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やっぱり天ぷらは美味い

掲載日:2025/11/24

「秋の文芸展2025」参加作品です。

「うぃ~っす」


 年季の入った赤い暖簾(のれん)を潜る。見慣れた、もとい見飽きた使い古しの椅子とテーブルが俺を出迎える。

 この店のメイン料理である天ぷらを揚げる姿が間近に見えるカウンター席。本来は客が座る筈の背もたれがない丸い回転椅子に堂々と座るどころか、突っ伏してよだれを垂らしながら居眠りをしている店員がそこにいた。


「おいこら起きろや。お客様がお見えになったぞっと」


「ふがっ!?」


 無防備な後頭部を軽く小突くと、いびきと織り交ぜたような声が噴出される。突っ伏した上体を起こして伸びをしながら恥ずかしげもなく大きな欠伸をすると、まだ眠たそうなとろんとした目で俺の方を見る。


「……あんた、また来たの? 暇なの? あとおはよう」


「三連発で失礼な奴だな。来たばっかの客に向ける挨拶じゃねえよそれ。普通はいらっしゃいませだろうが」


「いやぁ、客っていうか、もう半分ここの備品みたいな扱いなんだけど」


「せめて常連って言え」


 店員――というか店主である俺の幼なじみの千夏(ちなつ)は、髪をゴムで雑にまとめながら、やれやれといった様子で立ち上がる。カウンターの奥に消えると、すぐに湯気の立ったおしぼりと麦茶を持って戻ってきた。


「はいよ」


「おう、サンキュー」


 程よく熱いおしぼりで手を拭い、麦茶を一口含む。


「……麦茶、ぬるいぞ」


「だしっぱだったやつだからね。飲んじゃって~」


「いや、せめて氷くらい入れてくれよ」


「はいは~い」


 千夏は冷凍庫から二、三個ほど持ってきた氷を俺の麦茶にぽちゃんと入れる。

 まあ今回は俺相手だからいいけど、衛生だ何だ気にしなきゃいけないこのご時世に、素手で持ってきた氷をそのまま入れるのはやめた方がいいと思う。基本やらないとは思うが、こいつならたまにやりそうだ。


「で、今日は何? 愚痴? 相談? それともただの現実逃避?」


「お前、俺の来店理由をスナックのママみたいに分析すんなや。あと何で食事っていう選択肢がない?」


「それじゃいつも通りすぎて面白くないもん」


「居眠りするぐらい暇だったからって、俺に面白さを求めてくんな」


「暇なのはお互い様でしょ? あ、あたしはこの店回してるから冬一(ふゆかず)より一歩リードか」


「余計なお世話だ」


 とは言え、言われたことはごもっとも。


 大学を卒業して就職したものの、上司とのウマが合わなさすぎて早期退職を決意。再就職が上手くいかず、週に数回あるコンビニの深夜バイトで何とか生き繋いでいる俺。

 爺さんの代から続いてきた天ぷら屋を、ほぼ無理やり継がされた千夏。

 お互いいい環境とは全く言えないが、店を任される実力を持つ千夏の方が上ってのは事実だろう。


「とりあえず飯食わしてくれ。いつもので頼む」


「はいよ。回鍋肉定食一丁~」


「いつものっつってんだろ。町中華食いに来てんじゃないんだわ」


「記憶に御座いません」


「ほぼ毎日来てる常連相手なのに?」


「常連が必ずしも店主に覚えて貰えてるとは思わないことね」


「悲しい現実だなぁ」


 まあ、本当にそういうところもあるんだろうけど。


「さって、じゃあそろそろ真面目に作りますかっと」


 千夏はようやく重い腰を上げて厨房に入る。背中越しに「時間かかるからちょっと待っててね~」と軽く手を振ってくる。

 こちらとて長年通っている身だ。ここの熱々天ぷらが俺の前に姿を現すまでの時間は熟知している。

 大抵、今時のお一人様はこういう待ち時間中はスマホで時間を潰すのが通例だろうが、俺は違う。

 厨房から聞こえてくる水音と包丁のまな板を叩く小気味良い音。ほどなくして、油がパチパチと弾ける音が聞こえてくる。俺にとってはどれももうBGMみたいなもんだ。その音をのんびりと聴きながら、出された麦茶をちびちびと飲んで待つ。

