15-3:とある少年の生涯 下
同時に、少年は今更になってこう考える。何かを世界に遺すということこそが、やはり幸せにつながる道ではなかったのかと。彼の一万年の同胞たちの最後を見ていると、そう思わざるを得ない。
ファラ・アシモフは第六世代型アンドロイドたちを護り、その生を終えた。フレデリック・キーツは息子のシモンに宇宙の夢を託して散った。リーゼロッテ・ハインラインは遠い後胤に技を残して自ら幕を引いた。そして自分と同じく超越者を恨んでいたダニエル・ゴードンですら、ソフィア・オーウェルが紡ぎ出した可能性を見て、氷の花束に眠った。
彼らも自分と同じような罪人であったはずなのに、自分と同じように何かに絶望し、恨み、世を儚んでいたはずなのに、その最後が安らかであったことを思えば――結局人というものは、魂の幸福というものは、続く者に何かを遺していくことでしか得ることができないのではないかと、彼らを見ていると思わざるを得ない。
しかし、世界は自分にそのチャンスをくれなかったではないか。もちろん、七柱の創造神と呼ばれた者たちの中において、自分が最も罪深い存在であり、それ故にそういった因果が巡って来て、子を成すということを摂理が許さなかっただけかもしれない。
いや、今になれば分かる。今や少年は自身の配下にあるウイルスによって高次元存在を自らの手中に収めはじめ――莫大な領域に対してまだほんの数厘にも満たないほどではあるが――その支配域は凄まじい勢いで拡大していっている。それ故、今や何もかもが分かり始めている。自分が子を為せなかったことは単純に宇宙生活において胎児の成長と出産に無理があっただけであり、我が子を抱けなかったことは自分に対する罰などではなく、高次元存在が何か働きかけてきたわけではないのだと。要するに、避けようのなかった悲劇であったと同時に、結局は妻に宇宙で出産せざるを得なくなった原因を招いた自分自身が招いた因果ともいえる。
それと同時に分かったこととして、自分自身にも高次元存在の加護があった。より正確に言えば、全てのものたちに加護はあるし、だからといってそれ故に高次元存在が特定の個体に対して何か定めを課すわけでもない。それも当然だ、超越者たちは三次元の存在が生み出すカオスを観測するために知的生命体を生み出したのだから。上位者の側で個体に使命を課してしまえば、それは上位者の意識を間接的に体現しているだけに過ぎなくなってしまう。
しかしその中でも、宇宙の存在意義を見出すのにある種決定的な意思を持ちうる者に対し、上位存在は特殊な因果を与える。その因果の元にある者は、自分の目的を達するために多少の因果が味方をしてくれるようになる――自分が原初の虎を二度退けたのは、まさしくこの因果のおかげでもあった訳だ。
その事実も少年の神経を逆なでした。自分が選び取ったと思っていた選択は、確かに自分自身で選び取ったものであったが、ある程度は実現できるようにお膳立てが整っていた訳だ。それに、自らを葬り去ろうとしている敵対者に対して餞別を与えていたという上位者の余裕も気に食わない――もちろん、それは自分だけに対してでなく、やはり原初の虎にも与えられていたのであり、そういった意味では公平であったとも言えるのかもしれないが。
とにもかくにも、結局少年には自分の意志を継ぐ者など現れなかった。自分のような破滅的な思想に染まった者が何を継ぐというのかという疑問はあるし、仮に何か継承したい想いがあったとして、それを誰かに継いだとしてもだ――その一時だけは満足するかもしれないが、結局それを過ぎればいつも通りの苦悩にまみれた生に戻る。
そう思えば、結局他の七柱たちが満足のままに逝ったのは、最大限に幸福であったと言っていいだろう。要するに――乱暴な言い方をすればだが――彼らは人生の絶頂で事切れて、あたかも何かを成したような気になれただけなのだから。もし彼らの生がもう少し引き延ばされていたとするのならば、結局は不満足に立ち返ったに違いない。そして次の生を受けた時には、最終的には生の苦しみに苛まれ、結局はナンセンスに帰結するわけだ。
だから、全てを終わらせる。それが、人間に課された不幸という名の原罪を振り払う唯一の方法なのだから。全てが終わってしまえば、もはや幸福は生まれようもないが、同時に不幸も生まれない。莫大な不幸を消し去る対価として、ありうるかもしれない僅かな幸福を払う。それにより、不幸の連鎖を断ち切ることができる。それが少年の独りよがりであったとしても、高次元存在の課したくだらない因果を断ち切ること自体は、幸福量の面から見れば確かな合理性を持ち合わせるはずだと、少年は自分に言い聞かせて――そして周囲を見回した。
超次元の狭間において感覚的な情報などはもはやほとんど無意味なのだが、まだ人であった時の名残から周囲を観察すると、その情景は次のようになる。無数の光が点在している星空のような空間。上も横も下もあり、同時に軸をずらせば他の可能性の元に進んでいた宇宙にすら行くことが出来る。はたまた、また別の軸をずらせば過去へ行くこともできるが、どうやら未来へと行くことはできないようだった。
そして少年を取り巻いている光のような存在こそ、人々に宿る魂、高次元存在がもたらす意識の断片である。それを少年の見知った表現に置き換えれば、そこには無数のモニターが存在している、というのが分かりやすいだろうか――まだ現世に幾分か残っている者たち、それも全ての時空間、全ての過去、かつあらゆる可能性の彼方にすら存在しる意志ある者たちが見ていること、感じていること、思考していること――つまり生物の意識が見せる断続的なイメージが、様々な形のモニターに映し出されているのだ。
