第六話 こんばんは
バイトを終えると、外は夜。
夜の街は賑やかで、得体が知れない。
まるで、夜の海のようだと思う。夜の海に、浮かんで、空を見ると、ゴッホの星月夜みたいに、空が渦巻いているんだ。禍々しくて、この世界を構築する、ちっぽけな、細胞になったような気分になる。
そんな、街は、朝と夜でこれほど、顔を変えるのだから、すごいとしか言いようがない。
すれ違う人々は、個性を失い、みんな同じに見えるのだけど、ハロウィンの仮装しているみたいに、不気味にも見えてしまう。統一性がないな。街は魔物が住み着いている。魔物の巣窟。
言葉はノイズに、景色はネオンに、変換される。
良くも悪くも、人間性が希薄になって、機械的で、不安になる人と、安心する人に分れると思う。わたしはというと、どちらでしょう。
虚勢を張って、明るく振舞うのが癖になっている。昔から、なぜか自分を演じてしまって、初期設定を崩さないように必死だ。実際のところ、わたしは暗くはない方だと思うけど、漫画とかで見るような、天真爛漫なキャラでもない。
明るさを二増し、している。わたしだけじゃなくて、きっとみんなわたしと同じじゃないかと思う。張らなくてもいい虚勢を張ったり、いろいろ苦労しているのだ。
まるで、お化粧するみたいに。
みんないろいろなキャラ設定を持っていて、場面によって器用に使い分けている。
それが普通なのだ。
それでいいんだ。すべての自分を認めてあげていいんだ、一時はそう思うけれど、ちょっとしたことで揺れ動いて、否定的になって、また肯定し直して、そうやってみんな自分自身と闘っている。
きっと、死ぬまで、揺れ動いている。
変わらない心なんて、ないのだから。喧嘩して、仲直りして、また喧嘩するみたいに、自分との対話を続けることが、生きていることなのだ。
いつか、自分と仲良くなりたい。
そんなことを、頭の片隅で思いながら、わたしは、人混みの中を縫い、駅に向かった。
すれ違う人々は、みんな自信に満ち溢れているように見えた。わたしも、はたからみると、自信に満ち溢れているふうに見えると思う。
身だしなみには気を付けているし、お化粧だってしている。なにより、わたしは女子高生だ。無敵だ。どこにでもいるお姫さま。
街を歩いていると、男性から声をかけられて、「遊ばない」って誘われる。わたしは断るけれど、男性は強引だ。わたしは、どうにか逃げようとするけれど、相手は二人がかりで、逃げ道を塞ぐのだ。
無理やりどこかに連れていかれそうになったときに、勇敢な男性が助けてくれる。白馬に乗った王子さまのような人。
そんな、妄想をする。
白馬に乗った王子さまが、危険を救ってくれるっていう、おとぎ話のような話しが、ベタに好きだ。
バカだな~、と苦笑い。いつまで、乙女のような気持ちでいるのだろう。実際には、声をかけられていないし、絡まれたことなんて一度もない。けど、もし、そんな絶体絶命とか、命が危ない状況になって、命をかえりみず助けてくれる人なら、好きになってしまうだろう。
本当に、心の底から困っているときに、助けてくれる人。
頼りになる人。
そんな人。
が、本当にいるのなら、だけど。いないとはいわないけど、出会えない。まるで、都市伝説のようだ。誰か、ここではないどこかに、連れ去って欲しい。なんて――。
駅に着くと、家路につく人たちでごった返している。
満員電車は、肉体だけではなく、精神まですり減ってしまうから、できる限り避けているのだけど、この時間に帰ると、決まって混んでる。
満員のプラットフォームに到着。いつもならとっくに電車はきているのに、今日は限ってきていない。日本の鉄道の時刻は正確だっていうのに、遅れる理由はたぶん、あれしかないのだ。
電光掲示板を見るのと、人身事故のために、というアナウンスが流れたのは同時だった。この人身事故は、どっちだろう。
本当に事故なのか、それとも故意か。たぶんだけど、事故の可能性は限りなく低くて、後者の可能性が高いのが現代社会。毎日っていっていいくらい、どこかで、自らの意思による人身事故が起きているのだから。
プラットフォーム中で、またか、とか、最悪、とかいう、愚痴のような言葉が聞こえた。誰かがどこかで酷いことになっているかもしれないのに、その人を非難するなんて、酷いなと思うけど、わたしも人のことを軽蔑する資格なんてなくて、最悪と思ってしまった。
人が人身事故にあったことよりも、わたしにとっては、電車が止まって、家に帰れないことの方が、よっぽど重大事だった。悲しくもなんともなかった。それどころか、人身事故による損害とか、もし、故意だとしたら、残された遺族にかかる、負担、とか、わたしたちにかかっている迷惑とか、そういうのも考えて欲しいな、なんて心ないことを考えて、いる。
誰にも迷惑をかけない、なんてできないのだろう。
まったく見ず知らずの人の終わりを、悲しむことなんて、本当にできるのだろうか。少なくとも、このプラットフォームにいる人の中には、泣いている人は見当たらない。
それが、普通。
悪いことじゃない。
見ず知らずの人のために泣ける人がいるなら、その人は、いい人に違いないし、さぞ、生きにくいに違いない。
この、人身事故の影響で、電車はしばらく動かないだろう。
時間はかかるけど、バスで帰るしかない。わたしは駅前のバス停に急いで向かったけど、みんな考えていることは同じで、停車場には、行列ができていた。
今日は帰れないかもしれないと、覚悟した。駅に泊まるか、近くの漫画喫茶とかに泊まるか。だけど、漫画喫茶は年齢によって、利用時間の制限があると聞いた覚えがあるし、カプセルホテルに泊まるしかない。
と、これからのことを考えていると、電話がかかってきた。お母さんだった。お母さんは人身事故があったことを知っていて、タクシーで帰ってくるようにといってくれた。
ここから、家まで帰ったら一万円近くかってしまうけれど、わたしはお言葉に甘えさせてもらうことにした。運よく、駅に待機しているタクシーを拾うことができて、わたしは一安心。
タクシーの窓から、流れる夜の街並みを眺めていると、タクシーの運転手さんが、「人身事故があったらしいですね。電車止まって大変でしたでしょう」と気さくに声をかけてくれた。
わたしはバックミラーに映る、運転手さんの眼を見ながら、「はあ……」と適当な相づちを打って、それではあまり不愛想だと思ったので、「最近、人身事故多いですね」と愛想よく話を広げる。
「昔から一定数あったと思うけど、たしかに、数日前も人身事故があったし、昔より多くなってるのかもしれませんね」
人身事故のおかげで、タクシーの利用客も増えて、タクシー会社は儲かりますね、なんて、ひねくれたことをいってやりたくなる。うまく廻っているな、と思う。
「なんで、人身事故が増えてるんでしょうね」とわたし。ちょっと、意地悪く、困らせるつもり。
「いろいろあるんでしょうね」とタクシーの運転手。
「いろいろって、なんですか」
人身事故としかいっていないのに、タクシーの運転手さんは故意事故の方向で話しに乗ってきていて、探偵の誘導尋問を連想した。
「う~ん。その人の立場になってみないとわかりませんね。ぼんやりとした不安が一番、当たっているのかも」
「ぼんやりとした不安ですか」
夢の中に生きているように、すべてがぼんやりしている。そんな夢から、目覚めたとき、見るものすべては澄み渡っている気がした――。