 これがこの店で俺が取るルーティーンだ。


 何も特別なことじゃない。でも、それがなんとなく落ち着く。

 

「ぷはぁ~」


「飲み方が何か酒っぽいんだけど」


「いっそのこと飲んでもいいかもな」


「今日夜バイトは?」


「ある」


「じゃあダメ。あたしが飲ませたみたくなるし」


「冗談だ。ホントに飲まないから安心しろ」


 本当は少しばかり飲みたいのも事実だが、軽くひらひらと手を振りながら答えた俺は、また一口麦茶を飲み込んで天井を見上げる。


「……就活、上手くいってないの?」


 唐突に、だけどどこか優しい声で千夏が聞いてくる。


「……まぁな。面接受けても『うちは即戦力が欲しいんです』とか、『前職の退職理由をもう少し前向きに言えませんか?』とか、そんなのばっかでさ。もう履歴書書くのすら面倒になってきたわ」


「そっか」


 短い返事のあと、千夏は下ごしらえの終わった食材を黙って揚げ始めた。じゅーっという食欲をそそる音だけが空間を満たす。


「……ま、自分のペースでゆっくり探せばいいんじゃない? まだ別に死にそうな程困ってる訳じゃないんでしょ?」


「苦しいことには変わりないけどな」


「だろうね。だからウチに来るんでしょ? ツケが利くから」


「いつも感謝しております」


「うむ。崇め奉りたまえよ」


 千夏は菜箸で油の中をのぞき込みながら言う。パチパチと弾ける音が、まるで会話の合いの手みたいに響く。


「てか、ツケどのくらい溜まってたっけ?」


「あんたさぁ、自分の支払う分くらい流石に覚えときなさいよ」


 呆れた口調で言い返した千夏は、調理の手を少し止めて、引き出しにしまっていた手帳を持って戻ってくる。


「ざっと見た感じ九食分くらいかな」


「うわマジか。ちょっと滞納しすぎてんなぁ」


「本日で記念すべき十食目のツケとなります」


「まあ、そうなんだけど」


「では記念としてもう一食分のツケをプレゼント致します」


「やめろそんな嬉しくない記念品はいらん」


「ちぇ~。余分に稼げるチャンスだったのに~」


 なんて、千夏はくすりと笑いながら付け合わせの小鉢を用意し始める。少し甘味も含む白菜キムチと絹豆腐の冷奴だ。これがまた天ぷらの味を際立たせるのに丁度いい。


「もうすぐバイト代出るから、そん時まとめて払うわ」


「無理しなくてもいいよ。九二四〇円だし」


「あんま滞納し過ぎるとそっちの儲けにも関わるからな。……って、おい減らせ減らせ。さっきプレゼントした分そのままにするんじゃねぇよ」


 ここの天ぷら定食は八四〇円。このご時世ではお安めな値段設定だが、その一食分でもバイト生活者には響く。


「滞納してること気にしてるなら、一食分くらいサービスしてよ」


「客が店に一食分の料金サービスするなんて聞いたことないわ」


「ん~、あ、これならあるじゃない? 万札出して『釣りはいらねぇ、取っときな』って感じのやつ」


「仮に俺がそれをやったとしたら、七六〇円分余計に取られてんじゃねぇか」


「よっ、太っ腹~」


「しないわ」


 時折、本当にそうさせてくるかもしれないのがこいつの怖いところだ。


「……まあでも、マジで早く再就職しなきゃダメだよな。いつまでもツケに甘えてらんないし」


「さっきも言ったけど、焦んないで自分のペースでやればいいと思うよ。だって()げたら終わりなんだから」


