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ある少年の入院

 飛行機内で時間があったので、もうひとつ、以前から書いてみようかと考えていた短編を仕上げてみました。

 高度経済成長真っ只中の1971年初夏、ある少年が虫垂炎となり、手術を受けます。そのとき病院で体験した試練の数々です。

「急性虫垂炎、いわゆる盲腸だね。すぐ手術する必要がある。お(うち)の方に連絡が取れるかな。」

「あっ、あのっ、父も母も仕事で夜にならないと帰って来ません。・・・そのっ、取り敢えず抗生物質か何か薬で散らしておいて、家に戻って母と相談してから明日の朝また来るというのではダメですか?」

「君ね、虫垂炎を甘く見ているのかもしれないけど、明日になったら君は死んでいる可能性もあるんだよ。・・・まず、腹痛が起きてから3日も経過していること、それに白血球数が2万3千を超えている。健康なら5千から7千程度の筈で、1万2千を超えれば虫垂炎確定となるんだけど、君の値はそのさらに倍もある。これは、3日放置してしまった虫垂炎の炎症が進み、虫垂が破れて膿が腹の中全体に広がってしまった結果、腹膜炎を起こしかけている可能性が、かなり高い。」(注1)

「僕っ、以前この病院で慢性盲腸炎って言われて、薬で抑えたことがあるんですが・・・。」

「慢性盲腸炎でも白血球数が1万を超えてくることはあるけど、2万にもなるのは急性しかあり得ない。そして急性になると薬では散らせなくて、手術しか治療法がないんだ。」

「仮に腹膜炎となってしまった場合、膿が腹腔内全体に広がると、腹の中の臓器が一斉に炎症を起こして手の施しようがなくなる。苦しんだ挙げ句、亡くなる人が多いんだ。」(注2)

「・・・・・・」

「だから、一刻も早く手術しないと危険だ。お父さんかお母さんに、何とか連絡は取れないかな?・・・この電話を使って良いから。」

 そう言って先生は、自分の机に乗っている黒電話を僕のほうに移動してくれた。(注3)

 中3になったばかりの僕にとって人生最大の試練は、こうして始まった。

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 三日ほど前から、かなり強めの腹痛が続いていた。最初は食あたりか何かだと考えて胃腸薬を飲み、食事を制限して家で寝ていたけど、そもそも下痢は軽く1回あっただけだし、お腹をこわしたときとは違って痛みが退()かない。それどころか、ますます強くなってきたように感じた。

 うちは共稼ぎで、父さんも母さんも日中は不在のため、自分一人で寝ていたけど、誰もいない家で痛みが次第に強くなるほど不安なことはない。しかも、痛みは最初、胃の辺り(鳩尾(みぞおち))だったのが、右下腹部のほうに移動したような気がした。

 僕は小さいとき、慢性盲腸炎(この病院でそう言われた)に(かか)って、右下腹部が痛くなったことが二度ほどあり、そのときは薬(多分だけど抗生物質)の注射で炎症を「散らして」直した経験がある。それで、今回もまた同じようなことだと考え、腹痛から三日目の朝、近所の行きつけの病院まで自分で歩いて行った。

 我が家から歩いて10分程度の場所に建つこの病院は、この地域ではかなりの大病院で救急指定病院でもある。入院患者数も100名以上あり、診療科目も一通り揃っているけど、その割には丁寧(ていねい)な診察と治療に定評がある。僕はこの病院で生まれたこともあって、小さいときからずっと、何かあればここに来ることにしていた。

 昔はどこが悪くてもまず小児科にかかっていた。でも、もう僕も14歳。先月から中3になったんで、小児科じゃないだろうと考えて、普通に内科に行った。

 今日の内科の先生は年配のやさしそうなお爺さんで、僕の話をずっと聞いたあとで、僕をベッドに寝かせた状態で、お腹のあちこちを押しては離すということを繰り返し、ここは痛いか、こっちはどうか、というのを何度も細かく聞いていた。以前、この病院で慢性盲腸炎と診断されたことが2回あると話したところ、そのカルテは小児科に残っているかもしれないけど、ここにはないし、病歴は参考になるけど、子供のときのことではなく、まず今の病気の状態を診察するのが大事だと言われた。それで気を悪くしたのか、それとも僕の診察結果が具合悪かったのかはわからないけど、その後、やさしかった雰囲気が険しい顔つきになり血液検査をすると言われ、血を採られた後、二階にある外科に行くようにと指示された。(注4)

 少し不安になりながらも外科の診察室に行くと、そこには3カ月前に、学校でふざけていてちょっと大きな怪我をしてしまい、そのとき頭を縫ったり骨折を修復してくれたりした外科部長の先生が座っていた。入院こそしなかったけど、数日おきになんども通ってお世話になった先生で、若いのに腕も確かで人望もある方だったんで、僕は少し安心してご挨拶した。先生も僕のことを覚えていて、また君か、というような顔を一瞬したけど、内科から回ってきたメモに眼を通すと直ぐに難しい顔になり、直ちに手術をする必要があるからと、家の人に連絡するように言うのだった。

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 父さんや母さんの連絡先は、母子手帳の緊急時連絡先というところに書いてあった。もう僕の年齢で母子手帳もないだろうとは思っていたけど、ここには僕の赤ちゃんのときからの病歴とか予防接種の記録とかが全部入っているから、病院に行くときは念のために持っていくようにと普段から言われていたんで今回も持って来たのが役立った。

 まず父さんの会社に電話をかけてみたけど、父さんは外回りで出かけてしまっていて、予定では19時に帰社となっていると、父さんの課の人が教えてくれた。それで、緊急に用事があるから、もし連絡が付いたら、この病院に電話をして欲しいと言伝(ことづ)てをお願いした。

