腐食の沼の狂宴、泣き虫剣士と特攻聖女(バーサーカー)
第21階層の灼熱地獄を抜け、俺たち『銀の翼(仮)』が到達したのは、打って変わってジメジメとした陰鬱な世界だった。
第22階層『腐食の沼』。 視界の限り広がるのは、紫色の毒々しい泥沼と、そこから生える立ち枯れた巨木たち。 空気は湿り気を帯び、腐った卵のような硫黄臭と、甘ったるい腐敗臭が混じり合って鼻をつく。
「……臭い。最悪の環境ね」
シルフィが鼻をつまみ、不快そうに顔をしかめる。 彼女のミスリルブーツは、泥に沈まないように俺が付与した《ウォーター・ウォーク(水上歩行)》のおかげで汚れてはいないが、精神的な不快感は拭えないようだ。
「キュウ……」 「ホムラも嫌がってますねぇ。火の精霊にとって、湿気は大敵ですから」
ユナさんが、アンジェの肩で縮こまっているホムラを心配そうに見る。 ミミに至っては、尻尾を足の間に挟んで震えている。
「にゃあ……。泥が跳ねたら毛並みが悪くなるにゃ……。帰りたいにゃ……」 「……環境分析。空気中に微弱な神経毒を確認。毒耐性のない生物は、1時間で行動不能になる」
アンジェが冷静に警告する。 俺たちは事前に用意した『解毒のポーション』を飲み、口元を布で覆って対策していた。 だが、この階層の本当の恐ろしさは、単なる毒ではなかった。
◇
【AM 11:00 紫色の霧】
沼地の奥深くへ進むにつれ、周囲に薄紫色の霧が立ち込め始めた。 視界が悪くなる。
「気をつけろ。この霧、ただの水蒸気じゃない。魔力を含んでる」
俺は《マナ・サーチ》を展開し、周囲を警戒する。 その時、足元の泥の中から、巨大な蕾のような植物が姿を現した。 『マッド・ラフレシア』。腐肉を好む食虫植物だ。
「敵よ! やっちゃうわよ!」
シルフィが剣を抜こうとした瞬間。 ラフレシアの花弁が開き、中からピンク色の粉末が爆発的に噴出した。
ボフッ!!
「きゃっ!?」 「うわっ、煙幕か!?」
俺たちはとっさに息を止めた。 だが、その粉末は皮膚から浸透するタイプのものだったのか、あるいはわずかな隙間から吸い込んでしまったのか。 甘い香りが脳髄を直接刺激した。
「……ッ! みんな、下がれ! 《ウィンド・ブラスト》!」
俺は風魔法で粉末を吹き飛ばし、ラフレシアを遠距離から《ファイア・ボール》で焼き払った。 だが、少し遅かったかもしれない。
「おい、みんな大丈夫か?」
俺は振り返り、仲間たちの様子を確認した。 全員、その場に立ち尽くし、うつむいている。
「……おい?」
沈黙。 やがて、ゆらりとユナさんが顔を上げた。 彼女の目つきが、おかしい。 いつもの慈愛に満ちた瞳ではない。三白眼で、獲物を狙う猛獣のようにギラついている。
「あぁん? 誰に指図してんだよ、あ?」
……はい? 俺が呆気に取られていると、今度はシルフィがガタガタと震え出し、その場にうずくまった。
「ひぃっ……! ご、ごめんなさい……! あたしなんかが生きててごめんなさい……! 剣なんて怖くて振れません……!」
涙目でガクブル状態のシルフィ。 そしてミミは、どこから取り出したのか瓶底眼鏡(度の強いガラス)をかけ、ブツブツと独り言を呟き始めた。
「非合理的です。今の戦闘における消費カロリーと獲得経験値の収支バランスはマイナス35%。このパーティの運営方針には抜本的な改革が必要です」
最後にアンジェ。 彼女はいきなり両手でVサインを作り、片足でピョンと跳ねた。
「イェーイ! レンきゅん見てるぅ~? アンジェだよぉ☆ テンションアゲアゲでいっちゃうよぉ~!」
