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15-2:とある少年の生涯 中

 そんな彼だが、何も幼少の時から世界に対して絶望していた訳ではない。幼いころは漠然と、少年はこの世の不幸を振り払う正義の味方になることを夢見ていた。おとぎ話に語られる様な、この世の悪徳を振り払う勇者。少年は無邪気に、悪を倒せば自分も人も皆が幸せになると思っていた。


 だが同時に、こういった物語が少年の情操に対してマイナスの影響を与えた部分も間違いなくある。彼は正義に憧れるが故に、自分の中に潜む弱さや不完全さというものを認められなくなっていた。言ってみれば、創作の中の理想的な人物と自身の精神性との乖離において、更に自身に対する失望を深めていった部分があるのだ。


 もちろん、少年も人生において様々な経験を通じることで、どうやら人という存在は常に善では居られないということは――それは他者であれ自分の中に潜む悪徳であれ――理解をしていった。それ故に別に他者に正義を押し付けることもしなかったし、他者に何かを過度に期待することも無かった。


 しかし、幼い頃に培った情動というものは、その後の道を規定してしまう側面がある。少年は本来物語の中にしか存在しないような高潔な人物をその人生の規範としてしまったため、人としての最高位は弱きを助け強きを挫く者であると思い込んでしまった。我が身の不幸も厭わずに戦う者こそ素晴らしい人であるということが、彼の魂の底に強く刻まれてしまったのだ。


 だから、少年は自分という本性を認識するにつれ、自分という存在が許せなくなっていった。同時に、完璧でない自分を他者の目に晒し、失望されることが恐ろしかった――これがある少年の斜に構えた人格が形成されてしまったことの経緯である。


 とはいえ、これだけならさしたる問題は無かった。自分にも他人にも期待を持てないのであれば、ただひっそりと生きていけば良い。それは幸福ではないとしても、少なくとも不幸を最小限に抑えることができる。そして、どうしてもそれすらも耐えられないのなら、死んでしまえば全てが片がつくと少年は思っていた。


 それに合わせ、少年には三つの重大な転機があった。ひとつはこの世界の構造を知ってしまったこと、もう一つは現実には存在しないと思っていた本物の正義の味方を見つけてしまったこと、そして最後は晴子との子供が世界に生まれてこれなかったことである。


 世界の構造を知ってしまった点について、少年は二課のメンバーに対しては「コングロマリットが仕組んでいる情報統制に抗ってやるという正義感」と語ったが、それは真実であったとともに、少年の動機の一部であったに過ぎなかった。少年がDAPAのデータベースにアクセスした本当の動機は、単純な好奇心だった。より正確に言えば、運命を感じ取ったとも言える。このまま死ねば不幸が終わるというのが本当であるのか、彼は直感的に違和感を持っていた部分があった。だからといってその答えをDAPAに求めたのは、本当にただの偶然に過ぎなかったのだが――しかしその偶然がモノリスがもたらした世界の真理へと少年を誘い、彼は無限に巡る生と、不幸の輪廻を創り出している超次元の存在に対して強い絶望と怒りを覚えた。


 そしてそれ故に、彼は戦いに身を投じた。世界の趨勢を決めうる二つの巨大組織を手玉に取り、人の不幸の源泉たる高次元存在を必ず屠ってみせると。そこで目下最大の課題であるデイビット・クラークを倒すのに利用した原初の虎との出会いこそが、彼をより深い絶望へと誘った。


 少年が虎に目をつけたのは、単純にクラークを倒しうる可能性を感じたからに過ぎない。むしろ、政府お抱えの暗殺者など、機械のような人間か、はたまた相当な乱暴者であると想像していたのだ。しかし、それはなんたる皮肉であったことか――虎の活躍を追っていると、彼こそがいつかの日に憧れた正義の体現者であったのだ。現実に存在しえないと割り切ることで少年は自らの心を慰めていたのに、どんな困難の中でも誰かのために走り続ける男が実在したことに対し、少年は心が千切れる様な想いをすることになる。


 本物の英傑が世界に存在してしまっていたという事実は、結局は己が未熟故に自分は理想に辿り着けなかっただけであり――というより、やはり正義の味方にも才能が必要なのだとという真理を突きつけてきた。もちろん原初の虎の持つ技は彼の研鑽によって得たものであるが、彼の善性はむしろ生まれ持ってのものであり、少年には最初からなかったものだった。


 理想の人物が実在してしまった以上、自分がただの凡夫であったと思い知らされた。その魂の本質からしてその背には永久に追いつくことが出来ないのだと思い知らされる――だから、少年は己の理想を殺し、自分が消え去る道を選んだ。選んだはずだった。


 それでも、少年はまだ心のどこかに希望を捨てきれなかった。取り返しのつかない過ちを犯しているのにも関わらず、まだどこかに不幸を埋め合わせるだけの幸せがあるのではないかという期待を捨てきれなかったのだ。それでさんざん悩んだ挙句、晴子を迎えに――兄を殺してどの面を下げてといわれてはその通りだが、兄本人の頼みでもあったから――行った。


 ただしそれは、当初の計画と並行した上でのことである。晴子は確かに今まで出会った他の者たちと違う印象を受けたし、淡い期待こそあったのだが、所詮は他人だ。自分に幸せを与えてくれるとは限らないし――何より、仮に今生が幸せであったとしても、次の輪廻で幸せとも限らない。そうなれば、やはり計画通りにことを運ぶ方が、大局的に見た場合に保険になると言えたし、恐らく大本の計画通りになるだろうと少年は踏んでいた。


 子供が欲しいと晴子に言われた時も、少年は反対したい気持ちでいっぱいだった。それでも、他者からの失望に耐えられない彼は、晴子の願いを無下にすることができず――子供などいらないと言えば彼女から失望を受けるだけでなく、男として見捨てられる可能性すらある――受け入れざるを得なかった。


 同時に、自身の子供を設けるということは、まさしく少年にとっては最後の賭けでもあった。それは概ね絶望側に傾くだろうとは予想していた。自身の遺伝子情報を持つ者に不幸を味合わせることに他ならないという不憫さ、自らの子供から失望されてしまうかもしれないという恐れ、そういったネガティブ要因の方が先行したのは勿論だが――子供を設けることで何かが変わるのではないかという淡い期待があったことは否定できない。

 

 もしかすると、それは人としての本能であったのかもしれない。生あるものは子孫を設けるためにこの世に生まれ、自分の遺伝子を次の世代へと繋ぐ。そういった本能が自分の心に働きかけており、半分は使命感のような面持ちで、自らの子供の来訪を期待していたのかもしれない。


 いずれにしても、彼の期待は裏切られることとなった。結局、シンイチは生まれてくることが出来なかったのだから。もちろん、全ての倫理観を無視すれば、自分達の子供に息を授けることは不可能ではなかった――息子のDNAは残していたし、第六世代型アンドロイドを作れるほどの技術力があるのだから、人一人を培養するなど訳ないことであったのだから。


 しかし、それでは晴子が納得もしなかっただろうし、少年自身も納得できなかったように思う。もちろん、息子のクローンを作れば幾許か気を紛らわせることは出来たかもしれないし、そもそも旧世界において禁忌とされる領域に足を踏み入れて人のクローンを作っておいて今更ではあるが――結局人というのは愛の営みとして生まれてくるべきものであり、水槽の中で培養された存在を我が子と認めることが憚られたせいだろう。

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