15-4:A Boy and the Tiger 上
(やはり来たか……先輩)
アラン・スミスは自分と同じく、高次元存在に期待されていた存在だ。片や世界を終わらせるために、片や世界の存続のために――しかし、自分は既に明確な答えを持っているのに対し、彼はまだ答えを持っていないはずである。
いや、もしかしたら自分が知らない内に、アラン・スミスは世界に対して何某かの答えを得たのか? それならと、探りを入れてみることにする。要するに彼の意識を映し出すモニターさえ見つかれば、彼が何を思ってここに来たのか分かる。それどころか、彼の魂を見つけ出せば、そのまま葬ることだって可能だ。
過去のすべてに通じるこの領域において、旧世界や新世界、それどころか他の星々に生きる知的生命体の意識すら存在してしまうこの領域においては、那由多の数の意志が存在することになるのだが――すでに先刻から一気にウイルスによる浸食が進み、既にこの領域の半分は少年の意のままになっている。それならば、すぐにでも探し出すことが可能だろうと少年は踏んでいた。
早速だが、その計画は当てが外れた。原初の虎の意識は何某かに守られており、少年には彼の魂を認識することは出来なかったのである。少年のカウンターとして存在している虎の意志を守っている一派があるのは認識していたし、それによる干渉がアラン・スミスを守っているというのだろうか。
そして、原初の虎は間違いなく、こちらを目指して走り続けている。その姿を視覚的に捉えることはできない。より正確に言えば、少年が視覚的にとらえている男の像は、過去の映像なのである。
物質を超越した空間においてただ唯一存在する男の肉体、それは重力や空気などの抵抗に阻まれることも無く、光の早さすら超えて――光が最速というのは物質世界における不変のルールであるが、この超次元存在においてそれは当てはまらない――際限なく加速し続ける存在が、こちらへ向かって迷うことなく走り続けきているのだ。光の速さを超えているが故に、彼のシルエットが映るのは、過去にそこにいたという痕跡としての光があるだけ。本体であるアラン・スミスの姿を捉えることができないのだ。
しかし、迷いなくこちらを目指してきているということは、こちらが向こうを認識しているのと同様に、向こうもこちらを認識しているということか。いや、そもそもあの人ならば、確かに誰かの気配を察知するのは――それが光年など生易しいほど離れた単位であってすら――何故だか可能だと思わされるのだから性質が悪い。
だが、それならそれでやり方を変えるだけだ。そもそも正面から戦う必要性など無い。どれほど虎が早く駆け抜けようとも、それならその速度でも太刀打ちできないほど距離を離してしまえばいいだけだ。原初の虎は走り続けることしかできないが、自分は軸を変えて瞬間移動ができるし、更には並行世界や過去へだって跳ぶことが出来る。肉の器に囚われているあの人は、決して自分に追いつくことなどない。
自分が距離を離しているうちに全てを終わらせる。その後、あの人がどうなるのかは分からないが――高次元存在が役割を終えるとともにあの人の魂も消滅するのか、ただ世界に残る唯一の魂になるのか、どちらかだろう――どちらにしても自分の目的は達成できる。星右京と名づけられた魂は永久に消滅するという目的は果たされるのだから。
少年はそう考えて軸をずらし、考えうる中でも最も遠く、宇宙の開闢の時に最も近く、そして自分達が歩んできた可能性の遥か彼方へとたったの一歩分で移動した。
こうなっては、もはやあの人も追ってこれまい。肉の器にあるということは、空間も時間も可能性も超越できないことを意味する。あとは、あの人がこちらへ到達する前にやるべきことをすまして消えるだけ――しかし少年の目論見は外れた。先ほどまで背後から迫ってきたはずの男の気配が、今度は真正面から迫ってきていたからだ。
なぜ、複数の次元の軸を移動した自分を虎が追うことができるのか。その答えに関しては、冷静に考えれば簡単なことだった。質量を持つ物体が光速を超えれば、時空や因果律を捻じ曲げる。単純に、原初の虎はその速度を極限に高めることで、次元の壁を突破してきたのだ。
つまり、こちらの居場所が相手にバレている限り、どこに逃げようともあの人は自分を追ってくる。逃げ続けたとして、更に速度を上昇させ続けていることを想定すれば、それこそほんの一瞬で因果の果てまで到達するだけの速さを得てしまうだろう。以前、少年は原初の虎に「走り回るだけでは星の裏側で起こる悲劇を止めることなどできない」と言ったものだが、今のあの人は際限なく上がる速度で走ることで、どこへだって現れてみせる――それがこんな形で自分に跳ね返ってくるなど、一体どうして予測できたものだろうか。
