59話 抱擁
11月 後半 金曜日
山倉 玄はキャバレーのステージを終え
ホステスの香に話かけた。
「今週も寄ってていいですか?ムシャクシャする事あって」
香は「あら、玄ちゃんからそんな事言うなんて
珍しい!勿論いいわよ」と頬にキスをした。
玄は香のアパートに金曜日の夜、泊まるのが
習慣になっていた。
香は23歳のホステスで、これと言った目標もなく、パトロンは1人いたが店に出て週1回パトロンの相手をすると言う〝空虚〟な日々を送っていた。
そんな胸を埋めてくれていたのが玄だった。
玄の音楽、ドラムに捧げる また〝男性〟としての
情熱の塊の受け皿となっていたのが
〝香〟だった。
香はベッドの中で玄から聞くバンドのサクセス ストーリーが唯一自分の生きている〝証〟のように捉えていた。
かと言って二人は、彼氏彼女でもなく、
勿論お互いに束縛などなかった。
そんな二人が唯一恋人になるのが金曜日の夜だけであった。
その夜は村上中で起きた風のギターの悲劇の話だった。
香は、「それは可哀想だわ、風くんさぞ落ち込んだでしょ」
玄は「うん、一週間くらいは、ボーっとしてたかな?でも、もっといいギターと出会えたようだよ
明日見れるだろうけど」
「そうね、昔の恋を忘れる為には新しい恋っていうしね」と香は意味深な事を言った。
香は玄にとって〝陰の女〟でいることに徹していた。
キャンディを観に来ることもなかったし、
「好き」の一言も玄に対して発したことはなかった。
その包容力に気づくほど、まだ玄は成熟した
男性ではなかった。
香は、玄を〝抱擁〟して眠りについた。