表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
39/40

腐食の沼の狂宴、泣き虫剣士と特攻聖女(バーサーカー)

第21階層の灼熱地獄を抜け、俺たち『銀の翼(仮)』が到達したのは、打って変わってジメジメとした陰鬱な世界だった。


 第22階層『腐食の沼』。  視界の限り広がるのは、紫色の毒々しい泥沼と、そこから生える立ち枯れた巨木たち。  空気は湿り気を帯び、腐った卵のような硫黄臭と、甘ったるい腐敗臭が混じり合って鼻をつく。


「……臭い。最悪の環境ね」


 シルフィが鼻をつまみ、不快そうに顔をしかめる。  彼女のミスリルブーツは、泥に沈まないように俺が付与した《ウォーター・ウォーク(水上歩行)》のおかげで汚れてはいないが、精神的な不快感は拭えないようだ。


「キュウ……」 「ホムラも嫌がってますねぇ。火の精霊にとって、湿気は大敵ですから」


 ユナさんが、アンジェの肩で縮こまっているホムラを心配そうに見る。  ミミに至っては、尻尾を足の間に挟んで震えている。


「にゃあ……。泥が跳ねたら毛並みが悪くなるにゃ……。帰りたいにゃ……」 「……環境分析。空気中に微弱な神経毒を確認。毒耐性のない生物は、1時間で行動不能になる」


 アンジェが冷静に警告する。  俺たちは事前に用意した『解毒のポーション』を飲み、口元を布で覆って対策していた。  だが、この階層の本当の恐ろしさは、単なる毒ではなかった。


 ◇


 【AM 11:00 紫色の霧】


 沼地の奥深くへ進むにつれ、周囲に薄紫色の霧が立ち込め始めた。  視界が悪くなる。


「気をつけろ。この霧、ただの水蒸気じゃない。魔力を含んでる」


 俺は《マナ・サーチ》を展開し、周囲を警戒する。  その時、足元の泥の中から、巨大なつぼみのような植物が姿を現した。  『マッド・ラフレシア』。腐肉を好む食虫植物だ。


「敵よ! やっちゃうわよ!」


 シルフィが剣を抜こうとした瞬間。  ラフレシアの花弁が開き、中からピンク色の粉末が爆発的に噴出した。


 ボフッ!!


「きゃっ!?」 「うわっ、煙幕か!?」


 俺たちはとっさに息を止めた。  だが、その粉末は皮膚から浸透するタイプのものだったのか、あるいはわずかな隙間から吸い込んでしまったのか。  甘い香りが脳髄を直接刺激した。


「……ッ! みんな、下がれ! 《ウィンド・ブラスト》!」


 俺は風魔法で粉末を吹き飛ばし、ラフレシアを遠距離から《ファイア・ボール》で焼き払った。  だが、少し遅かったかもしれない。


「おい、みんな大丈夫か?」


 俺は振り返り、仲間たちの様子を確認した。  全員、その場に立ち尽くし、うつむいている。


「……おい?」


 沈黙。  やがて、ゆらりとユナさんが顔を上げた。  彼女の目つきが、おかしい。  いつもの慈愛に満ちた瞳ではない。三白眼で、獲物を狙う猛獣のようにギラついている。


「あぁん? 誰に指図してんだよ、あ?」


 ……はい?  俺が呆気に取られていると、今度はシルフィがガタガタと震え出し、その場にうずくまった。


「ひぃっ……! ご、ごめんなさい……! あたしなんかが生きててごめんなさい……! 剣なんて怖くて振れません……!」


 涙目でガクブル状態のシルフィ。  そしてミミは、どこから取り出したのか瓶底眼鏡(度の強いガラス)をかけ、ブツブツと独り言を呟き始めた。


「非合理的です。今の戦闘における消費カロリーと獲得経験値の収支バランスはマイナス35%。このパーティの運営方針には抜本的な改革が必要です」


 最後にアンジェ。  彼女はいきなり両手でVサインを作り、片足でピョンと跳ねた。


「イェーイ! レンきゅん見てるぅ~? アンジェだよぉ☆ テンションアゲアゲでいっちゃうよぉ~!」


 ……終わった。  俺は天を仰いだ。  あの粉末は、『カオス・スポア(混乱胞子)』の変異種だ。  対象の深層心理にある「抑圧された人格」や「普段とは逆の性質」を強制的に引き出す、極めて悪質な幻覚毒だ。