「あん?」


 千夏は油の中から一枚の天ぷらをすくい上げる。衣がほんのり黄金色に染まり、湯気の向こうに光が滲んでいる。


「天ぷらを焦げる前に上げるのって、案外難しいんだよ。外が良い色でも中がまだ生だったり、逆に中まで火を通そうとして、外が真っ黒になることもある」


「その例えで言うと、俺は今焦げかけの状態ってとこか?」


「ん~、と言うよりも、まだ衣が白っぽいくらい? 外見だけで分かんないけど、たぶん中はちゃんと火が通り始めてるって感じかな。だから、まだ大丈夫だと思うよ」


「そういうフォローは、なんかずるいだろ」


「別にフォローしてないって。ただ、人生も天ぷらも、揚げすぎたらもったいないだけ」


「流石に若くても天ぷら屋の店主。言うことが違うねぇ」


「まぁ、あたしもたまに焦がすけど」


「ちなみにその海老天の出来は?」


「及第点かな」


 千夏は笑いながら、先に揚げ終わった海老天を網の上に並べていく。油の香りが立ち上って、今にも腹が鳴りそうになる。


「でも、何だかんだウチの事は心配してくれてるんだよね~冬一は」


「……そりゃあな。この店潰れちまうのは、やっぱ俺も嫌だし」


「急にガチ目のトーンで言われても困るんだけど」


「だって昔よりも店、繁盛してないだろ?」


「あ~、まあそれはしゃ~なしだよ。張られたレッテルってのはそう簡単に剝がれるもんじゃないし」


「そっちのツケも、まだ残ってるってか」


 この店が落ちぶれ始めた原因。それは正直なところ、体を壊した爺さんの後を継いだ千夏の親父さんとお袋さん――先代夫婦にある。

 二人とも人は良かったんだけど、料理の腕がとにかく残念なことになっていた。特に揚げ物は温度管理がめちゃくちゃで、べちゃっとした天ぷらを平気で客に出すような始末だった。

 最初の頃は『たまたまだろ』って常連も多かったけど、三度も続けばそりゃ信用も無くなる。ふらりと入りかけた客が『あ、ここ評判悪いらしいからやめようぜ』って帰っていくなんてこともあったし、昼時なのにガラガラの日が珍しくなかった。

 一度張り付いた“まずい店”のレッテルは本当に厄介で、どれだけ改善しようとしても悪評の方が根強く残ってしまった。しびれを切らした爺さんが若輩者の千夏に店を引き継がせた頃には、もうほとんど負の遺産みたいな状態だった。

 それでも千夏は味も昔のレベルに近いくらい良くして、店を畳まずに続けている。


「そそ。まあこればっかりは身内の責任だし、父さんも母さんも今は別の仕事で赤字分のツケを支払い続けてるからさ。あたしはその間、自分なりにじっくりのんびりやるだけよ」


「強いなぁお前は」


「強くないよ~。ただ流れに身を任せてるだけだし」


「身を任せて店を任されるってどんだけだよって話だわ」


「まあ結果的には、今の状況も悪くないって思ってるけどね」


「は? 何でだよ?」


「昔と違って今じゃ直接その席をキープさせてあげられてるからね」


「………………」


 不意に胸を掴まれたように、思わず言葉に詰まってしまった。


 俺がこの店に初めてやってきたのは、たしか小学の夏休み頃だった。

 飯も食べずに外で遊びすぎて腹ぺこになった俺は、漂ってきた天ぷらの匂いに完全に捕まってふらふら店に入ってしまった。入った瞬間『じっちゃん、行き倒れが来たよ~』って当時の千夏が言い放ったっけ。まあ遊びすぎて泥だらけの見た目だっただけだが。