そうなれば、次の手段を取るしかない。少年には戦う力が無くとも、この無限の可能性の中からあの人を倒せる可能性を紡ぎ出せばいい。すでに少年は神に等しい力を有しており、接近してくる虎に対して相応の力をぶつけることは可能だ。
まず、少年は魔術を用いて――それは旧友であるダニエル・ゴードンが作ったものだ――虎に対して攻撃を仕掛けた。しかし、こちらの攻撃の軌跡を読む野生の勘で、虎は少年が編み出した魔術をいとも簡単に躱してしまう。撃ち出された魔術は、原初の虎が過去にいた光を射貫くだけだ。
次に少年は、原初の虎が苦手とした魔獣を、彼の進路を阻むように設置した。もちろん、単純な魔獣のコピーではなく、通常のそれの何万倍もの巨大さで創り上げ、それを何万体も設置する。しかし虎はその凄まじい速度を繊細にコントロールし、魔獣たちの反応できない速度でその隙間を的確に縫い、いとも簡単にそれらを潜り抜けてしまう――魔獣たちが攻撃するのは、ただ虎の残した残像に対してだった。
それではと――次に少年が創造したのは、かつてアラン・スミスを最大限に追い詰め、かつ自分自身も恐ろしいと思った男の残影を創り出した。その残影は瞬間移動の能力を有し、かつ今の虎の規格と渡り合えるだけのスペックで新たに創り出されたコピーである。虎はその残影の出現に一瞬だけ驚いたような気配を見せたが、すぐに冷静な様子になり、速度を落とさないまま、旧世界の征服者が瞬間移動から姿を現した瞬間を捉えて一刀両断した。
なるほど、既知の存在であの人を止められないのなら、既知の外側にある強力な抑止力を生成すれば良い。次に少年が創り出したのは、宇宙の始まりの中で最も強力なモノだった。それは自分達が惑星レムに到着する前に進化を遂げた古代人達が創り上げた宇宙兵器であり――彼らの知的好奇心は留まることを知らず、ある兵器を創り上げた。その名を人の身である少年は言語化することは出来ず、その大きさは恒星の大きさを超え、その兵器の形は深海に渦巻く軟体生物の形にも似て、その火力は一つの銀河系をゆうに破壊できるほどである。
それに対し、虎に出来ることは走ることだけだ。彼の大きさは二メートルにも及ばない。規模感から言えば、まさしく大海に挑む砂粒にしか過ぎない。これで勝敗は決するはずだった。
しかし、またしても少年の当ては外れた。それは、あの人がほんの僅かでも質量を持っているということと、自分が逃げ回りすぎた弊害とも言えるかもしれない――あの人が超次元の空間に足を踏み入れてから、その速度は際限なく上昇している。そして、威力というものは速度の二乗と質量の乗算に比例する。
つまり今のアラン・スミスは、恒星一つを破壊するのを優に超えるだけのエネルギーを持っていたのである。原初の虎は古代人の超巨大兵器に対して、破滅的な勢いでぶつかり――恐らく蹴りを繰り出したのだろう――真っ黒な細い筋が巨大な球体に呑み込まれと思うと、それは恒星レベルの巨大さを一瞬で突き抜け、その直後に大爆発が巻き起こり、古代人の兵器は一瞬のうちに滅び去ってしまった。その爆発の勢いは凄まじい速度で周囲を焦がしていくが、その衝撃波の速度など加速し続ける虎の前には牛歩の如き速さに過ぎず、蹴りをかました当の本人は後方で巻き起こった爆発など歯牙にもかけず――実際にあの速度で進んでいたら爆発が起こっていることすら気付いていないかもしれない――駆け抜け続けている。
同時に、それほどの威力でぶつかって、あの人はなぜ無事なのか。確かに、エディ・べスターの創り上げた機械の体に有機体が合わさっており、機械だけでは持たなかった再生能力を有している。更にフレデリック・キーツの最高傑作を身にまとっている。それは分かる。だが、そんなものは所詮は精々万年の科学の進歩の結果であり、億年をかけた古代人の技術の粋がいとも簡単に破壊されてしまうことも納得できない。何より、それだけのエネルギーでぶつかったのなら細胞の一片すら残らないはずだ。
だが、原初の虎は確かにその身を保ち続けている。彼が通った道筋に残されている虚像を見る限り、後方の像はその身を焼いているが、こちらへ近づくにつれて再生していっている――つまり、凄まじい速度で体組織が再生しているのだ。確かに彼の体には晴子のリジェネレーションが施されているが、次元を超えてまでその影響を受けるとは考えにくいし、そもそも塵も残らないほどのエネルギーの中に居てすら再生するほどの効果はないはずだ。それなら、少年に取り込まれずにいる虎を支持する超越者の一派があの人を守っており、その身が朽ちぬように回復させているのだろうか?