 次に母さんの働いているスーパーに電話をしてみた。すると、厨房でお惣菜などをつくっていた母さんを、電話口に呼んでくれた。それで緊急手術を受ける必要があること、家の人に来て貰いたいと言われたことを説明した。けれど、母さんは話がよく見えなかったようで、ポカンとした返事であまり(らち)があかなかった。それで仕方なく、先生に直接話して貰うことにした。

「・・・ええ、そうです。・・・それで、緊急に手術をしないと、命にかかわる可能性もありますので、・・・はい、そうなります。・・・30分か40分程度ですね?・・・では、こちらでも準備を進めて、お母様が到着されたら、手術承諾書に保護者のサインを頂いてから、直ちに手術に取りかかることにします。・・・それではお待ちしていますので、また後ほど。・・・失礼します。」

「君のお母さんが30分か40分でこっちに来てくれるそうだから、それまでに手術の準備を進めておこうか。実際の手術は、お母さんが到着してから開始するから、手術前にお母さんとも話ができると思うよ。」

「では、手術の説明をするけど、まず手術は私が執刀します。手術は脊椎麻酔といって、背骨のところにある神経に麻酔薬を注射して、下半身だけを麻酔する方法で行うから、手術中は意識があります。手術時間は、普通の虫垂炎の手術だと1時間以内に終わるんだけど、君の場合、もしかすると腹膜炎になりかかっている可能性が高いんで、そうすると腹腔内を綺麗にする必要があるから2時間以上はかかるかな。」

「虫垂炎手術なら、外科手術としては簡単なもので、私もしょっちゅうやっている。でも腹膜炎を起こしているとすると、ちょっとやっかいになるんだ。・・・お腹の中に散っちゃった膿をどれだけ綺麗にできるかによって、術後の経過が大きく変わってくるからね。・・・ま、でも、腹膜炎の手術も何度も経験しているし、今の君の全身症状からすれば、まだそんなに(ひど)くはなっていないみたいだから、大丈夫だろう。」

「説明はそんなところだけど、何か質問はある?」

 僕は、意識があるのにお腹を切り開いて手術されると言われて、かなりビビった。けど、麻酔で痛くはないらしいからと、無理やり自分を納得させた。・・・そこで、何か聞いておくことはあるかと考えを巡らせて、二つ思いついた。

「あのっ、・・・どのくらいで退院できるんでしょうか?・・・それと、そのっ、盲腸の手術って、あそこの毛を剃るって聞いたことがあるんですが?」

「退院は、君の回復具合によるね。普通だと虫垂炎の手術は、1週間程度の入院になるんだけど、もし腹膜炎を併発しちゃってたら、最低でも2週間から、長いと1カ月以上になるかもしれないね。・・・これは、お腹を開けてみないとわからないよ。手術が終わったら、どんな経過を辿りそうか、ある程度は予想できると思うよ。」

「それから、毛を剃るのは、あそこも勿論剃るんだけど、あそこというより手術で切る場所をを中心に、その周囲30センチ四方の毛を、産毛も含めて全部剃るということなんだ。これは傷に毛が入ると、たとえ産毛一本でも、毛についている細菌で感染したり膿んじゃったりするし、傷の治りも遅くなったりするんで、それを防止するという意味がある。盲腸の手術では、右下腹部を切るから、その周囲30センチ四方というと、あそこもツルツルにすることになる。・・・ま、毛なんて、1ヶ月もすれば嫌でもまた生えてくるさ。」

「他に聞いておきたいことはないかな?・・・じゃ、手術準備室に行って、手術の支度を整えようか。私もこれから手術準備に取りかかるから。また後でね。」

 そう言うと先生は診察室から出て行ってしまった。僕も若い看護婦さん(多分だけどまだ20歳にはなっていない、高校卒業したばかりの雰囲気で、僕より3歳か4歳年上のお姉さん)の後に続いて診察室を出て一階に降り、長い廊下を通って手術準備室と書かれた部屋に連れて行かれた。

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「では、手術前処置をしますので、着ているものを全部脱いで、このカゴに入れて下さい。財布とか時計とか、貴重品はカゴの中にある袋に入れて下さい。靴はカゴの中にあるビニール袋に入れて、カゴに一緒に入れて下さい。」

「あっ、あのっ、パンツもですか?」

「そうです。今からお腹の毛を剃りますので、全裸になって、そのベッドに寝て下さい。」

 まだ僕は手術の覚悟すらできていないのに、いきなり全裸になれと命令された。こっ、このっ、・・・この若い看護婦さんに、あそこの毛を剃られちゃうんだ!

 手術に臨むのに、ただでさえ不安で心細いのに、このお姉さんの前で全裸にならないといけない。このときの僕の羞恥と絶望感は、とても説明できない。これまで14年生きてきて、最大の試練だった。でも、そんなものは、これから僕が経験する一連の試練の、ほんの入り口に過ぎなかった・・・。


 僕は小柄で童顔だから、年齢よりかなり幼く見られることが多い。この前も、駅で回数券を買おうとしたら(注5)、子供料金の回数券を出された位だ。でも雰囲気に似合わずいろいろな発育が早くて、小5の頃からあそこに毛が生えてきたし、中1になった頃にはボウボウになり、今ではお(へそ)のほうまでモジャモジャに生えている。また腋毛も中2で完全に生え揃ったし、チンコも最近では、ずいぶん大きくなってきて、小柄な身体に似合わない大人サイズに育っちゃった。だから学校でも、とにかく見られないように必死にガードしてきたし、プール授業などはいつも憂鬱(ゆううつ)だった。

