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 五分後。ほかにも気になる点を修正し、ロクサンナは立ち上がった。すたすたと歩いて、大臣用の重厚な執務机の前に立つ。


「終わりました。ほかにも気になる点を修正しておきましたので、こちらで大丈夫かと」

「そうか」


 眼鏡の奥の双眸を細め、外務大臣であるウェードは書類を受け取る。


「やはり最初からお前に任せたほうがよかったか」

「いえ、後継者を育てるという意味では、あれで正解かと」


 自身の執務スペースでうなるジェスにちらりと視線を送る。


「彼はまだ入省して三カ月しか経っていません。せめて一年は見てやってください」

「……善処しよう」


 などと言っているが、この男が納得したなんてロクサンナは思っていない。


 自分にも他人にも過度に厳しいこの男は、一つのミスも許さない。


 それが省内に変な緊張感を生み、ミスを誘発していることにこの男は気づいているのか。


(気づいていないに賭けましょうか。この人、仕事はできるけど、ほかはどこか抜けているもの)


 書類に目を通すウェードを見ていると、彼が顔をあげた。


 宝石のようなきれいな瞳に満足そうな色を宿し、深くうなずく。


「完璧だ。お前を紹介してくれたミスター・シドニーには足を向けて寝られない」

「……期待に応えることができたなら、ようございました」


 一礼をして、ロクサンナは自身の執務スペースに戻る。


 椅子に腰を下ろすと、ジェスが忍び足で寄ってくる。彼は恐縮しきった様子で、カップを差し出してきた。


「すみません、いつもご迷惑を……」

「迷惑だなんて思っていないわ」


 カップを受け取って、口に運ぶ。口の中いっぱいに広がる爽やかな味は、午後特有の眠気を払っていく。


「私は文字が好きなの。魚とって生きることに水が必要なように、私が生きるためには文字が必要なの」

「……は、はぁ?」


 動揺しているジェスを気に留めることなく、ロクサンナは先ほどから自身が翻訳している書類に視線を落とす。


 外務省にはいろいろな言語で書面が届く。ロクサンナの役割は、書面をわかりやすく翻訳すること。そして、国の上層部が出した書類を、相手国の言語に翻訳することである。


 ロクサンナの職務はこれだけ。つまり――翻訳のためだけに雇われた人材だった。


(ロートン卿は仕事のできる人。けど、彼は一人しかいない)


 ペンを走らせつつ、思考を整理していく。


 ウェード・ロートンはとても有能な人物だ。だれよりも外国語に通じており、翻訳だけでなく会話をすることもできる。


 だが、外務省の仕事は彼一人では回らない。


(だから、その場面でのプロフェッショナルを集めることにした。私は『翻訳』のプロ)


 本来、ここにいるのはロクサンナではなくその師匠であるシドニーという男だった。


 しかし、彼は老いを理由に断った。その代わりとして、ロクサンナを推薦したのだ。


 当時、家の財政状況の悪化により、就職か結婚の選択を迫られていたロクサンナにとって、それはとてもありがたいこと。


 すぐにうなずいて、ロクサンナは外務省に就職した。


 ここに来たばかりのときは、だれもがロクサンナの能力を疑った。年若い娘になにができるのだ――という雰囲気を肌で感じていた。けど、数週間が経つころには、ひとつ残らず陰口は消えていた。


 この場にいる人間のだれもが、ロクサンナが『翻訳のプロフェッショナル』だと認めたのだ。

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