5 嘘つきの語る回想3
これはきっといい思い出になる。そう確信していた僕だったが。その確信があっさりと揺らいだのは出発してから二時間後だった。
「今どの辺りだ?」
「さぁ」
「今何時だ?」
「さぁ」
「朝日に間に合うのか?」
「さぁ」
僕の問いにユウキは適当に答える。その声には疲労とイライラがにじみ出ていた。
無理もない。僕だってそうだ。
もう僕らは自転車に乗っていなかった。
出発から三十分ほどで僕の自転車がパンクした。僕は自転車を乗り捨て、ユウキの自転車に二人乗りすることにした。ユウキは「仕方ない。これも思い出の一つになるさ」とニコニコ笑いながら言った。僕も「そうだな」と笑いながら頷いた。この頃はまだ余裕があったんだ。
海に行くためには大きな山を越えなければいけない。僕らはこぎ手を交代しながら必死にアップダウンを繰り返す山道を走っていった。だんだん体力はなくなってくる。それにつれて口数が少なくなる。
上り坂はまだよかった。問題は楽だと思っていた下りだった。体力的に辛かった上りを登りきった僕らは二人乗りで一気に下りを駆け抜けようとした。それが間違いだった。二人分の体重を乗せた自転車はがんがんスピードを上げていき、ついにはブレーキが壊れてしまって止まれなくなった。
まるで絶叫マシーンのような感じで僕らは為すすべもなく自転車から転げ落ちた。
だが、ある意味、それは幸運だった。自転車から投げ出された僕らは擦り傷だらけになったけど、加速のついた自転車本体はガードレールにぶつかってそのまま崖の下へと落ちていった。
青ざめて顔を見合わせた僕ら。ふと、なんでこんなところで、こんなくぐらなくてもいいような死線をくぐっているのだろうという思いが脳裏によぎる。
誰もいない夜中の山道。歩いて引き返すのもこのまま突き進むのもどちらも距離的には変わりない。そう判断した僕らは突き進むことにした。
それが一時間前のこと。そして今に至る。
「夜明けまで、あと一時間くらいか」
空を見て、ユウキがそう呟く。
僕は答えなかった。疲れていたことももあったし、ユウキの方も答えを求めているような口ぶりではなかった。
「なぁ、サキ」
今度ははっきりとした声。僕は歩を緩めずに左隣のユウキを見た。
「何?」
「サキは好きなやついる?」
「は?いきなりなんだよ」
「いや、特に理由はないけど、なんとなく」
少し罰の悪そうなユウキ。いきなりの突飛な質問に内心焦る僕。
この頃の僕らは色恋沙汰についてはほとんど話をしたりしなかった。なんだか気恥ずかしい感じがしたからだ。多分、きっとユウキも似た思いを持っていたはずだ。僕にだってこんな思春期だった頃もあるんだ。可愛いもんだろ?
いつもだったら「何言ってるんだよ」って返して終わりになる恋バナも、この状況だと少し違った。
修学旅行の夜に、布団にこもりながら好きな子の名前を言い合う。そんな経験があるだろ?今の雰囲気はそれに似ていた。妙なテンション。僕は少し間を置いて告げた。
「別にいないよ。かわいいなって思う子くらいいるけどさ」
「ふーん」
聞いてきたくせに返事はそっけなかった。真面目に答えた僕がなんだか恥ずかしくなる。顔の紅潮を誤魔化すように質問を返す。
「お前こそ誰かいるのかよ?」
「いない」
それは即答に近かった。あらかじめ、質問の答えを用意していたかのようだ。多分、そうなのだろう。
「いないんだよ。本当に」ユウキは、つぶやくように繰り返す。
「いいなって思う子もいない?」
「うん」
「だから告られても全部断ってんの?」
話は少し逸れるけど、ユウキは人気があった。全体的に線が細く、温和な顔だけど、眉目はしっかり整っているし、勉強もできた。運動だってできるほうだし、なにより正直で明るく性格がいい。これだけ男にも女にも好かれるやつは珍しいかもしれない。
「付き合うってのがよくわからん。好きって気持ちもよくわからない。好きってなんだ?」
いきなり哲学的な質問をぶつけられて、少し戸惑う僕。
「一緒にいて楽しいとか落ち着くとか、そんな気持ちが好きってことじゃないかね?」と、無難な言葉を返す。
「うーん。楽しいとか、一緒にいて楽とかならサキといるのが一番だからなぁ。だからと言って、その気はないし」
「俺と恋愛の好きをまぜこぜにするなよ」
あきれて僕は言った。そのまま続ける。
「好きってのはもっとなんだ、胸が熱くなると言うか、切なくなると言うか、なんだその」
だんだんと恥ずかしくなってきて言葉が詰まる。なんでこんな山道をへとへとになりながら歩いているときに、こんな真面目に語っているんだろう。