表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
973/992

15-5:A Boy and the Tiger 中

「……痛いじゃないか、先輩」

「はっ、そりゃよかったぜ。テメェにお灸をすえるために、わざわざこんな所まで走ってきたんだからよ」

「それは、とんだ苦労をかけたね……でも、もう全てが手遅れだ。すでにこの世界からは魂が消失しつつある。高次元存在は、もうじきその役割を終えるんだ。

 それに、貴方が何かの力を使って僕を滅するというのなら……それはそれで、僕の目的は達成されるんだ。僕はこの宇宙から永遠に消え去るためにここまで来た。この魂が消失するというのなら、それは僕の勝ちを意味するんだよ」


 そう話をしている間に、虎の足が一歩こちらへ近づいてくる。それで、少年はいつの間にか視線が下がっていたことに気づいた。そう、自分は勝ったはずだ。色々な計画は崩されたが、目標は達したのだから胸を張っていれば良い。それでも自然と視線が下がっていたのは、自分が選んだ結末に対して自分自身が納得しておらず、紡ぐ言葉が自然と言い訳がましくなってしまったからかもしれない。


 そんな少年の心を読み取ったのか、頭上からは大きなため息が漏れてくるのが聞こえる。


「はぁ……やっぱりテメェは大馬鹿野郎だぜ、右京。こんな宇宙に果てにまで来て、未だに勝ち負けだとか、優劣だとかに執着してやがるんだからな」


 聞こえてきた男の声には、もはや怒りは籠っていなかった。それこそ、先ほどの右ストレートで怒りは全て吐き出したとでも言わんばかりであり――後に残っている感情は、呆れ半分、憐れみ半分といったところか。


 しかし、少年はまだ顔を上げる心持ちにならなかった。呆れられること、憐れまれるということ、それが少年の自尊心を傷つけたからだ。自分が至らないから、失望される。それは少年が最も避けたかったものであり、それ故になるべく人目を避けて生きてきたのだから。


 ちっぽけなプライドだと笑われても構わない。結局、指摘されたポイントは少年がどれだけ悩んでも覆せなかった彼の本質であり、何を言われてもどうする事も出来ないのだから。


 少年がしばらく押し黙っていると、虎はまた大きなため息を一つ吐いて、また一歩少年に近づいてくる。


「俺はな、テメェを消し去りに来たわけでもねぇ。宇宙の趨勢をどうこうしようと思ってここまで来たわけでもねぇ。ただ一発殴って、テメェに言いたいことがあったからここまで来たんだ」

「成程、それで目的は半分達せられたわけだ……さぁ、残り半分は? 貴方を裏切ったことに対して文句を言いに来たのかい? それとも、晴子を幸せにできなかったことに対する恨み言でも言いに来たのかな?」

「いいや、違う。俺は、感想を伝えるためにここに来たんだ」

「……感想?」


 予想もしなかった言葉に、少年はそこでやっと顔を上げた。そこには、一万年前には見ることのできなかった――同時にこの星でレムに蘇らせられて初めて見た――優しい眼差しをこちらへむける青年の瞳があった。


「俺は、あの世界が好きだ。描きたくなるような景色がたくさんあって、若い活力に満ちた人々の暮らす……お前が創り上げたあの世界のことがな」


 そう言われても、少年にはピンとこなかった。むしろ唐突に感想を述べられて、唖然としてしまったという方が正確かもしれない。ただ、不思議とだが――好きだという彼の言葉が、少年の心の底に渦巻く黒い感情を幾分か解きほぐしてくれた。


 対して青年は、静かに後ろへと振り返った。彼の視線の向こう側に、僅かに見える光がある――それは、少年がまだ支配しきらない僅かな魂の残り火。その光は遥か彼方にあるかすかな光だというのに、確かに青年の横顔を、背中を照らしてくれていた。


 そして少年は気付いた。虎がどれほど無茶苦茶な速度で走り抜けようとも、どれほど無茶苦茶な力で駆け抜けようとも、彼が砕けなかったのは――虎の帰りを祈っている無垢な魂たちが、彼を守っていたからだと。虎はその光を見つめながら口を開く。


