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あの日から数日が過ぎた。
彼女は暇を見つけては彼に言葉を掛ける。彼というのはこの前男が手渡した魂の事だ、彼は未だに心を開いてくれない。
彼女が声を掛けると無視か、暴れまくるかのどちらかしか意思を示していないのだ。
「今日もお天気がいいですね」
好天の空を見上げて彼女は呟いた。今、時期は夏真っ盛りである。日中ともなれば暑さは尋常ではない、ジリジリと焼けつく太陽、照りつける日差しは人間だけでなく生き物全てに容赦ない熱を与えるのだ。しかし彼女はあまり暑さを感じていないようだった。
それもそのはず、この家は特殊な結界で覆われている。陽の光や雨などは遮れないが熱の暑さは遮るのだ、だからこの家の中だけはいつも快適な空間になっている。
そんな中、何処からともなくセミの鳴き声が聞こえてきた。
「こんなにいいお天気の日は、お出掛けしましょうか」
夏に響くセミの鳴き声に釣られたのか、彼女は用もないのに自分から外に出ると言ったのだ。そんな彼女ののんびりした声に、彼女の中にいる無数の魂達は心配する。
ザワザワと蠢くと彼女は笑った。
「ふふ、大丈夫ですよ。皆さん心配してくれるのですね、嬉しいです。それに分かっていますよ。外に出る時の用意はちゃんと出来ていますから」
そう言うと、彼女は身支度をして小さな肩掛けのショルダーバッグを掛け、玄関で日傘を手にする。
「これで大丈夫ですかね?」
魂達はまだ心配そうにうねる。
どこかフワフワした彼女の行動や言動その雰囲気などから、まだ数年の付き合いでしかない魂達はとにかく注意深くなってしまうのだ。そんな事を知ってか知らずか、彼女は笑顔で家を出る。
家の敷地から出ると、照りつける太陽の暑さが肌を刺すように感じ日傘を差す。
「外はこんなにも暑かったんですね、家の中に居たのでは分かりませんでした」
楽しそうに笑う彼女。
雑居のビル街を抜けて歩みを進める。しばらく歩くと広い道に出た、人が波のように行き交いすれ違う人達はそれぞれに暑さ対策をしているようだ。ある人は帽子にタオルを下げていたり、ある人は小型の扇風機を首から下げ顔に当てている、陽が眩しいのかサングラスを掛けている人もいるそして多く見えるのは彼女のように日傘を差している人だ、そんな中困った顔をした男の子が街中を歩く人達を見ながらウロウロしている姿があった。
彼女は道なりに続く店を眺めながら夏の暑い日差しの中を歩いて行く。店に立ち並ぶ看板を見たり、ショーウィンドウに飾ってある物を見たり、時には彼女の中にいる魂達と会話したり、楽しいひと時を過ごしている。だがその時彼女は気がついた、行き交う人々の中で誰かを探しているような一人の少年を。
「あの人は何をしているのでしょうか?」
彼女の目を通して、魂達も少年を確認する。
「声を掛けてみた方がいいかもですね」
しかし魂達は彼女とは違う感情を訴える。何か異様な感じを察したのか彼女にその場から去るように伝える。
「どうしてですか?」
魂達は困惑の感情を伝えるが、彼女にはその真意が分からなかった。その時だ、彼女の中に居る彼が否定的な言葉を発した。その事に彼女は驚きの表情を見せる。
「貴方も他の子達と同じなんですか?」
そう聞くと、彼は別に聞かなくてもいいといったちょっと戸惑った感情を伝え中に引っ込んでしまった。
「大丈夫ですよ、何か困っているなら声を掛けた方がいいでしょう?」
だが魂達は否定する。
「どうしましたか?皆さん」
魂達は言いえぬ予感を感じるのに、彼女にどう伝えたらいいのか分からずにいた。
ただ、あの少年には近寄らない方がいいとその思いだけが募るのだった。そんなやり取りをしていると、申し訳なさそうな声が掛かった。
「あ、あの・・」
それは近寄らない方がいいと魂達が訴えていた少年からの声だった。少年は立ち止まっていた彼女に自分から近づいてきたのだ。
魂達は押し黙る。
「なんでしょうか」
「『可愛い』あ、あの、今、お暇ですか?」
恐る恐るといった感じで少年は言葉を紡ぐ。
「はい、大丈夫ですよ。何か御用でしょうか?」
「あ、あの!僕と一緒に来てもらえますか?!」
「?」
彼女は首を傾げる。
