蓟へ
貨物を積んだ後、狐毛らは北の燕国に向かわず、斉軍を装って南西の魏に進行する。
三日後、山道で魏に着いたら、民の衣服に切り替え、狐毛らは極普通の商人のように見える。
魏における戦はすでに終わり、狐毛らは官道にそって魏から北上、衛国を経由しさらに北への趙国に行く。
此時、趙の南東、趙の大軍は河水西岸の武に集結し、斉へ威圧をかける。
邯鄲から、軍糧軍需を輸送する役夫は官道で溢れかえる。
引き続き大道を通るのは趙の役人に検問されやすい。
狐毛らは、検問を避けるため、邯鄲で馬と輜車と馬を売り、人手を雇い、貨物を人力で引く小さい二輪車に載せ替える。遠回りして太行山の西側に進行する。
そこから北西に進み、小道で太行山を一旦越え、六日間で太行山脈西の晋中盆地にたどりつく。
晋陽から北上の道は官道で大通りである。ただ、邯鄲や代みたいに前線への補給の圧力はなく、今頃はほとんど商人達が通る道である。
晋陽で一日休憩を取って、狐毛らは北東に出発する。
八日後、燕国の西側にある、涞水の源に着く。
涞水の下流には、王都の易、下都の武陽があったが、二都が壊滅された以上、補給なしでここから通るのは無理だ。
狐毛らは引き続き北東に進み、趙の代地を通過した後、燕の居庸が目の前だ。