧騒が事の次第を伝えてきた。

 男、とりわけ少年たちはおかしな祭りでもあったかのように往来のど真ん中で興奮したように話している。


「聞いたか? どうも()()にされてたらしいぜ」


 声を潜めることもしなかった。

 若先生と同じように聞こえてしまった子守は、顔をしかめて子供の耳を塞いでいた。


「やだやだ、子供に聞こえるようなところで言うもんじゃないわ」


 その一方で、井戸端では主婦たちが話し込んでいる。

 こちらはそこそこ控えめな声で、若先生は速度を落として聞き耳を立ててみた。


「聞きまして? 下手人のこと」

「般若のような顔した女でしょ! 本当怖いわ」

「いやいやいや、五兵衛曰く、なんとも儚げな別嬪さんらしいわよ。明け方に多聞橋のあたりを一人で歩いてたとか」

「まあ如何にも怪しいわ」

「それでいて死体の前で少しも動じなかったとか……頭がいかれてるわよね!」

「本当に……捕まってよかったわ」


 そのまま、ぐうたら亭主やら格好良い外人さんやらの話を始めてしまったため、若先生は再び歩みを早めて交番所へ向かった。

 その玄関には、屈強な男が門番よろしく立っており、遠巻きにする野次馬を睨んでいる。

 若先生にはその男に見覚えはない。つまり、相手もこちらのことは知らないだろう――そう踏んだ若先生は、よし、と気合を入れてひとり野次馬の群れから外れた。


「あー私、こういうものです。お話を伺いたく……」

「あ? ――蓬莱奇譚社? 聞いたことねえが、おめえも聞屋(ぶんや)かい?」

「そうです。小さいところですが、それなりに楽しくやってますよ。……それでものは相談ですが」

「まだ話せることは何もないんだって」

「いやいや、ちょっとだけでも! ほら、旦那」


 ――まさか学生時代にふざけて作った新聞記者の名刺を使う日が来るとは。

 

 心の中で舌を出しながらも、記者に扮した若先生はこっそりと巡査の手に心付けを握らせる。巡査はそれを見てしばし考えると、少しだけなら、と口を開いた。




「手足を切り落とされてたんですか。達磨ってそういう……」


 巡査は頷き、大柄な身体をぶるりと震えさせた。


「いやはや……あんな若い女子(おなご)が、しかも結婚も決まって人生これからだったってのに、なんとも惨たらしい最期を迎えてしまったものだ」


 若先生も顔をしかめるが、気を取り直して聞いてみた。


「不審な女が捕まったとの話ですが……」

「ああ、その点は安心してほしい。()()()()()恐らく彼女が犯人だろう」


 若先生は目を光らせる。


「……状況的に、ということは女はまだ認めていないんですね? 一体どんな人なんです?」

「まあそうだが、なんとも怪しすぎてな……歳は20、長い黒髪で、まあちっとばかし影が薄い女だね」

「どこにでもいそうな出立ちですか」

「まあな。でもな、あんな時間に出歩いてた理由どころか、名前聞いても答えねえんだよ。これじゃ『私は不審者です』と名乗ってるようなもんさ」


 聞き込みも一苦労だ、と彼は肩をすくめた。


「それはそれは、是非会ってみたいですねぇ」


 ごまを擦りながら若先生は巡査を見る。しかし、巡査はとんでもない、と顔の前で手を振った。


「流石にそれは無理な相談だよ。しがない下っ端にはどうにもならんから、諦めてくれよ」


 食い下がったが、巡査は首を縦には降らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