 でも、ここではもう隠しようもない。服を全部脱いで、言われたとおりカゴに入れベッドに上がった。この状態で隠しても無意味だとは思ったけど、つい無意識のうちに両手で前を隠したら、いきなり腕を(つか)まれ、ぐいっとバンザイの姿勢にされた。

「剃るのに邪魔ですから、手は頭の上で組んでいて下さい。」

 僕は自分で腕枕をした状態にさせられた。これで、あそこはすっかり(さら)され、腋毛もバッチリ見えてしまっている。僕の恥ずかしさも極まった。

「では、剃っていきます。なるべく動かないで下さい。」

 そういうと、まずお(へそ)の周辺からチンコの上のところまで、刷毛筆(はけふで)で石鹼水を泡立てたようなものをたっぷりと塗られて、T字形剃刀でぞりぞりと剃り始めた。お腹がだいたい終わると、今度は右足の太股、次に左足の太股と剃っていき、その次はキンタマに泡を塗って、そこを注意深く剃り始めた。キンタマは(しわ)があるんで、剃刀の刃が(しわ)に引っ掛かって皮膚を切っちゃわないように、袋の皮を摘んで引っ張りながら慎重に剃っていく。大事なところに剃刀をあてられているんで、ちょっとヒヤヒヤしたけど、さすがに看護婦さんは慣れているらしくて、袋をギューッと引っ張りながら順調に剃っていた。と、そのとき・・・。

 バタン!

「博!!・・・大丈夫かい?!!」

 突然ドアが開いて、母さんが駆け込んできた。一番見られたくない相手に、一番恥ずかしい姿勢を見られてしまい、僕は思いっきり狼狽(ろうばい)して思わず起き上がろうとした。でも看護婦さんに胸のあたりを強く押さえられてしまった。

「起きないで。まだ剃っている最中です。動くと怪我しますよ!」

「かっ、母さん!・・・出てってっ、出てってよ!!」

「いえ、もうすぐ手術が始まりますので、お話ししたいことがあれば、ここでどうぞ。その間にこちらも準備を済ませてしまいますから。」

「ありがとうございます。・・・まず、入院のための支度は多分全部済ませたからね。洗面用具は家から持ってきたし、前が開く浴衣を一着とT字帯を二つ、そこの売店で購入してきたから。」

「同意書へのサインとか、それ以外にも手術と入院の手続は今、済ませてきたんで、これで手術が開始できる筈よ。お父さんにはまだ連絡が取れないけど、会社の人に言伝(ことづ)てを頼んであるから、仕事が終わったら真っ直ぐ此処に来てくれるんじゃない?」

「それにしても、腹膜炎になってるかもしれないんですって?・・・先生のお話では、明日だったら助からなかったかもしれないって言われたわ。よく一人でこの病院に来ることにしたわね。本当に良かったわよ。」

 母さんがそんなことを一方的に話しかけてくる。けれど、僕はそれどころではない。看護婦さんは、母さんがいることなど気にしないという雰囲気で、僕のキンタマの毛をどんどん剃っていくと、足を少し広げさせ、お尻の穴のほうまで剃り始めた。母さんは看護婦さんの邪魔にならないよう、僕の頭の上のほうに移動して、僕の顔を逆さ向きで覗き込むような位置に来た。この位置からだと、ごく自然と僕の顔から胸、腹、そして股間まで一望できる。僕はもう耳まで真っ赤になって、母さんの視線に耐えた。

「じゃあ、最後に残ったところを剃ってしまいますので、ちょっと失礼します。」

 そう言うと、チンコの付け根からチンコそのものに泡を塗り、左手でチンコを掴んで、まるで車のシフトレバーを操作するみたいにチンコを上下左右に動かしながら、根本の部分から竿の部分までを慎重に剃っていく。その様子を母さんにバッチリ見られているという羞恥心と、左手で操作されるチンコへの刺激で、僕は一気にビンと勃起してしまった。

「博もいつの間にか、すっかり大人に成長したんだね。腋毛まで完全に生え揃っているし、あそこはお父さんよりも大きいかもしれないわ。・・・博は小柄で顔も子供っぽいし、声変わりだってようやく始まったところなんで、まだまだツルツルかと思ってたら、こんなに立派になってたなんて・・・。」

 母さんが、僕の全身を舐めるようにじっくり凝視しながら、しみじみとした口調で言った。それは決して、普段よく話すような茶化した言い方ではなく、僕の成長を心から喜んでいるようで、勿論、僕は恥ずかしくていたたまれない思いだったけど、その一方で母さんに、大人になったと認められたような気がした。ただ、そういう精神的な部分とは別に、僕はかなりマズい状況に陥りつつあった。

「あっ、あのっ、そのっ、そっ、それっ、まだっ、まだかかりますか?」

「ごめんなさい。ここは綺麗に剃るのが難しくて・・・。もう少し我慢してね?」

 チンコがガチガチのビンビンになってしまったからなのかどうかはわからないけど、看護婦さんはチンコの根本の部分の毛を剃るのに、かなり苦労しているようだった。そのためか、左手で僕のチンコを右に倒したり左に倒したり、あるいは上や下に向けたりと、縦横に動かすんだけど、チンコがガチガチになっているため、かなり力を入れて動かしている。しかもガチガチのチンコに負けないようにと、動かす(たび)にチンコをギュッと握るように持ち替えるため、僕は次第に追い詰められて行った。というのも、腹痛が起きてから今日で4日もオナニーをしていない。普段は毎日、いや、1日2回はオナニーをしていた僕にしてみれば、これだけ長い期間、射精をしていないのは精通以来初めてなのに、禁欲で限界になっているチンコをグニグニぐいぐいと刺激されるんだから、(たま)ったものじゃない。

