第五話 ナニモナイ
気まぐれ2本目。
魔王くんの言っていた通り、夜の森は獲物を待ち構える捕食者ばかりだった。
もっとも、異世界から来たからとて私は人間なので、魔物に問わず小型の野生動物にすら毎回悲鳴を上げていた。
そんな私に痺れを切らしたのか、空腹感から苛立ちが頂点に達したのか、一回逆さまに持たれて太腿を齧られた。
痛いし血も出てるし、まだ犬歯が食い込んだ感触が忘れられない。
だが、今は太い木の枝に乗せられてーー
「だずげでぇ〜!!」
ーー囮役という名の、撒き餌にされていた。
「もっとだッ!獲物を呼び寄せろッ!!」
実際に、私の情けない声と血の匂いで警戒を緩めた捕食者だった魔物達は、爛々と眼を輝かせた魔王くんの拳と脚技によって、屠られていく。
中には危険を察した様子の魔物も居るが、そういう中型の魔物は敢えて逃し、遠く離れて私に気付かない大型の魔物を誘き寄せるように調整しているようだ。
そりゃあ、まあまあ高い木の枝にしがみついているから、遠く魔物の動きも見えるってわけですよ。
だって、大型というだけあって、目が合うくらい大きいんだもん。
人間の最大の利点は結果から学べるとこだと思っていたけど、魔王くんはどうも野生の感でこなしてる気がする。
こりゃあ人類は欲がある限り魔族と争うよね。
だって、こんなに明確に種族としての能力差を見せつけられた上で、魔物は魔族と同じと認識していたら…あの時石を投げ、悲しみと憎しみを私へ向けてきた人達の反応も、仇であるならば、納得はできないが苦しいだろうという事ぐらいは…少しだけ分かる気がする。
…あのいかにもな魔族の公開に関わっている上の人間は、魔族と魔物の関係性くらい理解してそうだけど。
「お姉さん!もう降りて来て大丈夫だよー!」
「…だからァ!」
でも、少なくとも魔王くんと幼女様はーー
「助けてって言ってんじゃんッ!!」
ーー嘘吐きと傍観者よりも、ずっと信じられる。
*****
「…ぇ、ねぇってば!」
「はっ!」
「そんなに好き嫌いしてばっかりじゃ、将来我儘になっちゃうよ?」
目を開けるとそこには…鮮血も滴る鮮度の良いカエル肉を顔に近付けてくる魔王くんーーもとい、グーラくんがいた。
…現実逃避も、ここまでかぁ…
「だ〜い〜じょ〜う〜ぶっ!!グーラくんよりだいぶ食が細いからっ!」
「でも、今日はまだなにも食べてないよね?」
「そりゃね?!寝呆けた誰かさんが、厨房の食材無くなるまで食べればね!!」
「うっ…それは、ごめんなさい」
おっ?これは接され方についても、言及できそう?
「グーラくんは、私の事を見下する方がいいんだよ?つまり、魔王様の身分で現時点のように人間の私なんかを贔屓しちゃ駄目なの。だって私は、紛れもなく一般人以下のモブだか「ならば儂も贔屓して良いじゃろう!」…タイミングぅ」
逆さまになって大樹の枝に上手くつま先を引っ掛け、振り子のような体勢と勢いでこの館の主人である幼女様が帰って来た。
それも、自分にとって都合が良くなる話の流れになってからだ。
「幼女様、絶対いまタイミングを見計らって入って来ましたよね?」
「ルナ…名前で呼べと、何度も儂から言っておるのを忘れたか?」
目の前に降り立った幼女様の周りの空間がぐにゃりと捻じ曲がりだしたのでーー
「申し訳ありませんでした。スペルビア様」
ーー超高速で地に顔をのめり込ませた。
…いわゆる、スライディング土下座である。
「そこまでして何を詫びる?」
幼女さ…じゃなくて、スペルビア様は、傲慢の魔王と恐れられていて、七つの大罪でも最も強いとされる悪魔を象徴にされるような御方だ。
私如きが、逆らえる訳がない。
「ルナにとって最初の友は儂じゃろう?そう怖がらずとも、暴食の阿呆とは違って儂は噛み付いたりせんよ」
「アホじゃないもん!ルナちゃん、スペルビアちゃんが酷いよっ!」
「私如きの存在などお気になさらずに御過ごし下さいませ」
グーラくんはお腹さえ減ってなければ、友達として接しても臣下がいないから良いんだけど…お腹が空くと、初対面の夜の時のように性格が豹変し、俺様がルールみたいなオラついた暴食の魔王様になるので、先ほど本人にも言った通り、私は食事は必要最低限で済むようになった。