……終わった。 俺は天を仰いだ。 あの粉末は、『カオス・スポア(混乱胞子)』の変異種だ。 対象の深層心理にある「抑圧された人格」や「普段とは逆の性質」を強制的に引き出す、極めて悪質な幻覚毒だ。
つまり、 強気なシルフィ → 弱気な泣き虫 温厚なユナ → 凶暴な不良 野生児ミミ → 理屈っぽいガリ勉 クールなアンジェ → ハイテンションギャル
という、最悪のクラスチェンジが起きてしまったのだ。
◇
【PM 0:00 沼地の乱戦】
状況を整理する間もなく、沼の奥から魔物の群れが現れた。 『ポイズン・アリゲーター(毒ワニ)』の群れだ。10匹はいる。 普段なら余裕の相手だが、今のこのパーティでは……。
「テメェらァァァッ!! ドブ川の底から出直してきやがれェェェッ!!」
ドゴォォォンッ!! 先陣を切ったのは、ヒーラーのユナさんだった。 彼女は回復魔法を使う気配など微塵もなく、杖(物理)を両手で振り回し、先頭のワニの脳天をカチ割った。 返り血を浴びて「ヒャハハハ!」と高笑いする姿は、聖女の欠片もない。
「ゆ、ユナさん!? 前に出すぎです! 回復は!?」 「回復ゥ? 痛みを上書きすれば治るだろうがァ! オラオラオラァ!」
彼女は杖でワニを撲殺し続けている。強い。強すぎる。 だが、被弾もお構いなしだ。
「ひぃぃぃっ! こないでぇぇぇっ!」
一方、前衛のはずのシルフィは、俺の足にしがみついて泣き叫んでいた。
「シルフィ! 戦ってくれ! ユナさんが死ぬ!」 「無理無理無理ぃ! あんな大きな口で噛まれたら痛いもん! あたし、お家帰ってぬいぐるみ抱いて寝たいよぉ……グスッ」 「お前の剣は何のためにあるんだよ!」 「飾りですぅ……ファッションですぅ……」
ダメだこいつ。 俺はため息をつき、ミミに指示を出そうとした。
「ミミ! お前なら動けるか!?」 「却下します」
ミミは眼鏡をクイッと押し上げ、腕を組んで戦場を眺めていた。
「現在の敵戦力とこちらの精神状態を分析するに、撤退こそが最もリスクの低い選択肢です。私が参戦した場合の服の汚れによるクリーニング代、およびダガーの摩耗費を考慮すると、コストパフォーマンスが悪すぎます」 「計算してないで戦えよ! お小遣い減らすぞ!」 「労働基準法違反です。ギルドに提訴します」
野生はどこへ行った。 そして最後、アンジェ。
「きゃはは~☆ ワニさんいっぱい~! 映える~! 記念撮影しよ~!」 「アンジェ! 魔法撃て!」 「りょ~かいっ☆ アンジェのキラキラ魔法で、みんなハッピーにしちゃうぞぉ~! ――《レインボー・シャワー》!」
彼女が放ったのは、攻撃力ゼロの、ただ七色に光るだけの花火のような魔法だった。 ワニたちが一瞬「?」となって動きを止めたが、それだけだ。
「攻撃魔法を使え! 無駄撃ちすんな!」 「え~? レンきゅんマジレス乙~! 可愛いは正義だよぉ~?」
……地獄だ。ここは地獄か。 俺は頭を抱えた。 まともに戦えるのは俺と、状況を理解できずにオロオロしているホムラだけだ。
「くそっ……俺がやるしかない!」
俺はシルフィを引きずりながら、杖を構えた。 暴走するユナさんを援護しつつ、ワニを処理する。 マルチタスクの限界への挑戦だ。
「――《サンダー・ストーム》!」
広範囲の雷撃でワニたちを痺れさせる。 その隙に、暴れまわるユナさんの首根っこを《マジック・ハンド》で掴んで引き戻す。
「離せェ! まだ殺り足りねぇんだよォ!」 「おとなしくしててください! この不良シスター!」
俺はワニたちをなんとか撃退し、安全な岩場へと退避した。
