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深淵の顎(あぎと)、胃袋の中の剣姫と決死の救出作戦

第17階層での『水着特訓(という名のドタバタ劇)』から数日。  俺たち『銀の翼(仮)』は、水没回廊の最深部、第19階層『嘆きの地底湖』に到達していた。


 ここは、これまでの通路とは異なり、広大なドーム状の空間全体が巨大な湖となっている。  天井には発光する鍾乳石が垂れ下がり、蒼白い光が黒々とした水面を照らしている。  水深は不明。足場は、水面に点在する岩場と、古代遺跡の柱の頭頂部のみ。


「……気味が悪いくらい静かね」


 シルフィが愛剣『ミスリル・エッジ』を構え、岩場の上で周囲を警戒する。  彼女の装備は、前回開発した特製アクア・スーツ(ビキニ型)だ。ただし、前回のポロリ事故を反省し、各部の紐は魔力繊維で三重に補強され、要所には軽量化された革のプロテクターが追加されている。


「水温、低下。……敵性反応、水底より多数接近」 「来るぞ! 足場を確保しろ!」


 アンジェの警告と同時に、水面が爆発した。


 ザパァァァッ!!


 水しぶきと共に現れたのは、これまでのピラニアや水棲昆虫とは桁違いの巨体。  全長20メートルはあろうかという、青黒い鱗に覆われた巨大海蛇――『アビス・サーペント』だ。  しかも、一体ではない。


「ブモォッ!」 「シャァァッ!」


 サーペントの巨体の周囲には、取り巻きの『サハギン(半魚人)』が数十体、槍を持って群がっていた。  典型的な「ボス+雑魚」の布陣だ。


「雑魚はあたしとミミで散らす! レンとアンジェは親玉を狙って!」 「了解! ユナさんは後方で結界維持を!」


 開戦の合図。  シルフィが岩場を蹴り、サハギンの群れに突っ込む。  水着姿の彼女は、水の抵抗をものともせず、滑るように敵の間をすり抜けていく。


「遅いっ!」


 銀閃。  すれ違いざまにサハギンの首が飛ぶ。  ミミも負けていない。彼女はスク水姿で岩から岩へと飛び移り、ダガーで敵の目を潰していく。


「にゃっはー! お魚天国だー!」


 前衛が雑魚を引きつけている間に、俺とアンジェはボスに対峙する。  サーペントが鎌首をもたげ、巨大な口を開けた。  口内には何重もの牙がびっしりと並び、奥からは腐臭のする呼気が漂ってくる。


「――《サンダー・ランス(雷の槍)》!」 「――《ホーミング・アロー(追尾矢)》!」


 俺の雷魔法と、アンジェの光の矢が同時に放たれる。  バチバチッ! ドスッ!  雷撃が鱗を焦がし、光の矢が眼球を掠める。


「グオォォォォッ!!」


 サーペントが苦痛に咆哮し、のたうち回る。  巨大な尾が振り回され、大波が発生する。


「くっ、タフだな! だが、このまま押し切れる!」


 俺は勝利を確信しかけた。  だが、Dランクのエリアボスは、そんな甘い相手ではなかった。


 サーペントの赤い瞳が怪しく光る。  奴はダメージを受けたまま、大きく口を開け――大量の水を吸い込み始めた。  ブレス攻撃か?  いや、違う。水流操作だ!


「――シルフィ、逃げろッ!!」


 俺が叫んだ瞬間、サハギンと交戦中だったシルフィの足元の水面が、渦を巻いて彼女を引きずり込んだ。


「えっ、きゃぁぁっ!?」


 強力な水流のボルテックス。  足場を失ったシルフィが、木の葉のように揉まれる。  そして、その渦の中心には、大口を開けたサーペントが待ち構えていた。  奴は吸い込みの反動を利用して、魚雷のような速度で突進してきたのだ。


「うそ……っ!?」


 シルフィの目の前に、暗黒の口腔が迫る。  回避不能。防御も間に合わない。


 バクンッ。


 鈍い音と共に、シルフィの小さな体が、サーペントの口の中に完全に消えた。  ゴクリ。  巨大な喉が波打ち、彼女を飲み込んだ。


「――シルフィィィィィィッ!!!」


 俺の絶叫が洞窟に響き渡る。  血の気が引いた。  食われた。仲間が。俺の相棒が。


「いやぁぁぁっ! シルフィが! シルフィが食べられちゃった!」 「嘘……反応消失……!」


 ミミが悲鳴を上げ、アンジェが呆然とする。  サーペントは満足げに舌なめずりをすると、そのまま水中に潜ろうと身を翻した。  消化するために、安全な深場へ逃げるつもりだ。


「逃がすかよ……絶対に、逃がすかぁぁぁっ!!」


 俺の中で何かが切れた。  冷静さ? 知性? どうでもいい。  俺は杖を放り捨て、自分の身一つで水中に飛び込んだ。


「レン君!?」


 ユナさんの静止も聞かず、俺は潜水する。  水中での魔法行使は困難だ。だが、関係ない。  俺は『魔力操作S』で全身の魔力をブーストさせ、水中ジェットのように加速した。


 潜ろうとするサーペントの尻尾に追いつき、しがみつく。  ヌルヌルした鱗。振り落とされそうになる水圧。  俺は魔力で指を鍵爪のように強化し、鱗に食い込ませた。


(吐き出せ……! 今すぐ吐き出せッ!)