「確かに、あの世界が出来た成り立ちは不純なものであったのかもしれない。人々の在り方は創造主の一存で歪められて、その成長を阻害されてきたのかもしれない……だけど、その創造主が自身のことをどんなに嫌っていたって、生まれてきた世界は、確かに美しかった……俺は、そんな世界のことが好きなんだ。

 それで、俺はあの星に生きる人々を守りたいと思ったし、そこで大切なものを得た。お前達が創り上げた世界に生まれた魂たちが、俺に本当に描きたくなるような世界を見せてくれたんだよ」


 そして虎は再び少年の方へと向き直り、口元に微笑みを浮かべながら話を続ける。


「思えばさ、親がどんなに歪んでたって、子供は育つんだよ。いや、もっと言えば……子供は確かに親の歪みだって引き継ぐかもしれないけれど、それを含めて人間って奴だろう?

 逆に言えば……俺を救ってくれたあの子達が、お前の創り出した世界で生まれ育ったっていうんならさ。お前にも確実に真っすぐな部分があるのさ。

 それで……俺が求めていたものが、お前が創り出した世界に全部あった。その感想をこうやって直接伝えるために、俺はここまで来たんだ」

「……わざわざ、それを言うために、こんなところまで?」


 少年の質問に対し、虎は静かに頷いた。もちろん、アラン側としては、手をこまねいて世界の終わりを待っているわけにもいかなかったのは事実なはず。しかし、原初の虎がここまで来た動機は間違いなく、少年が作った世界を肯定することだった。


 そして不思議とだが、アランが言葉を紡ぐたびに、少年は心が軽くなっていくのを感じていた。惑星レムを作った動機こそは自らの消滅であったが、少年は世界創造には全力を注いでいた。それは、確かに少年自身のこだわりでもあったが、やはり少年特有の諦めの悪さ――つまり、何かが自分に幸せをもたらしてくれるかもしれないという淡い期待から取り組んだことでもある。


 少年は妻との間に子を成すことが出来なかった。それ故に、惑星レムの創造は、彼の中の生物的な本能が何かを残そうと必死に足掻いた結果だったのかもしれない。そしてそれは、かつて絵を通して世界に意味を見出そうとした憧れの人物に対する憧憬も含まれていたのだろう。


 遥か昔、少年は虎に対して「自分も何かを作ってみようか」と言ってみたことがある。あの時は、本当に何かを作ろうなどと思ってもいなかった。少年の望みは消滅する事であり、後に何かを残すことになど意味はないと思っていたから。しかし同時に、何かを作ろうかと言ってみたことは、何かを創り出そうとする行為を通じて、羨望の的であるアラン・スミスに近づけるのではないかと――そんな期待は確かにあったのだ。


 だが、実際に惑星レムとその機構を創り上げたとて、誰一人として少年のこだわりや真意については気付いてくれなかった。DAPAの生き残りたちは大真面目に――時に少年のこだわりに疑問を持ったり、反対意見を述べながらも――あの世界を創り上げ、運営に協力してくれた。それ自体は有難いことであったのかもしれないが、協同の運営者となってしまった彼らは、既に少年が創り上げた世界を評価する側にいなかったのである。


 そう思えば、晴子が兄に対して「見て回ってくれ」と依頼したことは、不思議な因果があったと言えるのかもしれない。晴子は少年が創り上げた世界の機構を兄に裁定して欲しかったようだが、奇しくもそれが一周回って、本当は少年が求めていた「生み出したものへの評価」へと繋がっていた。惑星レムの外から来た彼こそが、DAPAの生き残りたちが創り上げた世界を客観的に評価できる、ただ唯一の人物だったのだから。


 そして少年が懸命に作り上げた世界は、ただいまを持って一人の男に認められた。その事実が、少年に感じたことの無いような充足感をもたらし――同時にその少年の心を通じて、消滅へと向かっていたはずの世界が息を吹き返し始めた。すでにその大半を少年が支配下に置いていたため、高次元存在の意識は少年の意識と連動していたのだ。


 その結果として、辺りに漂っていた無数の砂嵐が止み、モニターには先ほどまで映し出されていた映像が一斉に蘇ってくる。人々の魂が見せる輝きは、まさしく暗闇の空に浮かぶ無数の星のように瞬き、次元の果てで佇む二人を照らし始めた。