◇
【PM 1:00 岩場での反省会(?)】
敵はいなくなったが、問題は解決していない。 性格反転した4人は、相変わらずカオスな状態だ。
シルフィは岩の隅で体育座りをして「うう……ごめんなさい……生まれてきてごめんなさい……」と地面に指で『の』の字を書いている。 ユナさんはヤンキー座りで煙草(を持っていないので木の枝)をふかし、「ケッ、シケた狩り場だぜ」と悪態をついている。 ミミは地面に数式を書き、「……ゆえに、このパーティのエンゲル係数は高すぎます」とブツブツ言っている。 アンジェはホムラの両手を掴んで「ダンシング~☆」と踊らせている。
「……どうすれば治るんだ、これ」
俺は解毒ポーションを取り出したが、飲むのを拒否されそうだ。 特にユナさんは暴れるだろう。 ならば、ショック療法しかない。
「……みんな、よく聞け」
俺は意を決して立ち上がった。
「これより、『治療』を行う。……多少、手荒になるが許してくれ」
俺はまず、弱気なシルフィに近づいた。
「ひぃっ、な、なに……? 殴るの? やっぱり役立たずだから捨てるの?」 「違う。……お前は俺の最高の相棒だ!」
俺は彼女の両頬をバチンと挟み、至近距離で見つめた。
「お前がいないと俺はダメなんだ! お前の剣技は世界一だ! 自信を持て!」 「えっ……れ、レン……?」
顔を真っ赤にするシルフィ。ショック療法(熱血告白)。 次にミミ。
「ミミ! これを見ろ!」
俺は金貨の袋をチャリンと鳴らした。
「計算なんかどうでもいい! お前の好きなキラキラだぞ! 欲しいか!?」 「……っ!? か、金貨……!?」
ミミの眼鏡がズレ、瞳が猫目に戻る。金への執着で理性を呼び覚ます作戦。 次にアンジェ。
「アンジェ、遊園地デートは楽しかったな!」 「……はにゃ?」 「あれが俺たちの『特別』だ。チャラついた関係じゃない、本物の絆だ!」 「……とくべつ……?」
アンジェの動きが止まる。 最後に、一番厄介なユナさんだ。
「あァ? 何メンチ切ってんだオラ」
俺は彼女の胸ぐらを掴む勢いで近づき――逆に、彼女を強く抱きしめた。
「ユナさん。……そんな怖い顔しないでください。俺の好きなユナさんは、優しくて、温かい、みんなのお母さんなんです」
俺は彼女の背中をポンポンと叩いた。
「俺に、甘えていいんですよ」 「……ッ!?」
ユナさんの体が硬直する。 鬼の形相が崩れ、赤面とともに力が抜けていく。
「……れ、レン君……?」
◇
【PM 2:00 正気への帰還】
数分後。 全員が正気に戻った。 そして全員が、顔を覆って悶絶していた。
「いやぁぁぁぁっ! あたし、なんてことを! めそめそして、レンの足にしがみついて……!」 「わ、私……言葉遣いが……暴力を……あぁ、神よ許したまえ……」 「変な計算式書いてたにゃ……頭が痛いにゃ……」 「……黒歴史、確定。メモリから消去したい。……ピースサインとか、死にたい」
羞恥心で死にかけるヒロインたち。 俺は疲労困憊で座り込みながらも、苦笑した。
「まあ、みんなの隠された一面が見れて面白かったよ」 「「「「忘れてェェェェッ!!」」」」
4人の絶叫が沼地に響き渡る。 こうして、精神的な大ダメージ(と俺の胃痛)を負いながらも、俺たちは腐食の沼の恐ろしさを身を持って知ったのだった。
対策として、全員にガスマスク(魔力フィルター付き)を装着させることを決意したのは言うまでもない。 スローライフなダンジョン攻略は、時にとんでもないカオスを生む。 だが、それもまた旅の思い出……ということにしておこう。