少年がその原因を辿ってみようとするが、虎の接近がそれを許してくれなかった。それならせめて移動を繰り返し、あの人が走れなくなるのを待つべきでないか? 変身さえ解ければ、あの無限の再生能力はなりを潜め、まだ対処できるかもしれない――いや、それは無駄だろう。高速戦闘が行われているせいで体感時間としてはかなりの時間が経っているが、アラン・スミスがこの領域に足を踏み込んでからまだ一分と経っていない。それでもこれだけの加速をしているとなれば、次に移動しても一瞬で距離を詰められるはずだ。
それなら、あの人を止めるしかない。しかし、その存在はなんだ? この世界でもっとも強い存在、古代人の兵器すら超える恐ろしいモノ。ともかく、それをぶつける以外にあの人を止める手段はない。
少年は想像力の限界で以て、その存在をなんとか創り上げ、原初の虎の前へ立ちはだからせて見せた。それは間違いなく、最強の存在であった――それを創り上げたのはほとんど無意識であったのだが、少年はそのシルエットを見て動揺した。少年が作り上げた影は、敵対するものと同じく光速を超える速度で走り出したその虚像は、羨望の眼差しを向け続けた男のシルエットそのものだったのだから。
それを見て、あの人は仮面の下で笑ったに違いない。「それがお前の考える最強かよ」と――そして気が付けば、少年が作り出した想像上の虎は、本物が残したカランビットナイフに頭を貫かれて倒れていた。
同等の力を持つ者同士がぶつかったというのに、どうして負けてしまったのか。その理由はあまりにも単純だ。原初の虎は常に少年の想像の上を往くからである。言葉遊びのようであるが、虎は少年の空想に勝る。それこそが全ての幻影をいとも簡単に振り払ってしまった要因だったのだ。
もはや万策は尽きた。だが、それはあくまでも「原初の虎を止める」ということに関してだ。自分の勝利条件は、全く別の方法で満たせる。それならあの人がここにたどり着くまでの僅かな時間だけでも、やるべきことをやるだけ――。
「……右京ぅうううううううううううううう!!」
名を呼ばれ、少年は思わず意識をそちらに取られてしまう。本来なら音が伝わる速度など虎が出しているスピードに比べれば遅いのであり、声が先立って聞こえることなどあり得ないはずだが――虎の意志が直接少年の意識に語り掛けてきたと言うことなのだろう。
「こんの……大馬鹿野郎がぁあああああああ!!」
振りぬかれた渾身の拳は――視覚的には見えないが、間違いなく右の拳だ――人であった時に左頬と呼ばれた部位に突き刺さり、そして少年の魂は後方へと凄まじい勢いでぶっ飛ばされた。三次元の存在であるアラン・スミスの拳が魂だけの存在となった少年に触れたのは、その執念ゆえなのか、はたまた少年自身が「殴られた」ということを自覚したが故の作用であったのか――ともかく少年の魂は宇宙の果てまで飛んでいくのではないかという勢いで吹き飛ばされてしまった。
そんな勢いでぶつかられてもどうにか少年が無事だったのは、既にダメージを受ける肉体を放棄していたおかげだろう。ただ、確かに痛かった。肉体的な痛みは無いものの、心には確かに彼の拳は響いた。だが、その痛みは不思議と不快なものではない。確かに彼の拳は怒りにまみれていたが、逆を言えばそれ以外の負の感情を感じられなかったせいかもしれない。
少年が尻もちをつく形でうずくまっていると、二本の足がすぐに目の前に止まった。視線を上げると、ヒビだらけの仮面の男がこちらを見下ろしており――そしてその仮面が砕けて落ちるとともに、彼の身体を覆っていた黒い皮膚がボロボロと崩れ落ちた。