ただいま少年はこの光たちを自らのウイルスでコントロールし、高次元存在の領域を犯していっている訳である。砂嵐が映されているモニターは少年がコントロールできている領域であり、この全てが砂嵐になれば世界に冬の沈黙が訪れるという算段だ。
未来の光景が無いのは、少年が自らの悲願を達成するが故に存在しえないのか、はたまたまだ幾分か人間的な感覚の元を持っている彼の感覚では捕らえられないのか――光がもたらす景色は常に過去のものであり、未来から光が届くことなど決して存在しえないからかもしれない。超次元であれば時間軸すら超えられるはずだが、まだ高次元存在を完全にものにしていない少年には、未だ未来の可能性という物を捉えきれていないだけの可能性もある。
(……いいや、最初からこの先など無かったんだ。何故なら、この宇宙はここで終わる定めだったんだから)
それ故に、未来を見ることはできない。それ故に、未来に行くこともできない――全てはこの僅か先で途絶えるのだから。周囲で一生懸命に何某かを映し出しているモニターはどんどんと砂嵐を映す様になっていく。それはまさしく、開闢から紡がれてきたすべてがその役割を終え、未来など存在しえないことを証明していることを象徴しているようだった。
この選択が最良だったとは思わない。宇宙に何某かの意味があったという方が良かったのは十二分に理解している。結局のところ、本当なら自分のことなど歯牙にもかけていないはずの他者に対して必要以上に怯え、最高でない自分に対して自己嫌悪に苛まれ続けただけであり、言ってみれば世界に対する認知を歪めて肥大化する自己をコントロールすることが出来なかっただけ。それは少年自身も理解している。
しかし、自分はこの傾向が他者と比較してより顕著であっただけだ。もし自分がこの場に立たなければ、遥かの未来に自分と同じように結論を出した者が、同じように行動していたとも限らない。仮に自分以外に現れなかったとしても――世界に意味が与えられるとも限らないではないか。
遥かの昔に少年らの世界にモノリスを授けた古い種族ですら――実はその存在こそ惑星レムから外宇宙へと旅だった者たちである――自分たちなど比較にならないほどの技術力と知識を蓄積させているにも関わらず、この宇宙に未だに意味を見いだせていないのだ。彼らは既に半ば肉体と生殖を捨てており、自己修復と拡張を繰り返す反有機的な宇宙船と融合し、半ば意志のみになり、彼らなりに宇宙の意味を探しながら宇宙を何億年も彷徨っている。
先行する種族にすら見いだせなかったものを、今更自分達が見つけられるとも思えない。もちろん、先行する種はあまりに高度に発展してしまったが故に、思考が硬直している可能性もある。そこで――たとえばダニエル・ゴードンがそうしたように――敢えて後発を育てることで新たな気付きがあるという考え方も出来るかもしれない。それこそある意味では、高次元存在が三次元の存在を作り出したように。
少なくとも、旧人類はそれを成すことが出来なかった。そして、自分達が管理していたこの箱庭でもそれは為されなかったし、過去に存在したありとあらゆる有機生命体を全て束ね合わせたとしても、結局宇宙の意味が見つかることも無かった。個人がそれらしい結論を出したとしても、それは結局は普遍性を得ず、それ故に思想が統合されることも無かった――結果として、魂は肉の器の内で永遠の孤独に苛まれ続けるだけだった。
宇宙が生まれてから数多の魂が巡っていったが、結果は変わらなかった。それは、もしかすると最初から決まっていたことなのかもしれない。何故ならば、そもそも魂を生み出した上位存在そのものが、世界に対して意味を見いだせなかったのだから、そこから生まれた子供たちも同じ場所に帰結するのは何もおかしなことでないからだ。
ナンセンスから生まれた者は、結局ナンセンスに還るだけ――次元的に微分をしてみても、肉の器に封ずるという化学変化を起こしてみても、思考する自己が高次元存在という無意味から生まれたのなら、無意味に永劫回帰するのは自然の摂理であったのかもしれない。だから、少年が持った諦観は、知的生命体が生まれた当初から定められていたとも言える。
そうなれば、今の自分は全ての魂の代弁者である。かつて星右京と呼ばれた自らの人格が陥った負のスパイラルは、多かれ少なかれ全ての知的生命体に宿る魂の本質であるというのなら――いつかの時代、いつかの場所で生まれたとある少年が背負った業は、主たる高次元存在の過ちを清算する事に繋がっていたのだ。この宇宙に無意味を返し、永久の沈黙を下ろす。それが全ての魂に安らぎを与える唯一の方法である。
そして、もうじき全てが終わる。先ほどは数厘に過ぎなかった少年の支配領域は、すでに半分程度に拡大している。その支配域が爆発的に増加したのは、レムが予想した通りにウイルスが指数関数的に増えるからであるのだが――ふと、少年は何者かがこの空間へ侵入してくる気配を感じた。全ての時空間に通じるこの領域においては、ある意味では全ての意志が存在しているとも言えるのだが、それでも強烈な違和感を覚えたのは、本来なら超次元の園においては存在しえない質量を感じ取ったからだろう。
それは、世界に無意味を返すことを吉としない魂。どんな絶望の中でも立ち上がり、どれ程の過酷の元にいても走り続ける男の意志。その強力な意志は次元の闇を引き裂きながらこちらへ向けて近づいてきているのだ。