「ぁっ、ぁひっ、んっ、だめっ、あぁっ、ぐっ、んぐっ、ぃゃっ、いやっ、やめてっ・・・。」

「もう直ぐだから、あとちょっとだけよ。」

「ひっ、ひっ、ぁんっ、ぃひっ、だめっ、だめっ、見ないでっ、ぃやっ、ぃひっ、いっ、ぃくっ、いくっ、いっくーっ。」

 ドピュルルーーッ、ドピューッ、ドピューッ、ドピュッ、ドピュッ、ドピュッ、ピュッ、ピュッ。

 突然、思い切り射精してしまった。それも腹から胸、そして顔までかかるほど大量に・・・。

「うっ、ぅうっ、ひんっ、ぐすっ、ぅぐっ、んぐっ、ひくっ、ひっ、ひーんっ、んぐっ、むぐっ、ぐすっ。」

 僕は泣いた。何がどうなったのか、よくわからないまま、それでも涙が止まらず、ぐすっ、ぐすっ、としゃくりあげるように泣き続けた。

「ごめんなさい。でも大丈夫ですよ。剃毛のときに射精してしまう患者さんも、ときどきいるからね。」

 そう言って、僕の股間から腹にかけて、べったりとついた精液を、濡らしたタオルで拭き取ってくれた。一方、母さんが僕の胸から顔にかかった精液を、ハンカチで拭いてくれた。

「博も大人になったんだから、こういうこともあるでしょう。男の子の生理現象なんだから、何も恥ずかしいことはないわよ。それにこの部屋には看護婦さんとあたししか居ないんだから、他の誰に見られた訳じゃないし、誰にもわからないわよ?」

 多分、母さんとすれば慰めてくれたつもりなんだろう。でも、一番見られたくない人に、一番恥ずかしい瞬間をバッチリ見られちゃったというショックで、僕はしばらく放心状態のまま、グズグズとべそをかいていた。そんな僕の羞恥には、さらに続きがあった。試練とは、これで終わりということがないのかもしれない。

「さ、剃り終わったわ。手術開始時間まで、あと10分位の筈だから、手術に入る前に、排便しておきましょうね。」

 看護婦さんがゾッとするような宣言をして、足をM字開脚姿勢にされ、いきなり浣腸をされた。そして、差し込み式のおまるを、お尻の下に入れられた。

「あっ、あのっ、そのトイレはどこですか?」

「トイレは廊下をずっと戻った待合室まで行かないとないから、そのままここでおまるにして構わないわよ。・・・あなたは患者さんなんだから、ベッドから起き上がってはダメなの。寝たままで排便して下さい。」

 そっ、そんなこと言われても?!!・・・それに看護婦さんも母さんも見ているじゃないか。全裸でベッドにM字開脚姿勢のまま、ウンコするところを見られるなんて・・・。

「別に今更じゃないの?・・・看護婦さんは、毎日患者さんのお世話をして、こんなの慣れているでしょうし、あたしは博のおむつの世話を3年間やってきたのよ。博はおむつが取れるのが遅くて、3歳になっておむつを卒業したと思ったのに、その後も5歳くらいまでは、よく世界地図を描いていたものね。」

 酷い!!・・・何も僕の黒歴史を、こんなところで看護婦さんに暴露しなくても良いのに(涙)。・・・母さんのバカヤロー!!

 心の中で思い切り悪態を()いた。すると、看護婦さんがフォローしてくれた。

「患者さんは総てを私たちに委ねて下さい。最初は恥ずかしかったり、躊躇(ためら)いがあるかもしれませんが、病院では私たちが患者さんの身体のすべてを管理して、病気を直すことに専念して貰うことになります。・・・だから、あまり深く考えずに、何でも看護婦にやって貰って楽ちんだと、その程度に気軽に考えて良いんですよ。」

 あまりフォローにはなっていない気もした。けど、そんなことを考える余裕はなくなり、とうとう限界となった。

 シャーッ、ブピッ、ブッ、ブリブリブリブリッ、ブピッ、ブリブリッ・・・。

「あ、沢山出たわね。良かった。ここで沢山排便しておくと、あとが楽なのよ。・・・手術してお腹を切ると、しばらく腹筋に力をかけたとき痛いの。それで、手術後はいきんで排便するというのが、とても辛くなっちゃうのよ。」

 看護婦さんがお尻を拭いてくれて、おまるを部屋の隅に持って行った。僕は射精する瞬間も、排便する瞬間も、両方とも看護婦さんと母さんにバッチリ見られてしまい、なんだか人間としての一番大事なものをすべて排出してしまったような虚脱感にかられ、涙に濡れたまま全裸で手術室に連れていかれた。

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「じゃあ脊椎麻酔をするから、身体をできるだけ丸めて、ダンゴ虫がくるっと丸まったような姿勢を取ってくれるかな?」

「腹膜炎を起こしている可能性が高いから、普通の虫垂炎より2節か3節上のところで麻酔をしたほうが良いでしょう。」

「そうだな。とすると、・・・この脊椎の間が良いだろう。」

 いよいよ手術が始まった。ここで僕は、手術中は患者の恥ずかしさなんて、まったく考慮されないんだということを思い知らされた。まず、全裸のまま、タイヤのついたベッドに寝かされて手術室まで運ばれた。移動するときは、シーツのようなものを一枚、掛けられていたけど、手術室に到着したらそれをパッとはぎ取られて、手術室にいる先生(執刀の外科部長と、もう一人補助の先生が居た)2名に看護婦さん約8名ほどが見ている前で、完全に全裸のまま、移動ベッドから手術台に移るように言われた。そして皆が注目している中で移動すると、最初に麻酔をされた。(注6)

