第6章「最後の夜に聞いた声」
この章では、桜が両親の“もや”をすべて吸い切り、神様から寿命を告げられる場面を描きます。
「家族を守る」という使命を果たした直後に訪れる最後の宣告。
幼い心で受け止める切なさと強さを見届けてください。
春の夜。
窓の外では風が桜の枝を揺らし、花びらが淡く漂っていた。
リビングには温かい灯り。母・美咲が淹れたハーブティーの香りが広がり、父・大樹が新聞を広げている。桜はその横で宿題のノートを広げていた。
「もう、漢字まで書けるようになったのね」
母が覗き込み、優しく微笑む。
「うん。……ちょっとむずかしいけど」
「すごいぞ、桜」
父が新聞をたたみ、頭をぽんと撫でる。
桜はその笑顔を見つめながら、胸の奥で小さく息を吸った。
(……これで、もう大丈夫だよね)
母の肩にあった“もや”はもう一片も見えなかった。父の背にも影はなかった。桜は両親の“もや”をすべて吸い取り、この夜、初めて二人が完全に澄んだ空気に包まれていることを感じていた。
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布団に入った後、桜は眠りにつく前にそっと立ち上がった。
寝室。月明かりに照らされた部屋で、母と父が静かに寝息を立てている。
桜は母の手を握り、次に父の手を握った。
指先から、最後に残っていた黒い糸のような“もや”が桜の中へ流れ込む。
胸の奥が焼けるように熱く、息が詰まり、視界が白く滲む。
「……っ」
それでも桜は手を離さなかった。
小さな体は震えていたが、瞳はまっすぐだった。
やがて――雲は完全に消えた。
部屋の空気は雨上がりのように澄みわたり、窓から差す月光がいっそう白く輝いた。
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その瞬間、桜の意識は夢へと引き込まれていった。
神社の大きな桜の木が夜空に浮かび上がる。満開の花が風に揺れ、無数の花びらが降り注ぐ。
木の下に、神様が立っていた。白い髭をたくわえ、静かに桜を見つめている。
「……桜。よくやった」
「……うん。おかあさんも、おとうさんも、もう大丈夫」
「その通りだ。おまえがすべて背負った。二人はもう苦しまずに生きていける」
神様の声は優しく、それでいて重かった。
「……じゃあ、わたしは?」
桜の声は小さく震えていた。
神様はしばし黙し、やがて告げた。
「明日――おまえの寿命が尽きる」
花びらがひとひら、桜の足元に落ちた。その音が耳に届いた気がした。
⸻
「……やっぱり、そうなんだね」
「恐ろしいか?」
「……こわい。……でも、わたし、えらんだから」
「そうだ。おまえは選び、最後まで果たした」
桜は唇を噛み、涙をこぼした。
思い浮かぶのは母の笑顔、父の大きな背中、友達の笑い声。
全部が愛おしくて、全部から離れたくなくて――それでも。
「ひとつ……ねがいがあるの」
「言ってみなさい」
「おかあさんとおとうさんが、これからも、しあわせでいられますように」
神様は静かに目を閉じ、頷いた。
「その願いは、必ず届く」
桜は小さく微笑んだ。
涙が頬を伝い、夢の中でも枕を濡らした。
⸻
目を覚ますと、夜明け前だった。
母は安らかな寝顔を見せ、父は深い寝息を立てている。
二人の周りには、もやは何ひとつなかった。
桜は布団から抜け出し、玄関の扉を開けた。
冷たい朝の空気が頬に触れる。東の空は少しずつ白み始めている。
家を振り返り、小さな声で呟いた。
「……ありがとう」
その言葉は風に溶けて、家の中へ戻っていった。
桜はついに両親の“もや”をすべて吸収し、二人を救いきりました。
その直後に神様から告げられた「明日が寿命」という言葉。
怖さと悲しさを抱えながらも、桜は最後まで両親の幸せを願いました。
次章では、最期の朝を迎えた桜が虹の橋を渡る姿を描きます。




