13-109:花に込めたる願い 中
「あぁ……ぼくが、きえていく……でも……なんだか……あたたかい……」
氷の花が柱の中心部分、「愚鈍な」と記載されていたプレートを覆うあたりで、どこか安らかな調子で男の声が聞こえだした。そして完全にこの場の支配者が力を失ったのだろう、月本来の持つ重力が一気に空間に戻って来て、自分達は近くに僅かの残った足場へと着地した。
「……第六世代型が、第八階層魔術を扱うか。やはり、君の才覚を見抜いた僕の目に、狂いはなかったってことだ」
着地するのに合わせて、聞き馴染みのある言葉遣いが空間に小さく、しかししっかりと響き渡った。声こそ先ほど同様の機械音声であるものの、今わの際にて魔術神の人格が復活した、ということだろうか。
「ダニエル・ゴードン……いいえ、魔術神アルジャーノン。私は決して、アナタのしてきたことを許すことはできません。ですが……同時に、アナタがしてきたことの全てを否定する気はありません。
その目的が歪んだものであったとしても、アナタが第六世代型に与えたもの……この管理社会において、私たちが学問し、思考する自由を持てたのは、アナタが学園を設立したおかげですから」
聞こえてきた男の声に対し、自分は自然と返事を返していた。彼こそが七柱の創造神にて最強、自分達を苦しめた諸悪の根源とも言えるのだが――ただ、彼の生きざまに関して、そのすべてが邪悪であった訳でもないのも、また事実である。
だからだろうか。大切な半身の魂を賭してまで戦い抜いたというのに、最後にこの人と話をしようと思ったのは。確かにこの人のせいで何度も絶望の淵に落とされたが、同時にこの人が惑星レムに残した功績も大きいから。
たとえば、我が師であるアレイスター・ディックがこの社会の在り方に疑問を持ったのは、学院で社会科学を学べたという点がある。そして、当のアルジャーノンは、アレイスターの思想にも気付いていたのだろうし、それを諫めることもしなかった。魔術神からしてみれば取るに足らない事だったと言えばそれまでかもしれないが、学院内における精神の自由を彼が一定担保してくれていたからこそ、自分もある程度精神の自由を許されていた部分もある。
また、自分が最終的にアルジャーノンを超える魔術を放てたのは、そもそもの基盤としてアルジャーノンがシルヴァリオン・ゼロの作成に協力してくれたからでもある。彼自身が限界を認め、第六世代型に可能性を見出そうとしていたからこそ、自分達はここまでこれたという事実は間違いなくあるのだ。
自身が認めた魔術に破れるというのは、皮肉な話のようにも思うが――アルジャーノンはこちらの言葉に対し、負け惜しみを言うこともなく、ただ無言で話の続きを待っているようだ。
「……また、アナタの動機そのものを否定する気もありません。仮に私がアナタの立場なら、次の輪廻への絶望から、同じような選択肢を取らなかったとも限りませんから。
そして、今から次の輪廻に向かうアナタに対して、こんなことを言って慰めになるかも分りませんが……どうか、人の持つ可能性に、希望を持ってほしいんです。
確かに私たちは、個体の差からくる不平等を克服できてません。それは、この先の未来にも難しいことでしょう。アナタが次に現世に巡り合うとき、また望まぬ生を受けないとも断言できません。
それでも……私たちは進化を続けていくはずです。それは、科学的な領域においても、精神的な領域においても……超次元の力を借りなくたって、いつの日か社会にある不幸を克服していくこともできると思うんです」
「そんなのは詭弁さ……仮に今ある不幸を根絶できたとしてもだ、三次元の檻にいる限り、社会には新たな不公平が出てくるはずだ」
「えぇ、アナタの言う通りだと思います。それでも、課題にぶつかるたびに、何度だって立ち向かえばいい。正解が出るまで考え続け、時には誰かの力を借りて、前へと進んでいけばいい。人には、それだけの力がある……アナタが認めてくれた私の魔術は、私とグロリアが紡ぎ出した奇跡は、その可能性を信じるのには足らないものだったでしょうか?」
アルジャーノンが切望したのは、二度と輪廻の輪に戻ることなく、今の彼のままで究極の進化を遂げることだった。そしてその動機は、次に生まれてくる生が今より良いと期待できないから。
もちろん、彼の思想を完全に否定することはできない。次に巡る運命が、ダニエル・ゴードンにとって更に過酷なものとなるかもしれないし――彼からして見たら今回と同等ですらも認められないことだろう――人というのは肉の器にある限り、永久不変の本能を携えており、その根本は何も変わらないかもしれない。
それでも、先のことなど分からない。彼の予測を否定しえないのと同じように、彼もまたこちらの展望を完全に否定はしえないはずだ。何よりも、自分は未来の可能性を信じると決めた。もう一度、彼女と出会う、そんな可能性を――そしてきっと、魔術神アルジャーノンも、他者の可能性を心の底で信じていたからこそ、管理社会の中に学院を設立し、人々の成長を見守って来たのではないか?
しばしの沈黙の後、自分の予測を肯定するかのように、男は小さく「そうだね」と返してきた。
「……確かに君の見せてくれた可能性は素晴らしいものだ……でも、そうか……それなら、僕がやってきたことは……無駄じゃあ、なかったんだな……」
その様子は、どこか安らかな様子であり――アルジャーノンの言葉が途切れると同時に、中央の柱は根元から天井まで完全に氷の花で覆われた。これで、終わったのだ――雪の花を見つめていたエルは二対の神剣を鞘へと納めてこちらへと振り返る。