 脊椎麻酔とは、背骨と背骨の間に針を刺し、中の神経に麻酔薬を注入することによって、その部分から下の身体がすべて麻痺してしまうという説明を受けていた。特に難しいものではないらしいけど、麻酔薬を入れるとき、概ね同量の脊髄液をまず抜いて、それから麻酔薬を注入する必要があることや、万一、麻酔薬が頭のほう(針を刺した場所から上側)に行ってしまった場合には、肺のほうまで麻酔が効いてしまい、最悪呼吸が止まってしまうことがあるなどと、怖い副作用があると説明されていたので、少し心配だった。でもそんなことはなく、ごく普通に最初チクッとして、その後一瞬だけ痛かったけど、予防接種のちょっと痛いヤツ、という程度だった。

 それより、麻酔をされて、じゃあ仰向けになって、と言われて、手術代に仰向けになった僕は全裸のままで、何もかけてくれない。ツルツルの股間を晒したままだ。全身麻酔ではないので、意識があるから恥ずかしさも極まっているけど、誰もそんなこと気にもしていない。医師二人は、お腹のどこを切るべきかを相談しながら、毛を剃ったお腹にマジックで切るべきラインを書いている。

 一方、麻酔が効いてくる間に、看護婦さんが腕に点滴の針を刺し、またその点滴の袋に、何やら数種類の薬品を投入している。僕が不思議そうに見ていると、補助の先生が、これは筋弛緩剤で精神安定剤の効果もあるんだけど、麻薬指定されている薬だから少し気分が高揚するかもしれないよ、と言われた。

 その後、看護婦の一人が執刀医の先生に、そろそろ尿カテを挿入しますと確認し、補助の先生が、もう麻酔は効いている筈だからね、と了承の返事をした。

 すると、下半身のほうに居た看護婦さんが、いきなり僕のチンコを(つか)み、グイッと力を入れて皮を剥いた。僕は仮性包茎で、皮を剥くことはできるけど、手を離すと戻ってしまう。普段から皮を剥いて中を洗うようにはしていたけど、ここ4日ほど風呂に入っていないし、それ以前にさっき射精しちゃったのがバレちゃいそうで、かなり焦った。

 看護婦さんは皮を剥いた僕のチンコを、カリのくびれの部分から尿道の入り口まで、ヨードチンキをたっぷり付けた脱脂綿で丹念に拭くと、尿道に太いチューブのようなものをぐいぐいと挿入してきた。麻酔をされているので勿論痛くはないし、感覚もあまりないけど、それでも何となく何をされているのかはわかる。っていうか、チンコを上に立てて引っ張りあげながらチューブを押し込んでいるところがお腹の先に見えている。あのチューブの太さからして、麻酔がかかっていない状態だったら、きっと激痛なんじゃないかって、そんな心配をするほどだった。そして程なく30センチもあるチューブの大半をチンコの中に押し込んでしまうと、外に出ている残ったほうの先端に、何やら注射器で注入してから、その先端部分をビニールの袋に接続してベッドの脇に引っかけていた。ここではじめて、僕の足(太股から下のほう)と胸から上に、緑色のシーツのようなものが掛けられて、その上側のシーツはお腹を僕の視線から隠すように、天井から下がっている紐のようなものに取り付けられた。けれど、お腹から下腹部は出しっぱなしというか見えたままで、つまり僕は手術が終わるまでずっと、股間を晒したままということらしかった。よくテレビで見る手術のシーンだと、切る部分だけ直径が10センチ程度の穴の開いたシーツをかけるのかと思っていたけど、僕の場合は足と胸を覆っただけで、お腹はチンコ(下腹部)も含めて、完全に開かれたままだった。(ただ、盲腸は右下腹部を切り開くので、それは仕方がないのかと考えたりしていた。)

 脊椎麻酔は手術中、ずっと意識があるため、テレビで観るように「メス」とか先生が話すところが聞けるかと思ったんだけど、実際には殆ど無言で「それ」とか「次」位しか言わない。お腹の皮膚とか、お腹の中とかが引っ張られるような感覚は少しあったけど、痛いということは勿論なかった。それより、手術が始まって10分位したころから、何だか気分がやたらとウキウキして、とにかく話をしたい、僕のことを皆に知って貰いたいという気分になってきた。というか、いろいろと僕からお喋りを始めた。これは、さっき聞いた麻薬の影響かな、と一瞬だけ考えたりもしたけど、とにかく話が止められない。それでも最初は多少の理性が残っていて、「あの、お話ししてても良いですか?」と聞いたりもしたけど、「身体に負担がかかるから大きな声は出さないでね。」と言われただけで、特に禁止もされなかったんで、それからますます僕の話は加速していった。最初のうちは、自慢話とか、最近楽しかったことなどを中心に話していたんだけど、そのうち、話したいこと、皆に伝えたいことは、僕が秘密にしていること、人には絶対に知られてはいけないこと、あるいは過去の失敗とか、そんな特に恥ずかしいことばかり、無性に話したくなって、そういったことばかりどんどん話すようになってきた。