理由?そりゃあ、野獣のようにギラついた眼で睨み付けられたら、空腹時のグーラ様に関与してはいけないと学ぶでしょう。
「その口調は嫌じゃ!グーラにはタメ口な時があるのも、知っておるからな!」
「いえ。二度も命を救って頂きながら、対等な身分を欲する行為はできる筈がございません。それに私だけならばいざ知らず、スペルビア様にも非難の声が向かえば品位を傷付けてしまうのです」
「儂がよいと言っても、相変わらずこの件については譲らぬか…」
スペルビア様がしょんぼりと口先をいじけたように尖らせて、上目遣いで見てくるが…譲れないものは譲れない。
「仰る通りです。どうかこの無礼者なりの恩返しを、ご容赦下さいませんでしょうか?」
「なら、この後のルナの時間をくれぬか…?」
「お供させて頂きます」
彼女こそが絶対であり、言葉の選び方一つですら配慮せねば国が滅ぶのが常識で、今までの価値観など箪笥の肥やしだ。
だからこそ、全ての役職で専属を公には置かず、魔族の約半数を誇る自称臣下がごまんといるスペルビア様に甘えた場合、次に離れた瞬間が私の命日となる。
しかし、血の滲んだボロボロのワンピースはあまりにも目に余るという事で、ちゃっかり淑やかなタイプの侍従の服を頂いて着ている。
保存状態のいい物を選んだとは言われたものの、襟ぐりから靴のサイズまでピッタリフィットなのは若干怖かった。
他の派遣された使用人の魔族の方々へは「人間とは言え景観を乱すから」という建前のもと、スペルビア様が新しい愛玩動物を飼い始めた…ということになっているので、今のところ敵意すら感じた事はない。
正直に言おう。
「やらかしたぁ…っ!」
最近、可愛がられているのではないかと疑ってしまう時がある。
グーラくんは魔王だからまだしも、私に至っては完全に居候の身なので生活費の足しになればと、最初はお仕事を無理矢理手伝わせてくださいと言って回っていた。
なのに途中から、一人暮らしのちょっとしたなんちゃって料理のレシピや、魔法が使えないからこそのお掃除のコツを聞かれるようになった。
別に隠す事でもないので教えた辺りで、普通の価値観の違いがまだ残っているからこそ、思いつかなかったらしい。
この判断は結果的に私からお仕事を奪い、自由時間を増やし、怪我をする確率が増えた。
どう言う事かというと…
先ず、私を回収しに来たスペルビア様に何故か着いてきて同じくスペルビア様の城に居候の身のグーラくんは、空腹でなければ基本的に温厚だが、忘れてはいけない事に魔王だった。
それに、スペルビア様と対等な地位を持ち、尚且つ友達なのは周知の事実だから、居候というよりはゲスト扱いで、雑用をする必要もない。
暇だからか、城内では私の観察係をスペルビア様に名乗り出たという。
短毛な猫の獣人だと思っていたグーラくんは、実はハイエナの獣人だった。
でも根本的には猫と大して差もなくーーさっきも顎の下を撫でてたらゴロゴロ喉を鳴らしていたーージャコウネコ科だし、もとから猫に近しいけど…それはまぁいい。
私の側に居ない時は狩りに出掛けては、生肉を差し出してくるのは、いい加減ご遠慮願いたいが。
で、大切なのはここからだ。
どこから聞いたのか、スペルビア様までグーラくんだけズルいと言い始め、駄々を捏ねたのだ。
グーラくんに限らず魔王様は暇なようだ。
その後は完全に昔からの趣味の延長線上で、本の知識の受け売りだね。
「スペルビアちゃん。僕も着いて行っていい?」
「駄目じゃ!グーラはルナと一緒に過ごしておったじゃろう!」
「でもそれは、カッコつけて空間転移魔法を連続で使用したスペルビアちゃんが、僕とルナちゃんを引き合わせたのが原因だと思うなぁ…」
「むぅ…何故グーラがそれを…」
「ルナちゃんの血にスペルビアちゃんの魔力が僅かに混じってたよ?」
「…なんと申した?」
理由がショボい争いが勃発したので、私はこの世界へ来てからの事を思い出す……つもりだったが、全く持って元の世界に未練がない為、回想も何もなかった。