 俺は尻尾にしがみついたまま、至近距離で魔法を放つ。


「――《フリーズ(氷結)》・最大出力!!」


 俺の手から放たれた冷気が、サーペントの尻尾周辺の水を一瞬で凍らせる。  巨大な氷塊が重りとなり、サーペントの潜行速度が落ちた。


「グ、ルァァ……!?」


 奴が驚いて振り返る。  その隙に、俺は水面に顔を出し、叫んだ。


「アンジェ! ミミ! 奴を潜らせるな! シルフィはまだ生きてる! 胃袋の中から暴れてるはずだ!」


 ◇


 【一方その頃・サーペントの胃袋内部】


「うぐっ……くさっ……! 最悪……!」


 暗闇の中、シルフィは鼻をつまんでいた。  周囲は生温かく、ヌルヌルとした肉壁に囲まれている。  足元には消化液の池があり、サハギンの死骸や魚の骨が溶けかけて浮いている。  地獄のような光景と悪臭。


 だが、彼女は諦めていなかった。  アクア・スーツの表面に施された防御結界が、強力な胃酸から彼女の肌を守っている。  そして何より、彼女の手にはまだ『ミスリル・エッジ』が握られていた。


「よくも……よくもレディを丸呑みにしてくれたわね!」


 シルフィの怒りは頂点に達していた。  恐怖よりも、汚された屈辱と、レンに心配をかけていることへの申し訳なさが勝っていた。


「消化できるもんなら、してみなさいよ! あたしは骨があるわよ!」


 彼女は足元の肉壁を蹴り、胃の上部――食道との連結部付近へ飛び上がった。  そして、剣に全魔力を込める。


「中から切り裂いてやるわ! ――《スピニング・スラッシュ(回転斬り)》!!」


 狭い胃袋の中で、彼女は独楽のように回転した。  鋭利な刃が、無防備な内臓の壁を切り裂く。


 ズババババババッ!


 ◇


 【外部・地底湖】


「ギャオオオオオオオオッ!!?」


 突然、サーペントが悶絶した。  腹部が不自然に波打ち、口から紫色の血を吐き出す。


「今だ! 中からシルフィが攻撃してる!」 「いけぇぇぇぇ! お腹破っちゃえ!」 「……ターゲット、装甲低下。一点集中砲火を開始」


 チャンスだ。  俺の氷で動きが鈍り、内部からの激痛で隙だらけになったサーペント。  俺たちは総攻撃を仕掛けた。


「ミミ、目だ! アンジェ、口の中を狙え!」 「ラジャ! 目ん玉くり抜いてやる!」 「……了解。《スパイラル・アロー》装填」


 ミミが飛び乗り、目を潰す。  アンジェが大きく開かれた口の中に、螺旋状の光の矢を撃ち込む。  そして俺は、氷漬けにした尻尾を足場にして、奴の腹部――シルフィの魔力が感じられる場所へと杖を突き立てた。


「これで……終わりだぁぁぁっ!」


 俺は外部から、シルフィは内部から。  壁一枚を隔てて、二人の刃が交差する。


「「――貫けぇッ!!」」


 ドスッ……ブシュゥゥゥッ!!


 俺の魔力杭と、シルフィの剣が、サーペントの腹を完全に貫通した。  鮮血と消化液が噴水のように吹き出す。


 裂け目が広がる。  そこから、ドロドロの液体と共に、一人の少女が飛び出してきた。


「ぷはぁっ!!」


 スライムまみれになったシルフィが、空中に放り出される。  俺は咄嗟に手を伸ばし、彼女を空中でキャッチした。


「シルフィ!」 「レン……! うぇぇぇん、臭いよぉ、怖いよぉ……!」


 俺の腕の中で、彼女は緊張の糸が切れたように泣き出した。  全身ベトベトで、強烈な酸の臭いがする。  だが、温かい。生きている。


「よかった……本当によかった……」


 俺は彼女を強く抱きしめた。自分の服が汚れるのも構わずに。


 致命傷を負ったサーペントは、断末魔を上げて湖に沈んでいった。  巨大な水柱が上がり、静寂が戻る。


 ◇


 【戦闘終了後・岸辺にて】


 戦いは終わった。  俺たちは岸辺の岩場にへたり込んでいた。


「……もう、最悪」


 シルフィは泣き止んだものの、全身を覆う胃液と粘液の不快感に震えている。  ビキニアーマーは酸で一部溶けかかり、肌が露出している箇所も多い。  髪も肌もヌルヌルだ。


「あらあら、大変なことになっちゃいましたねぇ」


 ユナさんが苦笑しながら近づいてくる。


「《ピュリフィケーション(浄化)》で汚れは落とせますけど、この臭いは一度お風呂に入らないと取れないかもしれませんねぇ」 「うぅ……レン、近寄らないで。臭いから」 「何言ってんだ。生きててくれただけで十分だ」


 俺は彼女のヌルヌルしているがを撫でた。  シルフィは顔を真っ赤にして、俯いた。


「……ありがと。助けに来てくれて」 「当たり前だろ。最初の相棒なんだから」


 俺たちは見つめ合い、笑った。  ミミとアンジェも寄ってくる。


「シルフィ姉ちゃん、無事でよかったにゃ! ……でも、ちょっと臭いにゃ」 「……生体反応、正常。でも汚染レベル高。……洗浄を推奨」 「あんたたちねぇ……!」


 こうして、第19階層の死闘は幕を閉じた。  ボスは倒した。ドロップ品である『海蛇の宝玉』も手に入れた。  だが、最大の戦果は、絶体絶命の危機を乗り越えたパーティの絆だろう。


 帰りの道中、俺がずっとシルフィをおんぶして(彼女が歩くのを拒否したため)、ヌルヌルになりながら帰ったのは言うまでもない。  家に帰ってからの長時間のバスタイムが、彼女にとって別の意味での戦い(恥ずかしさとの)になったことは、また別の話だ。

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