「おいガキンチョ、そこ座りな」


「あ、はい」


 現役だった千夏の爺さんに言われるがまま、俺はカウンターの席に座った。出されたおしぼりで手と顔の泥を綺麗に拭き取り、冷たい麦茶で喉の渇きを潤した俺の目の前に出てきたのは、揚げたてのピーマンの天ぷら。至近距離で感じる天ぷら独特の美味そうな匂いに耐え切れず、俺は夢中でその天ぷらを口に入れた。

 正直、ピーマンなんてその時まで一度も美味しいと思ったことなかったのに、衣の下からじんわり広がる甘味にビックリしたな。

 思わず『これ、毎日食べたい』なんてほざいたら、千夏が『なら毎日食べに来なよ。今日はツケにしてあげるからさ』って嬉しそうに言ってきたな。


 そう。この時食べたのは爺さん作じゃなくて、千夏作の天ぷらだった。


 爺さんは『いい実験台ができたな』って笑いながら千夏の頭を撫でてたが、『どういう意味だ』って蹴りを入れられて痛そうだった。


 で、本当に翌日もその次の日も、俺は店を訪れて同じ席に座った。

 気付けば、遊びに行くルートにこの店が自然と組み込まれてて、友達の家より先にここに寄ることさえあった。

 千夏はその度に、『今日も来たね。ツケを払え』っておしぼりと麦茶を差し出して天ぷらを揚げてくれた。たまにパイナップルの天ぷらみたいなのを、爺さんの言う実験台の如く食わされそうになった時は本気で帰ろうかと思ったが。……まあ、意外と美味かったんだけど。

 今では俺の顔も見飽きたようで『また来たの?』って呆れ顔に変化したが、それもいつも通りだと思える程に慣れた。


 そして今日も、こうしてカウンターに座って、揚げたてを待ってる。


 楽しいことがあった日も。辛いことがあった日も。


 いつでも、どんな時でも、俺が居てもいい――“いつもの場所”。


 その場所を千夏は、今日もまた守ってくれている。


「どうしたの? 急に黙って」


「……いや、何でもない。そろそろ出来上がるかな~と思っただけだ」


「おや、いい読みしてるじゃない。もう出来るよ」


 鍋から味噌汁を、炊飯器から白米をよそい、それをお盆の上に乗せた千夏は、そのままお盆を持ち上げて俺の前にゆっくりと置いた。


「お待たせ致しました。天ぷら定食です」


 ええ、待っておりましたとも。俺の大好物。

 真っ白な油取り紙の上に鎮座する黄金色の天ぷら達。海老天を主役に置き、茄子や南瓜、そしてピーマンといった野菜天。それらが早く食べて欲しいとでも言うように美味そうな香りを放って主張してくる。

 

「いただきます」


 手を合わせてそう言った俺は、すぐピーマンの天ぷらに箸を伸ばした。

 口に入れると揚げたてらしいサクッと軽い音が鳴り、中から湯気と一緒に優しい香りが上がる。


 一口食べた瞬間、広がっていく旨味に思わず目を細める。


「……やっぱこれだな」


「そりゃどうも」


「あれ? でもなんか前より風味? が良くなった気が」


「ああ、油を新しくしたの。今までの奴から心機一転して別の油にしてみた」


「へぇ、良い判断だな。世辞じゃなくて、前よりも美味くなってる」


「ならよかった。他のお客さんへ出す前にあんたで試して正解だったみたい」


 千夏の言葉に、俺は箸を止めた。


「……お前さ、未だに俺の事実験台にしてないか?」


「気のせいじゃない?」


「ホント、そういうとこがまたムカつくんだよ」


「ありがと」


「褒めてねぇ」


 何て言いながら、二人で笑った。

 油の香りと笑い声が、二人だけの店内でゆるやかに溶けていく。


 ――焦げそうになったら、またここに来ればいい。

 千夏が上手く揚げてくれる。俺の話も、俺の気持ちも。


 それがきっと、俺達なりの“友情の味”なんだろう。


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