 クラスで何となく憧れている女の子の話からはじまって、告白する勇気がないこと、その子のことを考えると身体が熱くなって、あそこが勃ってしまうことなどを話すと、もう止まらなくなり、やがて「これは恥ずかしいから絶対に秘密にして欲しいんだけど」などと言いながら、自分のプライベートなことを次々と話し続けた。小5で毛が生えてきて、中1ではお臍のほうまでモジャモジャになったことや腋毛も生えてきたこととか、オナニーは小6からやっていて、毎日2回やることが多いのに、このところ全然できなくて、それでさっき剃られているときに射精しちゃったとか、チンコがかなり大きくなってきたのに包茎で、ムケチンにならないのは自分が小柄で童顔な所為(せい)なのか、それとも皮オナニーばかりしているからなのか、真剣に悩んでいるとか、そんなことまで一方的にペラペラと喋って行く。あとで考えると、どれひとつを取っても恥ずかしくて死にたくなるような内容だけど、そのときはなぜか、どうしても他人にすべて話したくなってしまったんだ。まるで自白剤を注射されたような状態だった。あるいは、あの麻薬には、似た成分でも含まれていたんだろうか・・・。

 ちなみに、僕の一方的なお喋りに対して、先生二人は特に会話をするでもなければ、感心があるようにも思えない対応で、ときどき「ふーん。」とか「そうなんだ。」といった、相槌を打ってくれることはあったけど、後で考えるとあれはまともに聴いてはいなかったと断言できる。・・・もしかして、こういう患者さんって、案外多いのかもしれない・・・。

 手術中、先生が二人で、「あっ。」とか「こっちまでっ。」とか、ちょっと怖くなるような話もしていたけど、この薬の効果なのか、そんな先生方の断片的な会話も特に気になることもなく、手術は無事終了した。僕としては、もっと皆に話さなければならない僕の秘密がまだ沢山あるのに、という気分だったんだけど、実際には3時間近くもかかったと言われた。何でも腹腔内に膿が広がって腹膜炎がかなり広範に進行していて、明日まで待っていたら本当に助からなかったかもしれない、と言われた。そして、腹腔内に広がった膿は、可能な限り除去したけど、これから腹膜炎の症状が出てきて、しばらく高熱が続くかもしれないこと、膿がまだ出てくる可能性もあるので、腹に膿を排出するドレンチューブを2本入れてあるから、1週間位で様子を見ながらチューブを抜く必要があることなどが説明された。

「いつ頃退院できますか?」

「腹膜炎がどの位で回復するかだね。・・・まあ3週間から4週間かな。多分だけど、君は1週間か2週間はベッドから起きられないと思うよ。」

 先生とそんな話をしている間にも、看護婦さんが3人掛かりで僕のことを手術台から、タイヤ付きのベッドに移しかえてくれた。同じ高さなんで、僕の身体をぐっと横に引っ張るだけで、簡単に移動させられたけど、このときもまた僕は全裸で、チンコにはチューブが、また腕には点滴が刺さった状態だった。

 そのまま僕は、隣の手術準備室に移動され、そこでようやく母さんが購入しておいてくれたT字帯(入院患者専用のフンドシ形下着)と入院用浴衣を着せて貰い、毛布を掛けて貰った。そして、看護婦さんがベッドを押して病室(6人の大部屋だった)に運ばれて、入り口近くのベッドに安置された。

 病室では、母さんと、それから連絡が付いたのか父さんも来てくれていて、僕の手術が終わるのを待っていたようだ。二人の顔を見た僕は、ようやく少し安心した。

「博、お前、死にかけたんだってな。・・・まあでも、結果的には手術が無事済んで良かったじゃないか。つい今さっき、先生が来て簡単に説明してくれたぞ。先生もお前の判断を()めてたからな。」

「このあと、熱が出るそうじゃない。学校にはもう手術したことを連絡したから、今はゆっくり休みなさい。お父さんは無理だけど、あたしは明日、休みを取っているから、また朝からこっちに来るわ。何か持ってきて欲しいものがあれば、持ってくるわよ。」

「今のところ、特にない。」

「じゃ、あたしたちはこれで一旦帰るから。どうせ2~3日は何も食べたり飲んだりもできないでしょうから、今日はもう寝ちゃいなさい。それじゃあね。」

 そう言い残して、父さんと母さんは帰ってしまった。やがて麻酔が切れてきたら、傷そのものはたいして痛くはなかったけど、腹全体というか腹筋に力をかけると痛くて参った。(注7)

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 夜からは熱が上がり、翌朝空が白み始める頃には、38℃を超えてきた。ここでは朝食が6時半と言われたけど、僕は数日は何も食べたり飲んだりはできないらしい。熱が出たので大人しくベッドで寝ていると、8時過ぎに先生が回診にやってきた。

「具合はどうかな。熱が出て辛いだろう。でも、抗生物質で押さえ込んでいるから、この程度の発熱で済んでいるんだ。腹膜炎が(ひど)ければ、40℃も熱が出ることも多いんだ。今の君の様子からすると、3日か4日で熱は下がると思うけど、最低1週間、場合によっては2週間位は大人しく寝ていなさい。熱が下がれば起き上がっても良いけど、しばらくは時間がかかると思うから、それまで尿道カテーテルを入れたままにしておこう。それと、水分補給は点滴で入れるけど、数日は何も食べられないから、排便も多分ないだろう。まあ、おならが出たら少しずつ水を飲む練習から始めるんだね。」

「お腹に入れた膿を出すためのドレンチューブは、1週間程度で抜けると思うから、いずれにせよベッドから出歩くのは、その後になるかな。」

「じゃ、私は次の患者さんのところに行くけど、しばらくは毎朝、様子を診に来るからね。・・・あ、そうだ、君、手術中にさんざん、包茎についての悩みとかを切々と訴えていたよね。相当コンプレックスがあるのかと思ったんで、ちょっとした『おまじない』をしておいたよ。医療的な意味は何もないけど、おまじないが効くと良いね。」

 先生は、そんな謎の言葉を残して部屋を出て行った。僕は手術中に、自分が話してしまった恥ずかしい秘密の数々を次々に思い出してしまい、僕はいったいなんてことを話したりしたんだろうと、消え入りたい気持ちで一杯だった。