 つまり、  強気なシルフィ → 弱気な泣き虫  温厚なユナ → 凶暴な不良バーサーカー  野生児ミミ → 理屈っぽいガリ勉  クールなアンジェ → ハイテンションギャル


 という、最悪のクラスチェンジが起きてしまったのだ。


 ◇


 【PM 0:00 沼地の乱戦カオス


 状況を整理する間もなく、沼の奥から魔物の群れが現れた。  『ポイズン・アリゲーター(毒ワニ)』の群れだ。10匹はいる。  普段なら余裕の相手だが、今のこのパーティでは……。


「テメェらァァァッ!! ドブ川の底から出直してきやがれェェェッ!!」


 ドゴォォォンッ!!  先陣を切ったのは、ヒーラーのユナさんだった。  彼女は回復魔法を使う気配など微塵もなく、杖(物理)を両手で振り回し、先頭のワニの脳天をカチ割った。  返り血を浴びて「ヒャハハハ!」と高笑いする姿は、聖女の欠片もない。


「ゆ、ユナさん!? 前に出すぎです! 回復は!?」 「回復ゥ? 痛みを上書きすれば治るだろうがァ! オラオラオラァ!」


 彼女は杖でワニを撲殺し続けている。強い。強すぎる。  だが、被弾もお構いなしだ。


「ひぃぃぃっ! こないでぇぇぇっ!」


 一方、前衛のはずのシルフィは、俺の足にしがみついて泣き叫んでいた。


「シルフィ! 戦ってくれ! ユナさんが死ぬ!」 「無理無理無理ぃ! あんな大きな口で噛まれたら痛いもん! あたし、お家帰ってぬいぐるみ抱いて寝たいよぉ……グスッ」 「お前の剣は何のためにあるんだよ!」 「飾りですぅ……ファッションですぅ……」


 ダメだこいつ。  俺はため息をつき、ミミに指示を出そうとした。


「ミミ! お前なら動けるか!?」 「却下します」


 ミミは眼鏡をクイッと押し上げ、腕を組んで戦場を眺めていた。


「現在の敵戦力とこちらの精神状態を分析するに、撤退こそが最もリスクの低い選択肢です。私が参戦した場合の服の汚れによるクリーニング代、およびダガーの摩耗費を考慮すると、コストパフォーマンスが悪すぎます」 「計算してないで戦えよ! お小遣い減らすぞ!」 「労働基準法違反です。ギルドに提訴します」


 野生はどこへ行った。  そして最後、アンジェ。


「きゃはは~☆ ワニさんいっぱい~! 映える~! 記念撮影しよ~!」 「アンジェ! 魔法撃て!」 「りょ~かいっ☆ アンジェのキラキラ魔法で、みんなハッピーにしちゃうぞぉ~! ――《レインボー・シャワー》!」