「右京、お前……」

「……いいや、違うよ。僕だけじゃなく、世界が……高次元存在が望んでいた答えを得たんだ」

「……それは?」

「自分が創り出した世界を肯定してもらうこと……彼らが求めていたのは、たったそれだけだったのさ」


 そう、たったのそれだけだったから、中々見つけられなかったのかもしれない。近くにありすぎて、見えなかったのかもしれない――そうなれば旧人類や古代種は、高度に形而上学を発展させ、あまりに多くの思考方法や難解な定義を生み出してしまったが故に、その単純な答えになかなか辿り着けなかったのも頷ける。


 恐らく、アラン・スミスは本心から、自分に創り上げた世界の感想を言いに来ただけに違いない。彼はそれが高次元存在が求めていた答えだったなどとは露にも思っていなかっただろう。


 しかし実際の所、高次元存在が求めていたのはこれだったのだ。善悪を判断できない上位存在が求めたのは、この世界が好きだという肯定的な感情――自分達の存在を認めてくれる言葉。自らが創り上げた世界を誰かが好んでくれるのであれば、この宇宙にはそれだけで意味があると言えるのではないか。


 もちろん、善とは移ろいやすいものであり、虎が少年にもたらした感情がそのまま宇宙にとっての普遍的な真理になる訳ではないかもしれない。アラン・スミスが出した答えが、宇宙にとっての最善であるとは限らない。しかし同時に、少なくとも、アラン・スミスの言葉は世界に対して意味を見いだせなかった上位存在や、世界に不幸しか見いだせなかった少年の心を救うものであったことは間違いない。


 思い返すと、少年は何度か他者から好意を向けられたことがある。同性からの信頼だってあったし、異性からの愛情だって受けたことはあった。だが、他者から好意を向けられたという経験は――なんとも不義理なことではあるが――少年の心を慰めるに足らなかった。その要因は、結局彼ら彼女らが認めてくれているのは少年が一生懸命取り繕っている仮面の方であり、同時に自分という存在が世界で最も信用ならないということを少年自身は自覚していたので、他者からの好意を素直に受け止めきれなかったのだ。


 だが、自分自身でなく、自分から生まれたものに対して好意を向けられるとなれば事情は異なる。創り上げたものを肯定されるというのは精神性の肯定であり、自らの本質の肯定である。少年は自身の外面を愛することは出来なかったが、誰よりもその内面を認めてもらうことを渇望していた。それ故に、アラン・スミスが掛けてくれた言葉が、一万年も苦悩し続けた少年の根っこの部分を救ってくれたのだ。


 そう思えば、仲間たちの最後が安らかであったことも納得できる。アシモフは彼女自身のあり方を自分で認めたのではなく、その足跡を娘に認めてもらえた。キーツは彼自身で自らを肯定したのではなく、宇宙を駆けるという夢を息子が引き受けてくれた。リーゼロッテは彼女自身で足跡を認めたのではなく、彼女の誇りと技を後胤が継いでくれた。そしてゴードンは彼自身を許したのではなく、彼が築き上げた学院の在り方をその生徒が肯定してくれたのだから。


 皆一様に、彼ら彼女ら自身でなく、彼らが生きてきた証を続く者たちに認めてもらえたのだ。自分の想いを誰かに継いでもらうこと、それはその者が生きてきた証を――その魂を肯定してもらったことに他ならない。だから、仲間たちの最期は穏かなものだったのだ。


 それは高次元存在とて同じことだった。彼らは己の一部を肉の器へと封じ、数多くの子供たちを三次元の檻へと送り出した。どんな答えを返されるか、この世界を作った時には思いもよらなかったのだろう。


 確かに上位存在は自分達の創造主であり、そういった意味ではやはり自分達との間に親子としての役割は存在する。そして、子供が自分の在り方を肯定してくれる――それ以上の喜びはない。


 つまり、宇宙の意味を見出すという命題は、アラン・スミスと、高次元存在と融合を果たしていた自分が彼の言葉を受け入れることで、一定の成功を得た。事の顛末はそういうことだったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