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 3日程で熱も下がり、さらに3日で排膿のためのドレンチューブも抜くことができた。このとき合わせて抜糸もしてくれたけど、そこから起き上がることができるようになるまで、さらに4日程かかった。(ほんの10日ほど寝ていただけで、体力はなくなっていて、しかも腹筋に力を入れると激痛があり、無理やりベッドの上で起き上がるだけでもフラフラする。やっぱり手術というのは、体力を大きく削られると実感した。)

 その日、尿道のチューブも抜かれたのだけど、まずチューブを抜くのがかなり痛かった。というか、抜くのはかなり痛くても一瞬だけで、「いたたたたたっ!!」という感じで抜けたんだけど、その後、トイレまで何とか歩いて行ってオシッコをしたとき、あまりの激痛に悶絶した。なにせあまりに痛くて辛くて、思わずオシッコが止まっちゃうほどなんだから。どんな感じかというと、オシッコをするときチョロッ、チョロッと少しずつするんだけど(痛くて怖くて、一気にシャーッとはとてもできない)、その度にイタタッ、イタタッとなる。拷問みたいだった。看護婦さんの話だと、これは尿道の粘膜に細かい傷がついてしまっているから、オシッコが()みるんだそうで、数日すれば治るとのことだったけど、結局、違和感なくオシッコができるようになったのは、管を抜いてから1週間位かかった。(注8)

 ただ、これは偶然、特別な回避策が見つかって、それからは割と平気になった。それはオシッコをする直前にオナニーをして射精するというものだった。事前に射精すると、なぜかあまり痛くないことを発見した僕は、天才じゃないかと考えていた。ただ、理由はよくわからないし、そんなこと先生や看護婦さんに聞くのは、あまりに恥ずかしすぎた。(でも、あの麻薬の注射を打たれたら、きっとまたペラペラ喋っちゃうんじゃないかな・・・。)

 しかし、それより何より僕が驚いたのは、先生が意味ありげに語っていた“おまじない”のことだった。これは尿道のチューブを抜かれたときに初めて知ったのだけれど、チンコの皮が完全に剥けていて、手で被せようとしても被せられない。包茎手術をしたなんて聞かなかったんで、よく見てみたら、皮を根本のほうにたぐり寄せて、そこを手術などで使う医療用絆創膏で固定してあった。この絆創膏、看護婦さんの話では傷を縫うかわりにもなる強力なもので、きちんと張り付けると最低でも3週間位は取れないのだという。

 この状態では、常に先端が剥き出しとなり、下着に擦れて刺激を受け続けるだけでなく、オナニーをするときは必然的に剥き出しの粘膜(特に亀頭のカリの部分)を直接(しご)くことになる。結局、絆創膏は3週間以上、びくともせずにチンコの皮に張りついていて、しかも退院する直前に、最後の回診のとき、少し取れかかっていた古い絆創膏を剥がして、真新しいものに取り替えられた。先生が言うには、僕のチンコの状態だと、手で剥けば剥けるのでまったく問題はなく、将来結婚しても大丈夫と太鼓判を押してくれたけど、僕がコンプレックスで悩んでいるみたいだったから、余っていた絆創膏をほんの数センチ張り付けただけで、だからこれは単なるおまじないに過ぎないとのことだった。

 でも、新しい絆創膏も、やっぱりまた4週間近く剥がれないでチンコの皮を固定し続けた。その所為(せい)なのかどうか、1ヶ月位して絆創膏が完全に剥がれてからも、僕のチンコは完全に剥き癖がついてしまい、普段でも剥けたままの、いわゆるムケチンとなった。また皮オナニーはできなくなってしまったので剥き出しの粘膜やカリの部分を直接シコシコしていたら、亀頭全体が明らかにわかる位、急に発達してきて、特にカリが大きくエラを張り出したみたいになってきて、皮を被せることは、もう物理的に無理になってしまった。

 クラスで完全なムケチンになったヤツは、多分まだいない。学年全体でも、僕が知っている限りでは陸上部のI君とか野球部のT君とか、本当に数えるほどしかいない。ま、僕たちは思春期真っ只中で、第二次性徴が次々と現れてくる成長段階だから、これからどんどんムケチンのヤツが増えてくるんだろう。でも今のところ、そういったヤツらは皆、身体が大きくて全身の雰囲気が完全に大人になったヤツらばかりだ。僕みたいに小柄で、まだ子供と見られているのにチンコだけ大人になってしまったというのは、見たことがない。もう僕も覚悟を決めて、来月から始まるプールのときは必死に隠したりするのを止めて、堂々とすることにしよう。

 この話は、小説の体裁にしてみましたが、私の実体験に基づく完全な実話です。私が中3だった1971年に実際に起きたことで、未だに先生や看護婦さんとの会話なども、ほぼ完全に一言一句覚えています。それぐらい、私には衝撃的な事件でして、はっきり言ってそれまで14年間生きてきた中で、人生最大の試練でした。

 ここに記載した内容のうち小説としての脚色は2点だけです。一つ目は射精するくだりでして、さすがにそれは必死になって我慢し、何とか堪えました。実際お腹が痛くて、射精するまでには至りませんでした。でもビンビンに勃起してしまったことは事実で、それを母にバッチリ見られてしまい、恥ずかしくて死にそうでした。もう1点は私がこの病院で生まれたというもので、私は自宅で産婆さんによって取り上げられました。(私の弟は、この病院で生まれました。)私が生まれた当時はまだ、出産を自宅でするという家庭も結構ありました。