 彼女が放ったのは、攻撃力ゼロの、ただ七色に光るだけの花火のような魔法だった。  ワニたちが一瞬「?」となって動きを止めたが、それだけだ。


「攻撃魔法を使え! 無駄撃ちすんな!」 「え~? レンきゅんマジレス乙~! 可愛いは正義だよぉ~?」


 ……地獄だ。ここは地獄か。  俺は頭を抱えた。  まともに戦えるのは俺と、状況を理解できずにオロオロしているホムラだけだ。


「くそっ……俺がやるしかない!」


 俺はシルフィを引きずりながら、杖を構えた。  暴走するユナさんを援護しつつ、ワニを処理する。  マルチタスクの限界への挑戦だ。


「――《サンダー・ストーム》!」


 広範囲の雷撃でワニたちを痺れさせる。  その隙に、暴れまわるユナさんの首根っこを《マジック・ハンド》で掴んで引き戻す。


「離せェ! まだ殺り足りねぇんだよォ!」 「おとなしくしててください! この不良シスター!」


 俺はワニたちをなんとか撃退し、安全な岩場へと退避した。


 ◇


 【PM 1:00 岩場での反省会(?)】


 敵はいなくなったが、問題は解決していない。  性格反転した4人は、相変わらずカオスな状態だ。


 シルフィは岩の隅で体育座りをして「うう……ごめんなさい……生まれてきてごめんなさい……」と地面に指で『の』の字を書いている。  ユナさんはヤンキー座りで煙草(を持っていないので木の枝)をふかし、「ケッ、シケた狩り場だぜ」と悪態をついている。  ミミは地面に数式を書き、「……ゆえに、このパーティのエンゲル係数は高すぎます」とブツブツ言っている。  アンジェはホムラの両手を掴んで「ダンシング~☆」と踊らせている。


「……どうすれば治るんだ、これ」


 俺は解毒ポーションを取り出したが、飲むのを拒否されそうだ。  特にユナさんは暴れるだろう。  ならば、ショック療法しかない。


「……みんな、よく聞け」


 俺は意を決して立ち上がった。


「これより、『治療』を行う。……多少、手荒になるが許してくれ」


 俺はまず、弱気なシルフィに近づいた。


「ひぃっ、な、なに……? 殴るの? やっぱり役立たずだから捨てるの?」 「違う。……お前は俺の最高の相棒だ!」


 俺は彼女の両頬をバチンと挟み、至近距離で見つめた。


「お前がいないと俺はダメなんだ! お前の剣技は世界一だ! 自信を持て!」 「えっ……れ、レン……?」


 顔を真っ赤にするシルフィ。ショック療法(熱血告白)。  次にミミ。


「ミミ! これを見ろ!」


 俺は金貨の袋をチャリンと鳴らした。


「計算なんかどうでもいい! お前の好きなキラキラだぞ! 欲しいか!?」 「……っ!? か、金貨……!?」


 ミミの眼鏡がズレ、瞳が猫目に戻る。金への執着で理性を呼び覚ます作戦。  次にアンジェ。


「アンジェ、遊園地デートは楽しかったな!」 「……はにゃ?」 「あれが俺たちの『特別』だ。チャラついた関係じゃない、本物の絆だ!」 「……とくべつ……?」


 アンジェの動きが止まる。  最後に、一番厄介なユナさんだ。


「あァ? 何メンチ切ってんだオラ」


 俺は彼女の胸ぐらを掴む勢いで近づき――逆に、彼女を強く抱きしめた。


「ユナさん。……そんな怖い顔しないでください。俺の好きなユナさんは、優しくて、温かい、みんなのお母さんなんです」


 俺は彼女の背中をポンポンと叩いた。


「俺に、甘えていいんですよ」 「……ッ!?」


 ユナさんの体が硬直する。  鬼の形相が崩れ、赤面とともに力が抜けていく。


「……れ、レン君……?」


 ◇


 【PM 2:00 正気への帰還】


 数分後。  全員が正気に戻った。  そして全員が、顔を覆って悶絶していた。


「いやぁぁぁぁっ! あたし、なんてことを! めそめそして、レンの足にしがみついて……!」 「わ、私……言葉遣いが……暴力を……あぁ、神よ許したまえ……」 「変な計算式書いてたにゃ……頭が痛いにゃ……」 「……黒歴史、確定。メモリから消去したい。……ピースサインとか、死にたい」


 羞恥心で死にかけるヒロインたち。  俺は疲労困憊で座り込みながらも、苦笑した。


「まあ、みんなの隠された一面が見れて面白かったよ」 「「「「忘れてェェェェッ!!」」」」


 4人の絶叫が沼地に響き渡る。  こうして、精神的な大ダメージ(と俺の胃痛)を負いながらも、俺たちは腐食の沼の恐ろしさを身を持って知ったのだった。


 対策として、全員にガスマスク(魔力フィルター付き)を装着させることを決意したのは言うまでもない。  スローライフなダンジョン攻略は、時にとんでもないカオスを生む。  だが、それもまた旅の思い出……ということにしておこう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