「あの・・あの!ナンパです!」
「ナンパ?」
『ああ、アレですね、男の人が知らない女の人に声を掛けるという。だから彼等は困惑していたのですね』
「貴方と私でお話をするという事でしょうか?」
「い、い、いや・・あの、その・・こちらに来て下さい!」
そう言うと、いきなり彼女の腕を掴んで少年は走り出した。それにつられて彼女も引っ張られるように走り出す、というか走るしかなかったのだ。
「あの、どちらへ?」
少年は黙ったままだ。彼は広い街道から横道に入り道なりに走り続けた、そして脇道にある駐車場へと彼女を連れ込んだのだ。
「おい、帰ってきたぜ」
「へっ、女を連れてきたか」
「まっ、お前にしてはやったほうじゃねぇか」
ハァハァと二人とも息を切らしている。
「ご苦労さん」
一人の若い男が少年の肩を叩く。
「かわいい子連れてきたんだろうな」
もう一人が日傘で隠れている彼女の顔を見ようと近づいてくる。
「スタイルはいいんじゃねぇ?」
ヘラヘラと笑いながらもう一人が言った。
彼女の傘に触れようとした時、少年が彼女の前に立ち塞がり彼らに向かって言い放った、それは彼なりの最後の勇気だったのだ。
「彼女に乱暴な事はしないでくれよ!」
「ああ?!」
「うるせえよ!」
「どけっ!」
一人の男が少年の腕を引っ張り、もう一人が殴りつけた。その勢いで少年はコンクリートに叩きつけられ転がされた。彼女は黙ってそれを見ていた。
「なんだ?怯えてるのか?」
「ハハ大丈夫、俺達女の子には優しいから」
「そうそう、俺達と楽しく遊ぼうぜ」
そして若い男の手が日傘を持ち上げる。
「えっ?」
「お、おい」
「なんだよ!」
彼女の顔を見た途端、男達は絶句した。
その顔は吹き出物だらけで、鼻は潰れていてブヨブヨしたなんとも醜い顔だったからだ。
「おいテメェ、なんだこんなブスを連れてくるなんて!」
「うっわ最悪じゃん!」
「こんなブス見た事ねぇ」
「え?」
彼女の顔を見て一気に文句をまくし立てる三人の男、だが少年の目にはそんな顔は見えない、先程となんら変わらない綺麗な顔をした少女の顔が見えているのだ。
「テメェの目は節穴か!」
「ケッ、こいつにナンパなんか頼むんじゃなかったぜ」
「行こうぜ、気分台無しだわ!」
男達は気分を削がれたのか、文句を言いつつその場から立ち去って行った。
その光景を見ていた少年はただただ呆然と彼らを見送り、そして彼女に振り返る。
「『一体何が??』・・どういう事なんですか?!」
その問いを彼女に聞くのは違うんじゃないかと考えたが、どう考えても彼女が何かしたようにしたとしか思えなかったのだ。
「あの人達の心は曇っていたようですね」
彼女から返ってくる言葉が答えなんだと思った。だけど気持ちでは理解できても心は違う、こんな事あるはずがない、あるのはおかしい。その拒否感が彼を襲った。
「なん・・なんなんだあんた・・」
怖いと感じた。何か分からないが身体中が何かを拒んでいる。
「ごめんなさい」
ふとこぼれるように彼女の口から謝罪が聞こえた。その瞬間、優しく言われた言葉が彼の中から恐れていた恐怖を消し去る感じがして身体から力がフワッと抜けていく。
彼女は悲しそうな顔をしていた。
「『あっ』・・」
「本当にごめんなさい」
「ぁいや、僕の方こそ、無理やりこんな所に連れてきて、危うくあいつらに君を連れて行かされる所だった・・僕の方こそ、ごめん」
「貴方はお強いんですね」
『えっ?』
そんな事ない僕は全然強くない、僕は、僕は・・・彼は目を伏せ俯いた。
「貴方にほんの少し勇気をあげます」
そう言うと彼女は駐車場の片隅に咲いていた花々の前に腰を下ろした。彼は顔を上げながら彼女の姿をそっと目で追った。
彼女は何かを呟いているみたいだ、すると花が勝手に折れたように見えた。それが正しいのかは分からない、ただ彼女は花に手をかざしてた様に見えたのだ。
花を数本手に取り彼女は何かを作っている、そして立ち上がると少年に近づく。
未だに立ち上がれず地面に座りっぱなしの彼の前に彼女が座る。
「これを」
そう差し出されたのは花で出来たミサンガのような物だ。彼の手を取り、その手首に花のミサンガを結んだ。
「この子達が貴方に勇気をくれますよ」
そう彼女はにこやかに笑顔を見せるのだった。