 絆創膏の話は完全な事実です。今から考えると、医療倫理など何もなかった時代で、先生と患者との関係で何でもありなんだということが、よくわかります。(悪名高い札幌医大心臓移植事件が1968年です。)

 なお、「おまじない」の結果、強い「剥き癖」がついたのは事実ですが、本当に完全ズルムケとなった(この話にあるような、亀頭が発育してエラが張り出し、皮を被せるのが事実上不可能になった)のは高校に入学してからで、このお話から約1年後のことです。それまでは、少しでも勃起すると、すぐに(手を触れずとも)剥けてしまい、また皮を被せても下着との摩擦で、自然と剥き出しになってしまう程度には剥き癖がしっかりついてしまったのですが、小さくなっているときに皮を被せることはできましたし、その状態を維持することも一応できました。従って、これが本当に「おまじない」の効果だったのか、それとも私の身体が丁度その頃発育したのかは、結局わかりません。


(注1)

 当時は、今と違いCTもMRIもありませんから、虫垂炎の診断は腹をギュッと押してパッと離すときの痛み方(マックバーネーの圧痛点による診断)で見当をつけて、あとは白血球数の急激な増加を診るしか方法がありませんでした。特に虫垂の炎症の程度(進行具合)とか、腹膜炎になっているかどうかなどは、白血球数の増加で判断する以外、確認の方法がありませんでした。それで、腹を開いて診てから、想像よりずっと状態が酷くて大慌てということも、よくありました。当時、疑わしいときは、とにかく手術で腹を開いてみる、というのが治療の第一選択でした。

(注2)

 虫垂炎の手術それ自体は当時としても比較的簡単な手術なのだそうですが、この1971年秋に現役の横綱「玉の海」が虫垂炎の手術で入院し、手術そのものは成功したにもかかわらず入院中に突然死しています(享年27歳)。このときの直接の死因は肺血栓塞栓症という、肺動脈に血の固まりが詰まる病気で、今でいうエコノミー症候群なのですが、天下の虎ノ門病院に入院して手術を受けたのに、入院中の術後管理に不具合があり、病院内で倒れてから直ちに手を尽くしたにもかかわらず、3時間で帰らぬ人になってしまいました。あの時代、簡単なものであっても手術を受けるということは、今では考えられないほどのリスクがあったのでしょう。当時、このニュースを聞いて、ぞっとした記憶があります。(私の手術の、ほんの数ヶ月後のことでした。学校で皆にさんざん話題にされました。)

(注3)

 昭和の時代、当然ですがまだ携帯電話など影も形もなく(ドコモという会社もありませんでしたし、ポケベルですら出てきたのは1980年代に入ってからです)、電話といえば日本電信電話公社が設置する黒電話だけでした。しかもこの話は1971年のことですので、大きな病院とか会社ですら、黒電話が部屋に1台程度しかなく、個人で電話をかけるというのは、かなり緊急な用事のときに限られていました。

 また会社で外回りの仕事をしている場合、連絡手段はありませんので、普通は出発前に黒板などに予定表(何時ころにどこを回るか)を記載し、会社へ戻りは何時ころになるかという予定を部署の同僚に知らせておくのが普通でした。(外出している人からは、緊急の連絡がある場合、公衆電話からかけてることができましたが、会社側から外の人に連絡する手段は一切ありませんでした。)

(注4)

 当時はPCなども一切なく、それどころか電卓ですらまだ存在していませんでした。(計算にはソロバンとか手回し式タイガー計算機などが、まだ現役でした。)従って患者の情報は、各診療科で別個に手書きカルテで管理しており、大病院であれば尚更、診療科が異なると情報共有はなされていませんでした。

(注5)

 当時、どんな駅にも必ず有人の切符販売窓口があり(みどりの窓口ではなく、単なる普通切符を販売するための場所です)、自動券売機はまだ東京などの一部の駅に限定的に存在するだけでした。回数券はこの有人販売窓口でしか販売していませんでした。なおこの頃から、自動券売機が急速に普及してきましたが、有人窓口では硬券という硬いボール紙の切符を一枚一枚、窓口で駅員が販売していて、お金を支払うと駅員が切符に日付をゴム印のようなものでスタンプして渡してくれました。

 また改札口もすべて有人で、購入した硬券の切符にひとりひとり駅員が入鋏といって小型のペンチのようなものでパチンと穴をあけていました。

(注6)

 今なら患者のプライバシーとか羞恥心とかを最大限配慮するのが当然ですが、この当時はそんな考え方もなく、入院ではこのように患者がさらし者になるのが普通でした。

(注7)

 盲腸の手術”あるある”なのですが、お腹を切ると、腹筋を動かしたりする度に激痛が走ります。笑ったり咳をしたりくしゃみをしたりすると、その都度傷口ではなく腹筋全体がイタタタッとなるのです。これが治ったのは、立ち上がって歩き回るようになってから数日かかりました。

(注8)

 その後、周囲の体験者に聞いてみたり、看護婦さんや先生にも聞いてわかったことは、この尿道カテーテルを挿入したり引き抜いたりするときに尿道に細かい傷を付けてしまうのだそうです。さらに加えて、長時間(3日以上)入れたままにしていると、チューブと尿道の粘膜が癒着してしまい、それを無理やり引き剥がして抜くことになるため、長時間入れっぱなしにしておくと、特に抜いたときの痛みが強くなるそうです。なお、最近ではチューブの素材や表面処理が改善されたため、当時のような癒着による痛みは、かなり軽減されてきたそうですし、そもそもよほどの事情がないと、今ではせいぜい2日以内にチューブを抜いて新しいものに取り替えるか、またはカテーテルを止めて普通に尿瓶にするそうです。(細菌感染のリスクを軽減するためもあるとのことです。)

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